元長老  石坂 敦


 第一回エホバの証人被害者全国集会の話は1994年、王国会館で行れた奉仕会で聞きました。支部からの手紙では都内で未信者や聖職者たちが集まって集会をしたと書かれていました。会場では笑いが起こりました。自分たちこそ被害者だとエホバの証人は思ってます。世の人たちからは迫害され、未信者の家族からは反対され、奉仕に出ると罰せられます。彼らは救出しようと認識しています。助けられる人たちが被害者だと言っているのはおかしいと思いました。自分たちはエホバの側、神に敵対する者は失敗すると思っています。それから二十年経ってここに立っているとは想像だにできませんでした。
 エホバの証人を脱会したと聞くと皆さんから感謝や感激の応答で終わります。でもそれではエホバの証人の実態が分からなくなります。なぜその人たちはエホバの証人の信仰を持ったのか。なぜエホバの証人を辞めないのかを初めに話します。
 黒板に有名なジャズプレイヤーの写真を貼ります。彼はベテランのエホバの証人です。1960年代に証人になりました。1995年か94年の年鑑に載っています。一緒に食事をする機会があり、経験談を聞きました。有名な人だったのでアマチュアのプレイヤー4人が一緒に活動をしたいと言って来ました。証人は休み時間や移動時間には証し活動をしました。聞いていた4人はうんざりして、その中の一人Nは「地上に永遠に生きられます」と聞くと、「バカバカしい」と答え、理性では受け入れないと言い、パンフレットを破り捨てました。そのNが研究し、王国会館に出て感激しました。しかし、頭では「永遠に生きられる」は信じられません。すべての研究生はみなそうです。しかし、みんなが親切ですからこの組織は何かが違うと感じてから警戒心のレベルが下がりました。Nはバプテスマを受け、奉仕の僕になり、開拓者になり、長老になり、地域監督、支部委員になりました。米国に行って長老になった人の話をします。伝道者が未信者にものみの塔誌を渡すと、未信者は雑誌を破り捨てました。その伝道者はさらに50セントくれればもう一冊渡すと言うと、その未信者は50セントを証 人に渡しました。そしてまた破り捨てました。伝道者は20ドルをくれれば1年間のものみの塔誌を渡すと言われるとその未信者は20ドルを伝道者に渡しました。その未信者は結局は巡回監督になりました。エホバの証人の教えを理性では受け入れなくとも、ラブシャワーで感情的に揺さぶられます。エホバの証人はよく迫害の話をします。過去のクリスチャンは迫害されていて耐えていたとか、生命を犠牲にしていたことに心動かされました。今でも世界中で迫害されています。韓国では兵役を拒否すると犯罪者とされまともな職業に就けません。刑務所に入れられます。毎日殴られて片輪になったり、悪くすると死んだりしています。そうした経験談を聞くと、信仰心があるとそこまでするのかと心が動かされます。ものみの塔の教理は何だろうかとガードが下がります。まともに話を聞いてみようとか、聞いてから考えてみようと変わっていきます。愛されているとか、歓迎されているとか、感情面で動いていきます。受け入れられなくとも研究する気になります。レコード盤のA面は一般人に受ける曲が入っています。B面はそうではありません。ものみの塔もそれと同じなんです。
 未信者である夫が公開講演に行ったときは家族関係をテーマにします。そのときはハルマゲドンの話も、輸血拒否の話もしません。妻は夫を愛するより、夫に敬意を示しなさいとか、子は親に敬意を示しなさいと聖書に書かれているといった受け入れられる話をします。そして歓迎して引き込みます。信者を獲得して信仰を持たせます。そうしたシステムが一般的であり、教理に惹かれてエホバの証人になる人はいません。ものみの塔の信仰が入るとものみの塔に反対する者すべてがサタンになります。教会は偽りで、エホバの証人は戦争には出ません。戦争に反対しない教会の聖職者はサタンになります。神かサタンかの世界にはまりこみます。どんどんエホバの証人の側に振り子が動かされます。
 エホバの証人になった後にはまったくラブシャワーが無くなります。男性の間では出世競争が始まります。ふつうの組織ではある程度のレベルに達すれば比較研究ができます。ものみの塔にはそれがありません。世の人すべてはサタンの手先という見方です。
