ものみの塔長老との2年間にわたる研究の経験と内容

原田昌樹師     

 家族にカルトが関わって辛い思いをされている方々がおられると思います。心から救出を願っています。私自身どうして二年半エホバの証人と関わりを持ったか、お話しします。
 私は20年ほど前、大阪でクリスチャンになりました。その頃、とても仲の良いいとこが居ました。その子がエホバの証人になったと聞いてとてもうれしく思いました。キリストの本などを送ってもらいました。エホバの証人を詳しくは知らなかったので、牧師に聞きましたところ、間違った組織だと知らされ、以後そのいとことは関わりを持ちませんでした。母が亡くなった時の葬式にもいとこは出ませんでした。私の結婚式にも出ませんでした。なぜ喜んでもらえないか分かりませんでした。私には教会にいながら、何か一生懸命しなければという思いもありました。私自身、講壇で語っている私と、そうではない私をよく知ってました。神が知っていたら、死んだら天国に行けない。妻も裏切っているという思いでした。自殺を試みた時もありました。聖書には「私の目にはあなたは高価で尊い」という聖句があります。そのときは、私は伝道師でありながら、神はげんこつを振りかざしていると捉えていました。
 エホバの証人の婦人二人が私の住みかに訪ねてきました。「ブッシュ大統領の行動をどう思いますか」と尋ねましたので、「大統領の気持ちが分からないのに言ってはならない」と答えました。何を信じているのか教えていただきたいと言いましたら、その女性二人との研究が始まりました。信じているものを知りたいというのがきっかけでした。研究を進めていくうちに喜ばしいメッセージではないメッセージが分かってきました。この私でさえ、一生懸命生きないといけないとか、何々してはいけないと思いこんでいました。笑顔、親切心、熱心さ――これらすべては平和を勝ち取るためのポイントだったのです。彼らの話の中には「努力」ということばが頻繁に出てきました。疑問が出てきました。教理に踏み込んだとき、一人の宣教師の女性の顔が引きつるのが分かりました。顔の血管が浮き出てきました。「そのような考えを言うのならもう来ません」と言うのです。その場は謝ってもう少し教えてくださいと言いますと、奉仕の僕というもう少し上の立場の人に交代しました。
 草刈牧師から指導を受けて研究していましたが、喜びのメッセージを伝えたければ同じ土俵に登らないといけないと聞いていました。私はその方々の土俵に登る決意をしました。どのような雑誌を用いても良いということになりました。また、自分の経験を話してください、信頼関係をつないでくださいと言われていましたので、私の経験を話すようにしました。私は駅前で宣教していましたがそれはポイント稼ぎのためではなく、傷ついた人々にメッセージを伝えたらいいなという思いからでした。教理ではなく、経験から言っているのでエホバの証人は答えられません。私には安らぎがあります。そのためエホバの証人は行き詰まります。その時からまた交代がありました。20年以上長老をしていたエホバの証人と代わりました。私は暖かさを求めていて教会にたどり着きました。エホバの証人になる人たちも暖かさを求めていてものみの塔にたどり着きました。私の場合は、苦しい経験と心の中から響いてきた声によって本物が分かりました。エホバの証人は組織から「何をしているんだ。そういうことはやめろ」と言われています。エホバの証人は私たちと同じ状況では、最終的なものを失う恐怖の中で逃げ場がどこにもないんだなと感じるようになります。
 輸血が研究として取り上げられました。私は、「聖書の中にそう書いてあるかもしれないが、聖書には、『あなた方はイエスのようになりたい』とあります。私もイエスのようになりたいのです」と言いましたところ、エホバの証人は資料を持ってきました。「輸血拒否は医学界にも認められていて、この通り、輸血をしないと書かれています。神は何千年前から分かっていて、それをエホバの証人が解明して輸血を拒否するのです」と言うのです。でも「私は、もしそこに赤ちゃんが死のうとしていて救急隊員が輸血が必要だと叫んでいるときに論文を発表している人を信じたくない。イエスなら赤ちゃんのために血を差し上げるでしょう。十字架で命を差し上げた方が血を差し上げないとは信じられない」と答えました。「イエスはどちらですか」と問いますと、ことばを飲み込み「おっしゃる通りです」と答えがありました。その時はその週に草刈先生が見える予定でした。その週の前に電話があり、司会者を交代すると言われました。その翌週に長老と奉仕の僕がやってきて、研究を止めましょうと言われました。それでも研究を続けたいと言いますと、「それでは王国会館でやりましょう」と言うのです。迷いもありましたが、返事もしていません。研究を司会していた元長老と会える見込みがなかったからです。
 私が感じたのは、草刈先生・高山先生のようなその道に通じている方々の協力は不可欠ですが、もっと大事なのは信頼関係を作ることです。妻や子供がエホバの証人であれば、家庭が本音で語り合えれば、そこに行く必要がなかったのです。私は不登校、家庭虐待、家出の子どもたちと会っていましたが、家庭が暖かければカルトがつけ込む隙がありません。そこが壊れているからカルトが入るのです。救出で大切なものは、議論や教義以上に、人として大切な道に戻ることです。キリストの言葉ですと、愛がなければ何の役にも立たないのです。相手を理解しようとする、何が起きてもすべて受け止めることが家庭の中に積み上げられて宗教の疑問が本音で語り合えると思えたとき、自主脱会、自然消滅、カウンセリングが起きてくると思います。これは今の時代にあって、私たちが見失ったものを思い出す一つの要素です。エホバの証人の家族の方の心痛を思うと、言葉がありませんが、あきらめないでください。その人らしい人格が壊されます。輸血拒否で命が絶たれます。家庭が壊されます。愛を持って理解して協力者と求めていただきたい。私は結婚しても愛は分かりませんでした。学ばないと分かりません。教会で愛とは何かを学んでください。愛が分からなければ愛せません。


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