参考資料

 差し戻し審のふたたび無罪判決。この、当然な無罪判決までに、20年以上の歳月が費やされています。その間、被告とされた人たちの人生は破壊され、歪められてきました。この上、検察が控訴して裁判を引き延ばすことは許されません。無罪判決が確定し、一刻も早く山田さんたちの人権が回復されることを願っています。
 判決後に報道された、検察の控訴断念、裁判終結を訴えた新聞の社説、関連報道記事を以下に引用します。

長すぎる裁判の「終結」を

「長すぎる裁判は、裁判の否定である」と言われる。特に、刑事裁判の遅延は弊害が大きく、国民の司法に対する信頼を損なわせる。
 事件から24年、初公判からでも20年という超長期裁判に24日、結論が出た。1974年 3月、兵庫県の知的障害児施設「甲山学園」で起きた園児死亡事件で、殺人罪に問われた元保母を無罪とした神戸地裁判決である。
 判決は、検察側主張の証拠すべてを「信用性がない」と退けた。えん罪を主張する被告側は「当然」とし、検察側は控訴を検討している。
 従って、無罪で決着するかどうかは未定だ。しかし、「立証は尽くされた」とする今回の判決内容や24年の経過を踏まえると、これ以上の裁判継続には疑問がある。
 求刑の13年や殺人罪の公訴時効15年をはるかに超える歳月を既に費やし、新たな証拠もないままになお裁判を続けることは、本来許されるべきでないからだ。
 むしろ、長期裁判を是正できなかった理由の検証と反省を、刑事司法全体が迫られていると言えまいか。
 審理が15年も空転した公安事件で被告を免訴(裁判の打ち切り)にした72年の最高裁判決は、裁判遅延の弊害を明確に指摘している。
 一つは「関係者の死亡や記憶の減退により真実の発見が困難になる」点だ。つまり「罪なき者を罰せず、罪ある者を逸せず」という刑事裁判の公正さが維持できなくなる。
 もう一つは「被告が罪責の有無未定のまま放置されることで社会的不利益を受ける」との人権問題だ。
 憲法37条が、公正で迅速な裁判を受ける被告の権利を保障しているのは、この弊害を防ぐためだ。
 経過は違うが、最高裁の言う弊害は甲山裁判にも当てはまる。しかも決定的な物証に欠け、当時12歳の園児らの不確かな証言に頼ってきた。二十年余を経て、真実の発見から遠ざかるばかりなのだ。四半世紀の間、元保母を被告の座に縛りつけ、犯人扱いしてきたのも過酷である。
 なぜ長期間を要したのか。捜査当局と裁判所は問い直す必要がある。まず、元保母の逮捕―釈放―不起訴―3年後の再逮捕―起訴と、二転三転した捜査の異常さがある。裁判の経過も、1審無罪―2審は無罪を破棄・差し戻し―最高裁も差し戻し―1審やり直しと、特異である。
 間接的な状況証拠だけで無理を重ねた捜査上の問題が、長期化につながった。供述に頼る証拠構造の弱さは、他の刑事事件にも共通する。
 裁判所の訴訟指揮にも疑問があった。最初の裁判の「審理不十分」が2審で差し戻しの理由になった。2審は不十分な部分の事実調べをしながら自らは最終判断を避け、結論を先送りした。結果論だが、長期裁判への道を開いたと言えよう。
 以上を総合すると、甲山事件はこのまま裁判を続けても、真実の発見や公正な審理を期待できない段階に入ってしまったと考えるほかない。
 これで「差し戻し」を除く2回の甲山判決はいずれも無罪。有罪認定は一度もない。検察側はこの事実を直視し、裁判を終結すべきだろう。
 もちろん、被害者側や国民の真相解明への期待は消えない。既に時効とはいえ犯罪があったなら真犯人の問題も生じる。そのことは今回裁判とは別に、検察・捜査当局が取り組むべき課題として残された。
( 1998年 3月25日 毎日新聞 朝刊 社説 )
二十年裁判の異常さ

