Subject: [keystone 2385] 「国旗国歌」強制反対憲法学者声明
Date: Sun, 20 Feb 00 17:50:57 +0900
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 多少で遅れた感はありますが、憲法学者も「国旗・国歌」強制反対への行動を開
始しました。
「国旗・国歌」強制に反対する憲法学者のアピールをご紹介します。
これは良心の自由、表現の自由などについて精力的に研究してきている憲法学者数
名によって呼びかけられ、現在賛同人を募っているものです。
 署名運動(内野正幸、笹川紀勝、塚田哲之、成嶋隆、西原博史各氏の呼びかけ)
も開始されました。
 

==================ここから 2/18 11:10 版=====================

「国旗・国歌」の強制はゆるされません・憲法研究者のアピール(仮題)

 意に反して「国歌」を歌ったり、「国旗」を敬ったりする行動
を、公立学校などが生徒や教師などに強制するならば、憲法違反
の人権侵害になるおそれがあります。

 国旗・国歌法によって、「君が代」が「国歌」、「日章旗」が
「国旗」と定められました。しかし、この歌を歌わなければなら
ない、この旗に敬意を表す行動をとらならければならないと決ま
ったわけではありません。

 国民一人ひとりは、憲法一九条によって、思想・良心の自由を
保障されています。どのような形で自分の国と関わっていくのか
は、自分で決めることであって、政府によって押しつけられるも
のではありません。この「国旗」、この「国歌」に対しては、民
主主義・基本的人権・平和主義に合ったものかについてなど、い
ろいろな意見があります。それに対してどういう態度をとるのか
は、国民一人ひとりが決める問題なのです。

 卒業式・入学式などの学校の行事で「国歌」斉唱をプログラム
に盛り込む場合に、歌いたくない人に歌うことが強制されたら、
それは、人権侵害になります。ですから、「国歌」斉唱をプログ
ラムに盛り込むためには、そこにいる人誰にも歌わない権利があ
ることが伝わっていなければなりませんし、歌う人も歌わない人
も、お互いにお互いの立場を尊重するべきだということが、はっ
きりと認められていなければなりません。

 いろいろな考え方をもった一人ひとりの国民があわさって国を
作っているのです。国が国民の心を好きなように作り上げていい
わけではありません。
 
 

私たちはなぜ「国旗・国歌」の強制を憂慮するのか

 全国の学校で、まもなく卒業式・入学式を迎えますが、文部省
はいま、1999年8月13日に公布・施行された「国旗・国歌法」を
たてに、卒業式・入学式での「国旗」掲揚と「国歌」斉唱の実施
を強く「指導」しています。このことが、学校現場に大きな緊張
をもたらしており、大きな規模での人権侵害が各地で生じること
さえ危惧される状況です。

 すでに「国旗・国歌法」施行後、全国で「日の丸」に敬礼しな
かったり、「君が代」を歌わない人々に対し、行政上の懲戒処分
などの法的措置をふくんだ、有形無形のさまざまな「圧力」が加
えられ、これら二つのシンボルへの「同調」が強要されておりま
す。ここには、憲法上許容できない問題がいくつか認められます。

 まず「国旗・国歌法」は、「日の丸」(=「日章旗」)を日本
の「国旗」、「君が代」を同じく「国歌」と定めているだけで、
国民がそれらを尊重しなければならないという義務の規定をおい
ていません。法案の審議の中でも、政府は「強制する趣旨ではな
い」と繰り返し答弁していました。現在進行している事態の中に
は、法の趣旨を明らかに超えるものがあり、法の意図をねじ曲げ
て国民に伝えようとする動きが見られます。

