Date: Sun, 20 May 2001 12:41:34 +0900
From: 加賀谷いそみ<QZF01055@nifty.ne.jp>
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Subject: [keystone 3916] 小泉首相の靖国参拝表明
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 「改革」の衣をまとい、その下からは刃物もちらつかせながら、小泉首相
は、金のかからない話には口角泡をとばし日替わり答弁で国会をわかしていま
すが、間もなくその反動も手伝って国民にとって「お祭りすんで日が暮れて 
つめたい風の吹く夜は 家を焼かれたおじさんと ヘソクリとられたおばさん
の ほんにせつないためいきばかり いくら泣いてもかえらない いくら泣い
てもあとの祭りよ」(原六朗・作詞、作曲「お祭りマンボ」)となりそうで
す。

「8月15日には、いかなる批判があろうと必ず(靖国神社を)公式参拝す
る」と言明した小泉内閣総理大臣は所信表明演説でも
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html
随所に大日本帝国憲法を彷彿とさせる発言をちりばめていましたが、その極め
つけが、代表質問で言いきった「私の内閣の方針に反対するのが抵抗勢力」と
いう一言です。かつてその「抵抗勢力」を弾圧したのが大日本帝国憲法下の国
家神道です。
 また、首相公選制に関する質疑のなかで、社民党の横光克彦衆院議員の「全
有権者の投票、総意で選ばれる首相は、国家の長、元首ということになる」と
述べたのに対し、首相は天皇と並び称されたのがよほど「おそれ多かった」ら
しく「政治的な最高権力者は首相だが、長年の歴史的な伝統、重みがあり、権
威の上で天皇の重みはすごく大きい」としどろもどろ。首相にとって天皇が唯
一の「聖域」のようです。

 特に首相が参拝したがっている靖国神社は、国家神道が国家・国民の精神的
支柱となり、天皇への滅私奉公として国民を戦争に駆り立て、日本が軍事ファ
シズムへと暴走した歴史を象徴する施設です。
 日本の政治と宗教の厳格な分離は、神道をよりどころとした政治による侵略
の歴史への深い反省に基づいています。それは同時に日本の軍事ファシズムの
直接の犠牲となったアジア近隣諸国民に対して二度と過ちを繰り返さないとい
う証にもなっています。
 多くの市民は相互に、過去の歴史を忘れず、過ちを教訓とし、共生をめざし
て友好を築く努力を重ねています。首相による靖国神社参拝の表明は、小泉政
権下でその証をも覆し、日本政府が再び戦争の20世紀へ回帰しようとする覚
悟に他なりません。これは明らかに政府自民党による普遍的政治道徳「主権を
維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務」を破ろうとする、日本国
憲法前文への挑戦です。
 そのような不正義を日本国憲法のもとで、「恒久の平和を念願し」「政府の
行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう」決意し、「崇高な理想
を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」ことを国際
社会に誓った日本では認めることはできないことであり、戦没者を「聖戦の殉
難者」としてまつる靖国神社への政府関係者の参拝は、決して許してはならな
い行為です。

 小泉総理は「日本が戦争に突入してしまったのは一言で言えば、国際社会か
ら孤立したことだ」とあたかも先の戦争を「やむを得ない」と認めたような発
言をした上で、なぜ戦犯を含む「軍神」をまつった宗教法人である靖国神社へ
の参拝に批判がおこるか、「心を込めて戦没者の方々に感謝の敬意を捧げる」
のがなぜいけないのか「さっぱりわからない」と開き直っています。そして政
府は首相の靖国参拝に対し、「理解を求める」ことのみを強調し、相手を理解
しようとする姿勢は見せません。これらこそが「自国のことのみに専念して他
国を無視」して「理解」を強要する「侵略国」の根本姿勢です。

 国家神道は世界の強国を誇るアメリカさえも震撼させました。GHQが、45
年12月15日に国家神道の廃止を打ち出した神道指令(覚書「国家神道・神社神
道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督並ビニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)で
「神道ニ関連スルアラユル祭式、慣例、儀式、礼式、信仰、教へ、神話、伝
説、哲学、神社、物的象徴」と国家を完全に分離し、日本政府に国家神道との
断絶を強く求めたことからも伺えます。しかしアメリカの戦略として残した
「象徴」天皇制によってその禍根を絶つことはできず、日本政府はことあるご
とに政教分離の形骸化を画策し、それがアジア近隣諸国民に対して脅威や不信
を与え続けてきました。
 