 知的障害児施設で園児が浄化槽から死体で見つかり、当時の保母が殺人罪に問われた「甲山事件」の差し戻し審で、神戸地裁は無罪を言い渡した。
 1985年の一審に続き、二度目の無罪判決である。事件発生から24年、初公判から数えても20年になる。
 なんという長さだろう。検察側が控訴すれば、裁判はまだ続くことになる。求刑は懲役13年、殺人罪の時効は15年だ。すでに、そのいずれをも上回る年月を元保母は刑事被告人の座に置かれてきた。
 裁判の結論は別にしても、この一事だけでも常識では理解できない異常なこと、といわざるをえないだろう。
 このような長期裁判になったのには、さまざまな事情がある。捜査の出発点から公判まで、異例の展開が積み重なった。
 事件から一年半後に、検察はいったん「嫌疑不十分」で元保母を不起訴処分とした。それから2年半後に一転、起訴する。神戸検察審査会の「不起訴不当」の判断を受けて再捜査した結果だ。複数の園児から目撃証言という新証拠が得られたから、というのが大きな理由だった。その新証拠をめぐって検察、弁護側双方が信用性を争うことになるのだが、年少の証言者に知的障害があり、しかも、かなり時間がたってからの供述という事情が審理を難しくした。金網で仕切られた施設内の出来事という困難さはあったにしても、初期の段階の捜査の不徹底がその後の混迷のもととなったことは明らかだろう。この裁判には、こうしたことから出てきた証拠構造の危うさが終始つきまとった。結果からみても、起訴当時の検察の証拠の評価に問題があったことは否定できまい。こんどの判快は、園児証言に対する捜査官の誘導の可能性にも言及している。時間の経過とともに、大人たちの記憶も遠くなり、差し戻し審では「覚えていない」といった証言が繰り返された。これでは、真相究明の新たな手掛かりをつかむことは不可能といってもいいだろう。検察側は元保母らが国家賠償を求めた民事裁判で、アリバ イを証言した元園長を偽証罪で起訴した。異例の対応である。地裁は、これも無罪とした。裁判の長期化には裁判所にも責任がないとはいえない。大阪高裁は、検察の証拠調べ請求の多くを退けた一審判決を、審理が不十分として破棄、差し戻した。もともと難事件である。もっと徹底した事実審理をしていれば、これほどの長期化は防げたかもしれない。大阪高裁が自分で結論を出すことはできなかったのか、という疑問もないわけではない。戦後、八海事件などいくつかの刑事裁判が長期化した時期があった。だが、それは社会が混乱期にあり、新しい司法制度が十分定着していなかったころのことだ。これに比ベ、戦後四半世紀も経て起きた甲山事件が、こんなにも長くなったのはなぜか。捜査から審理のありかたまで、十分な検証が求められよう。裁判の信頼を保つためにも関係者の知恵が必要だ。再び無罪判決が下された重みは、検察もかみしめているに違いない。現実に、これ以上の公判を重ねて、いったい何が期待できるのだろうか。二十年裁判が「迅速な裁判を受ける権利」を保障した憲法の理念に反することは、明らかである。こんな異常な事態には速やかに終止符を打ちたい。

