実行委員長あいさつ
赤羽博幸


 初めに私の自己紹介と、この集会に関わるようになったいきさつをお話したいと思います。私は電車の運転手をしているのですが、今から7年前に大阪から電車を運転している時に人身事故に遭いました。踏み切りの遮断機をくぐって電車に向かって走ってくる老女を轢いてしまったのです。電車は時速百キロ近くで走っていましたので、急プレーキをかけても間に合わず、老女は見るも無惨な姿になっていました。

 大変なことになった、と思いました。事故処理を頼み、とにかく電車を次の駅まで運転しました。事故報告をし、警察でも事情聴取を受けました。現場の状況から、自殺であり、轢いてしまったことはやむを得ないことである、という結論でした。

 当時私はエホバの証人をしており、このようなことは長老に報告することになっていました。そこで人身事故の状況を報告したのですが、その時長老に次のように言われました。

 「いい加減にしろ。君はいつまで、そのような下らない仕事をしているんだ。兄弟、お前はいったい何人の人を殺したら気が済むんだ。この人殺し、人殺し。」
 この時は長老から「人殺し、人殺し。」と1時間にも渡って責められました。事故を目撃した人や警察からは「人殺し」など言われなかったのに、長老からはひどく責めたてられたのです。
 ここで一つの疑問が浮かびました。「長老は神の聖霊に任命されている」と、エホバの証人は教えらています。エホバ神はこんな人を長老に選んでいるのだろうか、と疑間に思ったのです。こんな人を長老にしているエホバの証人はおかしいのではないか、と思うようになったのです。

 仕事関係で労働組合に入っていましたが、組合の方が人間的な付き合いができました。仲間のために泣き、仲間のために喜び、仲間のために働く、という人間関係でした。エホバの証人よりもずっと暖かみのある、人間味のある組織でした。このことからも、エホバの証人の組織はどこか変だ、と思いました。

 そして、極め付けはインターネットの情報でした。「ものみの塔」の間違いがはっきり分かりました。そして、自分だけ情報を知るのではなくて、他のエホバの証人にも伝えたいと思いました。王国会館にはかつての仲間がいます。彼らも救わなければいけない、また、これからエホバの証人になろうとしている人たちにも情報を伝え救いたい、と思いました。

 私もエホバの証人を辞めるまでは苦しみました。家族がエホバの証人ですので、家族もバラバラになってしまいました。こんな苦しみは、自分だけでいい、他の人にはこんな苦しみを味わわせたくない、というのが私の思いです。そのためには、ものみの塔という組織を潰すことです。私はそのために活動としていきたいと願っています。

 このインターネットの情報で全国被害者集会のことを知りました。そして、事務局長の青木さんに連絡を取り、前回の第5回全国集会に初めて参加させていただきました。青木事務局長と話をしているうちに、知らないうちに、今度の第6回の集会の実行委員長にさせられていました。

 十数年エホバの証人をしていましたが、「奉仕の僕」にもなれませんでした。被害者集会では、昨年から参加させていただいただけで、実行委員長です。エホバの証人よりも出世が早いな(冗談)と感じています。

 とにかく、エホバの証人を救いたい、苦しんでいる家族の方々のためにお役に立ちたい、と言うのが私の気持ちです。


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