証人の父の体験談

 
現在28歳になる私の息子はエホバの証人でした。
 ここに来ている家族の人たちは恵まれています。昔はエホバの証人の組織を知ろうとしてもその手だてはまったくなかったんです。「しんぶん赤旗」を読んでウッドさんの本や、中沢さんの本の存在を知りました。購入できる書店は知らなくて近くの教会に場所を尋ねました。今思えば、マスコミを利用するとか、ウッドさんの本をどんどん一般書店に置けるようになったほしいと思います。ここに集まった人も手がかりを求めています。原点に帰った気がします。
 私は子どもの救出に失敗しました。ウッドさんに電話で相談しました。毎月一回、豊橋の教会を訪れました。初めのうちは教会が怖い気がしました。どういう所か分かりませんでした。礼拝をしたりして、救出の準備をしました。草刈先生は多忙のために予定に割り込めにほどでした。岩村さんと接触したら、息子と新世界訳を読むように言われました。それを半年続けました。どうして連れていくのか、どう設定するのか、悩みました。妻の弟が神戸にいたので、会うことにして連れていきました。切符も、小遣いも、親が握るようにして連行しました。一日話をし、次の日に再会を約束しました。義弟の家に泊まりました。しかし夜中に逃走しました。近所のエホバの証人と生活をしておりましたから、帰っているか証人に尋ねたところ、長老の所にいました。その当時、長老と学びをしていましたから、長老の家で息子にあったら、長老は仮面をかぶったような表情をしていました。王国会館を使っていたほかの会衆の信者が説得の上、脱会したすぐ後でした。「王国宣教」の中で脱会工作が言われていました。そのときの長老との会話は普段と違って本部から指示そのままの答えしかありませんでした。Iさんとの話では首に縄を付けても連れてこいと言う話でした。高校のときの友人で子供の学校の教師だった人が聖書の話をしていました。彼に相談したら、真夜中、神戸まで自動車で息子を連れていってくれました。ところが着いたとたん逃走した。…………追いかけた。これでも昔は長距離の選手だった。それでも逃げられ、行方不明になった。息子の住んでいた住まいに手紙を入れた。数ヶ月して、市役所に行って息子の居場所がつかめましたた。それでもその居所に行かないで、あえて、息子に優しく、暖かくしてやることにしました。パジャマや衣類を持って長老の家を尋ね、「あなたは組織の人だから、息子の居所は分かるでしょうと言って渡してきました。長老は居所は分かりませんと答えていました。腹の底では、この嘘つきめ、と思いました。年に2,3回長老の顔を見に行った。そうして5年間待った。息子から手紙は来ていた。居所は分かっていた。消印を見ると実家の近くで投函していた。息子が近くに来るのか、誰かに頼むのかは分からなかった。5年間そうだった。その間、息子は会衆を3回変わった。ふつう独身の証人は二人で生活しているのに何らかの事情でひとりぽっちになった。会衆は金太郎飴ではないとそのとき知ったそうです。……そしていろいろな疑問がわいてきた。精神的に参ったそうです。親に会いたいと行って来ました。クッションがあって、なぜIさんの所に連れていったのか説明を待っていたそうです。そしてIさんと学校の教師に内容証明で手紙を送っていた。そのまま何事も無くすんだが、とうとう息子は帰ってきた。これからどうするか、家族に一時は攻撃的なったことも。千葉の私立大学に入った。……現在は3年生。戻って3か月くらいは家族と一緒に温泉巡りをしながら、王国会館に通っていた。予備校に通うようになってからだんだん不活発になっていった。しかし完全に離れたわけではなかった。2週間韓国に短期留学したところ、帰ってきたら、服装が変わっていた。そのとき母親に、「止めた」と言った。二年生の時、一年間留学した。帰ってきて写真を見ると酒に酔っぱらってネクタイではちまきをしていた。とてもエホバの証人とは思えない。エホバの証人になって救出される、あるいは自主脱会する子どもがどうやって乗り越えていくか、そのリハビリはむずかしい。まだまだ見守っていこうと思う。教師の立場からカルトの問題が常に頭にあって、ワクチンを打たないといけないとカルト問題を教材として扱っている友人もいる。そうした仲間を増やすこと、悩んでいる人にどう訴えていくのか、みなさんから知恵を出していただきたい。


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