被害者体験談

 今日は妻と来ました。辛い思いをされている方々は多いと思います。私の場合は短く、一年前からの経験です。短い間に家庭が大きくゆがんでしまいました。信仰的でない部分もあり、わかりやすいので、多少なりともお役に立てればと思います。

 わたしの心は今日の天気のように重く垂れ下がっている状態です。私自身、エホバの証人の教えから離れ、正しくキリスト教を学ぼうと歩んでますが、妻も一緒に学ぼうという姿勢を示し、逆に私を助けようとしてますが、まだ解決できない部分もあります。そのため、オカルトと言われようが強力な、宗教を看板にしたグループに振り回されてしまうというもろさがあります。解決するかどうかは別にして気付いていかなければ新しいカルトに同じ目に遭ってしまいます。なぜカルトに走ったのかは大きな問題です。私にとっても、家庭にとっても課題です。

 これからいきさつを話します。私は一年前、研究生を3ヶ月やりました。家庭で訪問を受けて、毎週1、2時間、聖書や出版物をもとに研究しました。8月、横浜の地域大会に自分で足を運びました。印象がさわやかで新鮮、無理のない姿にのめりこみました。私は仏教の信仰の篤い祖父母のもとで育ったので、仏教的なことを重んじ、拝み、感謝する生活をしてました。実家から離れていますので、位牌はないのでそれで霊友会の誘いで過去帳などを作り、拝んでいました。もちろん、生まれてから生活に溶け込んでいて自分の弱さを感じていて、不満を持っていました。本心から没頭できない、人にあたってしまう短気な性格は直りません。酒で問題を起こしたりしますがなぜそうなってしますのか反省します。キリスト教は受け入れませんと言っていましたが、10年前から回っているエホバの証人からもらっては捨てていた雑誌を手にして開いたら心を救ってくれそうな部分を目にし興味をもちました。聖書を学んでいくことが受け入れられ、学んでみようかなと聖書もくださいと話しましたところ、すぐさま聖書をもらいました。一時期かなり没頭しました。「今度はこれも読んでみませんか」と言われた本は毎日電車の中で読んでました。読みにくかった本ですが3回ほど読むととても納得できました。学んでみませんかと言われ自宅で学ぶようになりました。8月の地域大会以来、仏教関連のものをすべて片付け、神仏の札を片付けたいと妻に言いましたら、妻が驚き、家庭の中が破綻をきたしました。

 

