緊急声明
「放射能の脅威を事故をもって知る愚かしさ」

埋葬の村
チェルノブイリ原発事故前は
ここに大勢の人たちがいた・・・
東海臨界事故10月1日発表文
東海臨界事故10月5日発表文
東海臨界事故・大内 久さんの死を悼む
東海臨界事故・篠原さんの死を悼む
今井澄さん(JCF理事)を送る
東京電力だけの問題だろうか
9月30日、茨城県東海村(株)ジェー・シー・オーにて、ウラン濃縮作業過程で、臨界事故が起きた。作業に携わっていた3人は、高レベルの放射線被曝により、千葉の放射線医学総合研究所で治療を受けている。
また、付近住民は緊急避難によって、不安な一夜を過ごした。
事故原因の解明から今後の対策策定への早急な取り組みと、何よりもまず周辺住民の安全対策を十分に確保してほしい。
住民にとっては、小さな事も不安の材料になり、過剰反応に陥り易いので、あらゆる手段を講じての情報伝達とコンタクトを、マスコミと行政に願う。
報道の中で「起こり得ない事故が起きた」という表現があったが、人間のすることにどうして「起こり得ない」事がありえようか。原子力エネルギー開発に関して、この様な妄信と視野狭窄があったのではないだろうか。
また、核燃料サイクル政策による、MOX燃料がフランスから搬入された直後にこのような事故が起きた事は、ますます原子力に対する私たちの不信感を増幅した。
原子力による国の安全対策がこのようなものだったのかと私たちは事故をもって知ることになった。
JCFは、現地情報の収集と専門家との連携によって、今後の動きを検討して行く事とする。
1999.10.1
日本チェルノブイリ連帯基金
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9月30日、茨城県東海村核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所にて、ウラン加工作業過程で、臨界事故が起きた。作業に携わっていた3人は、高レベルの放射線被曝により、極度にリンパ球が減少し、現在幹細胞移植などの治療を受けている。
また、350m以内の付近住民は緊急避難によって、コミュニティーセンターで不安な一夜を過ごし、10キロ圏内では、屋内退避が勧告された。現在避難勧告は解除され、人々は日常生活を回復したと報じられている。しかし、日本国内初の臨界事故に対する人々の不安は大きい。東海村村内3ヶ所で行われている健康診断の様子も体表付着線量測定のみのようである。事故発生から、避難勧告まで4時間かかっていることから、近隣住民の方たちには、体内被曝線量の測定もすべきである。
今回の事故は、加工会社のずさんな安全管理、手順を変更した違法マニュアルによる作業など、放射能の危険性に対する認識の欠如への責任は重大だ。それは、安全管理不十分なまま推し進めようとしている国のエネルギー政策の無謀さも浮き彫りにした。
被曝した人の合計は49人と発表されているが、正確なモニタリング結果がわからず、被害の規模は予断を許さない。更に、事故直後から茨城県産の野菜・魚介類は市場で値下がりしており、一般市民は、不安感が増長するばかりである。正確な情報と安全管理を行政に要求する。
1986年にウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原子力発電所の大爆発事故の被災地に医療支援を中心に活動してきた日本チェルノブイリ連帯基金は、放射能災禍に苦しむ人々と課題を共有化し、二度とこの様な事故が起こらない社会を共に構築していくことを目指している。ベラルーシの被災地住民の不安は東海村の方たちが今感じている不安と重なってくる。8000キロ離れた、それも、連邦崩壊までは情報の無い旧ソ連邦の国々のことを日本で伝えて行く難しさを抱えてきたが、この事故が起こって、国内での危機意識を共有化するという愚かな悲しさにやりきれない思いがある。
人間のする事に絶対という事はない。日常的な安全管理、非常時の対応。国と地方自治体、各事業所の緊張した対応が必要だ。
こんなに狭い日本で51基の原発が稼動している。もしもの事故は原発だけではない。私たちが過剰享受している電気エネルギーの約30%が原発から供給されている。搬送する人、加工する人、発電所で働く人、さらに再処理施設で働く人、危険な最前線にいる人々によって成り立つ私たちの生活を見直したい。
核エネルギーは危険なままに最終処分されている。プルトニウム再処理システムは核爆弾製造にも繋がる危険性を孕んでいる。
今、JCFができることは何か。
住民の立場から、放射能の基本的知識・事故が起きないように企業と行政への点検要請と情報公開・もしもの時の被害防止マニュアルの作成を計画している。
放射能事故は人災です。どんなにOA管理、機械化されていても人間のすることです。
科学の限界を知り、謙虚に暮らしを見直したい。
1999.10.5
日本チェルノブイリ連帯基金
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東海臨界事故・大内 久さんの死を悼む
