Date: Sat, 17 Mar 2001 21:59:07 +0900
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Subject: [keystone 3702] 日本が攻撃・侵略されたら
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日本が攻撃・侵略されたらどうするか、という問いに答える

               井上 澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)

  新たに明らかになった石原都知事の暴言(米紙『ロサンゼルス・タイムス』系
のシンジケート・コラム「地球の視点」が本年1月末、スイスのダボスで行なっ
たインタビューを、3月12日付同紙が報道)を、3月13日付『共同通信』か
ら引用すると、こうである。
 
 〈(日本は中国や朝鮮民主主義人民共和国〔北朝鮮〕の脅威に対抗し、軍事支
出で経済を活性化するため)独自のミサイル防衛を開発すべきだ。〉
 
 〈北朝鮮のミサイルが日本に当たれば、長い目で見て良いことだろうと思っ
た。日本は外界から刺激を受けない限り、目覚めない国だからだ。特に北朝鮮の
ミサイルが核、生物弾頭を搭載するとなれば、日本がいかに無防備か理解するだ
ろう。〉
 
 〈日本人は、米国が守ってくれるから百パーセント安全だとの夢の世界に住ん
でいる。〉
 
  中国や北朝鮮に対する石原のむき出しの敵意はよく知られているし、ミサイル
防衛論も今に始まったことではない。北朝鮮のミサイルが日本に当たってくれれ
ば日本人が目覚めるという、一種の「黒船」待望論も彼の持論であり、取り立て
て新味はない。
 しかし、ブッシュ政権がTMD(戦術ミサイル防衛)やNMD(全土ミサイル防衛)
を推進する気配を見せ、朝米関係正常化を遅らせる見通しが出てきた時点で、こ
ういう発言をしたのは、追い風を受けて時流に乗ろうという魂胆に基づいてい
る。米国に「NO!」と言える自分を売り込み、勢いづいてきた日本の民族主義
を煽り立て、新旧の保守・右派勢力を糾合することによって、宰相の座を射止め
ようということかもしれない。

 去る2月「戦争に協力しない!させない!練馬アクション」(練馬アクショ
ン)の年次総会が開かれ、続いて結成1周年記念講演が行なわれた。「関西共同
行動」の中北龍太郎さんが、改憲派の危険な動向を、非常に分かりやすく分析し
てくれた。
 その後の質疑応答でのことだ。「練馬アクション」に最近参加したTさんが、
こういう問題提起をした。「テレビの討論で、田原総一郎が盛んに〈日本が攻撃
されたらどうするか〉と野党のリーダーを詰問しているが、共産党もまともに答
えない。これはいけない。みなさんならどう答えるか」。
  これに対する反応があれこれあったが、ここでは、私の意見を紹介する。
 
 〈私は最近、講演などでこう繰り返している。「軍隊にとって最大の敵は、敵
の不在である。軍隊が抑止するのは戦争ではなく、平和である」。それは私の反
戦・反軍の原理だ。
 Tさんが出した問題については、ずっと前に答えを出している。ただそれをの
べる前に、私が日本国家の非武装を主張していること、それゆえ日本国憲法の第
9条を支持すること、さらに世界を変革する手段についても、あくまで非暴力主
義者であることを前提としたい。
 攻撃されても、私は、武装反撃をしない。しかしそれは決して「抵抗しない」
ということではない。攻撃し占領する者に対して、積極的、主体的な市民的不服
従を実践する。「ハンガリー事件」と呼ばれた、ソ連軍(当時)による軍事介入
がハンガリーになされた時(1956年)のことと記憶する。ソ連軍の兵士が空
腹のあまり、ハンガリーの民家を訪れてパンを乞うた。しかしパンを差し出す人
はいなかった。兵士は空腹に耐えきれず、ついに発狂したという。
  私がイメージする抵抗は、そういうものだ。圧倒的な軍事力を前に、非武装の
私たちは、武力をもっては抵抗できない。しかし非暴力による抵抗の手段があ
る。それは、攻撃者、占領者に、どこまでもまつろわない、従わないということ
だ。その姿勢を集団的に貫くなら、攻撃者、占領者はいずれ撤退せざるを得な
い。
 私の答えは簡単だ。私は、あくまで非暴力の不服従をもって抵抗する。〉
 
