甲山事件第二次控訴審判決要旨

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 甲山事件第二次控訴審判決要旨     


                       (旧姓澤崎)
                   被告人  山   田   悦   子

            主   文 

         本件控訴を棄却する。

            理由の要旨

 第一 控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

 一 拘束力違反との主張について

 検察官は、園児の目撃供述及び被告人の自白に信用性があり、繊維鑑定の結果に証拠価値があるとした第一次控訴審判決の判断には拘束力があり、原判決はこの拘束力に反した判断をした違法があるとする。しかし、破棄判決の拘束力は、破棄の直接の理由たる消極的・否定的判断についてのみ生ずるものであって、その判断を裏付ける事由についての積極的肯定的判断には拘束力はない。本件に即していえば、第一次控訴審判決の判断のうち、破棄の直接の理由たる消極的・否定的判断である、「差戻し前の一審判決が当時の証拠関係の下で被告人と公訴事実の結び付きを不十分と判断した点が誤りである。」との部分についてのみ拘束力が生ずるに過ぎず、その判断を裏付ける自白及び園児供述の各信用性並びに繊維鑑定の証拠価値などの個々の点は、更に取り調べるべき証拠を取り調べれば、右に掲げた各点の事実判断が異なり、その結果公訴事実と被告人との結び付きが立証される可能性があるという審理不尽をその前提にした判断であって、それぞれについて積極的に各信用性及び証拠価値が認められるとの判断をしているわけではない。そして、自白及び園児供述の各信用性並びに繊維鑑定の証拠価値を否定したのは誤りであるとの差戻判決の表現は、一応、消極的・否定的判断であるといえるが、これら個々の点についての判断がそれぞれ独立して破棄の理由に直結するとはいえない。したがって、原判決には結論として差戻審の拘束力に反した違法はない。


 二 審理不尽の主張について

 検察官は、原判決が、園児の目撃供述に関する鑑定のうち、具体的供述が信用できるか否かの部分を取り調べなかったから、審理不尽の違法があるとするが、本件において右鑑定部分を採用する必要性があるとはいえず、原判決に審理不尽の違法はない。

 第二 控訴趣意中、事実誤認の主張について

 一 検察官は、原審において取り調べた証拠によれば被告人がs.を殺害した犯人であると認定できるから、被告人を無罪とした原判決には事実誤認があるとし、その主な根拠として、@被告人は、捜査段階の一時期本件犯行を自白した、A数人の園児において、本件犯行時刻と考えられる時刻の直前に、被告人が青葉寮からs.を連れ出した事実を目撃している、B当時の被告人及びs.の各衣服の構成繊維と考えられる繊維が相互に付着しており、これはその繊推が犯行時に接触したことを推認させる、Cそのほかにも、被告人が犯人であることを示す情況証拠が多数存在する、などと主張している。一方、弁護人は、自白及び園児供述の信用性はなく、繊維に関する証拠は証拠価値がなく、被告人にはアリバイが成立していると主張している。一般に公訴事実が認められるか否かの判断に当たっては、自白を除いた証拠によってどのような事実が認定できあるいはできないかを十分検討しこれを整理した上で、最終的に自白の信用性を判断するのが望ましいことなどから考えて、まず右Cを含むアリバイ論を検討し、その後BA@の順に検討する。

 二 アリバイ論について
 1 アリバイ工作
 検察官は、本件において、事件直前まで被告人と一緒にいた同僚の指導員N.を中心として、園長荒木及び指導員多田によって「アリバイ工作」がなされたと主張している。すなわち、N.は、被告人から犯行を打ち明けられたか、自ら被告人の犯行を察知して、事件直後からN.が多田、荒木にアリバイ工作を働きかけたと主張している。しかし、そのような事実を直接証明するような証拠は全く存在しない。そもそも、検察官の主張によれば、被告人はm.転落についての責任を免れようとして犯行に及んだのであるから、そのような被告人が、いまだ何人が犯人であるか見当もつかない時期に、一同僚に過ぎないN.に対してなぜ犯行を打ち明けるのか理解できない。N.及び多田は、単に被告人と職場を同じくする者に過ぎず、園児を殺害した犯人である被告人のために、虚偽のアリバイ工作に加わるような関係にあるとは考え難い。直前まで協力して捜索表を作るなどm.の行方を捜していた被告人が別の園児を殺害した犯人であると知ったならば、驚愕すると同時に被告人に対する非難ないし憤りの気持ちがまず生じ、アリバイ工作など考えられないはずであり、しかも普通社会生活を送っている人間であれば、本件のような状況で、アリバイ工作をしたからといってそれが成功すると思わないのが通常であろう。事件直後からN.や多田が被告人のためにアリバイ工作を始めたという検察官の主張自体に常識的な見地から根本的な疑問がある。
 また、多田がアリバイ工作を認めたと検察官が強調している同人の偽証被告事件差戻審における最終陳述は、そのような内容のものとして理解できず、事件後のN.の被告人に対する支援活動が異常であったという主張も、N.が被告人の無実を確信していたか否かによって判断が分かれる事項であって、無実を信じての行動であるとすれば異常とまでいえるものではなく、加えて、検察官が主張する右四名の事件後の供述の変遷にもそれぞれそれなりの理由が認められ、いずれもアリバイ工作があったと認めることができるような証拠といえない。