9月30日、東海村核燃料加工会社でおきた臨界事故で大量の放射線をあびた大内さんが亡くなられた。
大内さんの受けた線量は人間の致死量をはるかに超えていた。東京大学医科学研究所附属病院での造血幹細胞移植により、白血球が増えていると聞いても、皮膚や内臓の被害は深刻なので、まったく予断を許さない状態にあると、私たちは緊張して見守っていた。この間、付き添うご家族の方はどんなお気持ちであろうかと痛みを感じてもいた。
一方、大内さんへの一連の治療経過が報じられる中で、強い憤りがあった。
国の原子力エネルギー政策を進めるために「国内の事故で死者を出してはならない」というような愚にもつかない国の威信をかけた治療が行われているように思われてきた。
東海臨界事故もまた被害を受けたのは、59人の作業労働者と周辺住民だった。86年のチェルノブイリ原発事故とは、事故の性質が違う事を踏まえた上で、被災地に医療支援活動をしているNGOとして思う。
血の通った人々の生活を置き去りにした科学技術・その上にある国策で、被害を受けるのは、いつも一般市民である。私たちは、ベラルーシの半永久的に汚染されてしまった大地に暮らす人々の、不安のため息を強制移住で職を失った男性、子育て中の母親、たくさんの人々から聞いてきた。
日本での不幸な事故は、チェルノブイリにつながる。
大内さんの死が、モスクワのミチノ墓地に眠る消防士達につながる。
国家という名の下に、個人の命が抹殺されてはならない。私たちは、大内さんの命を 「安心して暮らせる社会」を共に作って行くためにつないでいきます。
合掌
1999年12月22日
日本チェルノブイリ連帯基金
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東海臨界事故・篠原さんの死を悼む
昨年9月の東海村JCO臨界事故で大量の放射線を浴びた、篠原理人さんが今朝亡くなりました。昨年12月に亡くなった大内さんに続いて、二人目の犠牲者となってしまいました。ここにご冥福をお祈りします。
奇しくも昨日(4月26日)は、チェルノブイリ原発事故から14年目にあたります。放射能被災地では、いまだに高濃度に汚染された大地は残り、健康被害や健康不安に苦しむ人たちが大勢います。
こうした悲劇が二度と起きないように、チェルノブイリや臨界事故で亡くなった方たちの死を真摯に受け止め、核や原子力の利用を根本から問い直して行かなくてはいけないのではないでしょうか。
2000年4月27日
日本チェルノブイリ連帯基金
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1995年5月、ベラルーシ、ゴメリのツーリストホテル。第29次訪問団で初めてチェルノブイリを訪れた今井澄さんは、思い入れ深くロシア民謡を歌ってくれました。東大闘争と地域医療、今井先生の歩んで来られた道はなんと激動に満ちていたことでしょう。9月1日早朝、先生は静かに息を引き取られたそうです。JCF設立以来、参議院議員としてのお立場から、JCFと厚生省・外務省の橋渡しをしていただきました。息をお引き取りになる前にも「ワッショイ、ワッショイ」と言われていたと。先生のデモはずっと続くのでしょうか。
どうぞ、安心して暮らせる社会に少しずつでも変わっていけるよう、「ワッショイ、ワッショイ」と私たちを励まして下さい。ご冥福をお祈り申し上げます。
2002.9.5
日本チェルノブイリ連帯基金
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1980年後半から10数年間にわたって、点検記録が改ざんされ続けてきたという。新潟県刈羽村では、この夏、地域住民対話集会が開かれ、住民投票で否決されたばかりのMOX燃料が、また導入されるのか、と危惧している矢先だった。刈羽原発だけではなく、福島原発でも削除項目を指定して、改ざんが行われていた。
「たかが炉心隔壁のひび」と侮ったのか。国の原子力推進政策に対して、不安材料を呈することができなかったのか。この事件で、国と電事連の関係が露呈された。原子炉での小さなひび、小さな水漏れがどんな大事に至るか、関わった人たちには痛みがなかったのだろうか。
私たちJCFは、チェルノブイリ原発事故によって、地図から消された村を訪れてきた。電気の恩恵とはほど遠いつましい生活が根こそぎ奪われた村人たちと言葉を交わしてきた。彼らのため息を日本で伝えようとするとき、国や組織は私たちのもの、住民のためにはなっていないと思い知らされる。
小さなトラブルがどんな大事故につながるか計り知れない。いま、矢面に立っているのは、東京電力だ。だけど、他の事業所には問題がないのだろうか。すべてを明らかにした上で、原発と私たちの暮らしについて検討したい。
2002.9.10
日本チェルノブイリ連帯基金
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「あきらめない」
