From: "Do yoosa" <NAH00567@nifty.ne.jp>
To: <eastasia@kdmail.iws.ne.jp>, <keystone@jca.ax.apc.org>, <aml@jca.apc.org>
Subject: [keystone 2877] 梅香里訪問報告
Date: Thu, 13 Jul 2000 21:21:50 +0900
X-Priority: 3
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 2877
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org

「沖・韓民衆連帯」の都裕史です。(aml,keystone,eastasia MLに投稿します。)

急遽、渡韓し梅香里の状況を見てきましたので、簡単に、今回の訪韓報告をします。

10日、水原法院(地方裁判所)で全晩奎氏の第2回公判に参席した。傍聴席で住民
たちが座っている間に若い私服警察官が多数配置され、梅香里住民や支援組織の人々
が激しく退出を求めて開廷が遅れる。結局、裁判所の職員が警察の指揮者と協議し、
警察官を傍聴席の後ろに立たせることになり開廷される。
全晩奎氏が入廷し、傍聴席に一礼して着席する。見たところ窶れてもせず元気そう
だった。
公判そのものは弁護人と判事の言葉のやりとりが少しあっただけで、内容は聞き取れ
なかった。韓国の友人に聞いても、『あのような会話は、そのものがわかりにくい表
現での話で、自分もよく解らない』と言っていた。マスコミ報道によれば、弁護人側
が、『さる第1回公判直後に提出した補足申請書を検討して、全被告人が自由な状況
で梅香里被害に対するすべての証拠資料を準備できるようにしてくれ』という裁判所
に対する要請、そして、「住民被害に対する国防部及び華城郡の記録と、梅香里住民
15名が98年に国家を相手に出した米空軍爆撃場騒音による損害賠償請求訴訟記録
に対する事実照会の申請」であったようである。次回公判を8月7日と宣告して終了
した。
判事たちが退廷しようとしたところ、「梅香里米軍国際爆撃場閉鎖のための汎国民対
策委員会」の金ジョンイル執行委員長が、警察官の着席配置に関して判事に問いただ
しながら抗議した。その内容は、『まるで維新体制時代に戻ったようだ』、『警察官
の配置は裁判所の支持なのか、警察のそれなのか』などであり、判事は正確に答える
ことなく退席した。
裁判所前の交差点で集約集会があり、金委員長の紹介で都裕史と桑江博幸(沖縄から
韓国のソウル大学に留学している大学院生)も沖縄、日本の状況を報告して今後の連
帯闘争を訴えた。都裕史が在日韓国人であり、桑江博幸が沖縄出身者であること、沖
縄と韓国の連帯運動のために来たことがクローズアップされ、盛大な拍手と握手を受
ける。
その後、梅香里の住民がチャーターしてきたバスに便乗して梅香里へ向かう。
水原からは、梅香里の農家で住み込みながらドキュメンタリーを制作している高安
(コアン:高が父方姓、安が母方姓で二つ並べて称している)ウォンソク氏が全て案
内してくれた。
梅香里到着後、事務室で現地の人々との色々な交流やマスコミの取材をたくさん受け
る。そして、射撃場の視察に出かけたところ、マスコミも同行して続けてインタ
ビューなどを受ける。射撃場のもっとも海側では警備の戦闘警察が我々を阻止し、そ
の後、戦闘警察同行のもとで視察する。
さる全晩奎氏逮捕とノン島上陸籠城闘争以後、戦闘警察の警備が厳重になり、射撃場
を取り囲む鉄条網なども複雑に強化されたということである。
現地の戦闘警察は水原での警察官同様に非常に若い人たちで、徴兵制で軍隊に入隊し
た若者が戦闘警察に配属されているとのこと。射撃場反対闘争を前線で闘う学生たち
が戦闘警察の制服を着て弾圧する側に回っているという印象だった。ここにもっとも
心苦しい韓国社会の一面を見た感じだった。
日本でもお馴染みの金容漢氏(不平等なSOFA改正国民行動執行委員長)とも事務
室で会い、ゆっくりと話はできなかったが挨拶だけは済ませた。
夕方から夜にかけて天主教(カトリック)信徒たちの祈祷会があり、祈祷会といって
も抗議集会そのもので、大声で米軍基地撤去の内容が叫ばれていた。
祈祷会が終了して射撃場正門までデモを行ったが、やはり神父を先頭にした示威は弾
圧しにくいこともあって、デモ隊は正面ゲートから内部に300mぐらいの所まで
入って抗議の声をあげた。最後には、「我らの願いは統一、平和」の大合唱が始まっ