 2 被告人のアリバイ
 被告人が、事件当日の午後七時半ころから、N.、荒木及び多田と一緒に管理棟事務室にいたことは間違いない事実であるが、検察官は、多田が午後七時五〇分ころ若葉寮に行って同室からいなくなり、その後荒木が神戸新聞会館に行くため同室を出て行き、それから間もなくの午後八時ころに、被告人が同室を出て本件犯行に及んだと主張している。弁護人は、荒木が出て行ったのは午後八時一五分以降であり、かつ、荒木が出発した後被告人が同室を出ようとしたところで保母T.からs.の行方不明を初めて知らされたのであるから、被告人が午後八時ころに犯行に及ぶことは不可能であり、アリバイが成立していると主張している。したがって、荒木の出発時刻が最も重要であり、その認定をめぐって、荒木出発直前に外部のHa.からかかってきた電話の時刻、その他管理棟事務室でなされた電話の時刻・順序、多田の行動、走行実験の結果等が争点となっている。
 検察官は、被告人のアリバイに沿う供述をしている多田が、そもそも午後七時五○分ころからずっと若葉寮に行っていて管理棟事務室にいなかったと主張するが、その根拠となる保母Na.及び同T.の各証言は第二次捜査段階で急に供述を変えるなどその信用性が低いのに対し、管理棟事務室にいたという多田供述は事件直後から一貫していることや、そのとき同室に在室することになった経緯に照らしても信用性が高い。多田はその間に一回か二回かはともかく若葉寮に行ったことがあったが、基本的には管理棟事務室にいたと認められる。
 Ha.からの電話を除く他の電話の時刻については、多くの電話の相手方が、昭和五二年の第二次捜査開始以降、おおむね検察官の主張と矛盾しないような供述をしているが、同人らの中には、事件から間もない昭和四九年当時にはむしろ弁護人主張に沿うような供述をしていた者がいる。また、そのうちの一つの電話に関係する警察官証人が、原審公判廷において検察官主張に沿う証言をしたが、事件直後にはそのようなことを言っておらず、約二十年もたって突然出てきたものである。供述証拠のほかに有力な証拠が存在しないので断定はできないが、これらの時刻については弁護人主張事実の方が真実である可能性が高いという証拠情況にあるといえる。
 電話の順序については、管理棟事務室内にいた被告人、N.、荒木及び多田の供述にも変遷があり、順序の確定はかなり困難であるが、検察官が主張するように、これらの者の供述が変遷しているから嘘を言っていると断定できるようなものではない。N.の供述や手帳等の中には、重複電話があってあたかもそれが検察官主張の順序を裏付けているかのような部分も存在するが、これも検察官が強調するほどの意味合いはなく、むしろ全く反対の解釈が十分に可能であって、検察官の主張を裏付ける決定的なものとは到底いえない。
 Ha.電話については、検察官主張に沿うHa.証言それ自体は信用性を評価できる条件を備えているといえるが、あくまでも供述証拠であって、他の客観的証拠による裏付けがない上、原判決が提起する供述内容の不自然さなど疑問点もあり、これが事実に間違いないというほどの確実性を持つものではない。
 次に、走行実験の結果であるが、走行実験とは、当日、荒木が甲山学園を出発してからHa.との持ち合わせ場所の神戸新聞会館に行っているところ、およその到着時間が認定できることから、出発から到着までの所要時間を計算して荒木出発時刻を推認しようとするものである。第一次捜査段階において、荒木が実際に運転し、警察官によって一回、検察官によって二回の計三回行われた実験の結果は、いずれも弁護人の主張を裏付けるものである。検察官は、道路及びその交通状況が事件当夜と同一であったか否かは全く明らかではなく、荒木が被告人のアリバイ証明のため、意図的に速度を速めて運転しようとした疑いが強いと主張するが、特に交通状況が事件当夜と異なることを示す証拠はなく、捜査官が同乗した実験でことさらに速度を速めることも困難と考えられる。供述証拠の多い中で、客観性を有する走行実験の結果は重く、本件ではこの結果を揺るがすほどの証拠はない。
 その他、荒木が出て行った後の関係者の行動、特に、被告人が、本件犯行が行われたとされる時刻から間もない午後八時二〇分ころに、m.の捜索に関するラジオ放送がなされることになった謝礼の電話を世話になった人にかけていることなどの間接事実を総合的に検討すると、荒木が午後八時を過ぎて出発した可能性が極めて高く、そうだとすれば、検察官が主張する本件犯行時刻との関係からみて、アリバイが成立している可能性が高いと判断できる状況にある。

 3 他の者のアリバイ
 検察官は、本件が他の園児による犯行とは考えられず、また、被告人以外の職員にはアリバイがあると主張する。しかし、これらの点についての捜査は、初めから犯人を絞り込んでいたためか、極めて不十分であり、今となっては事実関係が不明といわざるを得ない。ただ、s.が行方不明になった時間帯やどこから青葉寮を出たのかが確定されていないこと及び園児の能力等に徴すれば、本件を園児が犯せないとする根拠は薄弱であるし、他の職員のアリバイというのも、それぞれが自分の行動を一応説明しているという程度のもので、公判審理に耐えるという意味でのアリバイ証明とはいえない。

 三 繊維付着について
 検察官は、鑑定を根拠にして、被告人及びs.の各着衣の付着繊維相互に、酷似ないし類似する繊維があった旨主張している。しかし、本件鑑定に供された繊維は青あるいは黒というごくありふれた毛繊維であり、しかも数多く付着していたいろいろな繊維の中からわずか数本の付着繊維しか鑑定の対象として取り出されていない。そして、右鑑定のうちの分光曲線により同一性を判断しようとしているものは、分光曲線が客観的な色の判別手段としてそれのみでは十分でない上、分光曲線だけでどの程度同一性が判別できるのかという根本的な点についての立証がこの鑑定及び鑑定証言を総合しても不十分である。もう一つの繊維の形態を中心とした鑑定は、鑑定内容自体、科学的鑑定としての価値が低い。結局いずれも付着繊維が酷似・類似と判断できるほどの証拠価値を有するとは認められないから、検察官の主張する繊維付着の事実が犯行を推認させる間接事実として意味があるとまでいえない。

