Date: Thu,  4 May 2000 02:01:41 +0900
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全国のみなさんへ

    発信者 井上澄夫
     (“東京都は戦争協力をするな!”平和をつくる市民連絡会)
    発信時  2000年5月3日

  「《都政の軍事化》を強行する都知事・石原慎太郎の暴言の数々」の
  増補・改訂版の公開にあたって

  去る4月9日、石原都知事の犯罪的な暴言が飛び出した直後、私は、全国のみ
なさんにメモ「《都政の軍事化》を強行する都知事・石原慎太郎の暴言の数々」
(以下、「石原の暴言の数々」と略)を提供しました。その際、明らかにしたよ
うに、「石原の暴言の数々」は、石原知事が暴言を吐いたその同じ日、私が共同
代表の一人である「“東京都は戦争協力をするな!”平和をつくる市民連絡会」
が開いた「〈進行する都政の軍事化〉石原都知事に戦争非協力を要求する市民集
会」で、私がパネリストの一人として発言するために、急きょ作成したものでし
た。したがって、作成者である私自身、なお付加すべき項目、採録すべき発言が
あることを承知しながらも、情勢の急迫に対応する必要から公表を決意しまし
た。

  しかしそのメモは、私があっけにとられるほど、急速かつ広範に使用されまし
た。
さまざまな石原暴言への抗議・辞任要求集会、学習会や勉強会の資料とされ、各
種の機関紙、ミニコミに掲載されたり、引用されたりしました。コピーして周り
の人びとに配布する人、電子メールで広げてくれる人、ホームページに掲載して
くれる人などなど、直接なんらかの連絡をくれた人だけで、全国で50数人。そ
の中には、沖縄から北海道までの、在日の人びとを含む全国の友人・知人たちが
含まれ、国会議員の秘書たちからも連絡がありました。

 東京都の立川では、「立川自衛隊監視テント村」の人たちが、自衛隊員に向
かって、メモから石原の暴言を拾って紹介しながら、「無責任な放言を繰り返し
て恥じない知事の要請で出動することになるかもしれない自衛隊員は、知事がど
ういう人間であるかをよく考えて判断する必要がある」と呼びかけました。石原
知事がどういう人間であるか、それこそまさに、メモの公表によって私が伝えた
かったことですから、このように使用されることは本当にうれしいことです。

 インターネットで公開したので、実はどこにどう広がったのかわからない部分
があります。しかし私が把握できた範囲をはるかに越えて、広範に使用されたこ
とはまちがいないと思います。「ああ、やはり、みんな憤激しているのだな」
と、つくづく実感しました。メモを活用して下さった全国のみなさんに深く感謝
しつつ、連帯の熱い思いを表明します。

  ところで石原知事は、「三国人という言葉はもう使わない」と表明しただけ
で、問題の発言を撤回せず、謝罪もしません。まして引責辞任などまったく念頭
にないようです。しかし私たちはあくまで、発言の撤回・謝罪と彼の辞任を要求
しつづけなければならないと思います。4月27日には、大阪で250人参加の
緊急集会・デモがあり、その後、東京でも集会やデモが行なわれました。連休
中、憲法記念日の集会でも、石原発言は焦点の一つになるでしょうし、連休明け
にはまた、いろいろな抗議運動が起きるでしょう。

 私の住む東京都の練馬では、14日、練馬区民緊急集会を開きます。石原暴言
問題についてのマスメディアの扱いは、まるで波が退いたかのようですが、市民
運動の立ち上がりは、むしろこれからではないか、いやそうであってほしいと思
います。大小にかかわらず、抗議・辞任要求の行動(石原都知事への抗議・辞任
要求、学習会、集会、デモなどなど)を、それぞれの地域で起こすことを呼びか
けます。

    石原慎太郎都知事への抗議・辞任要求先
      ・手紙など郵送の場合  〒163―8001  東京都庁
      ・FAXの場合     03・5388・1233
      ・インターネットの場合    http://www.metro.tokyo.jp 
    ・パソコン通信の場合
        ・NIFTY SERVE とPeopleは、GO TOKYO
      ・BIGLOBEは、J TOKYOBB

