被害者経験談 元証人

 私は69歳の主婦です。1977年にエホバの証人と研究を始め、その後1985年にバプテスマを受けて12年、その後脱会して現在まで12年が経過しております。上から順に34、32、26、と3人の息子を持ち、主人との離婚を経験して現在に至っております。本日は私の経験から、エホバの証人を脱会し、その後どのような苦悩があるかなどを申し上げさせて頂きます。皆様の御耳を拝借するこの時間が、皆様にとって何かしら有意義なものであれば幸いでございます。

 ことの始まりは、長男が3歳の頃、その当時の私はどのように子供を育てたらよいか、その方向性で悩んでいる時期でした。ちょうどその時にエホバの証人が家を訪れました。幼い子を連れていましたが、グズるでもなく、行儀よく素直に親について立っているのを見て感心しました。その子の年を聞くと「3歳」ということだそうで、同じ年齢なのにウチの子とは全く違うその行状に驚くと同時に、「聖書によって訓練すればこのような子供に育ちます」というその親御さんの言葉を聞き、是非、ウチの子もこうしたい、という願いで研究を始めました。
 研究を始め学んでいくと、その中で教えられるエホバの証人の教義は価値観や道徳観が高い基準に保たれていて素晴らしく、又、今の世界に何故問題が多いのか、その理由をあますところ無く説明してもらい、これこそ真実だ、子供の為に研究を始めて本当によかった、と、その時は思いました。
 ところが、高揚している私とは対照的に、主人の方は不安定になっていきました。子供達が生まれる前まではあまり明確に意識しなかったのですが、どうやら主人は依存症の気があったらしく、私の収入や貯金をあてにしてあまり働かなくなりました。それでいながら家庭では、穏やかな言い方をすれば度を超えた亭主関白、悪く言えば暴君のように振る舞うようになり、溝は深まる一方でした。今にして思えば、エホバの証人の活動にのめり込んで行く私を苦々しく感じていた故の行動なのかもしれません。
 夫の行動により家庭は破綻し、私の命にかかわる程の暴力を振るうに及んで、遂に私も離婚を決意し、会衆の長老の同意を得て平成7年に離婚する事となりました。
 身の危険を感じて一時、家を飛び出していた事もあり、最終的に子供達は、長男と次男を夫が引き取り、三男は私が引き取って女手一つで育てる事になりましたが、その後、気付かずにいた、いや、あえて見過ごしていたエホバの証人組織の問題点が明るみに出てきました。
詳しい点は経験談として求められている方向性と少し違いますので割愛させて頂きますが、最初は全てに整合性が取れているように見えたエホバの証人の教えが、実は組織の実際の行いとは言行不一致である事に少しずつ気付くようになっていきました。その心の中で徐々に大きくなっていったわだかまりは、三男からの指摘でそれにはっきり気付かされ、時を同じくして林俊弘先生の書かれた「エホバの証人の悲劇」を読み、一気に辞める決意がつきました。
 私が初めてエホバの証人に会い、その子供の行状に感銘を受け、ウチの子もこういう立派な人間になって欲しい、との思いで必死に育てた、その当の子供から真実に気づかせられるという皮肉な結果となりました。その詳細な経緯については、後の時間にて、もしお聴きになりたい方がおられましたら、お話ししたいと思います。

 辞める時にも様々な苦悩や葛藤がありましたが、本当に辛いのはそれからでした。
当たり前の事を言うようですが、この社会は女手一つで育ち盛りを楽に育てていける程、優しくは出来ていません。何の資格や特殊技能も持っていない私は、子供を育てる為、多くのパートを掛け持ちし、かなりの時間を労働に費やさなければ満足な生活費を得る事が出来ませんでした。疲れきって家に帰り、その上で母親としての務めもこなしていくのは本当に大変で、元々体がそれほど丈夫ではない私にとってかなりの負担となりました。
 生活苦の故にギスギスしていく家庭内にて、私も子供もあまり平静でいられなくなっていきます。エホバの証人時代は高潔な行状を保っているつもりでいたのに、いざこういう局面になると、私の理想とした家族関係からはかけはなれた生活をしている事に、今まで何を学んで来たのだろう、楽園が来るかどうかは別として、彼らの日常の高い道徳性は良いもので人を幸福にする筈ではなかったのかと、愕然としました。
 その中で理解したのは、心の中にある信念や価値基準は辛い時こそ、その真価が問われるものであり、本物かどうかは、如何なる状況でも不変であるかどうかで一層明らかになるのだ、という事でした。結局、エホバの証人は、一見快い事を言いながらも、実際には真実の無い教えで、世間の人が人生にとって必要なもの、ある人は学歴、ある人はやりがいのある仕事に就く事、ある人は貯金、ある人は家庭を築く事、そうした居場所を普通に手に入れられる時間を奪い取ってしまうだけ、それが無くなった時には、エホバの証人で居続ける人よりも悲惨になってしまいます。
 勿論、それは今、エホバの証人でいる人を救出せず、そのまま放置しておいてよい、という事ではありません。もし、エホバの証人で有り続けるなら、やはり数多くの困難を抱えこんで行くのは紛れもない事実であり、自分の人生を幸福なものとする選択肢をみな摘み取り、周囲から孤立する軋轢を生みだし、最後には輸血拒否で貴重な命をあたら散らしてしまうかもしれません。ここにご出席なされている方で家族・親戚・友人知人がエホバの証人であるならば、どうかそこから救い出す事を決して止めないで下さい。