妻からのコメント

 夫が急に変わってしまいました。研究には首を突っ込まないで見て見ぬふりをしていました。今までやりなさいと言われたものが何の相談もなく片付けられ、「あれは間違いだった」と言われ、また聖書のエホバ神が本当の神で正しいとも言われました。それで話し合いをしました。エホバの証人=輸血問題が気にかかってました。私が、「事故に遭って輸血しなければならなくなったら、助けたいあなたが必要だから輸血をします」と言いますと、「気持ちだけは受け取ります。しかし輸血は絶対にいやです。輸血したらおしまいになるから輸血はしないでください」と言われました。そのひとことですべてが崩れ落ち、エホバ神の死を選ぶのかと思うと悲しさと悔しさと怒りに駆られました。そこから始まってクリスマスや誕生日を祝うなとか、すべて一つ一つが気になってきました。神前結婚式もおかしかったといわれると、勝手な解釈だなと思いました。怒りを覚え、泣いて、もだえ、一晩を過ごしました。次の日、夫は何も変わりません。そのため、すぐに夫の父親に電話をして相談しました。夫の親は一生懸命寺に奉仕しているので親に言うしかないと連絡したところ、すぐ飛んできました。両方の親を交えて話し合いをするのですが、今まで見たことのない能面をし、無表情です。人の話を聞いていない、時間が過ぎるのを待てばいいという態度が見えました。私には涙しかありません。今ではマインドコントロールなどが分かってきましたが、そのころは知りませんでしたから、主人が勝手に変わった状態でした。それから私の心の中は、憎しみ、恨み、悲しみが支配し、顔をあわせれば結婚生活20年を元に戻して返してくれと、こんなふうになるんだったら一緒になるんじゃなかった。結婚して同じ方向を向いていると思って結婚したのに途中で相談もなく変えるんだったら夫婦生活は成り立たないから返してくれ、できないなら私をこの世から消してくれと夫に食ってかかりました。義父と父母が家に来る前に司会者に電話をしました。夫がこうなったのはどういうことかと尋ねると、すぐに伝道に来た人と来て3時間くらい家の中で話し合いができました。何が嫌いなのかたずねられましたので、すべて嫌い、輸血、神仏の拝み方、すべてについておかしいと答えました。日本では宗教の自由があるんです、妻であっても夫の意志を曲げられえないというのです。こちらの世界がサタンだと言っておきながら、この場でサタンの世の中の法律を持ち出したので非常に悔しくなりました。夫の意思を大事にしろと言うのなら、妻の意思はどうなるのか、と問い詰めると黙ってしまうのです。何も答えません。それでは別れるしかないのですねと言うと、聖書では離婚は認めませんと言う。腹が立ったのは、わけのわからない人たちに付いていった夫に対してです。なぜ気づかないのか腹が立ちました。そんな調子で2ヶ月が過ぎました。顔を合わせればけんかです。あなたの後ろにサタンがいますと言われるんです。サタンが悪の道に導いているんです、だからあなたと大事な子どもたちをサタンから救いたいのです、だから一生懸命勉強しているんですというのです。こんなに一緒に生きてきた者にサタン呼ばわりするのか、非常に憤りを感じ、悲しみ、泣きました。心の中では悲しみしかなく、外出もせず、仕事に行くのでも耳にはヘッドフォンをし、下を向いて歩き、涙が出ました。仕事場でも涙が出て、どうしてこうなったのか、人には迷惑をかけてこなかったし、幸せだけを願ってやってきたのになぜこんな思いをしなければならないのかと思いました。私を責める人もいました。夫をほったらかしにしたあなたが悪いとか、夫と仲良くしなければよかったのにとも言われました。20年経つと、夫が酒乱になるとか、普通に話しても怒鳴ったりするので、私の中で壁を作ってしまって、できれば話をしたくない、そっとしておきたいという気持ちで毎日暮らしていたんだと気が付きました。何度も話し合いをし、研究を止めてくれないかと言いますと、9月一杯ならいいと言いますので年内までとお願いしました。夫は司会者と相談すると答えるので、腹が立ちました。司会者と夫婦で会いましたところ、司会者も同意したので12月まで研究を中断することにしました。

 

再び夫からの発言

 

 今思えば自分でもふざけた人間だと思います。心を救う、家族を救う何かがあると感じてましたので妻を置いてきぼりにして妻がエホバの証人の教えの中に入ってこないのは自分の責任だと思うくらいで、早く救ってあげないといけないと感じていました。何を言われても、サタンが必ずいるんだ、悪は外からも入って来るんだと素直に受け止めていましたのでここは我慢かなと思いました。いつもなら怒鳴り散らすのですが、身勝手な屁理屈を盾にしてもなぜか我慢ができました。自分なりに学ぶことができるのかと思い、これは間違いがない、自分は変われるんだという気がしました。私はビジネスの世界ではよくとも、心の中は三歳から成長していない自分であり、単純だったので、これが自信にもなり、家族のために辛抱しようという強い意志を持てました。嫌いな母が出てきて、非常に嫌いなことを言われました。育て方が悪かったとか。それでも冷静に受け止められ、多勢に無勢でも冷静に対応できました。今までなかったことです。入ってしまうとがんばれてしまいました。ものみの塔に誘うために(研究を)我慢したのが自分たちを救うことになってしまいました。

 一ヶ月はがまんしましょう、年内は集会に行かないと無理がない、年末には教会にも行きましょうと言われましたが、しっかりした教えだし、キリスト教会は職業的な部分があって形骸化している。行ってもかまわないだろうという自信がありました。そこでエホバの証人のほうへ妻が入ると思うと、ここが山場だと思って祈っていました。家族とともに真理の中に堅く立ち続けられますように祈ってました。何かが通じたのかなとも思います。

 

妻からのコメント

 