 さらに大事なことは、もともと「国旗・国歌」あるいは「日の
丸・君が代」をどう受けとめ、これらにどう向きあうかは、一人
ひとりの個人が自己の思想・良心にてらして決めるべきだという
ことです。国家という、自分が属する集団をどのようなものと理
解し、どのようなシンボルによって象徴されるものと考えるのか
は、一人ひとりの個人の生きざまに深くかかわる、人格的な問題
なのです。そして、憲法19条は、思想および良心の自由が不可
侵であることを定めています。国を愛する愛し方は、人それぞれ
であり、国家が「正しい愛国心」を一方的に決め、国民に押し付
けていいような性質のものではないはずです。こうしたことは、
「日の丸・君が代」に賛成する人でも納得しうる市民社会の約束
事ではないでしょうか。

 卒業式・入学式での「国旗」の掲揚とそれへの敬礼および「国
歌」の斉唱は、一つのプログラムとして式次第に組みこまれ、こ
れらに抵抗感を覚える人々が容易に抗えないしくみになっていま
す。「同調」を拒む行為は、周囲から浮き上がり、「異端」のレ
ッテルをはられさえします。そのことがもたらす精神的苦痛に、
私たちはもっと敏感であるべきです。まして、精神的に発達途上
にある子どもたちにとって、これらの行為が上から一方的に押し
つけられることは、精神的に大きな重圧となります。良心に従っ
て「日の丸・君が代」を拒否した子どもが、クラスメートからい
じめられ、疎外されるような状況が、はたして「国旗・国歌への
適切な理解」を生みだすでしょうか。「日の丸・君が代」に違和
感を持つ人間を排除する発想は、日本で生活する外国人すべてを
排撃する動きにさえつながりかねない要素を抱えています。

 仮に「国歌」斉唱などを学校の儀式に取り込むにしても、歌う
こと、そのために起立することを拒む権利は、憲法19条によっ
て保障されています。自分の信条に反するような、祈り・敬礼の
行いは、強制されてはならないのです。したがって、児童・生徒
や、そこにいる親は、立って歌うかどうかなどを、自分自身の判
断で決めなければなりません。そして子どもがその判断を下すた
めには、子に対する第一次的な教育権をもっている親の意見を聞
く機会も必要でしょう。また、学校側からは、国家との関係のも
ち方は自分で答えを見つけ出すべき問題であり、それを考える枠
内で「日の丸・君が代」に関してはいろいろな考え方が合理的に
成り立ちうること、そして、どのような立場を採ろうとも、お互
いにお互いの立場を尊重しなければならないことに向けた働きか
けが必要となってきます。

 教師も、そこでは思想・良心をもった一人の個人です。誰かが
決めた「正しい国の愛し方」を子どもに有無を言わせず押しつけ
ることは、学校の、そして教師の任務ではありえません。これは、
最高裁判所が「子どもが自由かつ独立の人格として成長すること
を妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念
を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するよ
うなことは、憲法26条、13条の規定からも許されない」と判
決したとおりです。文部省・教育委員会が、学習指導要領などを
根拠として、特定内容の「愛国心」を子どもに一面的な形で押し
つけるよう個々の教師に強要し、さらには職務命令と懲戒処分を
「武器」として教職員に圧力をかけている現状があるなら、そこ
には、憲法上あきらかに許されないものが含まれています。教師
の任務は、自分でものを考えることができる子どもを育成するこ
とにあるはずなのです。そのためには、寛容が保障された中で、
教師も自らの思想・良心に忠実でありうる環境が必要になる場合
があるでしょう。

 私たち声明賛同者は、「国旗・国歌」をめぐって日本社会に浸
透している不合理な「同調」への圧力を強く憂慮するものです。
とりわけ卒業式・入学式における「国旗・国歌」の押しつけが、
先に述べたような多くの問題点をはらみ、「荒廃」と「崩壊」が
叫ばれている学校をいま以上に息苦しい場にしてしまうことに危
惧を覚えます。

==========================ここまで=============================
なお、上の文は西原さんのhomepageでもみることができます。
http://faculty.web.waseda.ac.jp/nissie/index.html
 

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      笹沼 弘志 (Hiroshi SASANUMA)

      静岡大学教育学部

 e-mail:ebhsasa@ipc.shizuoka.ac.jp
  http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~ebhsasa/home.html
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