 四 園児供述について
 1 いわゆる目撃供述をしているといわれる園児の多くは、事件から三年以上経過した第二次捜査段階以降に初めて重要な供述をしている。検察官は、N.らによる口止めがなされたために園児らは事件直後に事実を話せなかったと主張しているが、そのような具体的な口止めの事実を示す証拠はない。事件に関して余計な話はしないようにという程度の話がなされた可能性はあるが、これは事件の重大さと園児らの状況を考えれば果たしてとがめられるような行為といえるか疑問であり、当然の注意ともいえるのであって、被告人の犯行を隠すために被告人に関連する部分だけを供述させない口止めとは質的に異なる。検察官は、指導員なり保母が園児に対して余計なことは言わないようにと注意しただけで、園児が一切口を閉ざしてしまうほどの効果があるとも主張するが、甲山学園内にも、それぞれの園児にとって怖い先生もいれば、何でも話すことのできる先生もいるはずであり、現に本件証拠上もその状況が少なからず見受けられる。検察官がいうように余りに画一的に考えるのは相当でなく、また、右園児らの事件直後の供述は目撃供述以外の事件関係部分についてそれぞれ詳細かつ結構豊富であって、口止めされている者の供述とは到底思われない。
 なお、ここで園児証言全体の特徴について述べると、園児証言はDを除き総体的にみて証言を回避する傾向が見られる。特にA、Eにおいてそれが顕著である。質問事項がそれほど複雑であるとも思われないのに、沈黙し、言葉を濁し、逡巡し、簡単な答えを得るのにも長時間を要することが多い。検察官は、これを園児の能力・特性、被告人に対する、気がね・遠慮・怖れあるいは証言の場における弁護人の質問の仕方や異議の多発によるというが、それでは説明し切れないものがあり、園児が本当に体験していないことあるいは記憶があいまいなことを証言することによる逡巡か、前に捜査官に述べたことと違うことを言えないための心理的葛藤による逡巡か、判断に迷わざるを得ない。そのため、本件において、園児供述の信用性を判断するためには、捜査段階での供述まで遡って考察する必要が出てくることになる。

 2 園児A供述
 園児Aは、被告人が青葉寮廊下において抵抗するs.を非常口からむりやり連れ出す様子を目撃したと供述しており、これは本件公訴事実を立証する上で内容的に極めて重大な意味を持つ証拠として位置付けられる。ところでAは、事件直後には事件当日の午後八時ころに被告人がs.を連れ出した事実はなかった趣旨に受け取れる供述をしていたのに対し、事件から三年以上経過した昭和五二年のいわゆる第二次捜査段階から右の目撃供述をしている。検察官は、Aがs.の連れ出される状況を目撃して恐怖心を抱いたこと、父親から余計なことは喋るなと言われたこと、N.から口止めされたこと等のために、事件直後に話ができなかったのであって、三年以上経過した後の供述であっても右目撃供述は信用できると主張する。
 しかし、N.による口止めがあったと認めるに足りる証拠はないし、その他の理由も、事件直後に話さなかったのを事件から三年以上経過した後に初めて供述した理由として納得できるようなものではない。むしろ、本件証拠からは、Aが、被告人が逮捕されたことをテレビ等の報道で知り、他の園児とも話をし、さらに、警察官からいろいろ事情を聞かれ、警察の捜査の過程でs.の母親とも接触するなどいろいろな情報を入手する中で、被告人をs.殺害の犯人であると思い込み、当日夜被告人がs.を連れ出したとの状況を自分で想定してしまい、約三年後に、Aが何かを目撃しているのではないかと期待していた捜査官による事情聴取の際の暗示・誘導の影響を受けて、事実体験していないにもかかわらず、被告人によるs.連れ出しを目撃をしたかのような供速をしてしまったことが疑われるような状況が随所に見られる。昭和五〇年五月ころからのAの供述は、例えば、s.連れ出しに関しての重大な事実を他の園児から聞いたとして話しながら、いつのまにか聞いた事実は欠落してしまい、今度は内容を変えて自ら目撃したと供述する如く、証言も含めて多くの点で不自然かつ不合理に変遷しており、本当に記憶に基づいて供述していると考えてよいか判断に苦しむところが多い。そして、Aの供述には客観的に認定し得る事実と対比し、明らかに矛盾する点がある。一例をあげると、Aが女子便所に隠れてs.連れ出しを目撃したと供述する時間帯である午後八時ころには、当日の宿直員であった指導員Nd.が、男子棟園児の各部屋を端から順に見回り、同人がs.の行方不明に気付いたのであるが、Nd.の供述による限り、そのときAは自室にいたと認定するほかなく、そうだとすれば、Aは女子便所からs.連れ出しを目撃できるはずがないのである。検察官はこのような重要な事実につき何ら説得的な反論をなし得ていない。そして、Aの性格とその供述経過からすると、多くの供述が思いつきで述べられている疑いが生ずる。結局、A供述は、これが事実に反すると断定はできないまでも、真実と考えるについては払拭し難い大きな疑問がある。
 なお、検察官は、あたかも、Aの記憶力はよく、自分の経験したこと以外の虚偽の事実を述べることはできないから、その目撃供述は信用できると主張するかのようであるが、Aがそれほど特殊な能力の持ち主であると認められないのは当然であって、Aの能力の観点から右に述べた点の判断に影響するものはない。