 すでにのべたように、先に公開したメモは十分なものではありませんでしたの
で、改めて、増補・改訂版を作りました。前回のメモに採録しなかった発言、公
表後に気づいた発言、友人から情報の提供を受けた発言などを、まとめて収録し
ました。つけ加えたものは、以下の通りです。
 なお、先のメモも本メモも私がまとめたものですが、資料の収集については、
上記の「市民連絡会」の仲間たちが非常に努力したことを報告したいと思いま
す。彼女ら・彼らが、それぞれの手元の資料を整理したり、図書館や大宅文庫で
熱心に集めてくれたおかげで、二つのメモができました。このことは、前回、特
記すべきでした。改めて付記します。

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  追加した発言・一覧

  ◎菊が象徴する日本人の気質を持つ日本人は、もういない。私ぐらい。
  ◎都知事として、喜んで、靖国神社に公式参拝する
  ◎日本が植民地争奪戦争に参加したおかげで、戦後かつての植民地が独立した
  (発言の追加、筑紫哲也との対談から)
  ◎中国を「支那」と言っていい
  ◎2000年9月3日に、自衛隊「三軍」を動員する震災対策総合大演習をや

    (発言の追加、月刊『VOICE』誌上のインタビュー記事から)
  ◎小学校6年生の社会科教科書「批判」
  ◎男権主義、露骨な女性蔑視
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  《都政の軍事化》を強行する都知事・石原慎太郎の暴言の数々  増補・改訂版

         ◎1999年春の都知事選前後から本年4月5日までの発言
                         メモ作成者=井上澄夫
                          メモ作成時=2000年4月9日、5月3日改訂

■四年間は無競争、大統領的なことができる

  【『VOICE』誌上のインタビュー、聞き手は、井尻千男(いじり・かず
お)拓殖大学日本文化研究所長】
  石原 知事になると四年間は自分の思うところを存分にできますから。選挙で
選ばれた地位だけに、閣僚や総理大臣よりもレジテマシー(正統性)があって、
ある意味では大統領的なことができますね。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)

■「自分が死んじゃったら日本国家は消滅する」という自覚
                                    (関連発言 後出の「戦争観」)

  【小林よしのりとの対談から】
  石原 選ばれた人間なんだという自覚があれば、誰でも何やったっていいん
だって思いこむことが大事だと思うね。/ぼくなんか、自分が死んじゃったら、
日本国家は消滅すると思ってるもの(笑)。それはつまり、僕の体の内に日本が
あるという一体感です。
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)

■菊が象徴する日本人の気質を持つ日本人は、もういない。私ぐらい。

  【2000年4月5日、東京都写真美術館でのジャーナリスト・筑紫哲也との
対談で】
  日本人のモラリッシュな毅然とした姿勢は実に高貴で、桜というと日本を連想
する。実は日本人のそういう精神性というか情念ですね。それは、やっぱり菊の
花だった。秋に香り高く咲く、あの菊が日本人の気質をいちばん象徴してるとい
う(米国人、ルース・ベネディクトの)『菊と刀』という有名な日本人論だけれ
ど、そういう日本人はもういないね。私ぐらいだね。
(インターネット、毎日新聞のホームページ)

■憲法を破棄して、天皇を元首にする新憲法をつくり、日本を世界一の防衛国家

  【小林よしのりとの対談】
  石原 日本はいつも他人頼みなんだ。でも、アメリカは自分で切り拓こうとす
る。そこが根本的に違うんだね。日本だってこれだけの国力があればやればいい
んですよ。憲法でがんじがらめになってないで、憲法なんて破棄したらいい。あ
れはもう、絶対に変えられないような手続きになってるんだから、全部基本的に
考え直すということで「破棄しましょう」という動議を出したらいい。それが、
国会の51%の賛成と49%の反対なら通るんですよ。/新しい憲法をつくった
ら自衛権だってきちんと定義できる。ぼくなんかが思うのは、日本は世界一の防
衛国家になったらいい、と。そして世界一優秀な戦闘機をつくってどんどん外国
に売ったらいいんだ。
(1999年8月25日/9月5日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)

  【『週刊ポスト』のインタビューに答えて】
  ――憲法はどうあるべきか。
  石原 中曽根(康弘・元首相)さんのいうように、まず民族性、日本の伝統を
すべて踏まえた、日本人の感性に訴えた格調ある日本語で作ってもらいたい。
  ただし、9条というのは話にならない。国家が主権を持って国民の生命と財産
を守るというのは国政の大眼目でしょう。それをしなくていい、アメリカがやっ
てやるから余計なことは考えなくていいと牙を抜かれたのが9条だよ。
(2000年1月14・21日号『週刊ポスト』、[爆弾発言]米国に都合のい
い憲法では国民の生命と財産は守れない 石原慎太郎「現憲法は“改正”ではな
く“破棄”せよ」)