 辞めた後の苦労をこうして言葉にするのは、今こうして出来ているといっても私にとってはやはり筆舌に尽くしがたいものです。先に少し述べましたが、徒手空拳で人生の荒波に立ち向かっていかねばならない厳しさは容赦無く家庭に襲いかかります。
 子供にも、自分の判断が間違っていた事を正直に打ち明けなければならず、ただでさえ思春期の息子と母親とは意思の疎通が難しくなるところを、親としての私の評価は、「信頼できる人生の教師ではなく、どんな間違いをしでかすかわからない信用のおけない人間」となってしまい、更に親子関係を維持する事が困難な状態へと追い込みました。
 その後、聴いたところによると、夫の下で育てられていた二男の場合、「何でも信じて簡単に飛びつく馬鹿な親のせいで、俺の人生は滅茶苦茶になった」と、吐き捨て、中学から引き篭もりを8年経過した後、突然行方不明になってしまったそうです。
 今は26才の3男と母一人子一人で暮らしているものの、その3男も全くと言っていいほど心を通わせようとせず、こちらが一生懸命近づいて行こうとしても心を閉ざし、かろうじて就職し収入は得ても、パチンコ等ギャンブルに費やす有様です。

 何をしているのか、親なんだから、そこは子供の為にもキチンと注意した方がいいだろう、と、皆さん仰られる事でしょう。勿論それは重々承知しております。しかし、自分の選択が間違っていた、というショックとその負い目は、息子達に毅然とした接し方をする気力すら削いでしまいます。この会場の中にはきっと元証人でお子様をお持ちな方もいらっしゃるでしょう。恐らく皆様方はこうした部分を既に乗り越えておられるのでしょうが、同じ親の立場で私のような者がおり、家庭があるという事もどうかご記憶頂ければと思います。「転んだら、立ち上がればいい」、言うのは簡単です。しかし、人によってはそれが取り返しのつかないつまずきな事もあるのです。
それ故に、このカルト問題が、社会全ての人にとって決して軽視すべきなものでは無い事、解決は早ければ早い程良い、と言う事を皆様に、そしてこの集会を聞く事になる全ての方々に強く訴えたいと思います。

 私はこうして年金を貰える年にはなったものの、月4万5千円の年金ではとても生活できず、宅配便の配送の仕事をしています。老いた体にこの肉体労働はとてもきつく、重い物を持つ事により全身の骨格が曲がってしまいました。毎日体の痛みは取れないですが、今の経済状況では満足な治療を受ける為に通院するお金と時間が無く、又、この世間の不景気では私のような立場の者が仕事を選べる立場でもなく、ボロボロの老骨に鞭打って働く結果、体調は更に悪くなる、という悪循環です。毎朝、目覚めて直ぐに痛みが走るのに耐えきれず、夜、眠りにつく時「このまま目が覚めないでくれたら」と、願う事がしばしばです。

 
精神的にも私自身、多くの悩みを抱えています。先に述べた通り、自分の選択が間違っていたのを知るのは本当に辛い事でした。人生の終盤に差し掛かって、自分が幸せになるためだと思い込んで努力してきた事全てが実は全くの無意味である事がわかり、この年で喜びも充実感も無く、ただ一日一日を息も絶え絶えに乗り越え、死に向かって行くのは本当に苦しい事です。
 何より、親として、子供に良い物を与えようとして努力したのに、実はそれが毒であり、何にも役立ててあげられなかった事がとても不憫です。あの時もう少し注意深くあれば、子供達にこんな辛い思いをさせる事も無かったのに、と後悔する余生を送っております。