( 朝日新聞 1998年3月25日 朝刊 社説 )
  これは判決なき牢獄生活だ

 「長すぎる裁判は裁判の拒否に等しい」ということわざがある。事件発生から24年、起訴されてからでも20年になる。これ以上裁判を続けることは許されない。

 兵庫県西宮市の知的障害児施設で園児の死体がみつかった甲山事件で殺人罪に問われた元保母は、司法の波にほんろうされ続けた。逮捕されたが不起訴、再逮捕されて起訴、地裁で無罪判決、高裁で破棄差し戻し判決、最高裁で上告棄却判決、そして再び地裁で無罪判決と20年以上も被疑者、被告人の座におかれている。
 この間に「有罪」と宣告されたことは一度もない。しかし、いつ終わるとも知れない裁きの対象とされた山田被告の生活は、有罪判決がないまま牢獄(ろうごく)に入れられたようなものだったろう。その苦痛は十分察することができる。
 このうえ検察が控訴すれば30年裁判裁判になる。既に生涯の半分近くを裁判とかかわってきた人物を、これ以上被告人のままでおくべきではない。検察は再控訴を断念して、山田さんを自由の身にすべきだ。
 いったん最高裁まで行ったとはいえ、20年たってまだ1審という裁判は極めて異常だ。証拠関係が微妙で判断が難しかったと言っても度を過ぎている。これでは、被告が納得しないだけではなく、国民一般の司法に対する信頼も揺らいでしまう。何よりも、これは「迅速な裁判を受ける権利」を保障している憲法の精神に反する。
 事件は捜査段階から異例だった。逮捕された山田さんは一時は犯行を自白したが、その後否認に転じ、神戸地検は「有罪判決を得られる証拠がない」と不起訴にした。 4年後に同じ容疑で再逮捕、起訴したのである。
 「一貫していない」と不起訴のときは検察が信用しなかった自白、知的障害のある園児の「被害児を山田さんが連れ出したのを見た」という証言を除けば目ぼしい証拠はなかった。しかも、決め手とされた証言は事件から 3年以上たってからのものだった。
 強引にみえる起訴は、強気の捜査で知られた検事正(当時)が捜査を指揮したことと関係ないのだろうか。
 再起訴しても新証拠がみつかる可能性はなく、ぜい弱な証拠構造は今後も変わらない。いかに証拠の判断が裁判官の自由な心証に任されているとはいえ、同じ証拠で揺れる裁判官の心証に振り回される被告人はたまらない。
 たとえ再控訴審、あるいは再上告審で有罪になっても、そこで科される刑罰がどれだけの意味を持ち得るだろうか。有無罪どちらにしても「長すぎる裁判は裁判の拒否に等しい」のだ。
 再控訴を断念するとすれば、留意しなければならないのは遺族への配慮である。子どもの死は明確なのに犯人が分からないという冷厳な現実を前に、警察と検察は「裁判の間違い」という態度を取ってはならない。裁判官を納得させ得る証拠を集められず、真犯人を逃してしまった捜査を分析、反省して遺族に報告、過ちを繰り返さないことで被害者のめい福を祈るべきだ。
( 東京新聞 1998年 3月25日 朝刊 社説 )
「20年裁判」が残したもの

 兵庫県西宮市の甲山(かぶとやま)学園で園児が殺害された甲山事件の差し戻し審判決が24日、神戸地裁であり、元保母(46)に二度目の無罪が言い渡された。発生から24年、初公判から20年。公安事件を除く一般事件では、「八海(やかい)事件」(17年半)を越えて戦後最長となる裁判は、われわれにいくつかの問題を突きつけた。
 その第一は、長期裁判の最大の原因ともいえる警察・検察当局の初動捜査のまずさだ。兵庫県警は事件一ヵ月後に男児殺害の容疑で元保母を逮捕したが、決め手になる物証はなかった。その3年後、今度は神戸地検が元保母を同じ容疑で再逮捕したが、この時、新証拠としたのも「元保母が男児を連れ出した」とする園児5人の“目撃証言”だけで、今回の判決で退けられた。当時、すでにえん罪の温床として「見込み捜査」が問題になっていただけに、自供だけを期待して逮捕した警察の初動捜査や、3年も過ぎてから強制捜査に踏みきった検察当局の判断は、強引のそしりを免れない。
 求刑(懲役13年)を上回る歳月を費やした審理そのものが、すでに懲罰的との指摘があるように、長年、被告席にすわらざるを得なかった元保母の暮らしを考えると、検察当局は、入り口での「つまずき」が裁判の長期化を招いたことを十分に反省して、控訴の是非を判断すべきだろう。
 法曹界が抱えている課題も、改めて浮き彫りになった。司法試験合格者は年間7百人にすぎないため、決定的に法曹人口が少なく一人の裁判官の年間取り扱い件数が3けたになる場合もあるという。差し戻し審では、裁判が円滑に進むようにと神戸地裁、神戸地検とも担当判事、検事の移動を事実上凍結する態勢をとったが、それでも公判は4週間に1回というペースだった。法曹界をあげての裁判システムの“構造改革”が求められる。
 被害者をめぐる問題もクローズアップされた。これだけ長い審理を尽くしても、我が子の命が奪われた真相を知ることのできなかった遺族らの思いは悲痛だ。逮捕→不起訴→再逮捕→起訴→無罪→差し戻し→無罪 という展開の中で、被告には多くの支援者が手を差しのべ、マスコミも精力的に取材した。そうした中で、遺族らの声はかき消されてしまうことが多く、心の整理ができないままに年を重ねてきた。
 最もいやされるべき存在である被害者を視野に入れた報道が、どれだけなされたか、そして事件報道の問題点は検証できたのか。メディアに突きつけられた課題も重たい。
( 産経新聞社 1998年 3月25日 朝刊 社説 )
長すぎる裁判は司法不信招く