  【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
  石原 天皇ははっきり元首にしたらいいんですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)

■あの戦争は、やっぱり感動的だった

  【小林よしのりとの対談】
  石原 ぼくなんか海兵の予備校のようなものだった湘南中学にいたから、もう
2年早かったら実際に海軍士官として戦っていたからね。
  で、最後の夏(1945年)に厚木の飛行場に学徒動員でかり出されたときの
こと。1週間もすると兵隊とも仲良くなる。そしてある日、「今日、大空中戦が
ある」っていう密かな噂がたって、27〜28機いた飛行機が南のほうへ発進し
ていった。でも、なかなか飛行機が帰ってこないわけだ。それで整備兵が「何時
までに帰ってこなかったらもうダメだ」なんて言う。なかには木更津に降りたり
とか、あちこちでダイブ・アウトした飛行機もあったらしいけれど、電話が不便
なところにあったんでそれもよくわからない。/気を揉みながら数人の予備兵が
夕焼けのなか、滑走路の端でずーっと座っているわけ。それでも1機は帰ってき
たんだ。それが不時着して、みんなで走り寄ってその傷ついている兵隊を運び出
すのを手伝った。/あれがやっぱり国家なんだよね。だから何度思い返しても、
悲しいとかなんかじゃない。やっぱり感動的だったな。あのとき兵隊さんたちと
一緒にしみじみぼくは国家と座っていたんだと思うね(と、ハンカチで涙を拭
く)。/それと思い出すのは、学徒動員される前に学校から帰る途中で空襲に
あったことね。止まっている電車が見えたんで、そこに向かって走っていたら、
麦畑のなかで敵の艦載機に襲われてさ。パァーと伏せるわけ。そこで一人撃たれ
るんだけど、さらにその先に森があったんで、そこまで走ろうとしたら、今度は
畝の低い芋畑のところで、また次の飛行機がくるわけだ。伏せる場所がないから
そのまま走っていると、今度は撃たれない。なぜだって、振り仰ぐとそれが日本
の飛行機でさ。濃い褐色に日の丸が描いてある。それがとっても鮮やかで、こう
震いつきたくなるようなものがしたな。その感覚っていうのは、オリンピックで
日章旗があがるどころのものじゃないんだよ。
(1999年8月25日/9月8日『SAPIO』、小林よしのりとの対談)

【福田和也との対談】
  戦争というものを考えてみると、戦争を悲惨だと言って批判するのは容易なこ
とだが、実相としては総力戦を戦うために人知を尽くした結果、さまざまな技術
が進歩した。さらに戦場では愚かしいことも、崇高なことも交錯していたはず
で、因果なことに人間はそうやって歴史を積み重ね進ませてきた。戦争がまった
く起こり得ないというシチュエーションが、人間や国家にとって全き善かどうか
は実は分からないんですよ。
(2000年1月4日付『産経』、福田和也との「新春正論対談」)

■都知事として、喜んで、靖国神社に公式参拝する

  【1999年9月22日、都議会で】
  靖国神社の近くに友人の会社があり、出向くたびに暇があれば参拝している。
家内の父親も英霊。もし来年8月15日に、遺族の方々から請われれば喜んで参
ります。
  (議場から「知事がそんなこと言っていいのか」とやじが飛ぶと、その方向を
にらみつけながら)
  都知事として行くんですよ!
(東京新聞社会部「ウォッチング石原」取材班著『石原慎太郎の東京大改革』、
青春出版社)

■〈戦争協力〉 自治体は、命投げ出すぐらいの覚悟が必要

  【『VOICE』のインタビューに答えて】
  石原 国がなくなりかねない戦争が近くで起こったなら地方自治体のエゴも
あったものじゃない。そういうときはもちろん私は全面協力します。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)

  【小林よしのりとの対談】
  石原 ガイドラインだって、アメリカは完全に台湾を巡る中国相手の戦争を想
定している。そこで、ガイドラインに協力しない自治体があったら、中国は核を
持ってるしそれがもとで国が滅びるかもしれない。ぼくは東京都知事かもしらん
けれど、都の施設で一旦緩急の際には防衛に必要なものは全部使ってくれって言
うよ。自治体はやっぱり、命投げ出すぐらいの覚悟が必要ですよ。
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)