 私個人は現在、仕事の合間を縫って教会の牧師先生のところに通い、カウンセリングを受けております。おかげで幾らかの心の平安を取り戻す事ができ、見方を変えれば、エホバの証人時代は、子供を証人世界での模範的な子供にしようと、口うるさく過干渉の部分があったので、今は適正な距離に引き直す最中でもあるのか、と考えている次第です。
高い道徳規準を持つ、と言われるエホバの証人ですが、結局それは共通のルールを守らせる事に於いては不必要な程に組織内で干渉し合っているだけで、逆に他の人に真の関心を示しいたわる事については形式的でしかなかった事を理解しました。

 それでも、長年人生をかけてきたものが実は偽りだったとわかった時には、心がポッキリと折れてしまったようで、その後はただ日々を生きるのに精いっぱいになってしまいました。年のせいもあるでしょうが、以前はあれほど何をするのも意欲的で、自分の思い込みではあるものの神を身近に感じていると信じ、毎日が充実していたのに、今は仕事と家事以外全く何も手につかず、考えられない状態です。
 また、以前にエホバの証人で教えられた教義は根強く頭に残ってしまっており、今の教会でカウンセリングを受けていますが、どうしてもエホバの証人と比べてしまう事が多いのです。牧師さんからは「まだものみの塔の思考を引きずっていますね」とやんわり指摘されます。

 対処方法がはっきりとわかり、その上で落ち着いて考えられる時間があれば、これほど無駄にもがく事も無かったのかもしれませんが、やはり毎日の生活に追われると、そうもいきません。エホバの証人として生きる生活は、あまりにも全身全霊をかけてのめり込ませるので、一度それを辞めると、別な生活に移り変わっていく、もしくは立て直す力も使い果たしてしまっている事に気づきます。

今まで私もこうした被害者の会の幾つかに出席させて頂きましたが、その中で語られているのは、エホバの証人の教義が如何に間違っているか、どのように説得するか、という話が多かったです。勿論、それを信じる事が果たして「是か非か」が肝心なのですから当たり前ですが、どうかエホバの証人問題は脱会させて終わりではない人の方が多い事、キリスト教の信仰を新たに持つことがゴールである、という結論にはならないで頂きたいと切に願います。
証人は将来の備えをしない生活を送らされてきた故に、辞めた後は今度は世間の荒波と戦わねばならない二重の苦しみが待っています。敢えて苦言を呈す形になりますが、今脱会活動の中心となっている元証人の皆様がたで、実際に自らが一家の大黒柱となって働かねばならない主婦の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか? 勿論、ゆとりが無ければそうした活動ができないのも判ります。しかし、是非どうか被害者の中には私のような環境の者もある、いや、多い事に目を向けて頂き、どのカルト被害者のご婦人にも、その傍には必ず安定した収入を得ている夫が居る訳では無い事を改めて認識して頂きたいのです。
現実に、聖書を読んだだけでは、祈っただけでは解決されない事はあまりにも多いです。まして信仰で空腹が満たされるかと言えば尚更です。どうか、そうした必要にも目を向け、脱会して教会に導ければそれで良し、とはならないようお願い致します。


カルト問題はそこをどう辞めるかではなく、そこからどう普通の世界に戻っていくかこそが本番だと思います。こうした自分の経験をたまに他の人に話すと「もう辞めたからいいだろう。いつまでもこだわるのはかえって良くない」と事情を知らない方は仰られます。ですが、そうではないのです。カルト信者はある意味一生の被害者であり、それは治る見込みの無い持病を抱え、生涯発作を抑える薬を飲みながら生きて行かねばならない状態だと思います。

救済にかかわる牧師や教会の皆様のお働きには、心から感謝申し上げます。もし、それが無かったら、今頃の私は迷わず死を選んでいた事でしょう。ですが、敢えてその上に申し上げたいのは、カルト被害とは信仰の傷だけでは無いのです。ある種世俗的な悩みかも知れませんが、明日はどうやって子供に何を食べさせようか、というのを毎日心が擦り切れる程悩む苦しみもあるのです。
どうか、これからは心の傷を癒す事の他に御言葉とは関係無い分野でのカルト被害者への生活支援や社会復帰の具体的なノウハウ等、個々の家庭環境も含めた上での救済活動が出て来てくれればいいと考えております。私は祈る事しか出来ませんが、どうか、これからの更なる救済活動が導かれますように。
 最後までご静聴頂き、真にありがとうございました。       



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