Date: Wed, 31 Jan 2001 17:17:57 +0900
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Subject: [keystone 3542] 新刊紹介「文明の裁きをこえて」
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前田 朗@歴史の事実を視つめる会、です。
1月31日

<新刊紹介>

牛村 圭『「文明の裁き」をこえて――対日戦犯裁判読解の試み』(中央公論新
社、2001年)
中公叢書、382頁、1900円+税

<目次>

序章

第一部 東西国際軍事裁判の被告たち

第一章 丸山真男「軍国支配者の精神形態」批判
第二章 責任は回避せず――松井石根大将と南京事件
第三章 「私人の間のきがね」と「腹芸」――東郷茂徳外相の論理
第四章 西の責任、東の責任――ヘルマン・ゲーリングと東条英機

第二部 東京裁判をめぐる群像

第五章 竹山道雄と東京裁判
第六章 レーリング判事の東京裁判と日本
第七章 こだまするハル・ノート批判
第八章 正義は海をこえて――ベン・ブルース・ブレークニ弁護人
第九章 文明批評家東郷茂徳

第三部 異土の裁きの場で

第十章 河村参一中将の対英思想闘争
第十一章  君子ニ三楽アリ

終章 戦争と文学と文明と

<カバーより>

著者から読者へ
「文明の裁き」――東京裁判を始めとする対日戦争犯罪裁判を、原告である旧連
合国はこう称した。戦後の米ソの世界各地への軍事介入を一瞥すればその欺瞞は
明白だが、その「文明」の本質は、これまで本格的に考察されることがなかっ
た。法理論や歴史解釈、さらには対立するイデオロギーの視点から論じられてき
たこの戦犯裁判に、法廷速記録をも含むさまざまな史料を何よりもテクストとし
て精読し、「文明の裁き」の実態を追跡することで、新たなアプローチを試み
た。

<著者>

うしむら・けい
1959年金沢生まれ。東京大学文学部(仏語仏文学)卒業。同大学院(比較文
学比較文化)、シカゴ大学大学院(歴史学)各博士課程修了。現在、明星大学助
教授。著書に『外国人による日本論の名著』(中公新書、共著)、『翻訳の方
法』(共著)など。

<コメント>

冒頭の三章は、丸山真男批判です。東京裁判における日本人戦犯の責任逃れを、
ナチス・ドイツ戦犯と比較して「小物」であったことを痛烈に批判した丸山の論
理が、資料的に成立しない誤った解釈であることを立証しています。この点での
著者の手さばきは、なかなかのものです。

こうした丸山批判を手始めに、「文明の裁き」批判に立ち入ります。専攻からも
わかるように、著者は文学、文明論、歴史学分野の人です。文明論としての東京
裁判論というのも、新奇性があります。ただ、著者は、小堀桂一郎の弟子です。
『再検証東京裁判』『東京裁判 日本の弁明』の小堀桂一郎の弟子だけあって、
戦犯たちの側から東京裁判をとらえ返す仕事を行っています。

有名なパル判事の少数意見も扱っています。ただ、パル判事が「日本無罪論」を
書いたといっても、それは西欧の植民地の歴史への批判のためであり、日本軍に
よる虐殺を認定していることを、きちんと明示しています。単なる右翼とは大違
い。とはいえ、東条・東郷・松井らの「名誉回復」を図っていることは確かで
す。

パル判事とは別に、一部無罪の意見書を出したレーリング判事や、アメリカ人弁
護士で、東京裁判の弁護人として活躍したブレークニをめぐるエピソードは、読
んでいて、ふーん、そうだったのか、おもしろい読み物でもあります。これらに
は教えられるところが多くあります。

一つ難点を言えば、東京裁判は西欧が日本を裁いた「文明の裁き」で、異文化対
決の場であったとする著者の基本モチーフを、盛んに強調していますが、全然説
得力がありません(笑)。

第一に、本書冒頭で著者はキーナン検事の東京裁判における冒頭陳述に「文明」
とあるのを引用して、東京裁判が「文明」の名による裁判であった、としていま
す。それはその通りです。しかし、「文明」の名による裁判の考え方は、何もこ
れが初めてではありません。トルコによるアルメニア・ジェノサイドを裁くべし
とイギリスが主張した戦犯裁判も「文明」の名によって行われるはずだったので
す(実際には行われませんでしたが)。当時の用語ではcivilized worldです。
というか、戦犯裁判という発想そのもの、近代国際法そのものが、文明と人道を
掲げているのです。1868年のセント・ペテルスブルク宣言前文(文明諸国、
人道)、1907年のハーグ陸戦法規前文のマルテンス条項(文明国、人道)、
1925年の毒ガス禁止ジュネーヴ議定書(文明世界)。こういう初歩的知識の
ない人だけが、キーナン検事の「文明」に飛びつくことができるのです。それ
に、ニュルンベルク裁判のジャクソン検事の冒頭陳述も「文明」なのです。な
ぜ、東京裁判だけを「文明の裁き」として騒がなければならないのか、まったく
理解できません。

第二に、異文化対決の強調です。これも、まあその通りです。しかし、国際法廷
は、程度の差はあれ、すべて異文化対決の場です。旧ユーゴ法廷やルワンダ法廷
だって、そうなのです。戦争そのものが「異文化対決」の一面を持ちますし。

文明の名による裁判といい、異文化対決といい、これは一般的にいえることで
す。そういう前提に立って、なおかつ「東京裁判には特殊性があり、文明、異文
化を強調するだけの十分な理由がある」と立証しているのであれば理解できます
が、そうした作業は一切なされていません。最初から最後まで、西欧と日本――
これだけ(笑)。人のことを笑ってもいられません。私も注意しよう。



 
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