前作「がんばらない」で日本中を感動させた鎌田實、待望の第2作が1月24日発売です。
著者は、「がんばらない」より5倍はインタレスティングにしあがった、と申しております。
前作を読まれた方も、まだ読んでない方も、是非、ご一読下さい。事務局も「あきらめない」で続けていこうと思っております。
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4.26 チェルノブイリ・メモリアルデー
安心は共につくるもの
4月22日、「ロシアのミャンツェフ原子力相が”事故当時、放射能汚染を抑えるため建設した建物が崩れつつある”と述べ、放射能漏れの危険性を警告した。」と報じられた。
石棺の隙間から多量の放射性物質が放出していることは、これまでに何度も伝えられてきた。
この時期に、このようなコメントをロシアの原子力相が何故発表するのだろう。
2000年12月に原子炉の火が消されて久しい。しかし、その後チェルノブイリ原発の解体工事が始まったとのニュースはまったく聞かない。
日本では、東京電力が原発17基全部を停止し、点検、修理するという。
昨年来、相次いで炉心隔壁のひび、検査データのねつ造が発覚し、原発についての安全神話は失墜した。原子力安全・保安院は「補修せず運転しても、5年後までは安全性が保てる」と判断したが、問題の解決にはなっていない。
私たちは、これで安全を信じ、安心できるだろうか。否である。
原発を止めての検査計画と結果は、地元民に説明されることになっている。しかし、その一方で、このまま止めていれば、夏の電力不足は950万キロワットにも上ると盛んに喧伝している。私たちの市民意識をくすぐろうとするかのように。
原発を止めた時がチャンスだ。止めたままでも私たちは暮らしていけることを示そう。便利さばかりを追う暮らしを見直してみよう。
原発は一度作ってしまったら、事故を起こしてしまったら、取り返しのつかない負荷を環境、生き物達に与えることを、チェルノブイリの石棺は物語っている。
86年4月26日の大爆発事故を報じた小さな記事は、その後の莫大な被害の端緒だった。
事故から17年間、放射能漏れは続いている。
JCFは今年度、JCF講座で「原発にたよらない暮らし」を皆さんと考えていきます。
マリアちゃんに元気を届けます!

ベラルーシ共和国ミンスク国立小児血液がんセンターに入院中のマリア・クリシタポービッチさんの治療のために、兵庫さい帯血バンクからマリアちゃんとHLAが適合するさい帯血を輸送することになりました。
さい帯血移植の前に全身放射線治療など難しい課題がありますが、現地医師と信州大学医学部小児科医師との協力で、マリアちゃんの快復を願ってJCFも緊張感あふれるさい帯血輸送を行いました。
5月10日、信州大学医学部の医師と事務局長神谷は兵庫さい帯血バンクから受け取った小型コンテナに冷凍したさい帯血を持って、成田からミンスクのセンターに向けて出発、12日ミンスク国立小児血液がんセンター到着しました。センターのオリガ医師、ナターリャ医師が、140度の冷凍庫を冷やし準備していてくれ、コンテナから冷凍庫に移し、ほっとひと安心です。

13日、再び治療に入るために再入院したばかりのマリアちゃんとおばあちゃんに面会しました。かわいいジーンズのスカートで、「こんにちは!」と声をかけると、おばあちゃんの後ろに隠れようとします。「このこは、はずかしがりやなんですよ」とおばあちゃんはマリアに挨拶をうながします。
日本のたくさんの方々がマリアちゃんがよくなるように応援しています。今度さい帯血も運んできました。できる限りのバックアップをします、と伝えました。
16日、お母さんが、仕事を休んで、病院に来ていたので、日本からの応援を伝えました。しかし、主治医から難しい治療であることをすでに聞いていて、とても不安だという。必要な薬品などできる限りのサポートを約束し、ミンスクを後にしました。
また6月21日(土)佐久の勤労者福祉センターで「アレクセイと泉」マリアちゃん基金支援上映会が行われ、上映会に参加された皆さんからの寄付をいただきました。これからもたくさんのみなさんの応援をつのり何とかマリアちゃんの移植を成功させたいと思います。

ベラルーシでチェルノブイリ事故の除染作業に関わった消防士や汚染地に暮らす人々から聞き取りをし記録した「チェルノブイリの祈り」の著者スベトラーナ・アレクシェービッチさんが来日されます。国内のチェルノブイリ支援団体が連携し合って、全国で講演会を計画しています。
JCFは10月15日、松本市あがたの森文化会館講堂でJCFセミナー「チェルノブイリの祈り」を開催します。
・第1部
<トーク&メッセージ>
スベトラーナ・アレクシェービッチ
鎌田實
・第2部
<講談:チェルノブイリの祈り>
神田香織
たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。
詳細はJCFセミナーのページをご覧下さい!