 組織の中で出世競争のラインに立ちます。会衆では定期的に信者一人一人の立場が一覧で壁に貼り出されます。表の中には会計・文書・雑誌といった各人のそれぞれの仕事と責任者が書きこまれています。それでお互いに出世の度合いが分かります。その表は半年に一度変わります。奉仕会の割当て量、重要性で判断されます。目に見えていなかった競争が目に見えてきます。競争すると組織を批判できなくなります。組織や教理は疑いません。さもないと出世レースから外れます。長老は批判を受入れると長老の地位はお終いです。どうあっても統治体を支持します。組織のための組織になります。入ってから気がついたのですが、競争をあおられます。がんばってしまいます。どうすれば奉仕の僕が長老に気に入られるようになるか――それには「贈り物」が欠かせません。特権争いです。
 組織では年齢よりも、経歴がものをいいます。他人より先に入った者が偉いのです。年が同じでも不愉快な気分になります。巡回監督になった長老のMはボキャボラリーの貧弱な人物でしたが、講演が終わると「素晴らしい話でしたね」とおだてました。研究司会者であった長老は国語力が劣っていました。「乾杯はどのような罪ですか。良心の問題に属しますか」という問題がありました。その長老は「排斥に至る重大な罪」と断言したのです。ものみの塔では「偶像崇拝に由来するかもしれません。決闘に行く前に杯を交換するから、乾杯がいけないのです」とも書かれていました。末端が良心的なものを押しつけます。
 なぜ証人を辞められないのでしょうか――それは間違いに気がついたとき周りの環境がすべてエホバの証人になっているからです。週二回〈以前は週三回〉の集会があります。掟があります。世の人と交わりません。野外奉仕もします。これではふつうの仕事ができません。勤め先がエホバの証人関係に限られています。周りはすべてエホバの証人になります。配偶者もエホバの証人だと、子どももエホバの証人になります。脱会が手遅れの人が多いのです。私は長老になったら悪い評判が立ちました。奉仕の僕のときはとにかくがんばればそれで済んだ。長老になると会衆の平信者に無理な要求をしなければならなくなります。会衆内の三人の長老たちは大卒だったのに、子どもに対して大学に行くよりも就職しなさいとはなかなか言えませんでした。反面、裕福な長老たちがいました。本人たちには相続財産があって奥さんが資産家でした。未信者は研究して会社を辞めて奉仕しましょうとは言えませんでした。だから私は熱心な人たちには評判が悪かった。私には大会の出番がなくなりました。イエスマンになります。開拓がんばろう、体調が悪くてもがんばろうと励ます長老がいました。そう励ます人に限って特権に与ります。でもハルマゲドンの後に正されるだろうと思ってましたが。
 私の周りでは不幸が続きました。親しかった兄弟が三十七歳で病気で亡くなりました。巡回監督は四十代で亡くなりました。脳血管が破れ四十二歳で廃人になった人もいました。破産したために奥さんが半狂乱になった例があります。癌にかかり、自殺した長老もいました――組織が人を殺しているのです。
 そのようなとき、中澤牧師の許を訪ねました。悪魔の祭司に会いに行くのだと思いました。神に背を向けて悪魔の巣窟に向かっているのだと思っていました。牧師からは4冊の本を渡されました。そのうち一冊は電車の中で読みました。力が抜けました。帰宅して、607年も、十字架も、輸血も、組織の嘘だったと分かりました。次の日の奉仕に出る気は起きませんでした。そして日曜日の司会の予定を忘れていました。催促されたとき即興で司会しました。習慣になっていました。知らずにスイッチが入り、テンションが上がって難なく奉仕会の司会ができました。周りは「励まされます」と誉めてくれました。帰ってからは落ち込みました。その後、引っ越しを理由に脱会し断絶届けを書きました。それからは毎晩、悪い夢を見ました。逃げて悪魔の側に立ち、神から見られているような夢でした。理性を取り戻そうと、JWTCに出て話をし、ケリを付けました。その頃、自分の会衆の姉妹に会う機会がありましたが、相手は視線を合わせません。別の姉妹は私をにらみ返してきました。精神的にも、経済的にも、職業の面でも、苦しみを味わいました。
 脱会後二年して今の妻と結婚しました。妻は私の経験を聞くと、一言、「バカみたい」と答えました。妻とヨーロッパに旅行したときフランスの教会でミサに陪席しました。気分が落ち着いてきました。帰国後は妻を連れて近くのカソリックの教会で神父の話を聞きに行きました。元証人だと知って初めは神父は警戒していました。場所をわきまえて質問しているうちに神父の警戒心は解かれていきました。始めてから八ヶ月後、妻は洗礼を受けたいと言いました。その神父はショーン・コネリーに似た外人でした。ところがほかの日本人の神父に交代したとたん妻は洗礼を止めました。プロテスタントが正しいか、カソリックが正しいか、エホバの証人が正しいか、自分で考えればいいと、妻に話せるようになると、妻から「バカみたい」とは言われなくなりました。