 3 B供述
 園児Bは、他の園児と異なり、事件からそれほど間もない約一週間後から、被告人がBの居室である「さくら」の部屋からs.を連れ出したと供述し始めており、Aと違った意味で重視される証拠の一つであり、検察官は信用性が高いと主張する。しかし、Bの供述によれば、当日の夜宿直の職員らがs.を捜して「さくら」の部屋へ来たことをB自身知っているというのであるから、いくら眼かったとしても、もしBが供述しているようなことを真実体験しているのであれば、このことを職員らに話すのが自然と思われるのに、一切話していないという、他の園児供述に対するのと同様の疑問がある。そして、Bの供述のうち証言は第一回の証人尋問期日では被告人がs.を連れ出すのを見たとの供述をせず、その後長い時間をかけた末やっと証言するに至ったが、証言内容は総じて質問に辛うじて答える態のものであり、本当に記憶があって証言しているのか心証を形成することが困難である。そこで捜査段階の供述にまで遡って考察しなければならないが、まず、同人が事件から約一週間後にした供述は、約二週間後以降にした供述と、目撃場面の状況が著しく異なっており、同一場面の記憶を述べたとは考えにくい。Bの最初の事情聴取当時、警察官において既に被告人が犯人ではないかとの疑いを強めていたと認められること、このBの事情聴取の前日に、Aによって「s.が『さくら』の部屋にいた」との供述がなされていること、Bが後に捜査官らに対して供述する事実とも明らかに異なる場面が供述されている点があることを総合して考えれば、Bが、「さくら」の部屋から被告人がs.を連れ出したのではないかと推測していた警察官の影響を受けて、他の日の出来事をそれほど意識もせずに事件当日の出来事として述べた可能性が強いといえる。そして、事件から約二週間後にした目撃供述も、その事情聴取に至る経過、二名の警察官が二日がかりで当時Bがいた山の中に出かけ、一緒に遊ぶなどなだめすかして供述を得ることができた状況を考えると、やはり被告人によるs.連れ出しをBが目撃したことを期待した警察官による暗示・誘導の可能性が否定できない。その後の捜査官に対する供述や証言において、被告人を目で見たのか目は閉じており声を聞いただけなのか、その他被告人が来た方向、Cが呼びに来た状況、被告人とs.との前後関係、被告人の服装等の点について変遷を示しており、これらの点は検察官のいうように供述の信用性に影響するようなものではないと一蹴できない変遷である。さらに、当時の宿直保母T.が、s.の行方不明を知って捜索する中でBを見たときにBは眠っていてゆすっても起きなかったと供述していることからすれば、テレビの途中で部屋に帰ったBはそのまま布団に入って眠ってしまい、供述するような状況を一切目撃していないのではないかとの疑いさえ生ずるのである。
 検察官は、Bは見たことは忘れず、見ていないことをこれに付け加えて述べるようなことはないといわば特殊な性質を持つかのように主張するが、Bの精神遅滞の程度は軽度であり、特別な考慮を必要とするとは認められない。結局、B供述も、その信用性には到底看過することのできない大きな限界がある。

 4 その他の園児の供述
 その他の園児三名は、被告人によるs.連れ出しを目撃したと供述したり、A供述及びB供述を裏付ける供述をしたりしているが、それらの供述は結局あいまいでかつ大きく変遷していると評さざるを得ず、証言においては一部検察官主張事実と反対の趣旨の供述もしている。その上、重要な供述部分の多くは第二次捜査段階に初めて現れたものであって、事件後間もないころに供述していない理由が合理的に説明できない。内容的にも、例えば、D及びEは、本件犯行時刻ころにs.と被告人を見たとしながら、事件当夜にs.を捜している職員からs.の行方を聞かれ、自分達も一緒に捜しながら、職員に対してs.の目撃に関する事実を何も話していないという極めて不自然なものである。園児Cについては、そもそも過去の事実を時間的な関係をも記憶し、これを思い出して供述する能力が低いと認められる。
 右園児らの目撃供述等は、自己の経験に基づいて供述されたものではなく、誘導、暗示によって形成された可能性が高いといわざるを得ない。

 5 以上のとおり、各園児の供述をみると、多かれ少なかれその信用性に疑いを抱かせる事情が存在する。そもそも、園児供述から被告人によるs.連れ出しが認定できる旨の検察官主張の根本に存在するのは、園児らの供述に多少の変遷やあいまいさがあっても、利害関係のない園児らが口をそろえて被告人によるs.連れ出しに結び付く供述をしている以上、その事実は存在したに違いないとの考えであろうと思われ、これは、一般的な感覚としてはわからないではなく、その信用性は慎重に検討されてしかるべきである。しかしながら、本件各園児供述は、これらが事件の直後にたまたま園児の方から申告されるというような形で出てきたのではなく、例えば先にB供述及びA供述のところで述べたように、最も重要な供述が出てくる過程において、あらかじめ捜査官がある程度の情報を得ており、これに基づいて暗示・誘導した結果得られた供述であることをうかがわせる状況がある。他の園児供述についても、先に別の園児が述べたこことに沿うように新しい供述を始めるなど、捜査官が得た情報に基づく事情聴取による暗示・誘導の影響を受けたことが同様にうかがわれる。もっとも、検察官は、取調べ、特に立会人が同席した取調べにおいて誘導がなかったと主張しているが、ここで問題にしている暗示・誘導ははっきりそれとわかる意識的な誘導だけをいっているのではなく、園児との会話を通じての、時にはそれと意識しないでもなされ得る暗示・誘導をも指しているのである。このようにみると、本件において、そもそも実質的にみて「園児らの供述の一致」があるといえるのか疑問とされる余地があり、もとより園児供述を過度に重視することは厳に慎まねばならない特異性があることに注意すべきである。各供述の変遷及びそのあいまいさ並びに供述内容の不自然さ、裏付けの不存在等から生じる供述の信用性に対する疑問は、そのまま被告人によるs.連れ出し事実があったとすることへの疑問となる。

 五 被告人の自白について
 本件被告人の自白は、もともと捜査段階の供述調書に一時期現れた断片的で不完全なものであり、自白内容ははなはだ概括的で信用性を高めるような具体性、迫真性がなく、重要な点について明らかに客観的事実に反する部分がある。最も問題なのは犯行の動機である。一般的に被告人と公訴事実との結び付きについて、自白以外の証拠が十分でない場合には、自白の信用性を判断するものとしてその動機内容は特に重要な意味を持つ。しかし、本件において検察官の主張する動機、すなわち、「被告人が、本件の二日前の宿直の際、m.が浄化槽に転落するのを目撃しながらこれを救助せず、逆に自己の責任になると考えてつい蓋をしたことに思い悩み、m.死亡に関する自己の責任をカモフラージュするためにs.を殺害した。」という動機は、仮に浄化槽の蓋をしたことが真実だとしても主張内容自体が通常の人間の考えることとして極めて不合理である。のみならず、本件では、m.転落場面を被告人が見ており、さらにm.転落後に浄化槽の蓋をしたという点は、事実に反していると認められるのである。すなわち、Eが、第二次捜査段階において、m.はおやつの後に自分も含め他の園児四名と一緒に遊んでいるとき浄化槽に落ちた旨、それまでの捜査では予想されておらず、m.が転落したのは夕食直前であり、そのときm.が一人でいたことになっている内容の被告人の自白とも全く異なると解釈せざるを得ない供述を始めているところ、本件においてこのEの供述を否定するような証拠はない。この事実に本件で取り調べられた全証拠を総合すれば、被告人が自白を除き一貫して主張しているように、被告人はm.転落の現場におらず、当然転落を目撃していないと推認するのが相当である。さらに、Eは、証言において被告人はm.転落現場にはおらず自分が浄化槽の蓋を閉めた旨述べており、この証言も信憑性が高いというべく、右に推認される事実を裏付けているのである。そうすると、被告人の自白する動機は事実に反しているといわざるを得ない。本件のような犯行で、その動機内容に重大な事実の誤認があれば、自白全体の信用性に疑問が生じるのは当然である。通常であれば、これまでの捜査の見直しを迫られるほどの事実といえよう。
 なお、検察官の主張の根底には、任意性を否定されない供述調書において自白していれば、それは事実と考えるべきという感覚があるように思われるが、本件において真実ではないにもかかわらず自白してしまった理由として被告人が述べるところは、決して通り一遍のものではなく、経験した者でなければ供述できないと思われるような具体性と迫真性を備えており、しかもその一部は取調官の供述によっても裏付けられている。被告人の自白の信用性は乏しいといわざるを得ない。