 私は、田原が主宰する番組は、一度しか見ていない。ああいうバトル型のやり
とりを見るのに時間を割く気はないし、田原の乱暴きわまる斬り込みは、およそ
司会とは言えないと思うからだ。
 だがTさんが提起した問題には、正面から答えるべきだと思った。そこでは田
原が、多くの人びとが日々漠然と感じている不安を代弁しているからだ。そのう
え多くの場合、この問題に私たちの側が、正面から答えようとしないからであ
る。
 私がこれまでに聞いた反論を挙げると・・・、攻撃されると言うが、その場
合、敵は誰なのか、幕末、日本が帝国主義列強に攻撃されたあとは、日本が外敵
にいきなり攻撃されたり、侵略されたりしたことはない、武力で攻撃されるよう
な事態に至る前に、全力を尽くし、外交によって話をつけるべきだ、などなどで
ある。それらには、一理ある。だが、いずれも問われたことに正面から答えてい
ない。だから腰が退けた対応ととられる危険がある。
 
  どうしてそうなってしまうのか。原因は、私たち自身が、国家非武装という根
本原理に、実は確信がなかったり、ためらいを感じているからではないか。ここ
は繰り返し強調したいのだが、私は、日本国憲法第9条が国家非武装を規定して
いるから、それを支持するのではない。先述のように私は、日本国家非武装の実
現をあくまで求め、日本と世界を変革する手段として武力を用いることを絶対に
しない。その私の思いと姿勢に、第9条はかなっている。だから第9条を変える
ことに断じて反対なのだ。
 第9条が実現したら、日本はいかなる軍備とも無縁になる。つまり完全に丸腰
になる。攻撃されたとしても、軍隊による武装抵抗など、そもそもありえない。
第9条支持を言う人びとに、この点を明確に意識している人がどれくらいいるだ
ろうか。そこが曖昧だからこそ、「攻撃されたらどうするか」と問われると、問
いの設定そのものの不当性をあげつらう手法で、間接的に「反論」しがちになる
のである。
  私の回答は、支持されないどころか、昨今の政治情勢の下では、おそらく罵倒
されるだろう。だがだからと言って、「戦術的に」考えの核心を隠したり、別の
「論理」を持ち出したりする気はない。私の主張がすぐに広がらないことは重々
承知である。しかし、だからこそ、あえて主張する、私の考えに理解を求めて。
 
  1965年、国会の答弁で、椎名悦三郎外相(当時)は、在日米軍を「番犬」
と呼び、そこを質(ただ)されると「お番犬さま」と言い直した。97年には中
曽根康弘元首相が「日本は米国にカネを出し、駐留させ、番犬として使うことに
なるが、それが賢明だ」とのべた。彼らの言う〈日米友好・協調〉とは、そうい
うものだ。ところが最近は、その「お番犬さま」への反発が広がり、反比例し
て、自前の「お番犬さま」の人気が高まりつつある。
 しかし憲法第9条は、「自衛隊」という名を付けようが付けまいが、そもそも
軍隊の保有を禁じているのだ。その事実を前提とし、攻撃・侵略に対しては、非
武装の市民的不服従を主体的に実践して抵抗する――。そこまで思い切って初め
て、第9条は意味をなすのではあるまいか。
  国の外からであろうと、内からであろうと、私(たち)を抑圧する者を決して
許さない。反戦・反軍とは、そういうことであると私は思っている。
      (2001年3月16日)

 〔非核市民宣言運動・ヨコスカ『たより』2001年3月号への寄稿〕



 
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