Date: Sat, 26 May 2001 22:37:20 +0900
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    「人道的介入」を考える (第2回〜第5回)

               井上 澄夫
                    (戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
 

  ※「〈第1回〉『人道的介入』を考える」は、今年1月、[aml 20588]に、投
稿しています。
 

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  <第2回>「人道的介入」を考える

  21世紀世界の政治構造の基礎として、まず挙げるべきが、「冷戦の終結」
であることに、大方異論はあるまい。第二次世界戦争が終わる直前に始まった
〈冷戦〉は、戦後半世紀余にわたり、〈熱戦〉への転化を恒常的にちらつか
せ、世界平和を脅かし続けてきた。しかし「ベルリンの壁」は、劇的に崩れ
(1989・11)、ワルシャワ条約機構も消滅した(91・3)。同時にそ
れによって、旧西側の軍事同盟=NATO(北大西洋条約機構)も、その存在
意義を喪失した。「鉄のカーテン」が取り払われ、東西両陣営が角突き合わせ
る時代は過ぎ去った。それなのに、なぜNATOは消滅しなかったのか。
 NATOは、北大西洋条約に基づいて作られた軍事機構である。同条約は、
冷戦がすでに始まっていた1949年4月4日に、米国のワシントンDCで締
結された。言うまでもなく、スターリンが率いるソ連とその衛星国(東側陣
営)がもたらす軍事的脅威に備えるためである。論を進めるために必要な限り
で、同条約の条文を引用する。

 〈前文 この条約の締約国は、国連憲章の諸目的と諸原則に対する自らの信
念、そして全民族と全政府とともに平和に暮らそうとする願いを再確認する。
/彼ら(締約国)は自由、民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配に基づき
築かれた、諸国民の共有の遺産及び文明を守る決意をした。彼らは北大西洋地
域に於ける安定と安寧の促進を希求する。/彼らは集団防衛及び平和と安全保
障を維持するため努力の結集を決意する。/彼らはそれ故、この北大西洋条約
に合意する。

  第1条  締約国は、国連憲章に定められたように、彼らの関与し得る国際紛
争を、国際平和と安全及び正義が脅かされないような平和的手段により解決を
図り、彼らの国際関係においては国連の目的に相反する、いかなる形の武力の
威嚇または使用を控えることを約束する。

  第5条  締約国は欧州又は北米の一締約国以上に対する武力攻撃を全調印国
への攻撃と見做すことに合意し、そのような武力攻撃の生じた場合、国連憲章
51条に認められた個別又は集団的自衛権の行使により、北大西洋地域の安全
保障の回復と維持のため、各々が、武力の使用を含む、必要と考える行動を、
個別に、そして他の調印国と共同し速やかに執ることによって、攻撃された締
約国を援助することに合意する。〉

  前文は、同条約が「集団防衛及び平和と安全保障を維持するため」に結ばれ
たことを明らかにしている。そして第1条は、締約国間の国際関係において
は、「いかなる形の武力の威嚇または使用を(も)控えることを約束」してい
る。締約諸国間では、どのような問題も「平和的手段により解決」するのであ
る。しかし第5条では、「一締約国以上に対する武力攻撃を全調印国への攻撃
と見做し、国連憲章51条に認められた個別又は集団的自衛権の行使により、
攻撃された締約国を援助することに合意する」という。
  同条約の最初の加盟国(原加盟国)は、カナダ、米国、イギリス、フラン
ス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、ポルトガル、デンマー
ク、ノルウェー、アイスランドの12カ国であったが、そのいずれかの国、な
いし複数の国が武力による攻撃を受けたときは、個別に、あるいは共同して(集
団的に)反撃するというのである。つまりNATOは、いわゆる攻守同盟であ
る。と言っても、第5条の文言は、単純なものではない。
 