 六 結論
 本件における証拠のうち、園児供述及び白白を除いた情況証拠からは、被告人が犯人であると推認することは全くできず、むしろ、被告人にアリバイが成立する可能性が高いと判断できる状況にある。また、園児供述によっては、被告人がs.を青葉寮から連れ出したとの認定ができないだけでなく、その可能性が高いとの心証すら抱くことができず、さらに、被告人の自白はもともとその信用性が乏しく、情況証拠と照らし合わせても、その信用性は高まらない。結局、被告人に対する本件公訴事実はその証明が不十分であって、これと結論を同じくする原判決に、所論の事実誤認は認められない。
                                  以 上

平成一一年九月二九日

       大阪高等裁判所第三刑事部
            裁判長裁判官  河   上   元   康
               裁判官  飯   渕       進
               裁判官  鹿   野   伸   二



 甲山事件(偽証)第二次控訴審判決要旨


                    被告人 荒   木     潔

             主    文         

      本件控訴を棄却する。

           理由の要旨

第一 控訴趣意中、拘束力違反の主張について

 検察官は、本件において、客観的な事実を認定するための証言の信用性や、被告人の自白調書の各信用性をいずれも否定した原判決の判断が、第一次控訴審判決の拘束力のある判断に反したものであると主張する。しかし、破棄判決の拘束力は破棄の直接の理由たる消極的否定的判断についてのみ生ずるものであって、その判断を裏付ける積極的肯定的事由についての判断には拘束力はない。何らの新たな事実取調べを行っていない第一次控訴審の審理経過とその判示するところを総合すれば、破棄理由の中心は、調べるべき証拠を調べていないという審理不尽であって、事実認定に関しては確定的な判断をしていないものと解される。したがって、原判決には差戻審の拘束力に反した違法はない。

第二 控訴趣意中、事実誤認の主張について

 検察官は、原審において取り調べた証拠によれば、被告人が国賠訴訟において自己の記憶に反して証言した事実が認定できるから、被告人を無罪とした原判決には事実誤認があるとし、その主な根拠として、@被告人の証言内容が客観的事実と異なっていること、A甲山学園園長である被告人が、指導員N.及び同多田とともに、殺人事件の犯人である保母山田に対する支援活動と称して山田のためのアリバイ工作に協力し、右殺人事件の捜査から国賠証言に至る過程で山田のアリバイに関する供述を不自然に変遷させていたこと、B被告人の捜査段階での自白が信用できること、をそれぞれ主張している。そして、@の点で問題となる事実とは、山田のアリバイ成否に直結する「被告人が、s.死亡事件の当日、Ha.との待ち合わせ場所の神戸新聞会館に行くために甲山学園を出発した時刻」を判断するための前提となる事実、すなわち「甲山学園管理棟事務室で通話された電話のうち、大阪放送に関係するいくつかの電話と園児Hu.の父親からかかってきた電話の順序」及び「Ha.からかかってきた電話の時刻」の二つである。

二1 管理棟事務室内での出来事の認定には、当然、同室内にいた被告人、N.、多田及び山田の供述の検討が必要であるが、検察官は、前記Aの主張に表れているように、本件の背景として、山田によるs.殺害事件が存在し、本件偽証等は、同事件の直前まで山田と一緒にいたN.を中心としたアリバイ工作に、多田及び被告人が加わってなされたと主張している。すなわち、N.が、山田から犯行を打ち明けられたか、自ら山田の犯行を察知して、事件直後から、多田に、そしてさらに被告人に山田のアリバイ工作を働きかけたというのである。しかし、そのような事実を直接証明するような証拠は全く存在しない。そして、多田がアリバイ工作を認めたと検察官が強調している同人の偽証被告事件差戻審における最終陳述は、検察官主張のような内容のものとして理解できない。事件後のN.の山田に対する支援活動が異常であったことからアリバイ工作が推認されるという主張も、N.が山田の無実を確信して否かによって異常か否かの判断が分かれる事項であって、無実を信じての行動であるとすれば、異常とまでいえるものではない。そもそも、山田とそれほど特別な関係があるとも認められないN.、被告人及び多田が、園児殺害犯の山田のためにアリバイ工作に加わったという検察官の主張自体、本件証拠によって認められる事実関係を前提にすれば、常識的にみて根本的な疑問があるといわざるを得ない。

