元ものみの塔研究生の体験談




 妹はまだ現役のエホバの証人です。私は4年間、研究生として研究していました。平成X年、草刈牧師によって説得されて、間違いに気づきました。バプテスマを受ける直前でした。エホバの証人から声をかけられないよう、断絶届を書きました。それから妹を呼んで説得しようと思いました。病気になったらかと口実を作って妹を連れてきました。そのころ、ちょうど妹は離婚をしていて子どももなく、アパートで独身生活をしてました。補助開拓をしていたようです。ちょうど時期が悪かったんです。ブルックリンの見学から帰ってきたばかりで、会うなり、「これこそ、神の組織だと確信したわ」と言って、一番乗りに乗っていたときに、説得の場に連れてきてしまったのでした。一番頼りにしていた姉が寝返った、自分は家族とともに騙されたと言って怒りがひどかったのでした。私も説得の時は腹が立って、どうやって抜け出そうかと思ってました。事故を起こした後で体が不調だったので、あきらめて聞くしかないと思ったのと、重荷があって禁止されていた背教者の本を読みたくてしようがありませんでした。それでも私は背教者の文書を読む機会がなくて、辞めた人がどういう気持ちで辞めたのか、すごく知りたかったんです。ウッド先生の本を読む機会があっても、ものみの塔の考え方で読むものですから、でも違うんじゃないかと思ってそのときはその本は役には立ちませんでした。
 妹の説得は失敗して話を聞こうとしませんでした。ガラスをテーブルで割って、飛び出して逃げてしまいました。連れ戻しましたが、聞ける状態ではないと判断して帰しました。
 当然、実家には寄りつくかなくなったのですが、実家に必要なものを取りにくるときは、エホバの証人が一緒に付いてきました。玄関口にエホバの証人が待っていて妹が無事かどうか確認してから一緒に帰るという状態がしばらく続きました。妹の怒りの激しさに呆然としていました。「さわらぬ神に祟りなし」で、怖くて近づけませんでした。妹とはコンタクトできる状態ではありませんでした。妹はその後入院したのですが、エホバの証人にきてもらい世話を受けてました。両親にもあきらめもあって好きなようにさせていました。妹がものを取りに来ても「もうあきらめた」と伝える状態でした。ほっといていたので安心して警戒を緩めエホバの証人が付いてこなくなりました。徐々に家によりつくようになりました。バイトをしていても生活は大変で、実家から日用品を持って帰っている状態です。妹だから分かってくれるだろうという肉親の情があります。研究生の頃は親であれ、サタン側の人だから、辞めさせようとしてなんとでも言ってくるからと、冷静な醒めた目で見ていたのに、自分が説得されてまちがいに気づいたとき、その間違いを妹だから分かってくれるだろうという甘えがありました。辞めた後も自分で勉強しながら、こんなことも嘘だった、こんなことも妹は知らないなと思って、言いたくて仕方がありません。実家で顔を合わせると言いたくて言っちゃだめだとは分かっていても、こういうことを知っているのかと、こういうことだったのと言っても向こうは全く受け付けなくて、反論してきて結局喧嘩別れ、全然だめなんです。
 会えば何か行って来るだろうという目で見ているし、会うと恐怖心を持って見ている。私のこと、サタンだと思っているなと思ってショックでしたが、私も以前はこうだったんと客観的に見ることができました。これが妹との信頼関係を回復するのです。ふつうの関係を取り戻すのが先なんだと思いました。その時の自分には、この組織は本当、怖い組織なんだと思いました。エイリアンというか、外見上は妹でも宇宙人に乗っ取られる映画を地で行くようなものです。こういう会に出席し、何を言ってもだめだから関係をよくしないとだめだ、家族は相手は病人だと認識するのが大事だと言われ、納得できました。
 私も自分が研究生をしていたころは家族が反対し、周りは敵だらけでした。顔が能面だと言われました。仏壇を拝みなさいとか言われ、にこにこしていられません。やはり能面の顔になります。そう考えてみると愛情を持って包み込んでいくのが近道。「あれも違う、これも違う」と指摘されたら、人間は誰でも自分にやっていることに理解がされないと、心を開きません。気持ちを分かって上げて家族が受け入れなければと思いました。それで妹が来たとき、「体は大丈夫か」「お金は足りているか」とか言って妹を実家に近づけるようにしました。事故が起きたり、自動車の調子が悪かったりで、そのうち治療のため妹と片道一時間半、一緒に通院するようになりました。最初のうちはすごくぎこちなく、聖書の話をしないかとぴりぴりした感じでした。何回も行くうちに聖書の話ではなく、身近な話題を話しかけようと、映画や仕事や漫画の話をしていくうちにやがてうち解けてくるようになりました。生活が大変だから、私が払うとか、帰りに食事していくとか、今月は余裕があるからおごって上げるとか言えるようになりました。妹の会衆の人を何人か知っていましたので、さりげなく、誰々さんは元気ですかとか、その子どもはどうしていますか、と聞いてみます。