 今この国は、国家と宗教とが完全に分離していることは、日本国憲法にも規
定されています。八百万の神を含むすべての宗教に対して、いかなる関わりも
禁じています。そして「信教の自由」について大日本国憲法との明白な違い
は、「宗教を信じない自由」を個々人に保障していることです。政府や自治体
が、何らかのかたちで思想信条や死者を選別する宗教活動・施設と関わること
は差別であり、政府や自治体の関係者が宗教儀式に参加することは、国家に国
民を個人として尊重する義務を課した憲法に反する行為です。それは千鳥ヶ淵
戦没者墓苑、教育塔、忠魂碑などにも言えます。

 また、市民の間に、神道の罪科への認識が高まるのと相反するように、政教
完全分離の原則を形骸化しようとする政治勢力が強まり、各地で政教分離訴訟
が続いています。それに応じるように内閣法制局や総務省(旧自治省)も、宗
教行事への公費支出は「妥当ではない」として控えるようになってきていま
す。しかし、多くは特に最高裁では、原告敗訴の判決が出されています。原告
勝訴の判決にしても、日本における神道の歴史的背景を省みるものは少なく、
その判断は時の政治勢力や世論に左右されやすい多数を頼みとした「社会通
念」に照らしたあいまいなもので、憲法に規定する個人の尊重や、信教の完全
自由に基づくものではありません。司法の憲法に対する消極的な姿勢は「良心
の自由」を求める裁判に共通していることですが、これは司法の国民の基本的
人権を守り、国家権力を抑止する国家機関として責務の怠慢であり、憲法の基
本原則を空洞化させる大きな要因にもなっています。

 そして国家神道の特異性のひとつは、神道を単なる宗教としてではなく、天
皇崇拝を含む国民道徳と位置づけ、家父長制のもとで親(天皇)が子(国民)
に絶対服従の精神を植えつけたことです。それを教育と一体化させて具現化し
たのが儀式の重視と「教育勅語」です。
 戦前の政府の公式見解は国家神道を「いわゆる国家神道または神社神道の本
質的普遍的性格は、宗教ではなく国民道徳的なものであり、神社の宗教性は従
属的、偶然的性格である」としていました。小泉首相らが、戦没者を慰霊する
のは世界の共通認識で宗教行為ではないと主張する根拠はここに見ることがで
きます。この神道の「文化」化は、今に始まったことではなく、1960年代から
学習指導要領などで「地域の文化・伝統の尊重」「道徳教育」などの名で周到
に取り組まれてきました。それが形となってあらわれたのが、国旗・国歌法で
あり、社団法人・全国教育問題協議会(全教協・1981年4月1日設立)が発表し
た、機会の均等を否定し、国を守る国民の育成を期すなどとする「教育基本法
改正案」であり、「新しい歴史・公民教科書」です。

【国家神道】
 明治維新期に国家権力の保護により、神社神道と皇室神道が結合して成立した
神道。幕末の復古神道、特に平田派の国学者の思想の影響を受けて形成され
た。天皇制イデオロギー・国家主義思想の理念的背景となり、第二次大戦終了
まで続いた。(大辞林第二版)

◇大日本帝国憲法
第2章(臣民の権利・義務)
第28条
 日本臣民は、安寧秩序を妨げず、及び臣民の義務に背かない限りにおいて、
信教の自由を有する。

◇日本国憲法
 第20条(信教の自由、国の宗教活動の禁止)
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から
特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されな
い。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならな
い。
 第89条(公の財産の支出利用の制限)
公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維
持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、こ
れを支出し、又はその利用に供してはならない。
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 5月9日 衆議院本会議代表質問
小泉総理大臣「今日の日本の平和と繁栄の影には、自らの命を犠牲にした方々
がたくさんいる。そうした犠牲のうえに成り立って今日の日本があるんだと考
えると、私は戦没者に対して心をこめて敬意と感謝の誠をささげたい。そうい
う思いを込めて、私は個人として靖国神社に参拝するつもりだ」
(国会終了後「(首相でも個人でも)同じだ。首相として、個人として参拝す
る。首相の肩書は消せない」)