 2 個々の争点についてみると、大阪放送関係電話の時刻については、多くの電話の相手方が、第二次捜査が進んだ後の昭和五二年以降、おおむね検察官の主張と矛盾しないような供述をしているが、同人らの中には、事件から間もない昭和四九年当時にはむしろ被告人の国賠証言に沿うような供述をしていた者がいる。また、そのうちの一つの電話に関係する警察官証人が、原審公判廷において検察官主張に沿う証言をしたが、それらの証言は、約二十年もたって突然出てきたものであり、うち一名の証人は事件に近いころに事情を聴かれているにもかかわらずそのようなことを言っていない。供述証拠のほかに有力な証拠が存在しないので断定はできないが、これらの時刻についてはむしろ検察官主張の時刻は事実に反している可能性が高いという証拠状況にあるといえる。
 大阪放送関係電話とHu.電話の順序については、管理棟事務室内にいた被告人ら四名の供述にも変遷があり、順序の確定はかなり困難であるが、検察官が主張するように、これらの者の供述が変遷しているから嘘を言っていると断定できるようなものではなく、決め手になるほどの証拠は存在しない。
 Ha.電話の時刻について、検察官の主張に沿うHa.証言それ自体は一応信用性を評価できる条件を備えているといえるが、あくまでも供述証拠であって、他の客観的証拠による裏付けがない上、原判決が提起する供述内容の不自然さなど疑問点もあり、これが事実に間違いないというほどの確実性を持つものではない。
 被告人の出発時刻については、神戸新聞会館に到着したおよその時刻が認定できることから、出発から到着までの所要時間を計算してその出発時刻を推認する走行実験が行われている。第一次捜査段階において、被告人が実際に運転し、警察官によって一回、検察官によって二回の計三回行われた実験の結果は、いずれも被告人が証言したHa.電話の時刻に沿うものである。検察官は、道路及びその交通状況が事件当夜と同一であったか否かは全く明らかではなく、被告人が山田のアリバイ証明のため、意図的に速度を速めて運転しようとした疑いが強いと主張するが、特に交通状況が事件当夜と異なることを示す証拠はなく、捜査官が同乗したした実験でことさらに速度を速めることも困難と考えられる。供述証拠の多い中で、客観性を有する走行実験の結果は重く、本件ではこの結果を揺るがすほどの証拠はない。

 3 検察官は、本件偽証が山田によるs.殺害事件にかかる同人のアリバイを主張するためのものであり、本件と右のs.殺害事件の成否の判断とは表裏一体の関係にあるのに、原判決が山田の犯人性を推認させる証拠を全く考慮することなく本件偽証事件の成否を判断したと非難している。
 しかし、山田のs.殺害事件の証拠をみても、まず、殺害事実を認める山田の自白は、もともと捜査段階の供述調書に一時期現れた断片的で不完全なものであり、自白内容ははなはだ概括的で信用性を高めるような具体性、迫真性がないだけでなく、犯行の動機は、その内容自体が通常の人間の考えることとして極めて不合理であるのみならず、本件証拠関係の下では、自白する動機は事実にも反している。本件のような犯行で動機内容に重大な事実誤認があれば自白全体の信用性に影響する。結局、右自白の信用性は乏しいといわざるを得ない。
 また、山田がs.を連れ出すところを見たという園児の供述をみると、供述の変遷及び特に証言内容のあいまいさ並びに供述内容の不合理性、裏付けの不存在など、多かれ少なかれその信用性に疑いを抱かせる事情が存在する。そして、各園児供述は、これらが事件直後にたまたま園児の方から甲山学園の職員や肉親に申告されるというような形で出てきたのではなく、その多くは事件から約三年もの年月が経過した後に初めて警察官に対して供述がなされている上、重要な供述が出てくる過程において、先に別の園児が述べたことに沿うように新しい供述を始めるなど、あらかじめ捜査官が得ていた情報に基づく暗示・誘導の結果得られた供述であることをうかがわせる状況がある。検察官は、取調べ、特に立会人が同席した取調べにおいて誘導がなかったと主張しているが、ここで問題にしている暗示・誘導ははっきりそれとわかる意識的な誘導だけをいっているのではなく、暗示や誘導にかかりやすいと一般にいわれている年少園児との会話を通じての、時にはそれと意識しないでもなされ得るものをも指しているのである。このようにみると、本件において、そもそも実質的にみて「園児らの供述の一致」があるといえるのか疑問とされる余地があり、山田によるs.連れ出し事実があったとする園児らの供述は信用できない。
 その他本件における全証拠を検討しても、山田の犯人性を推認させるものはない。

 4 そして、その他の証拠も含めて総合的に判断すれば、「電話の順序」に関しても、「Ha.電話の時刻」に関しても、検察官が客観的事実と主張する事実は認められず、むしろ、「電話の順序」に関しては、認定の程度には至らないものの、被告人が証言したようにHu.電話が最初で、その後大阪放送関係電話がなされた可能性が高いと認めることができ、「Ha.電話の時刻」に関しては、少なくともこれが検察官主張のように午後七時五〇数分ころには終了していると認めることはできず、その時刻が午後八時を過ぎていた可能性がかなり高いことになり、そうだとすれば、被告人の出発時刻も午後八時を過ぎている可能性が高いことになり、検察官が主張するs.殺害事件の犯行時刻との関係からみて、山田にはアリバイが成立している可能性が高いと判断できる状況にあるといえる。

 右のとおり、検察官が客観的事実と主張する事実が認められない以上、この事実に反することを証言したことをもって被告人が自己の記憶にないことを敢えて証言したという偽証の犯意を推認しようとする検察官の立証の手法では、もはや公訴事実を証明できない。
 なお、本件の捜査段階において、被告人が偽証したことを認めたかのような自白調書が存在するが、その内容は、真に偽証の故意があったことを認めたものといえるか疑問がある。そして、被告人が取調べの過程において必ずしも真意にそぐわない供述調書に署名した理由として述べるところは、本件証拠関係のもとで一概に否定できるものではない。これらを総合すれば、右自白の信用性には疑問がある。

 結局、被告人に対する本件公訴事実はその証明が不十分であって、これと結論を同じくする原判決に、所論の事実誤認は認められない。
                               以 上
平成一一年一〇月二二日

        大阪高等裁判所第三刑事部
             裁判長裁判官  河   上   元   康
                裁判官  飯   渕       進
                裁判官  鹿   野   伸   二