  【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
  石原 あるメディアが各知事に「新しいガイドラインが発効したとき、どうい
うふうに国に協力するか」というアンケートをとった。僕だけは無条件で国に協
力すると答えました。国家あっての東京ですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)

■日本が植民地争奪戦争に参加したおかげで、戦後かつての植民地が独立した

  【小林よしのりとの対談】
  石原 歴史教育では、やっぱり近代史から教えていかなきゃダメだよね。で
も、近代の歴史原理は帝国主義しかなかったんだ。欧州の列強に植民地にされる
か植民地を持つかというね。それで日本もやったわけだけど、おかげで世界各地
で民族意識が目覚めて戦後かつての植民地は独立したわけでしょう。
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)

  【福田和也との対談】
  韓国の朴正煕大統領がこんな話をしてくれました。彼の周囲にいるかつて軍人
だったような威勢のいい連中は、酒に酔ってくると「日本はけしからん」と言い
だす。それに対して朴大統領は「まあ、待て」となだめながら自らの歩みを語
る。朴大統領は貧農の出身で、教育を受けたいと思いながら、とても無理だろう
とあきらめていた。
ところが日本がその統治下で義務教育制を敷いたことで、朴少年も学校に通うこ
とができた。また満州軍官学校を首席で卒業した彼は、その特典で日本の陸軍士
官学校に留学し、卒業します。日本は朴少年のような存在にそうした機会を与え
た。
  「日本人は名前を変えろとか生意気なこともやったけれど、私はおおむね彼ら
は公平にやったと思う」と朴大統領は述懐していたわけです。
(2000年1月4日付『産経』、福田和也との「新春正論対談」)

  【2000年4月5日、東京都写真美術館でのジャーナリスト・筑紫哲也との
対談で】
 レーニンが言ってるように、ヨーロッパ近代の繁栄は、植民地における豊富な
資源の一方的な略奪と、現地における奴隷に近い安価な労働力の使役の上に成り
立った、と言うけれど、その通りだと思う。
 それをなくしたが日本ですよ。日本の近代化はそれを壊しちゃった。あの第二
次世界大戦が、日本は破れましたけれども、一つの引き金になって世界史を変え
た。司馬遼太郎さんが書いてるみたいに、まさに坂の上の雲をつかんだ日露大戦
で奇跡の勝利を得て、絶対にロシアの植民地だけにはなるまいと頑張った日本人
が、つまり歴史の原理で、近代というのは歴史の原理で帝国主義ですから、これ
しかなかったんだから、いい悪いは別にして。結局、ミイラ取りがミイラになっ
ちゃって、自分の植民地を持つようになって、いろんな戦争をやってきて。しか
し結果、第二次大戦で、日本が参加して原爆で叩きのめされたけれども、あれで
変わって植民地は独立したわけでしょ。だから、日本の近代化って意味があっ
た。
(インターネット、毎日新聞のホームページ)

■露骨な反中国感情――中国は分裂させなきゃいけない

  【1999年11月24日、石原知事は、4月の知事就任後初めて、警視庁を
視察に訪れ、野田健警視総監から中国人の不法滞在など外国人犯罪が増えてい
る、などと治安情勢の説明を受けた。視察後、記者団に語った言葉】
 中国人の不法滞在者が起こす犯罪があまりに多い。中国の政府がどう認識して
いるか知らないが、水爆を作っている国を援助するくらいなら、その分を東京の
治安、中国人犯罪対策に回した方がよほどましだ。(1999年11月25日付
『朝日』)

  【福田和也との対談】
  石原 もしアメリカに従って日本が台湾を無為に放棄したら、それは日本の、
中国の属国化へと傾斜する大きな歴史的失策になるよね。
  福田 それはおっしゃるとおりで、沖縄が持ちこたえられませんからね。
  石原 そう。となると、私がせっかく灯台を建てた尖閣、魚釣島も簡単に海に
沈み、スプラトリーや西沙諸島も完全に併合されて、中国の拡張主義政策が半ば
以上成就してしまう。/とにかく彼らの拡張を阻止するために何ができるか。
  ここでもやっぱり戦略なんだよ。日本の持っている力とは何か――。それはだ
ぶついている金融資産だよ。だからいつも言ってることだけど、日本の金を使っ
て沿海州などの中国の周辺に自治区みたいな地域をどんどん作るという戦略をす
ぐ行動にうつすべきなんだよ。/うまく波及すれば、日本はODAを北京ではな
く、もっと効果的な所に入れられるし、中国の国内分裂の動きを加速させること
ができる。/分裂させなきゃいけないんだよ。少しでもその作用に日本は手を貸
してやるべきだし、分裂前後のイニシアチブもとらなければならない。
(2000年3月号『諸君』、福田和也との対談「戦略なき国で――座して待つ
か、大暴落」

