元証人の体験談

 

 私は九年間、エホバの証人でした。今年の4月9日の救出されました。主人は、救出活動をされている方々に支えられてきました。何はともあれ、まずそのことにお礼を申し上げます。エホバの証人との研究のきっかけは次のようなことです。次女は先天的な聴覚障害があると分かりました。三重県に住んでいましたが一宮にあるろう学校に通学する準備を始めました。車で20分でいける夫の実家に同居することになりました。引っ越しして数日後にもう、エホバの証人が訪問してきました。そして研究が始まりました。聖書を学ぶのがきっかけでしたが、未知の土地で人恋しいという心の隙がありました。ろう学校では子どもと一緒に訓練を受けました。多忙な生活でしたが、週一回の研究をしました。これは真理ではないかとは思いましたが、証人になるには抵抗がありました。新興宗教であり、怪しい感じがしてました……大学に入らせないといった方針、世の子どもと遊ばせない、週に五つの集会出席――毎日が忙しくてその上、体力が無く、出るのはとうてい無理でした。

 研究は知らないことを学べると言うことでそれだけは続けていました。

雑誌を熱心に読んでいると、ハルマゲドンが間近いという感じがひしひしと感じられてきました。雑誌にはうそがまったく見つからない、集会には行きたい、だけど証人にはなりたくない、そうすると良心がとてもとがめるようになります。真理を知っているのに行動しないために自分を責めるようになります。うつ病になりました。その兆候はその頃にありました。ハルマゲドンの恐怖で不眠になりました。そのころ、子どもとともに小児科で不眠の診察を受けました。医師からは見透かされていました。消極的で好きなことをやっていないからそうなったんだと診断されました。的を射た診断でした。しかしそれは人間の考えだから医師の甘い言葉に惑わされてはならないと思いました。今思えば、そのころ好きなことをやろうとして研究を止めていればよかったのにと悔いが残ります。

集会には出なくてはと思ってはいました。手始めに日曜日の集会に出ますととても歓迎されます。証人は自分の生活を犠牲にして熱心な聖書研究をしてました。こんな組織がほかにあるのだろうかと考えました。熱心であって、世界で一致している組織がほかにあるんだろうかと思いました。全部の集会に出るようになると楽しくなりました。

 97年にバプテスマを受けました。その二年後、長女はいやがって集会に出なくなりました。拘束されるのはいやだと考えていました。娘が楽園に行けなくなりますから、母親としてはショックを覚えました。子どもに教えられなかった、失敗をしたと考え、落胆しました。長老の奥さんからは「子どもを教える熱心さが無いわね」と言われました。その頃から、会衆は正直で親切な人たちばかりだと思っていたのが、実は、会衆はねたみや裁きにあふれているんだなと分かるようになってきました。それでも、しかし組織の真理、教えを疑う状態にはなりませんでした

 長女が集会に出なくなりましたから、次女を連れて手話会衆に出るようになりました。その会衆は自動車で一時間かかったところで全部のプログラムが手話でやっていましたから、神権用語も手話で読みとれるように努めました。それでも込んでいる名古屋市内を進むのはとてもストレスになりました。

 新しい会衆との交わりとてまストレスになりました。手話の会衆には優秀な兄弟が集まっていました。陰口、ねたみが全くありませんでした。自動車に乗ってろう者を訪ねる過激な奉仕がありました。

 ある日、夏風邪を引いてからそれが治らなくなりました。寝たきりになりました。よくない病気にかかったのではないだろうかと深刻に考えますが、37℃の微熱が続いて下がりません。手話会衆に出てエホバのご意志をしているのにどうしてそうなのかと考えました。よくなったかなと思って、奉仕に出るのですが、実際はうつになっていました。

 家族は納得いきません。夕方五時過ぎに家を出て十時過ぎに帰宅します。書籍研究も王国会館でします。家族が憤るのも無理ありません。2004年、うつ病についての「目ざめよ ! 」の記事がありました。うつは霊的病気ではないと書いてあって奉仕を休んでは行けないんだと思いました。

会衆の中にも元気そうでもうつ病になっていた姉妹がいました。組織に入っていたためにそうなっていたんですが、世の中が悪いからうつはしょうがないと言い合ってました。医師には正直には言えませんでした。半分、奉仕でストレスがたまっていますと言えば、休むようにとの答えが返ってきます。精神病を患って元気がありません。エホバの証人を隠して受診するとか、宗教の話を避け苦労しているといた話をしていた。エホバの証人ですとは言っていたが学校のPTA に出ただけで気分が悪くなるんですとか、三者懇談で冷や汗が出るといった関係のない話をしていました。エホバの証人活動がうつの引き金だとは医師から見抜かされていました。体が回復するような提案を祈っていました。家族からは奉仕と集会出席を責められるからストレスになるんですと医師に申しますと、医師からは「宗教を休んだら」と言われました。休んだらいいなとは思うのですが信仰を休む証人はいないはすだと思い直していました。楽園までうつのままで我慢するのかと思うと、信仰を休むことのあり得ないのだと決意してしまってました。

 そのころ、夫は教会にも王国会館にも出席していました。今年3月の公開講演は「油注がれた者」でしたが、夫は教会のほうが話が易しくて分かりやすいこころが癒されると言っていました。でも私は教会には行けないし、教会員の話も聞けない。でも牧師が訪ねてくるなら話を聞いてもいいと言いました。それからは聞く聞かないの終わりのないけんかになります。長女は、長老を家に呼んで夫にも話をしたのに教会の話を聞かないのはおかしいと言いました。それで草刈牧師を呼んで話を聞くことになりました。

 長女は離れていきましたから、かわいくないと思っていました。親子の関係が悪くなります。

 エホバの証人の家庭で親は奉仕の僕、証人が二人の家族がいました。そこには放蕩息子がいました。その子は、深夜の三時に交通事故で亡くなりました。どうしてそんな悲劇が起きるのでしょうか。家出の原因は分かりませんがエホバの証人の家にいたたまれなくなるのは予測できました。長女の命がなくなるのは嫌でした。でも、楽園に連れて行く思いは変わりませんでした。ですから夫と口論になったとき、娘の言い分を聞き入れました。草刈牧師の話を一日だけ聞くという条件でした。それがもう一日と言われたとき、次の日には海老名で手話の巡回大会が予定されていました。夫がしつこく食い下がり、娘にも責められ、聖書の改ざんを指摘されました。二日目、偽りの教えだと認識しました。

 決断したとき、名古屋の手話会衆の人たちの顔が浮かんできました。でも偽りの組織にはもういられないと感じました。リハビリを受け、間違いを理解できました。長女との関係はよくなりました。それでも、次女は信仰を続けると言い始めた。交わりが大事、教理は二の次、三の次。人を裏切ってはいけないと、一人で電車で王国会館に出かけます。集会に出ますし、大会にも出ています。霊的な話をすると目をつむります。でも、忍耐と愛を示さないといけないと思っています。次女が組織から離れる決心をするか予想できないのですが努力しているところです。

 


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