人権擁護推進審議会に

制度設計の視点を問う
―「上から」でなく「下から」の発想を ―


人権フォーラム21事務局長 山 崎 公 士
(新潟大学法学部教授)

  人権擁護推進審議会は、永田町用語で淡々粛々と、一見快調に審議を重ねている。海外調査をやり、各種人権団体のヒアリングも精力的(?)にこなし、いよいよ春から実質的審議に入る構えとみえる。しかし、日本国内での人権侵害の現地実態調査や地方公聴会(司法制度改革審議会は大阪で実施予定)に取り組む気配はない。法務官僚が敷いた路線に乗って、駆け足の海外調査とヒアリングで集めた情報をもとに、あとは紙と鉛筆で官製“人権擁護ワールド”を構築しつつあるように思われる。

  昨年7月の教育・啓発施策に関する人権擁護推進審議会の答申はさまざまな立場から、種々批判された。なかでも、国民相互の人権意識が高まれば日本の人権状況は良くなるという「お上(かみ)」の立場からの人権論は、審議会の基本姿勢を端的に示した。この答申では、公務員自体が人権侵害を犯す可能性は正面から検討されなかった。もっとも、審議会への第一諮問事項は、「人権尊重の理念に関する『国民相互の理解』を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本事項について」(鍵カッコは引用者)であり、諮問事項自体に、「上(うえ)からの」視点が埋め込まれていたといえる。こうした審議会の体質は、救済施策の審議でも変わらないであろう。

  ところで、河上肇は1911年の論文「日本独特の国家主義」の中で、西洋の天賦人権、民賦国権に対し、日本では天賦国権、国賦人権であると分析し、「現代日本の最大特徴は其の国家主義に在り」と喝破した。西洋では、天が人に権利を与え、民衆が国を作るのに対し、日本では、まず天が国に権利を与え、そののち国が人に権利を与えるという構図を鋭く批判したのである(篠原敏雄『市民法学の基礎理論』参照)。審議会の体質を見ていると、90年近く前の日本の分析が、残念ながら、現在にも当てはまるような気がする。

  では、「上からの」視点を基調とする審議の結果、救済施策に関しどのような答申が出てくるのだろうか。いくつかの点が危惧される。

  第1に、従来の制度設計の方法を踏襲し、統治者の立場から人権侵害被害者の救済施策を考えるため、人権侵害の被害者になりがちな市民の視点が見落とされかねないことである。統治者→非統治者という、いわば国家主義的な視点で設計される制度では、弱者の思いは満たされない。公害、薬害、環境、消費者保護、等々の場面で延々と言われてきた問題点が、今回もまた繰り返されるのだろうか。

  人は誰でも、まず生物として生存し、また人間らしく自由に生活したいと願っている。しかし、世の中にはさまざまな不当な邪魔や困難が待ち受けている。これら不当なものをはね除け、生身の人が生まれながら持っているものを守るための法的な砦が「人権」である。「人権」は天賦のものとして人が皆持つもので、決して国賦のものではない。この当たり前のことが、制度設計のすみずみに行き渡るだろうか、が第2の危惧である。

  現行の人権が関連する法制度は実に多岐に渡り、すべての省庁が関わりをもつと思われる。しかし、法務大臣だけが救済施策の諮問を行い、法務省が審議会の事務局を担っている。こと「人権」と名の付く行政はすべて法務行政という、恐るべきタテワリ体制が厳然と存在する。はたして審議会はこの現実を本当に打破し、総合的な救済施策を打ち出せるのか、が第3の心配事である。

  以上の3点を打破するのは至難と思われる。人権フォーラム21は、「上から」でなく「下から」の視点で、「タテワリ」的でなく総合的な人権政策や制度のあり方を現在検討している。総合的な視点からの制度構想には、相当の力量が必要とされよう。しかし、幸いなことに、人権フォーラム21は若くて元気な実務家や研究者のネットワークを築きつつある。人権フォーラム21に集うさまざまな人権NGOの経験や知識をもとに、こうした人びとの努力を結集して、具体的な人権政策の提言を行っていきたい。


 

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