 9月、10月は辛い日々が続きけんかが絶えず、離婚しようかなと思うと苦しく、体重が減っていく毎日でした。誰から見ても病気でした。食べれなくとも食事を作ってました。夫はエホバ神に祈っていました。辛い体で作ったんじゃないと思いましたが耐えました。夫からはいたわりの言葉がなく、知らん顔でした。子供は三人ですが、娘がケーキを買ってきてくれました。「ご飯が食べれなくても甘いものなら食べれるでしょう」と言ってくれました。食べるまで2時間もかかりました。娘からの愛情と思い、食べました。コンサートに足を運び、「祈り」というタイトル、男女の別れの歌を聞いていました。そのころ、自分のことしか考えないで、すべて夫のせいにして攻撃することしか考えていませんでした。しかしその歌を聞いていて夫のためにという気持ちはなかった、愛してなんかいないな、何で一緒になったんだろうと考えるきっかけになりました。相田記念館に行って来て、「……してやっているのに」ということばを聞いて、「……思ったのに」という私の状態を作ったのかな、自分の反省をしていけなかった部分もあるなと思い、変わりました。エホバの証人が来て私を心配してくれました。泣きながら議論して、夫が止めてくれるのが一番といいますと、信仰の自由、本人の意思を持ち出します。離婚してもいいと周りから言われますと言いますと、離婚を勧めるのは本当の人ですかと返ってきました。どうしてそうなったのか考えないのか、誰がそうさせたのか考えないのかと言いますと、夫がいけない、聖書には妻を大事にしなさい、慰めなさいと書いてあります、やさしく抱きしめないといけませんと返ってきました。隣を見ますと、夫が下を向いてうなずいてました。能面の顔をして一言もしゃべらなかったのに、こちらの人の話だけは聞く、これはもうだめかなと思いました。

 上の娘が隣に座り、息子も隣に来て肩に寄り添ってくれました。夫が抱いてくれたのとは大きな違いでした。夫からサタンだと言われても、子供たちを見てると、これでいい、私は間違っていない、「間違いだ、サタンだ」と言われても喜んでサタンの世に住もうと思いました。背後で私を支えてくれる、助けてくれる、話を聞いてくれる人がいます。もう別れようと決めました。そのころ、たまたま恩師が亡くなりました。夫は弔い酒だと言って酒を飲みました。それを見て、これは宗教ではなく、人のせいだと思い、実家に言いますと、もうしょうがないと言ってくれました。両親を呼んで話し合いをすることになりました。別れると決めると高校の先生の言葉を思い出しました。愛情で救おうとしたが亡くなった人がいました。医師からは愛情だけでは救えないと言われたそうです。もしかしたら愛情だけじゃないんだ、でも専門医ってなんだろうと思いました。初めてインターネットで第12回の被害者集会の報告を読みました。こんなにも被害者がいるんだと分かり、早速、連絡先にたどりつき、電話するのに迷いましたが、夫の父母と夫と話し合いをして被害者の会の話を聞いてみないかと話しました。耳をふさいでいるだけだから、オウム真理教は麻原を神と崇めているし、あなたたちも外の世界からの話を聞かないでしょう。外からの話を聞かないんですかと夫に問いますと被害者の会の話も聞きましょうと答えが返ってきました。自分が間違っていないからどんなところにも行けると思ったのでしょう。牧師と会ったときはもう救われると思いました。先生は「賛成する人は行くときは行くからそのときはあきらめなさい。許せるなら一緒に行ってもいいし、どういしてもいやなら別れればいい」と言ってくれました。私の中で一人で苦しんでいましたので非常に救われました。別れても救われる気になり、一緒にカウンセリングを受けることになりました。今でも週一回、礼拝に出られるときは一緒に参加します。組織から抜けた夫とどう向き合わなければならないか、夫の気持ちをどうしたらいいかというためにも一緒に学びをする大切さを知ることができました。家族が一緒の朝食をしていて家族五人が笑顔で食べているとこれが忘れていた安らぎだったと感じます。たまたま、いい段階で救われ、導いていただけましたので感謝してます。今苦しんでいる方々や、辞めた証人たちの周りの人はなかなかケアしてもらえません。どこにあるかも分かりません。愛情を持って愛で救われると思えるんですが、愛がサタンとして返ってくるときの傷は、その立場になった人でなければ分からないんだと思うと非常に悲しくなりました。そういう人たちも救われるよう、皆さんにお願いします。私でも手助けできればありがたいと思います。

 

再び夫からの発言

 

妻には感謝しています。二回目に親が上京してきたとき4人のそれぞれの両親に対して、私への思いやりを妻が逆に責めてきました。何にも分かってくれないとはっきり言ってくれたので、救われてなんでも聞いてみよう、教会に行ってもいいといいました。行っても自分の正しさを正してみるべきだという気持ちがありました。教会の牧師先生との会合では説教を垂れるのかなと思ってましたところ、やんわりとしてゆとりを作ってくれましたので自然と、話を伺いましょうとなりました。この辺が直接会話をする親ではなく、第三者としての心遣いのせいで、自分の目にふさがっていたものが見えるようになりました。自分の願いを聞いてもらえたと思います。

 


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