  【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
  ――(日本での)外国人の犯罪は、中国系とイラン系が目立ちますね。
  石原 昨年(1999年)十一月二十四日、警視庁へ視察に行きました。科学
捜査研究所で中国人の黒社会(ヤクザの世界)の残酷さを知りましたよ。
  彼らは見せしめに裏切り者の顔の皮を剥ぐんです。研究所の技術で元の顔に修
復したのを見たけれど、そういう残酷な行為は、いままで日本ではなかった。と
にかく日本人にない発想の犯罪が出てきました。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)

  【2000年2月29日、都議会本会議の代表質問への答弁のうち、山崎泰氏
(無所属クラブ)の質問に答えて】
  知事となった今、二十年来続いてきた北京との友好をどうするかという質問だ
が、私は北京にあまり友好を感じませんな。あの共産政権は最近は沖縄を『元中
国の領土』とバカなことを言い出している。尖閣(諸島)はもとよりですよ。
(2000年3月1日付『東京新聞』、記事中の解説=都と北京との友好都市関
係は、1979(昭和五十四)年に結ばれた。都の友好都市としての歴史は、六
〇年に結ばれたニューヨークに次いで長い。)

■中国を「支那」と言っていい

  【2000年4月5日、東京都写真美術館でのジャーナリスト・筑紫哲也との
対談で】
  筑紫 20世紀というのは、大きな出来事というのは、やっぱりファシズムだ
と思いますよ、ある時期のところでね。
 石原  ファシズムと、それからコミニズムでしょうね。両方とも消えちゃっ
た。まだ残ってる、隣の支那に。/石原が相変わらず支那の悪口をいってるっ
て。それはいいんですよ。支那っていいんですよ、チャイナでもいいし、チーノ
でもいいし何語でもいいんだけれども、日本人だけは支那っていうと怒られちゃ
うんでね。このごろ、いろんな人がそういうようになって、変な話だけれど、な
んでもいい。中共がいちばん分かりやすいよね、中国共産党が支配してるんだか
ら。

  石原 アメリカがベオグラードで支那の大使館を(ミサイルで)やった。
(インターネット、毎日新聞のホームページ)

■2000年9月3日に、自衛隊「三軍」を動員する震災対策総合大演習をやる

  【『VOICE』誌上のインタビュー、聞き手は、井尻千男(いじり・かず
お)拓殖大学日本文化研究所長】
  石原 やっぱり陸海空の「三軍」を使った災害時の合同大救済演習をやっても
らいたい、東京を舞台に。総司令官は小渕総理だから、彼が先頭を切って。私は
203高地で苦戦している乃木将軍みたいなもんだね(笑)。なんていったって
首都・東京ですから、首相が総司令官になった陸海空の大演習が行われるという
ことは、政治的なパフォーマンスといったら怒られるかもしれないけれど、大事
なことだし、すべての意味でマイナスのものは何もないから。
  じつはこれは私のアイディアではないんです。中曽根(康弘・元首相)さんが
防衛庁長官をやっているときに計画を立てたけど、美濃部(亮吉・都)知事が
ノー・サンキューといってやらなかった。君がなったらやれよっていうから、そ
のアイディアいただきだと。
 (その大演習は)絶対日本のためになるし、東京のためになる。そしてそれは
同時に、北朝鮮とか中国に対するある意味での威圧にもなる。やるときは日本は
すごいことをやるなっていう。だからせめて実戦に近い演習をしたい。相手は災
害でも、ここでやるのは市街戦ですよ。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)