 脱会がなぜ難しいか―――救出の経験談を読めば、専門の牧師に頼んだら全員が脱会に成功すると思うかもしれません。しかしそれは成功した経験談です。むしろ成功が奇跡に近いのです。私は組織に疑問を持ってガードが下がった時に中澤牧師の本を読んで脱会しました。教会に批判的な人が批判的な読み方をすると辞めません。エホバの証人は、人生も、仕事も、家族も、時間も、組織に費やしています。辞めることは今までの犠牲のすべてを無駄にすることになります。エホバの証人には世の人とのつきあいはありません。職業は新聞配達、家庭教師、掃除人など不安定で低い収入の仕事です。しかしそれは仮の姿で、大会でプログラムをやり、会衆で講演する――これが本当の姿なのだと思いこんでしまっています。脱会すると、不安定で低い収入の仕事しかしていない人には厳しい生活になります。うつになったり、自殺することもあります。脱会後にまともに生きることは試練です。
 エホバの証人の会衆と教会の比較をしますと、ものみの塔はピラミッド構造をしています。長老も、奉仕の僕も、伝道者も無給です。それでもがんばっていますから、これこそが神の組織だと思っています。調べたところ、教会の牧師の年収は平均273万円、お寺の僧侶は平均350万円と言われています。これ以下だと寺の修繕費がまかなえないので僧侶がレンタルビデオ店のアルバイトをしたという話も聞いています。対してベテル奉仕者は月給が1万5千円位です。特開で月給3万円台です。生活できない水準です。誰もやりたがりません。ベテル奉仕者は証人の子どもが優先されます。病気になってケアできないと問題になるためです。一世はよほどのことでなければベテルには入れません。自分の実家あるいは奥さんの実家が裕福でなければ巡回監督になれません。ものみの塔は経済的な面もしっかり考えています。
 私が教会員だとします。牧師からエホバの証人の問題の活動に協力しなさいと言われたら、おそらく協力しないでしょう。二十万人以上の組織を敵に回してしまうのです。証人は信条のために生活と命を犠牲にしています。証人の立場と欠陥マンションの住民の立場は瓜二つです。建て直しするとなると残された高額のローンが無駄になります。証人にとっても、教理は嘘だったと指摘するのは危険であり、教会では協力者が得られません。
 教会が元証人を受け入れることは簡単ではありません。ある会衆からほかの会衆に移るとき苦労が伴います。習慣が異なります。批判します。例えば、エレベータに男女がいっしょに入ることを禁止している会衆もあります。エホバの証人なりの義務が刷り込まれています。教会に入って献金でつまずく人もいます。教会の中で批判してしまうとか、教会の中で元証人だけのグループを作ってしまう危険性もあります。エホバの証人問題を提起する牧師は大変な犠牲を払っていることに感謝します。
 証人の素晴らしい行状は否定しません。神権家族の親が夜逃げしたために子どもたちが取り立て人たちから責められたとき守った長老がいました。その前提は、証人はハルマゲドンが近いと信じているからです。もし、ハルマゲドンが百年後に起きると信じこまされたら、誰も開拓しません。励ましもしません。自由な米国と異なり、日本では横一線です。一途に開拓し、燃え尽きてしまいます。余力が残ってません。
 奥さんが研究生になったときの対処方をその夫に伝えたことがあります。反対ではなく、太陽路線を伝えました。また、日本支部に手紙を出すよう言いました。もし子どもに輸血が必要になり、拒否したら誰が責任を取るのか。エホバの証人である母親なのか、長老なのか、司会者か、日本支部なのか……。長老の言動は支部の言動なのか……。支部から返事がありました。聖書では、家の頭は夫です。夫がすべてを決めるという回答でした。そして奥さんは子どもへの教育を止めました。宗教論争は限界がありますが慰謝料請求があります。迷惑してます、苦痛です、慰謝料を払ってくださいと訴えます。共同して裁判をし、一人十万円の慰謝料請求をします。百人そろえば一千万円になります。また戸別伝道の訪問が多いことは民事で訴えられます。苦痛に対して不法行為で訴えが可能です。信仰を止めろとは言わないが慰謝料を払えと言うのは正当です。支部は官僚主義なので訴えられたり、マスコミに取り上げられることには脆いのです。
 なぜ一般の人が信者になるのか、なぜ脱会が難しいのか、なぜ教会にはいることが難しいのか、ご理解いただければ成功です。ご静聴を感謝します。

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