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  <第3回>「人道的介入」を考える

  北大西洋条約の第5条(前回全文を引用)は、締約国(条約参加国)の一つ
以上に対する武力攻撃が生じた場合、個別または集団的自衛権を行使すること
を規定している。そこには「(締約国の)各々が、武力の使用を含む、必要と
考える行動を、個別に、そして他の調印国と共同し速やかに執ることによっ
て、攻撃された締約国を援助することに合意する」という表現がある。この回
りくどい表現には、実は重要な鍵が隠されている。
 「各々が、武力の使用を含む、必要と考える行動を執る」という部分が、そ
れだ。武力の使用は「必要と考える行動」に含まれるが、行動=武力の使用で
はない。武力の使用以外の行動も、「必要と考える行動」に含まれる。 
 つまり常識的に言えば、攻撃(諸)国に対する対応には、禁輸、経済制裁、
攻撃国の資産の凍結などが含まれる。国交関係を断絶せずになされる、もろも
ろの外交的対応から、国交の断絶まで、多様な選択肢があるのだ。
 だがNATOと言えば、旧ソ連を中軸とする旧東側諸国による攻撃に、即応
して集団的に反撃する軍事機構、というイメージで知られていたはずだ。その
イメージと、第5条の文言との間にはギャップがある。
  どうしてこうなったのか。それには理由がある。冷戦の一方の極である米国
は、むろん旧ソ連による自国への直接攻撃を想定し、それに備えて軍拡を続け
ていった。しかし東西冷戦の第一線は、まず何より欧州であり、そこで起こる
衝突に備えて、米国は大量の自国軍を、主として旧西ドイツに駐留させてい
た。最も想定しうる事態は、欧州における衝突だったのだ。
  北大西洋条約が締結された1949年と言えば、第二次世界戦争の終結から
まだ5年後であり、米国内では「もう欧州の戦争に巻き込まれたくない」とい
う気分が強かった。だから、冷戦から熱戦への転化の危険があるとはいえ、
「欧州の戦争」に自動的に巻き込まれてしまうような多国間条約には、参加す
べきではないという意見が、米国議会内にあったのである。
  それゆえ、同条約が米国議会で批准されるためには、同盟国が攻撃されたと
き、米国が自動的に参戦する義務を負うような表現は、断じて避けられねばな
らなかった。それが、「各々が必要と考える行動を執る」という言葉が第5条
に挿入された理由である。
 
  私たちの眼前にある「周辺事態法」に、問題を引きつけてとらえるなら、同
法には、北大西洋条約第5条にある先述の規定に類するものがまったくない。
自衛隊は米国政府が始める戦争に、自動的に協力して、「後方支援」などの軍
事活動(戦争行為)をになうことになっている。「周辺事態法」は、国内法
で、条約ではないから当然ということになるであろうか。
 「周辺事態法」は、97年に策定された新ガイドライン(新指針)をベース
に制定された。しかしながら、新指針は、「指針及びその下で行われる取組み
は、いずれの政府にも、立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務づ
けるものではない」と明確にのべている。新指針は、そもそも相互を拘束する
条約ではないのだから当然のことだ。ところが、どう見ても法的性格が曖昧
な、この新指針を〈根拠〉に制定された「周辺事態法」に、米国が始める戦争
への自動参戦を拒否できる装置がないのである。日本政府が、自らの裁量権、
主体性を放棄したまま、対米軍事支援を規定したのが「周辺事態法」なのであ
る。
 重要な問題だから、指摘しておく。
 

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  <第4回>「人道的介入」を考える

  「人道的介入」という名のNATO軍による戦争において、米軍が最重要の
役割を果たしていることは、言うまでもない。だが米軍による戦争は、このと
ころ、その性格を大きく変えてきている。友人の福好昌治氏(大阪経済法科大
学アジア研究所・客員研究員)の論文に依りながら、そこに触れる。
  朝鮮戦争における米軍の死者は、3万3629人、ベトナム戦争におけるそ
れは、5万6201人だった。しかし湾岸戦争で死んだ米兵は、わずか182
人だった。しかもその多くは、味方の誤射による。
 それは、米軍を中心とする多国籍軍が、イラク軍を空爆で徹底的に叩いて、
壊滅状態に追い込んだ後、地上軍を展開したからである。米軍は湾岸戦争以
来、戦法を変えた。攻撃の中心は、空軍と海軍になった。つまり空と海から相
手を叩きのめし、停戦を強制した後、治安維持軍として、陸軍や海兵隊を送り
込むことにしたのである。
  それは、何故か。米国の世論が、朝鮮戦争やベトナム戦争のときのように、
膨大な戦死者を出すことを容認しなくなったからである。その背景として、福
好氏は、米国社会においても少子化が進んでいることと、「メディアの発達に
よって、戦場の様相がリアルタイムで茶の間に伝わるようになったこと」を挙
げている。93年10月、米軍がソマリアに介入したとき、米軍兵士が捕虜に
なっている映像は、米国民に衝撃を与えた。
  実際、米国防長官の諮問機関「二一世紀国家安全保障委員会」がまとめた
「国家戦略の探求」(昨年4月)は、こうのべている。「どこまではまり込む
のか分からないような際限のない介入で、疲弊することがあってはならない。
とりわけ海外における軍事介入については、米国が担うべき負担と、得られる
利益をまず検討せねばならない」。
  つまり米軍は、「犠牲者なき戦争」を追求し始めた。願わくば、一人の米軍
兵士の血も流れない「きれいな戦争」をやろう、ということになったのであ
る。同時に、「国家戦略の探求」が示すように、必ず勝つ戦争しかしなくなっ
た。まとめて言えば、「安全に勝つ戦争」だけするということである。
 
 しかし、「きれいな戦争」で空爆される目標が、どういうものか、その点を
忘れるわけにはいかない。湾岸戦争で、多国籍軍が、1万メートル以上の上空
から攻撃した目標は、その大部分が、次のように、民生用施設だった。