マリアちゃん逝く
全国のたくさんの皆さんから応援をいただき、治療支援をしてきましたベラルーシ、ミンスクの国立小児血液がんセンターに入院していたマリア・クリシタポービッチさんが、10月18日朝、永眠しました。
10月3日に、さい帯血移植を行い、経過を見守っていました。 9日、突然感染症のため危篤状態になったと連絡が入りました。連日衛星通信で様態を聞き、主治医のユーリー先生、センター長のオリガ先生と日本の信州大学医学部小児科の先生たちと治療について話し合われました。現地にはない抗生物質を緊急で送ったり、なんとか頑張ってほしいと祈るしかありませんでした。 両国の専門医が、額をつき合わせてマリアの快復に力を尽くして下さいました。
悲しい報告を皆さんにお伝えしなければならないこと、とても心が痛みます。 皆さんが「マリアちゃん がんばれ!」と寄せて下さった思いは、おばあちゃん、お母さん、そして主治医に伝えて来ました。寄付金で購入した医薬品は、手持ちで届け、使っていただきました。
クリーンルームのベッドで、ニコッと微笑みながら手を振ってくれたマリアちゃん。瞼に映るマリアは「さようなら」とは言っていません。 |
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母のぬくもり
2003年12月29日、タチヤーナ・シュミヒナ先生が、永眠されました。ゴメリ州立病院小児血液病棟のベッドでした。13年前、チェルノブイリの子どもたちの被害を心配し、小児科から独立させた血液病棟です。「この病棟は、JCFと共に作ってきました」。彼女のこの言葉がどんなにうれしかったことでしょう。
91年の出会い以来、「私たちが、ここで子どもたちを治療します」というシュミヒナ先生を、JCFは日本から応援してきました。
訪問日程を作りながら、「シュミヒナに会いに行こう」といつも思っていました。そこにあなたがいたから、あなたが頑張っているから、自然に私たちの想いはベラルーシに飛んでいました。
あなたの机上にあるたくさんの子どもたちの写真。あなたが抱いてくれたたくさんの人たち。 どんな場面でも、あなたはき然と、そして満面の笑みで対してくださいました。
「次に会うときは、働いているわ」この3年間、繰り返された言葉です。
また、日本からみんなで来ますね。
「春には、仕事をしてるわね」 そう。ベラルーシにはあなたがいます。
母のぬくもり 大地のふところ 清澄な大空
★鎌田理事長の「タチアナ先生へのレクイエム」もお読み下さい。
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4.26 チェルノブイリ・メモリアルデー
1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所が大爆発事故を起こしました。
この日をメモリアル・ディに、JCFは支援活動から学んだことを、皆さんにお伝えし、語り合う「ベラルーシの食卓」というイベントを、4月24日松本市中央公民館で開催しました。
留学生たちによる料理とベラルーシの紹介、事務局からチェルノブイリ事故とJCFのこれまでの支援活動について、そして現地の子どもたちとの交流を続けている方のお話も聞きました。
詳しくはセミナーのページをご覧下さい。
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己の如く
地球上で何百回と繰り返された核実験、戦争で使われた劣化ウラン弾など、放射性物質によって生き物たちは非常な負荷を負い続けています。「ヒバクシャ」が世界共通語として使われるようになったグランド・ゼロー長崎の地に立って、「ぼくたちは、どこに行こうとしているのだろう」と思いを馳せます。
ぼくたちの立っている社会と環境の有り様に絶望し、得体のしれないものに絡め取られていく不安を感じる今、一人の気骨ある科学者・医師である 永井 隆博士が、ぼくたちに歩み行く方向を示して下さっています。「たゆまぬ探求と錬磨によって、科学は生きるもの達への安心と安全に寄与すること」、「慈しみあう心につながれた個々の生きる営みが、地上に満ちること」と。
第5回「永井 隆」平和記念・長崎賞を受賞する栄誉をいただき、チェルノブイリの被災地で出会い、闘い、信頼を深めた方々皆で8000キロの時空を超えて、喜び、励まし合っています。