 甲山事件(偽証)第二次控訴審判決要旨


                   被告人  多  田  い  う  子

         主   文

      本件控訴を棄却する。

         理由の要旨

第一 控訴趣意中、拘束力違反の主張について

 検察官は、本件において、客観的な事実を認定するための保母Na.及び同T.の各証言の信用性を否定した原判決の判断が、第一次控訴審判決の拘束力のある判断に反したものであると主張する。しかし、破棄判決の拘束力は破棄の直接の理由たる消極的・否定的判断についてのみ生ずるものであって、その判断を裏付ける積極的肯定的事由についての判断には拘束力はない。何らの新たな事実取調べを行っていない第一次控訴審の審理経過とその判示するところを総合すれば、破棄理由の中心は、調べるべき証拠を調べていないという審理不尽であって、事実認定に関しては確定的な判断をしていないものと解される。したがって、原判決には差戻判決の拘束力に反した違法はない。

第二 控訴趣意中、事実誤認の主張について

 検察官は、原審において取り調べた証拠によれば、被告人が国賠訴訟において自己の記憶に反して証言した事実が認定できるから、被告人を無罪とした原判決には事実誤認があるとし、その根拠として、被告人の証言内容が、客観的事実、すなわち「被告人は、甲山学園園児H.s.の死亡事件が発生した当日、午後七時五〇分ころまでには既に若葉寮職員室に行っており、それ以降午後八時二〇分ころに同職員室でT.からs.の行方不明を知らされるまでの間、同職員室に在室していた。」という事実に反していると主張する。これに対し、被告人は、そのころは園長荒木、指導員N.及び保母山田とともに管理棟事務室におり、午後八時ころとその後荒木が神戸へ出発してからもう一度若葉寮職員室に行ったことはあるものの、いずれもすぐ管理棟事務室に戻った旨述べているので検討する。

二1 検察官が客観的事実と主張する事実を立証するための最も中心的な証拠は、右時間帯に若葉寮職員室にいたNa.の、ほぼ検察官主張事実に沿う証言である。しかし、同人は、s.死亡事件から間もない昭和四九年四月当時は、むしろ自分が午後七時五〇分ころ若葉寮職員室に行ったときには被告人がおらず、後で被告人がいることに気付いたかのような供述をしていたと認められ、その供述を翻した理由に納得できるものがない。その上、後の昭和五二年、五三年の捜査段階の供述調書や証言でも、Na.の供述ではずっといたはずの被告人の行動について極めてあいまいな供述に終始しており、証言内容と昭和五二年、五三年の捜査段階の供述調書と対比しても多くの点でその内容が変遷している。午後八時ころの電話の際に被告人と交わした言葉と、「何か手伝いましょうか。」と言ったこと以外に、具体的場面で一貫していると評価できるようなものはない。さらに、Na.証言は証言の真摯さを欠く点と質問者に対する迎合性の点等でも問題がある、結局、Na.証言は、その証言自体かなり信用性が低いといわざるを得ない。
 次に、青葉寮当直者であったT.も、「若葉寮に行ってs.の所在を尋ねた際、職員室にNa.のほかN.及び被告人がいた。」旨検察官主張に沿う証言をしているが、同証言をみると、T.は、s.死亡事件直後から何度も自己の行動について取調べを受け、午後八時過ぎにs.の行方不明を知ってから午後八時三五分ころに副園長Y.へ電話をかけるまでの間の出来事について、順序や経過時間をも検討しつつ詳細に説明していたにもかかわらず、そこでは自分が若葉寮に行った事実があることを述べていなかったのに、約三年後の供述調書で初めて若葉寮に行ったことを述べており、信用性が低い。
 なお、検察官は、T.が若葉寮にs.の行方不明を知らせに来たことは、他の若葉寮職員の供述によっても裏付けられているというが、これらの供述は、いずれもs.死亡事件に近い時点ではT.が知らせに来たと供述しておらず、中には知らせに来たのが山田であることがはっきりわかったとさえ供述していたことがあったにもかかわらず、なぜかT.の供述と同様に昭和五二年以降に変更されているのであって、これを素直に記憶喚起によるものとは考え難い。
 これに対し、そのころ基本的には管理検事務室におり、その間、用事で若葉寮職員室へ行ったことはあるが、すぐ管理棟事務室に戻り、s.の行方不明は同事務室で聞いたとする被告人の供述は、s.死亡事件の翌日から一貫しており、m.捜索のための捜索表を作ろうとして紙を糊で貼っている際にs.の行方不明を聞いたという状況も具体性がある。被告人の供述は、m.捜索のためにその日わざわざ居残り、管理棟事務室に集まってそのための作業をしようとしていたという事の推移にも合っている上、その供述中には被告人が若葉寮職員室に終始いたことをうかがわせるものは全くない。さらに、N.をはじめ、管理棟事務室にいた荒木及び山田の各供述は、もちろん被告人供述を裏付けるものと評価できる。

 2 右に検討したところからすると、被告人が基本的には管理棟事務室におり、s.の行方不明も同室内で山田から聞いたものと認めてよいように思われる。しかし、検察官は、他のいくつかの点を争点として主張しており、それらの判断が右認定に影響を及ぼす可能性があるので、以下総合判断の見地から検討する。

 3 被告人は、基本的には管理棟事務室におり、その間午後八時ころに一回、その後荒木がHa.と会うため神戸新聞会館へ出発した後に糊を取りに行くためにもう一回の計二回若葉寮職員室へ行った旨国賠訴訟及び本件公判で供述している。もし同職員室へ行ったのが被告人が供述するように二回であれば、Ha.電話及び荒木出発時刻が午後八時を過ぎていることに符合するが、一回であればむしろ右時刻が午後八時前になる可能性が強いことになり、被告人供述全体の信用性にかかわる。事件から間もない昭和四九年三月二五日付のかなり詳しい内容の捜査復命書に、被告人は二回行ったことがあると明確に供述していたことが記載されており、この記載は当時被告人が若葉寮職員室に二回行った記憶を有していたことを裏付ける重要な証拠である。その後、捜査段階で若葉寮職員室に行ったのは一回であると供述したこともあるが、この供述変遷理由として、二回行ったことは覚えていたものの、糊を取りに行った以外の用事を思い出せなかったため、警察官から強く一回だったのだろうと言われると抵抗できなかったと述べている。被告人の弁解は、後になってもう一回の用事を思い出した状況等も具体性があって不自然でなく、何よりも前記捜査復命書の記載に照らしても信用性が高い。

