人権救済制度の答申に対する意見書

2001年6月6日
社団法人 日本新聞協会

 人権救済制度の在り方に関する人権擁護推進審議会の答申に対し、日本新聞協会の意見を表明する。
 審議会が先に、メディアに対する強制調査制度を含む「中間取りまとめ」を発表した際、日本新聞協会は意見書を出し、新聞・通信各社が長年にわたり人権意識の向上に貢献してきたこと、報道による人権侵害を防ぐためにさまざまな自主努力を重ねていることを訴えた。今回の答申では、メディアによる人権侵害は強制調査の対象から外されたが、答申はなお多くの問題点を残している。
 まず、人権侵害の類型として「メディアによるもの」を「差別」「虐待」「公権力によるもの」と同列に扱っているのは、極めて遺憾だ。国民の知る権利に奉仕するというメディアの使命や、人権問題におけるメディアの貢献を十分に評価していない。
 また、強制調査の対象からは外したものの、「プライバシー侵害」や「過剰な取材」などを「積極的救済」を図るべき対象と規定しており、制度の運用次第ではメディアの取材・報道活動が制約される懸念が強く残る。
 たとえば、取材が「過剰」かどうかは、公人、私人の別やその記事の公共性・公益性などを考慮して総合的に判断されるべきものだが、「過剰」の線引きが行政機関である人権救済機関の恣意的判断にゆだねられる可能性があり、その結果、国民の知る権利にこたえるための「熱心な取材」「粘り強い報道」にブレーキをかける危険が生じる。さらに、調査過程の公表を通じて被害者救済を図るべきとしているが、公表は必然的にメディアに対する制裁の性格を帯びるため、行政による報道への不当な干渉につながりかねない。
 人権救済機関の政府からの独立性も依然、不透明だ。答申は「政府から独立性を有し、中立公正さが制度的に担保された組織とする必要がある」としているが、一方で「法務省人権擁護局の改組も視野に入れて、体制の整備を図るべきである」と述べている。これで中立公正さが確保できるのか、はなはだ疑問である。
 われわれは、取材・報道によるプライバシーの不当な暴露や誤報による名誉棄損、被害者を集団的に取り囲む「包囲取材」など、当事者らを不当に傷つける、いわゆる「二次被害」はあってはならないと考えている。
 しかし、メディアによる人権侵害の問題はやはり、メディアの自主的努力で解決することを基本とすべきだ。仮に取材・報道活動が制約されてメディアが委縮するようなことになれば、国民に提供される情報が細るばかりではない。メディアが人権問題で果たしてきた役割を考えれば、人権擁護のうえでもマイナスとなる。
 日本新聞協会は昨年、新聞倫理綱領を改定し、その後、加盟各社は第三者によるチェック機関の設置など新たな取り組みを相次ぎ実行している。われわれは今後もこうした努力を重ね、改めるべき点は自らの手で改善していく決意である。
 以上を踏まえ、人権救済制度の法案化に当たっては、「人権救済」の名のもとに取材・報道活動が不当に制約されないよう、報道の自由に十分配慮した制度がつくられることを改めて求める。
 さらに答申全体について言えば、答申は、各種行政処分に対する不服申し立て制度があることなどを理由に、公権力による人権侵害は一律に積極的救済の対象とすべきではないとした。しかし、不服申し立て制度があり、全国に約1万4000人の人権擁護委員が配置されているのに、なぜハンセン病をめぐる人権侵害は放置され続けたのか。答申は、公権力の人権侵害に対し既存の制度が十分機能してこなかったとの認識が不足している。公権力の人権侵害こそ積極的救済の中心的対象であり、厳格な対応が行われるべきである。


 

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