Date: Thu,  3 May 2001 19:05:00 +0900
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Subject: [keystone 3847] 21世紀最初の憲法記念日にあたって
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  <21世紀最初の憲法記念日にあたって>
 
      発信者=井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション、
             沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
      発信時=2001年5月3日
 
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      非武装国家に生きるということ
                              井上澄夫
                              

  日本国憲法第九条を標的とする改憲の思潮が高まっている。それにどのよう
な思想をもって対抗し、九条改憲を阻止するか、私の意見を略述したい。
  憲法九条が規定しているのは、《日本国家の完全な非武装化》である。前文
との関連で言うと、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な
理想を深く自覚」するがゆえに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し
て、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国民は、《非武装国家
に生きる》ことを選択し、アジアの近隣諸国を含む全世界の民衆に向かって、
もう二度と脅威にならないことを宣言したのである。
  だから憲法九条を実現していたなら、日本は、世界のどの国にとっても、最
も安心してつきあえる国の一つであったはずである。
  〔ただし誤解なきように願いたいのだが、私は、日本国憲法に書いてあるか
ら、前文と九条を支持するのではない。話は逆である。私自身が、日本国家は
非武装であるべきだと確信し、世直しの実践においても、あくまで非暴力を貫
くことを信条としているがゆえに、前文を含めて九条を支持するのである。
  日本国家が非武装であるべきと主張する根拠は、この国が、まぎれもない戦
犯国家だからである。前文と憲法九条は、かつての轍(てつ)を絶対に踏まな
いこと、再犯はありえないことを、全世界に誓約しているのである。〕
 
  しかし、「九条を守れ」と主張している私の仲間たちにも、私がいまのべた
ことを、さして深く強く自覚していない人びとがいるのではないだろうか。非
武装国家に生きるとは、丸腰でよい、それでいくということである。さまざま
な原因による紛争が絶えない世界で、丸腰で生きていくには、すべてを外交
(話し合い)で解決する揺るがぬ決意と、十二分の知恵とを要する。どこまで
も柔和かつ寛容であるとともに、おそらく気が遠くなるほどの忍耐と、したた
かで巧みな政治的技術とを必要とする。軍事的な脅(おど)しに屈しない、柔
軟かつ屈強な精神力が求められることは、言うまでもない。

  あらゆる外交上の手だてを尽くしたあげく、それでも攻撃されたら、どうす
るか――。丸腰なのだから、武装抵抗はできない。しかし私たちは、攻撃者、
侵略者に抵抗する手段を持っている。「非暴力の市民的不服従」が、それであ
る。ここは最も鮮明にしなければならないところだが、《武装抵抗をしないこ
とは、断じて無抵抗ではない》。あくまで抵抗するのである。人間としての尊
厳を賭け、不当な攻撃、抑圧に対しては、断固として主体的、積極的に反撃す
る。どこまでもまつろわない、決して従わない、その姿勢を貫くのである。
 そのために求められるのは、いまこの日々において、私たちが日本政府や米
国政府に対し、徹底的に抵抗することだ。そうやって鍛え上げられた民衆の精
神的・技術的な力(政治的な力量)が、いざというとき、〈徹底的な不服従の
実践〉を保証する。逆に言えば、そういう日々の訓練なしに、すなわち眼前の
権力を批判し、敢然と抵抗を維持することなしには、いざというとき、巨大な
軍事力に非暴力で立ち向かう力は生まれない。
 
  憲法の前文と九条を実現するとは、私たちが、そういう民衆に成長すること
である。その覚悟がない九条擁護論は、常備軍たる自衛隊の「適正規模への縮
小」を要求することに堕しかねない。実際、その種の論調が、九条を実現する
のではなく、「九条の精神(!)を守るため」として登場して久しい。だが、
それが現実に意味するものは、若い自衛隊員を「弾よけ」にして、自分を守ら
せることである。
  だからといって、自分で銃を取れと、私は言わない。しかし、攻撃されるこ
とがこわいなら、経済的・政治的な利害の衝突から起きる紛争の芽を、なぜ自
ら摘もうとしないのかと言いたい。自分たち自身の怠慢を棚上げして、税金で
自衛隊を養っているのだからと、あなた任せの「国防」に期待するのは、人間
として恥じるべきことではないのか。まして「憲法九条擁護」を掲げながら、
あってはならないモノを、あってよいことにすることは、許されることではな
い。

  九条を実現するとは、日本国家を完全に非武装化することによって、世界の
人びとを安心させることだ。もっと具体的にいえば、在日米軍をすべて撤退さ
せ、自衛隊を解体することが、どうあっても必要なのだ。
 四囲の状況がどうであれ、一方的に武装を解除する。それ以外に、この国
が、二一世紀の世界に「平和国家」として生きるすべはない。私は、そう確信
する。
 

◎本稿は、信太正道さんたちの「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」に寄せ
たものです。同会のメディアに、いずれ掲載されることになると思いますが、
本日の憲法記念日を意識して、公表いたします。



 
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