 4 また、被告人は、荒木出発後間もなく若葉寮職員室に糊を取りに行ったと考えられるため、この荒木出発時刻が検察官主張のように午後八時前と認められれば、被告人供述が事実に反することになる。
 荒木出発時刻検討の前提となる管理検事務室内での電話の時刻・順序のうち、大阪放送関係電話の時刻については、電話の相手方や警察官証人が存するが、結局、供述証拠のほかに有力な証拠が存在しないので断定はできない。しかし、これらの時刻についてはむしろ検察官主張の時刻は事実に反している可能性が高いという証拠状況にあるといえる。
 大阪放送関係電話とHu.電話の順序については、管理棟事務室内にいた被告人ら四名の供述にも変遷があり、順序の確定はかなり困難であるが、検察官が主張するように、これらの者の供述が変遷しているから嘘を言っていると断定できるようなものではなく、決め手になるほどの証拠は存在しない。
 Ha.電話の時刻について、検察官の主張に沿うHa.証言それ自体は一応信用性を評価できる条件を備えているといえるが、あくまでも供述証拠であって、他の客観的証拠による裏付けがない上、原判決が提起する供述内容の不自然さなど疑問点もあり、これが事実に間違いないというほどの確実性を持つものではない。
 荒木の出発時刻については、神戸新聞会館に到着したおよその時刻が認定できることから、出発から到着までの所要時間を計算してその出発時刻を推認する走行実験が行われている。第一次捜査段階において、荒木が実際に運転し、警察官によって一回、検察官によって二回の計三回行われた実験の結果は、いずれも荒木出発時刻が午後八時を過ぎていたことを示すものである。供述証拠の多い中で、客観性を有する走行実験の結果は重く、本件ではこの結果を揺るがすほどの証拠はない。

 5 検察官は、本件偽証が山田によるs.殺害事件にかかる同人のアリバイを主張するためのものであり、本件と右のs.殺害事件の成否の判断とは表裏一体の関係にあるのに、原判決が山田の犯人性を推認させる証拠を全く考慮することなく本件偽証事件の成否を判断したと非難している。
 しかし、山田のs.殺害事件の証拠をみても、まず、殺害事実を認める山田の自白は、もともと捜査段階の供述調書に一時期現れた断片的で不完全なものであり、自白内容ははなはだ概括的で信用性を高めるような具体性、迫真性がないだけでなく、犯行の動機は、その内容自体が通常の人間の考えることとして極めて不合理であるのみならず、本件証拠関係の下では、自白する動機は事実にも反している。本件のような犯行で動機内容に重大な事実誤認があれば自白全体の信用性に影響する。結局、右自白の信用性は乏しいといわざるを得ない。
 また、山田がs.を連れ出すところを見たという園児の供述をみると、供述の変遷及び特に証言内容のあいまいさ並びに供述内容の不合理性、裏付けの不存在など、多かれ少なかれその信用性に疑いを抱かせる事情が存在する。そして、各園児供述は、これらが事件の直後にたまたま園児の方から甲山学園の職員や肉親に申告されるというような形で出てきたのではなく、その多くは事件から約三年もの年月が経過した後に初めて警察官に対して供述がなされている上、重要な供述が出てくる過程において、先に別の園児が述べたことに沿うように新しい供述を始めるなど、あらかじめ捜査官が得ていた情報に基づく暗示・誘導の結果得られた供述であることをうかがわせる状況があり、園児らの供述は信用できない。
 その他本件における全証拠を検討しても、山田の犯人性を推認させるものはない。

 6 そもそも、検察官が主張するアリバイ工作の事実を直接証明するような証拠は全く存在しない。被告人がアリバイ工作を認めたと検察官が強調している差戻審における最終陳述は、検察官主張のような内容のものとして理解できない。事件後のN.の山田に対する支援活動が異常でありアリバイ工作が推認されるとも主張するが、これはN.が山田の無実を確信していたか否かによって異常か否かの判断が分かねる事項であって、無実を信じての行動であるとすれば異常とまでいえるものではない。その上、このアリバイ工作論は、本件証拠によって認められる事実関係を前提にすると、常識的にみて根本的な疑問があるといわざるを得ない。管理棟事務室にいたとの被告人の供述は、s.死亡事件の翌日から一貫しているのであり、これがアリバイ工作であるというためには、犯行の全体像も判明しておらず、山田に嫌疑がかけられているかどうかもわからないs.死亡事件当日から翌日にかけて、N.が、若葉寮に被告人と一緒にいたNa.の存在をあえて無視して被告人にのみアリバイ工作を依頼し、被告人も、Na.が真実を知っていることを十分承知しながらN.の依頼に応じたという現実離れした想定が必要となる点で大きな問題がある。そして、被告人のs.死亡事件直後の供述には、山田にとっては逆に極めて不利になりかねないような「荒木が出発した後に山田が管理棟事務室を出て行った。」旨の内容があることも、山田を庇うための「アリバイ工作」であるとみると説明できないことである。

 7 本件において、被告人供述が一貫して前提としている「被告人が基本的に管理棟事務室にいたこと」自体を特に疑わせるような事情は存在しない。

 右のとおり、本件全証拠を総合してみても、検察官の主張する客観的事実を認めることはできず、むしろ、これは誤りであって、被告人が国賠訴訟で証言した「午後八時ころと荒木が出発してからの二回若葉寮に行ったことはあるが、午後七時三〇分ころから午後八時一五分過ぎころまで荒木、山田、N.とともに管理棟事務室におり、そこで山田からs.の行方不明を聞いた。」との内容がほぼ真実であると認められる。そうすると、客観的事実が被告人の証言事実と異なることを中心とする検察官の立証の手法においては、もはや主観的虚偽性ないし偽証の犯意を推認せしめるものはないといってよい。

 結局、被告人に対する本件公訴事実はその証明が不十分であって、これと結論を同じくする原判決に、所論の事実誤認は認められない。
                                  以 上
平成一一年一〇月二九日
            大阪高等裁判所第三刑事部
                 裁判長裁判官 河   上   元   康
                    裁判官 飯   渕       進
                    裁判官 鹿   野   伸   二


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