チェルノブイリ医療協力を通して学んだたくさんの事を、永井隆先生の指し示すところに活かしていこうと思います。長崎からのエールに応えるべく、歩んで参ります。ありがとうございました。
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<イラク支援に関する報告会>
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8月にイラクの隣国ヨルダンの首都アンマンで医療者会議を開きました。子ども達に白血病が急増しているのにも関わらず、薬品や医療資材が慢性的に不足していると、イラクの医師から聞きました。会議で見えてきたイラクの医療現場 から、今、私たちに何ができるか、鎌田實JCF理事長が報告します。
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「鎌田實講演会 〜いのち・チェルノブイリからイラクの子どもたちへ〜」
●日時: 11月7日(日)13時30分〜15時30分
●場所: 長野県庁 講堂
●主催:鎌田實講演会実行委員会
●共催:長野県・長野県教育委員会
● 連絡先:日本チェルノブイリ連帯基金(0263-46-4218)
宮本 弘美 080-3208-3267
喜多 英之 026-234-2116
「鎌田實講演会〜いのち・チェルノブイリからイラクの子どもたちへ〜」はたくさんの方に参加していただき、無事終了しました。
●日時: 2004年11月26日(金)午後6時半〜8時半
● 会場:カタログハウス本社セミナーホール
(東京都渋谷区代々木2-12-2)
●講師:鎌田實さん(諏訪中央病院管理者)
●定員:200名
●参加費: 1000円(イラク医療支援に寄付します)
●主催:JIM-NET
●共催:カタログハウスの学校
「カタログハウス特別セミナー」はたくさんの方に参加していただき、無事終了しました。

「雪とパイナップル」発売!
JCF理事長・鎌田實の心あたたまる感動の絵本
ピュアな心をもった大人たちと
優しい心の子どもたちに贈ります
文:鎌田實
画:唐仁原教久
発行:集英社 定価:1500円+税
97年の2月だった。ベラルーシの児童に対して初めて行われた末梢血幹細胞移植という白血病治療。ベラルーシと日本の医師、看護師、衛生検査技師、メディカル・エンジニア、みんなで一人の少年の命を救うために検討が重ねられた。少年の母は「この子にとって、最後のチャンスです」と日本の医師たちを信頼してくれた。無事に終わった時のエレーナお母さんの安堵の涙は忘れられない。そばで父のバロージャさんもほっとされていた。…しかし、きびしい事だった。何回かの緊急事態を皆の協力で乗り越えていった少年アンドレイは2000年7月に、天国に旅立っていった…。「亡くなった」という報告をすると、鎌田先生は電話でこう言われた。「うまくいった時はいい。そうでない時、残された家族に会って話すことが大切なんだ」。病気と闘っている時のアンドレイ。小康を得て、外来通院をしているときのアンドレイ。いつもそばに母エレーナさんがいた。
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2002年春、アンドレイの家族を訪ねることになった。暖かく迎えられた居間には、まだアンドレイの思いでの品々がたくさんあった。鎌田先生の「残された家族とお話をしたい」という意味がわかったような気がした。 お母さん、お父さん、妹のマリアの気持ちも伝わってきた。
そこで、思いがけない出来事がお母さんの口から語られた…。
「雪とパイナップル」
イラク戦争開戦の日に、ぜひ伝えたいことだった、と鎌田先生は言う。
”そこにいるあなたが、苦しんでいる。私は、何をしてあげられるだろう。”
弥生さんは、アンドレイのささやかな願いをくみとってくれた。 エレーナお母さんの胸に刻まれていた厳冬の日のあたたかなおもいやり。日本の看護師さんが、アンドレイと彼の家族、そして私たちをつないでくれた。
そして、この本を読んでくださるたくさんの方たちとをつないでいく。
治療中のアンドレイのさまざまな表情が思い出される。アンドレイ、ありがとう…。 |
<イラク支援に関する報告会>

「佐藤真紀講演会 イラクの子どもたちは今…」