 ●発電、電力中継および送電
 ●浄水装置、揚水や配水システムおよび貯水池
 ●電話・ラジオの交換局、中継局、発信局および送信施設
 ●食品加工、貯蔵や配送施設および市場、乳児用ミルク調整工場と飲料品工
場、動物免疫施設、灌漑施設
 ●鉄道輸送施設、バス車庫、橋、主要高架道路、幹線道路、道路補修基地、
列車、バスその他公共輸送車両、商業用車両および私用車両
 ●油井および油井ポンプ、パイプライン、石油精製所、石油貯蔵施設、ガソ
リン給油所、燃料輸送タンクローリーとトラック、および灯油貯蔵タンク
 ●下水処理システム
 ●民生用物資の生産に従事する工場、たとえば繊維工場、自動車工場
     (ラムゼイ・クラーク編『アメリカの戦争犯罪』、柏書房、92年刊)

 ユーゴへの介入も空爆中心で、99年のコソボ紛争では、NATO軍は、セ
ルビア軍の対空砲を恐れて、対戦車ヘリさえ投入しなかった。    

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  <第5回>「人道的介入」を考える

  今回は、少し違う角度で書く。それは、この連載を続けることの意味にかか
わっている。
  いわゆる「人道的介入」がなされた旧ユーゴスラビア地域について、私たち
は、たとえば、ベオグラード、ボスニア、コソボといった地名や、セルビア
人、アルバニア人といった言葉を記憶している。そしておそらく「民族浄化」
という恐ろしい言葉も覚えている。同時に悲惨な事態が、「民族的、宗教的
な」対立によって生まれたと思っている。
  しかしそれは、遠い国の出来事で、早く平和が訪れてほしいと思っているだ
けではないだろうか。
 
  だが、同じ問題が規模や程度の差こそあれ、私たちの属する社会においても
起きているという自覚が、何より大事だと私は思う。いやその前に、この国は
「人道的介入」の歴史を持たないのか、という自問があっていいのではない
か。
  一例を挙げる。いわゆる「シベリア出兵」(1918年〜1925年)が、
ロシア革命を挫折させようとする連合国側の策謀に基づくことは、今では論争
の余地がない。日本の出兵をめぐって、日米間にあつれきが生じたこともよく
知られている。
 当時の日本政府が、米国政府に対して通告した「出兵ノ目的」の一つは、
「『チエツク、スローヴアツク』軍カ西比利亞〔シベリア〕鐵道沿線退却中過
激派及敵国俘虜ニ依リテ攻撃セラレツツアリタルヲ以テ之ヲ救援シ其ノ軍隊ノ
結束ヲ鞏固ナラシメ且其ノ浦潮〔ウラジオストク〕經由本國歸還ヲ遂行セシメ
(ル)」というものだった。
 ある史書は、こうのべている。「シベリア出兵問題は、連合国間の腹のさぐ
り合いのなかでなかなか決着をみなかった。この間、ドイツ・オーストリア同
盟軍から脱走してロシア軍に加わっていたチェコ軍を一〇月革命後のロシアか
ら撤退させる必要が生じたが、当のチェコ軍はシベリア経由での帰還の途中で
方向転換し、コサック軍のセミョノフ司令官の指揮下に入って反革命軍となっ
た。そしてそれら反革命軍の救援が、連合国の干渉戦争への共同出兵に大義名
分を与えることになる。」(武田晴人著『帝国主義と民本主義』、日本の歴
史・十九巻、集英社)。
  しかも先の「出兵ノ理由」の第二は、「露西亞人自ラ進ンテ受諾セムトスル
露西亞ノ自治及自衛ニ関スル幇助(ほうじょ)ヲ興(あた)フル為努力スル所
アラムトスルニアリタルハ又明白ナリ」というものだった。
  さて、撤兵への援助や自治・自衛に関する幇助を、現在の言葉で表現すれ
ば、まさに「人道的介入」ということになりはしないか。「シベリア出兵」
は、日本にとって天皇制を脅かす革命ロシアを打倒することだけではなかっ
た。当時の寺内内閣は、出兵に乗じて「満蒙」の権益を独占するつもりだった
のである。だが8年にわたる干渉の結果、日本が「戦費一〇億円、死者三五〇
〇の犠牲を払って得たものは、国際的な不信だけだった。」(前掲・武田
著)。
 
  戦前の歴史には、他にいくつも「人道的介入」の例を見いだすことができ
る。「民族浄化」という言葉は、多くの場合、性犯罪の意味で受け止められて
いるが、本来は「複数のエスニック・グループが混住してきた地域から、支配
的集団が他集団を威嚇と強制によって排除すること」で、ナチス・ドイツによ
るユダヤ人排撃などがその例である。関東大震災のときの朝鮮人の大虐殺は、
軍、内務省、警視庁が民間人を煽って行なったものだが、あれは典型的な「民
族浄化」であろう。
 人道や人権を掲げても、軍事的介入は軍事的介入である。       
                                                     (つづく)

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(「やさしいまちづくりをめざす吹田わいわいフォーラム」の機関紙
   『with You』2001年2月号〜5月号への寄稿)



 
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