た。梅香里現地での情報によると、やはり警備側も、相手が神父とあって過激な弾圧
は手控えるなどの対応をとったようである。ともあれ、射撃演習が休止するときに敷
地内の耕作地に農民が入ること以外、初めて内部に入った「事件」であるとのことで
ある。
梅香里住民のおばさんたちが支援で駆けつけてきている人々のために食事を準備して
いて、この日の夕食は事務所で大勢の人たちと食べた。これが本当に美味しかった。
食事の後、「梅香里米軍国際爆撃場閉鎖のための汎国民対策委員会」代表の文正鉉神
父やノン島籠城闘争を敢行した崔ジョンス神父をはじめ、関係者幹部と住民の前で都
裕史が沖縄(沖・韓民衆連帯)からのメッセージを朗読して手渡した。その一部始終
をKBSがカメラ取りしていた。文神父は『沖縄にも一度行かなければならない』と
言っておられた。
金ジョンイル執行委員長からは、『16日に沖縄から人士が梅香里に来る』、また、
『18日にはプエルトリコのビエケスから人士が梅香里に合流する』という話を聞い
た。そして、沖韓民衆連帯が現地に送ったメッセージの「返答」を16日に沖縄から
来られる人士に渡すと言ってもおられた。互いに、米軍基地に対する連帯闘争の重要
性を確認しあい、今後の固い団結を交わしあえた。
夜遅くになって高安氏が間借りしている農家に帰り、この間の闘争ビデオを見た。凄
まじいの一言だった。学生や労働者、宗教人、そして住民の闘争は、敷地を隔てる
フェンスを引き倒し、鉄条網をはぎ取るなどの激しい示威を行っている。また一方、
警備する戦闘警察は暴力的な弾圧を繰り返し、数千名が集まる集会が予定されれば、
梅香里に入る道路を源泉封鎖して各地から来る人々と梅香里を遮断した。人々はこの
ような弾圧に屈せず、封鎖された場所で各々集会と示威を繰り広げた。また、梅香里
現地でも、住民が対策本部に近づくことさえも戦闘警察は阻止し、自分の家に帰れな
い弾圧を受けた住民達は老若男女を問わず激しく抗議して闘っている。
高安氏は、当初、この秋をめどにドキュメンタリーの完成を考えていたが、それとは
別に、5月8日の爆弾投下事件以後の闘争をビデオで編集、制作すると言っていた。
是非、これを日本で広めたい。そして、高安氏やチョ・チヘ氏をビデオと共に日本、
沖縄に招請したいと考えた。
11日、朝食を農家の母屋でご主人とともにする。我々が食事をしているときも近所
の住民が家に来られ、射撃場をとりまく会話がなされていた。後に高安氏に聞くと、
もっとも被害が激しく、住民集団移住地域に指定されている梅香1,5里の住民たち
は、毎日のように集団移住に対して反対側に回るか賛成側に回るかで議論が為されて
いると言うことだ。そして、どこでも同じように住民間の亀裂は深まり、対立構造の
中で双方が相手方を訴えるという動きだそうである。
農家のおばさんは韓国語で会話する私たちに優しく接してくれ、遠路遥々梅香里に来
たことを労ってくれた。そして、しきりに全晩奎氏に対する愛情のこもった言葉を
我々に話しかけておられた。
その後、高安氏の撮影したビデオ(実にたくさんの記録があり、是非日本語の字幕を
付けて日本で広めたい)を見ながら交流を深め、一旦、現地事務所に立ち寄った後に
バスでソウルに向かった。□
 

一応、以上です。

別の投稿にもありますが、この度結成された「梅香里米軍国際爆撃場閉鎖のための汎
国民対策委員会」の名称に「国際」が付いたのは、梅香里の爆撃演習には沖縄などか
らも米軍機が飛来して爆弾投下演習を行うので、このような名称にしたということで
す。
プエルトリコのビエケスは米海軍の演習場であり、梅香里は米空軍のそれです。ま
た、沖縄の鳥島演習場問題を考えるとき、やはり私たちは堅く連帯して闘争しなけれ
ばならないと改めて考えました。

-----
沖・韓民衆連帯URL:http://homepage1.nifty.com/OKIKAN/
都裕史(NAH00567@nifty.ne.jp OR yoosa@oic.ac.jp)



 
  • 1998年     3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 1999年     1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 2000年     1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

  • キーストーンメーリングリスト 目次