 福田官房長官記者会見「内閣総理大臣といえば、二十四時間そうであり、ど
この小泉であるかを示すために、肩書きをつけることはよろしいのではない
か。過去にもそのようにした人が多いと思う」「公式参拝の定義はなく、自ら
『公式参拝だ』と言明すれば公式参拝ということになり、私的ということなら
私的ということになる」

 上野官房副長官記者会見「どういうことを公式参拝と言うのかわからない。
小泉総理大臣は、記帳に総理大臣の肩書きを書くと言っているようだが、参拝
が公式なのか私的なのかは、もう少し様子を見なければならず、検討が必要
だ」

14日 衆院予算委員会
小泉純一郎首相「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちと、家族や国
のことを思って戦争に行かざるをえなかった人への敬意を込め、総理として参
拝する。批判はあろうと、日本人として自然なこと。宗教との関係はない」
「厚相の時も厚相として参拝した。何が公式で何が非公式かはよく分からない
し、答えたことはない。公用車で行って警護がいるから公式と言われてもどう
答えていいか分からない」

16日 自民党の山崎幹事長が中国の陳健(チンケン)駐日大使と会談
 陳健駐日大使「中国と日本の関係は、極めて重要であり健全に発展させてい
くことに変わりはないが、小泉総理大臣が靖国神社を公式参拝したいと表明し
ていることを心配している」
 山崎幹事長「公式とか非公式とかではなく、戦没者の慰霊のための純粋な行
為だ。戦争を肯定したり、賛美するたぐいのものではない」

17日 中国の王毅外務次官が阿南惟茂駐中国大使を呼び、公式に抗議を申し入
れ。
「(小泉純一郎首相の靖国神社参拝表明は)侵略戦争で最大の被害を受けた国
の人民の感情を蔑視(べっし)し挑発するものだ」「靖国神社はA級戦犯をま
つっており、対外侵略拡張の象徴だ。いかなる形式でも日本の指導者が参拝す
ることに強く反対する」
阿南大使は速やかに本国に報告すると答えた。

小泉純一郎首相「(参拝することに)変わりない。戦没者に慰霊の気持ちでお参
りするのは世界共通のことで、当然のことではないか」

福田官房長官「仮に参拝するとしても、戦没者に敬意と感謝を捧げたいとの気
持ちであり、先の大戦を美化するものではなく、戦犯が行ったとされる行為を
正当化するものでもない」

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 1889年 大日本帝国憲法を発布
 1900年 内務省に「神社局」を設置し、神社を一般諸宗教と区別
   08年 皇室祭祀令
      09年 登極令及びその附式公布。大嘗祭を国家神道の中核的位置づけ
   25年 治安維持法を制定
   35年 大本教への弾圧事件
   43年 創価教育学会への弾圧事件
   45年 連合国軍総司令部(GHQ)が神道指令
   46年 昭和天皇が「人間宣言」
   47年 日本国憲法を施行
   51年 戦後初の秋期例大祭に、吉田茂首相が参拝
   53年 東条英機をはじめとするA級戦犯14人を「昭和受難者」とし
て新たに靖国神社に合祀(「昭和殉難者」とは連合軍の形ばかりの裁判によっ
て一方的に『戦争犯罪人』という「ぬれぎぬ」を着せられた戦没者の意)
      59年 国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑が完成
   69年 自民党が靖国神社の国家管理を盛り込んだ「靖国神社法案」を
国会に提出したが、野党や宗教団体の反対で廃案。
       神道政治連盟(神政連)を結成
   70年 神政連国会議員懇談会が発足
   74年 「靖国神社法案」を自民党が衆院で単独可決したが、参院で廃
案。
              神政連が元号法制化運動
(靖国神社国家護持法案に「靖国神社特殊法人化」を盛り込だが、特殊法人化
すると「神道的儀礼」を行うことは出来なくなるため、法案成立を断念した経
緯がある)
   77年 最高裁が「津地鎮祭訴訟」で「地鎮祭は世俗的目的」として政
教分離原則に照らして合憲判決
   80年 政府が「靖国公式参拝は違憲の疑いを否定できない」との統一
見解
   85年 中曽根康弘首相が公式参拝
   86年 中国など近隣諸国の反発で、中曽根首相が靖国参拝を見送る
    91年 公式参拝に初の違憲判断を下した、岩手靖国訴訟の仙台高裁判
決が確定。玉ぐし料の公費支出も「違憲」と判決
   92年 大阪高等裁判所で、中曽根内閣総理大臣の靖国神社公式参拝
「大阪訴訟」判決で、公式参拝により、控訴人らは法律上保護された具体的な
権利ないし法益の侵害を受けたことはないとして、控訴を棄却したが、憲法二
〇条三項等の政教分離規定に照らして内閣総理大臣の公式参拝の合憲性に疑問
があることを認めた。
(「福岡靖国訴訟」でも福岡高裁が同様の判決「靖国神社に援助、助長などの
効果をもたらすことなく、首相が公式参拝を制度的に継続して行えるかどうか
は疑問」)
   93年 神政連が「反省と謝罪」の国会決議に反対する運動
   96年 橋本龍太郎首相、自分の誕生日に参拝
   97年 愛媛玉串料違憲訴訟が最高裁で原告勝訴
       「明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じ
たことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記憲法制定の経緯に照
らせば、たとえ相当数の者がそれ(靖国神社への玉串料の公費による支出)を
望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかか
わり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることにな
るとはいえない。」(最高裁大法廷一九九七年四月二日判決)
   99年8月 政府・自民党は、アジアの近隣諸国の理解を得ながら首相
や閣僚が靖国神社に公式参拝できるよう、宗教法人・靖国神社を特殊法人に改
組し、これに合わせてアジア・太平洋戦争のA級戦犯分祀(ぶんし)を検討す
ることについて検討を始めた。神社側は、祭式やたたずまい、名称を変えるこ
とは一切、認められないという立場を表明。自民党、「靖国懇」設置