 【特洲会理事長・徳田虎雄との対談での発言】
  徳田 来年(2000年)九月に陸、海・空の三自衛隊と東京都との合同防災
訓練を実施されるとか。あれはいい試みですね。その際、医療スタッフも加えた
方がいい。
  石原 もちろん、そうするつもりです。/今度の防災訓練では医療も含めてい
ろいろ考えています。東京にどの程度の規模の震災が来るかわからないけれど
も、歩道橋やなんかが落っこったら、戦車でなければ越えられない。医者ももち
ろん行けない。
自衛隊には降下訓練している医者がいるから、そういうものをどうやって導入す
るのか、また、そのための医療拠点をどうやって作るのか。準備だけでもカネが
かかりますが、最悪のことを想定して、ある程度のことはしていかなければと
思っています。
(1999年12月号『新潮45』、特別対談「医者は死ななきゃ治らない」)

  【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
  石原 東京は清潔ですよ。
  ――清潔と安全、街にとってこれが一番大切です。
  石原 日本に来る欧米人は清潔と安全に感心するけれど、このところ不法入国
の外国人が増えて安全が脅かされています。東京で起こる犯罪の質も形も以前と
大きく変わってきています。
  中曽根(康弘)さんのサジェッション(示唆)で、ことし九月三日に地震対策
総合大演習を実施します。小渕(恵三)総理も賛成してくれ、自衛隊の三軍を動
員して行います。
  そのとき僕がいったのは、関東大震災の際、朝鮮の人たちがデマゴーグで殺さ
れたりして気の毒だったけれど、今度逆のことが起こる恐れがあると。
  ロサンゼルスであったように、不法入国の外国人による大略奪が新宿とか池袋
で起きるかもしれない。それに対処するデモンストレーションとして戦車とか装
甲車で街を封鎖する訓練もしてほしいといったんです。
  ――戦車なんていったら、マスコミがうるさいですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)

■「アメリカ信仰」を捨て「大東亜共円圏」を

  【月刊『現代』のインタビューに答えて】
石原 アメリカにこんなに虐げられている日本は、まさにアメリカの金融奴隷
だ。何でそんなにアメリカに対してびくつくのか。安保を気にすることはない。
文句があるなら米軍に出て行ってもらえばいい。現在の日本は、軍事面の技術も
予算も他に劣らぬものがあるのだから、自分の金と力で、強力な自衛国家になれ
ばいい。
 そして、アメリカが最も恐れていることをやればいい。(日本が買ってやって
いる三百兆円ぐらいの)米国債を売りに出せばいい。そうすると、日本が世界大
恐慌の引き鉄を引くと非難されるだろうが、原爆を落とされたのだから、今度は
日本が原爆を落としてもいいような話だ。
 日本の米国債処分で、世界経済は一度沈むだろう。沈んだときに、どこが最初
に立直るか?  きちっとしたモノを作れる日本や東アジアの国々が必ず優位にな
る。つまり、アメリカも認めるモノ作りNO、1の国である日本こそが、生き残
るのだ。そして東アジア諸国は、モノを作る技術もあり教養水準も高いので、ま
さに『大東亜共円圏』が誕生するだろう。
(1999年12月号『現代』、特集・痛憤オピニオン10連弾「これを言わず
に死ねるか」)

■「新しい道徳教育」

  【1999年4月5日、都知事選中の街頭演説で】
  中高生がテレクラで売春する。文部省にまかせてきたからこうなった。私は東
京で新しい道徳教育をし、小学校から徳目の時間をつくる。

  【『週刊アサヒ芸能』のインタビューに答えて】
  石原 修身じゃなしに、新しい道徳教育をやったらいいんですよ。これはね、
成果が出るまでに15年くらいかかるでしょう。やらないより、とにかくやった
ほうがはるかにましなんだ。文部省は全然やらなかったから。/みんなね、ヌー
ベルバーグやったらいい。みな地方はね、東京のやるのを眺めて真似しているん
だから。
(1999年4月15日号『週刊・アサヒ芸能』、「石原慎太郎が『TOKY
O』独立宣言」)

■小学校6年生の社会科教科書「批判」

  【1999年9月22日、都議会で】
  (自民党都議が、2000年4月に都内の半分近くの地区で採用されるという
小学校6年生の社会科教科書の内容を取り上げて質問。「(古代の)人々がその
土地で取れる品物を都へ運んでいく」という場面の想像図が掲載されたページの
コピーを石原に渡し、「苦痛の表情を浮かべ、黙々と大きな荷を背負う人々。歴
史を最初に学ぶ6年生の子供に、日本という国は昔このようにして国民を酷使し
苦しめた、と刷り込もうとする狙いは明らかだ」と指摘した。コピーを手にした
石原は)