教会への悪いイメージを払ってもらうため、たとえば教会で偶像崇拝をしていると言われているけれど、十字架はシンボルであり、それをお参りしていない、十字架のあがないを忘れないためにシンボルにしていることとか、信者同士で結婚すること、教会では40代半ばで未婚の人がまだ居るとか、教会に独身の男性が少ないとか言った話をして、「結婚はクリスチャン同士でするの」と妹から聞かれたら、「当たり前じゃん」と言った感じです。クリスマスも、25日ではないと知っていても、昔は太陽神の祭りでも、今はイエス様の誕生日にしようと言うことで始めたのだから、クリスマスは異教の祭りじゃないのとか、さりげなく話すようにしてました。妹に「私は背教者じゃないの」と尋ねたら、私は「バプテスマを受けていないから、話をしてもいいんだ」というのです。バプテスマを受けて改宗していたら、妹とも話できないのです。断絶届けを出した会衆のエホバの証人は道ばたで私にあっても、挨拶しません。妹と話ができるのもバプテスマを受ける直前に救出されたため。救出されて良かった、やっぱり神様だなと感謝してます。妹が引っ越ししたとき、大勢のエホバの証人が手伝いました。「妹がお世話になってます」と父が挨拶をします。「もういい加減帰ってくれ」と思っても声をかけてエホバの証人にいい印象を持ってもらいます。平成X年、妹と決裂してから、聖書全体を話せるようになったのは、ここ最近のことです。中心的なテーマにするのは難しいのです。
 妹からは仕事仲間のエホバの証人の話をするようになりました。職場のボスはエホバの証人で、子ども二人は組織から離れています。音楽の勉強をしていて、異色です。仕事仲間のエホバの証人二世に囲まれていて仕事をしています。現代史の本を買ってきて読んでいました。最近の組織は変わってきたのかな、補助開拓でがんばっていたのに、組織全体がゆるんでいるのかなとも、感じます。話題は、キリスト教界すべてをサタンの組織だと見みないでほしいと言って、マタイの福音書13章の中での毒麦のたとえから、中世の教会にも正しい人が居たはずだとか、十把一からげで教会はサタンの組織だと見ないで欲しい、中には立派なクリスチャンも居たはずだと言ってます。妹はルターやカルバンの裁判を持ち出して、そういうふうには見ていないと答えていました。いろいろな話から草刈裁判の話が出て、騙されて連れて行かれたと私が書いたメモを今でも持っていると言われた。怖いとは思ったが草刈先生のためにも、実は先生はエホバの証人にきつい宣教師であのときも騙して連れていったことは悪いことだねと言ったら、多少納得していた様子で、何が何でも改宗させると言うつもりではなく信教の自由は保証されるべきだと考え、あのとき見ていた出版物はすべてものみの塔の出版物であり、批判する文書は一つもなかったと話をしました。ものみの塔が間違っていたら、あなたは組織と聖書とどちらを採りますかと尋ねられ、私はものみの塔が間違っているとは思っていなかったので、聖書を取りますと言って、間違っていてもものみの塔にいると言う人には先生は家族が頼んでも話をすることはありませんと言います。話をしないし、無理に面接しようとはしないと言いました。それを聞いていないのか、都合が悪いことがあれば、逃げ出したいとか言ってどの程度頭に入ったか分からないのです。信号を見て、対向車を見てしゃべっているのですから、妹の反応が分からないのです。親の前では宗教の話はしにくいので、世間話をしながら、こうした話をしています。つっこんでしまうと妹が長老に相談すると、危険だから姉を避けなさいと言われると困るといった妹の様子が見ていて分かります。バリアーを張っているな、これは止めていこうとか、「地上の楽園」と言ったら北朝鮮の宣伝文句のようだから千年王国と言い換えてくれないかなと笑ったり、「忠実で思慮深い奴隷級」と言っても、ふつう自分じゃ言わないよね。立派な人は思慮深い人だとは自分から言わない。批判すると良くないので相槌を打っています。攻撃をかわされると追求できなくなっておとなしくなります。少しでもおかしいんじゃないかな、調べてみたいなと言う気持ちを持たせるのが目的です。気付いた後になって仲の良い人間を見つけられるか、辞めた後、どうしていくか、今まで以上の人間関係をほかで見つけていくのか、生き甲斐をほかで提供できるか、そういったことがいろいろあります。間違いに気付いて終わりではなく、それから大変だから、あの子自身が調べたり、おかしいと気付いてくれるのが目的です。保護説得が一番いいのだけれど裁判でそれができなくなっています。組織信仰だと、間違っていても組織に居たいというかもしれないのです。
 保護説得が失敗して不信感を持ってしまっても妹といい関係を築いていく。組織ではなく、聖書を読みたい、神様を知りたいと思ってくれることを願っています。家族同士だと感情的になる。何が何でも救出しようと思うと本人も危険なものを感じます。余裕を持ってユーモアをもって対処したほうがよい。世間話をしながら語りかけるやり方は世の商売にも当てはまります。



第8回報告集会に戻る