 2000年 (靖国神社への公式参拝の実現を自民党運動方針に盛り込
む。)
       4月6日 衆院内各委員会に「新靖国神社法の制定反対に関する
請願(3月30日 紹介議員・佐々木秀典)」が提出される
       5月15日夜 森喜朗首相が神道政治連盟議員懇談会の会合であい
さつをし、「日本は天皇を中心とした神の国である」と発言
       5月17日 森喜朗首相は参院本会議で、「神の国」発言について
「天皇が神であるとの趣旨で発言したわけではない。憲法に定める主権在民、
信教の自由を尊重・順守するのは当然だ」と釈明し、同発言は撤回せず。
       8月2日 衆院予算委員会で森喜朗首相は「本年におきます私自
身の公式参拝については、多くの我が国国民や遺族の皆さんの思い、それか
ら、今御指摘がございましたように近隣諸国の国民感情、そうした諸般の事情
を総合的に考慮して、慎重かつ自主的に判断をしたいと考えております。」と
答弁
       8月6日 森喜朗首相が、平和記念式典出席のため滞在中の広島
で、終戦記念日の靖国神社公式参拝を見送ることを表明。私人としての参拝に
ついては、明言を避けた。ロイター通信は広島発で速報を流す。靖国神社の公
式参拝が、1985年、当時の中曽根康弘首相によって始められ、アジア諸国の強
い反発を呼んだことや、森首相が「神の国」などで、批判を浴びたことを詳し
く紹介。
       8月15日 石原東京都知事、参拝
       森田一運輸相(当時)の中国訪問が、中国側から日程調整など
を理由に断られた。森田運輸相は15日の終戦記念日に靖国神社を国務大臣と
して公式参拝した。運輸省「日程調整がうまくいかなかったと聞いている。大
臣の靖国参拝が影響したというのは推測だ」とした。保岡興治法務大臣も、公
式参拝を表明し全閣僚にも靖国神社参拝を要望していた。(法務委員会8/9「閣
僚として平和を祈念する機会をしっかり持ちたい。さきの大戦で犠牲になられ
たとうとい戦死者などに対して哀悼の意を表する一番重要なときだと考えてお
りまして、八月十五日の記念すべき日に祭られている皆様方のところに伺っ
て、いろいろ国家が宗教的活動を行ってはならないという配慮などから方式が
決まっておりますので、そういう方式にのっとってお参りをしてまいりたい、
こう考えておるところでございます。」)
      9月29日 参院予算委員会で、尾辻秀久議員が「戦没者遺族の心
情」を「国は、お国のためだ死んでくれと言った。そして、死んだら靖国神社
にお祭りをして国の手でお守りしてやると言った。だから私たちは靖国神社に
こだわっている。」と説明



 
  • 1998年   3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 1999年   1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 2000年   1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 2001年   1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

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