 戦後の刑事司法史上、まれに見る長期裁判と言えよう。起訴から二十年間も延々と法廷での審理が続いた。事件発生からだとすでに四半世紀近くが過ぎて、無罪判決が出た。それも二度目の無罪である。
 兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」で1974年 3月、男女の園児が行方不明になり、園内の浄化槽から相次ぎ水死体で見つかった事件の裁判だ。
 男児に対する殺人罪に問われた元保母とアリバイ証言で偽証罪に問われた元園長の差し戻し審判決が神戸地裁であった。
 「迅速な裁判」は基本的人権の一つとして憲法に保障されたものだ。これほど審理が長期化しては、刑事裁判の意義が大きく損なわれかねない。
 事件は特異な経緯をたどった。警察は元保母を逮捕したが不起訴。検察審査会がこれを不相当とし、検察主導の再捜査で一転起訴に。旧1審は無罪だったが、控訴審が差し戻し、審理のやり直しを命じた。
 裁判の主な争点は、最初の逮捕時における元保母の自白や、園児の目撃証言の信用性、元保母と男児の衣服に相互付着していた繊維片の証拠評価などだった。
 今回の差し戻し審判決は、自白などの信用性を否定しなかった控訴審の事実判断には拘束されないとした。そのうえで、改めて自白内容は「概括的、断片的で動機も不可解」とし、園児証言も「事件後3年以上を経てからの供述で、内容も不自然」と、いずれの信用性も否定した。
 状況証拠である繊維片の評価を含め、旧1審の判断に立ち戻った形と言える。
 検察側立証の核心部分が、再びことごとく退けられてしまったわけだ。
 物証が乏しく、数多くの間接証拠の積み重ねで立証しようとする検察側と、無罪を主張する弁護側が真っ向から対立した。
 公判で採用された証拠類は約千点にものぼり、法廷に立った証人は百人近い。
 慎重な審理が求められるのは言うまでもない。当事者主義の刑事手続きでは、裁判長期化がある程度避けられないこともあろう。が、それにしても、との感が強い。
 「迅速な裁判」の憲法理念は、単なるプログラム規定ではない。
 地裁の審理が15年余も中断した名古屋の「高田事件」で、最高裁が審理遅延を理由に非常救済手段として刑事手続きを打ち切る<免訴>を言い渡したこともある。
 このケースと甲山事件を同列に論じることはできない。しかし、あまりの審理長期化は、刑事司法の最大使命である真実の発見すら困難にすることがある。
 差し戻し審では、証人が質問に「覚えていない」と答える場面が少なくなかった。時間とともに当然、記憶の風化が進む。
 裁判の経過を振り返れば、検察、弁護側の相互不信が目立った。法廷で膨大な証拠を調べることになった一因だろう。
 審理促進のためには裁判所の訴訟指揮とともに双方の努力が必要なのだが、それが十分だったかどうか。
 長すぎる裁判が国民の信頼を損ない、司法不信につながることを懸念する。
( 讀賣新聞 1998年3月25日 朝刊 社説 )
「控訴は許されない」
  神戸弁護士会が声明
  甲山事件で

 兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」(廃園)で起きた「甲山事件」の差し戻し審で、殺人罪に問われた同学園の元保母山田悦子さん(46)と偽証罪に問われた元園長荒木潔さん(66)に神戸地裁で無罪判決が出たのを受けて、神戸弁護士会は二十七日午後、神戸地検と大阪高検、最高検に「一日も早く裁判から解放すべきであり、控訴は許されない。」とする間瀬俊道会長名の声明文を送る。
 声明では「裁判が二十年も続いたことは、憲法が保証する迅速な裁判を受ける権利を侵害する。無罪判決が二度出た重みを考え、控訴しないことが国民の司法への信頼にこたえる最も正しい道だ」としている。

( 1998.3.27付 朝日新聞 夕刊 京・滋版 P19 )
甲山事件裁判 2人の解放を
  日弁連が声明

 兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」(廃園)で起きた「甲山事件」の差し戻し審で、神戸地裁が同学園の元保母山田悦子さん(46)と元園長荒木潔(66)に無罪を言い渡したのを受け、日本弁護士連合会は二十七日、鬼追明夫会長名で「一日も早く裁判から解放すべきだ」とする声明を発表した。また弁護団の北山六郎団長らは同日、声明文を最高検に渡し、控訴を断念するよう申し入れた。

( 1998.3.28付 朝日新聞 朝刊 南京・奈・京市版 P29 )


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