 暗くていかにも陰気ですなあ。人によって判断も違うだろうが、(教科書の記
述などと合わせると)結果として自虐的な歴史観を感じる。
 私は日本の古代や中世に階級があり、階級支配、被支配があったのは決して否
定しない。どの国もそうだった。ただ、それを拡大し、自分の国の歴史のイメー
ジを相対的に暗くいやらしく、おぞましいものに感じさせるような教科書を個人
的に好まないし、正確な歴史の記述とも言えない気がする。
(東京新聞社会部「ウォッチング石原」取材班著『石原慎太郎の東京大改革』、
青春出版社)

■障害者を差別する発言

  【1999年9月18日、重い知的障害と重度の身体障害をあわせもつ子ども
や大人が入所している府中市の府中療育センターを視察した後の記者会見で】
  ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出して
いない。みなさんどう思うかなと思って。
  絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれ
どああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやって
やっているのは日本だけでしょうな。
  人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨て
ちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
  ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。
  〔安楽死」の意味を問われて〕そういうことにつなげて考える人もいるだろう
ということ。安楽死させろと言っているんじゃない。
(1999年9月18日付『朝日』朝刊)

■男権主義、露骨な女性蔑視

  【1999年春、都知事選中、『週刊・アサヒ芸能』のインタビューに答え
て】
  ――(出馬したのは)勝てるという判断があったから?
  石原 そんなことじゃないよ。ここまできたら最後の御奉公だと思ったんだ
よ。そうなってしまったらマッチョだよな。泣く泣くお嫁に行くんじゃないよ。
晴々、戦いに行くんでね。
(1999年4月15日号『週刊・アサヒ芸能』)

  【1999年12月20日、千代田区内幸町の日本記者クラブでの会見で】
  (首都機能移転反対を力説するために、政治、行政、経済のそれぞれの中心で
ある永田町、霞が関、丸の内が狭い範囲に集中している東京の長所を強調しつ
つ)
  ましてその周りに赤坂とか新橋とか高級娼婦(しょうふ)がいるところがあ
る。
(東京新聞社会部「ウォッチング石原」取材班著『石原慎太郎の東京大改革』、
青春出版社)

  【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
  今度男女共同参画社会というのを先取りして東京都で条例をつくるという。い
いかげんにしてくれよと思ったが、その案を持って来ました。で、「男が男をい
じめてもいい。女が女をいじめてもいい。要するに男が女をいじめちゃいかんと
いうことだろう」「はあ、そうですが」「もう一つ、女も男をいじめちゃいかん
と入れといてくれ」そういったんですよ(笑い)。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)

  〔註 次は、1998年12月号『VOICE』に石原が執筆した文章の一部
であるが、参考になるだろう。なお括弧内の読み方などは引用者による。
  私が国会議員を辞めるときに、日本は男の格好をしているが、男の機能を切り
取られた宦官(かんがん)のような国になった、(中略)その責任をとって辞め
た。/あれからまだ三年あまりしかたっていないが、(日本は)いまや宦官どこ
ろか、“纏足(てんそく)された妾(めかけ)”のようになってしまっている。
つまり、自分の足では歩けないし立てない。立とうとすれば(アメリカという)
主人の肩にすがるしかない。そんな国家に成り下がってしまったと思わざるをえ
ない。〕

■横田基地を軍民共同使用の空港にする

  【『週刊・アサヒ芸能』のインタビューに答えて】
  ――東京都知事になったら、まずやることは横田基地の返還ですか。
  石原 それも1つ。あれはわかっていて投げたビーンボールなんだよ。あんな
ものとても全面返還はできないだろう。しかし、ドイツのボンやフランクフルト
にある基地と同じに、共同使用にしたらいい。
 ――横田基地は、具体的には、どのように使用するんですか。
  石原 共同使用。三沢基地みたいにね。首都第三空港として使う。国際線を飛
ばしたらいいんですよ。そうしたら、隣の山梨県からも来れる。この間、三多摩
地域の人たちに聞いたの。「成田に行くときにどうするの」「一泊で行く」。あ
れだけの飛行場があったら、第三空港として使えばいい。アメリカは、この要求
をのむと思いますよ。
(1999年4月15日号『週刊・アサヒ芸能』、「石原慎太郎が『TOKYO
独立』宣言」)

 空港というのは、経済波及効果はものすごいんですよ。羽田だって昼夜展開に
なって、国際化してもう一本滑走路をつくったら、兆単位の経済効果がある。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)



 
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