●日時: 2005年 5月14日(土)13時〜14時30分
●場所: 松本市中央公民館(Mウィング4-4)
●主催:日本チェルノブイリ連帯基金
● 連絡先:日本チェルノブイリ連帯基金(0263-46-4218)
●参加費:無料
「戦争前にバスラの病院で会った子ども達が、今はほとんど死んじゃったんです」。
日本国際ボランティアセンターの佐藤真紀さんは、イラクの子ども達のおかれている情勢を憂えています。最近の佐藤さんからの便りにも、難民キャンプで火事があり、知り合いの子ども達がけがをしたり、亡くなったと書かれていました。
私たち、JCF/日本チェルノブイリ連帯基金は、JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)を組み、イラクの白血病の子ども達を救おうと活動しています。
私たちが出会い、つながろうとする子ども達、普通の人々が命の危機に面しています。佐藤さんが知り合った子ども達とイラク社会について、お話を聞き、私たちは何ができるかを考えましょう。
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佐藤真紀さんプロフィール
1997年より日本国際ボランティアセンター(JVC)の職員となる。2002年からイラク事業を担当し、白血病の子どもたちへ医薬品や医療機材を支援している。また、支援活動を通じて出会った子どもたちと、絵画を通した交流を行っている。
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講演会は、佐藤さんのお話と映像を熱心に聞き入る会場一杯の参加者の熱気にあふれる会になり、無事終了しました。
JCF講座<戦後60年企画>
鎌田理事長、笹森恵子さんに聞く!
広島・長崎に原爆が投下され、戦争が終わりました。
そして、60年。
キノコ雲の下で熱線・熱風に倒された笹森さんの人生は、筆舌に尽くせません。
「笑いと免疫力」という一冊が、いのちを問い続ける鎌田實先生と笹森さんの出会いを作りました。
笹森さんと鎌田先生が語ります。 戦争や核兵器のもたらす苦しみ、
そして新たな命に伝えていきたい強い思いを…
8月9日(火)19:00〜20:30
松本市中央公民館3-2会議室
「ヒロシマからチェルノブイリへ」は、夏休みの小中学生を連れたご家族での参加もあり、充実した素晴らしい講演会になりました。
講演会の様子はこちらからご覧下さい。
チェルノブイリ
医療協力と文化交流、15年の歩み
一ヶ月に渡るイベントは、たくさんの方にご参加頂き、無事終了いたしました。
ご協力頂いた皆様、応援して下さった大勢の皆様、ありがとうございました!
今年は、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所爆発事故から20年目となります。
また、1991年に設立されたJCFが15周年を迎える節目の年ともなります。
JCFは、原発開発史上最悪の事故であるチェルノブイリ事故に対して、汚染地住民の医療支援を行いながら、放射線被害の解明に取り組んできました。
また、汚染地に暮らす人々の暮らしを日本国内で伝え、事故が私たちの暮らしにどのような形で影響するのかを、市民の視点で考える活動を展開してきました。
写真家・映画監督の本橋成一は1991年から被災地(ベラルーシ共和国)に通い、放射能に汚染されてしまった“ふるさと”に住み続ける人たちをモチーフとした2本の映画と3冊の写真集を発表し、危険にさらされながらも 自分たちの生まれた大地で輝く“いのち”を表現しています。坂本龍一が音楽を担当した映画「アレクセイと泉」は、ベルリン国際映画祭でベルリーナ新聞賞・国際シネクラブ賞(2002)など様々な国際映画賞を受賞し、写真同様に世界各国で人々に感銘を与えています。本橋がこれらの写真・映像を撮るきっかけとなったのは、JCFと信州大学医学部による支援活動でした。
チェルノブイリと松本。かけ離れた両地を結びつける人の心が交錯した松本の地において、事故20年・設立15周年という節目の年に、・信州大学・信濃毎日新聞社・朝日新聞社との共催で、これまでの医療支援報告、講演会、写真展、上映会等を行いました。
未来に向かって安心で安全な社会をいかに創っていくべきなのか…、たくさんの皆様のご参加で共に考える場をもてたことを感謝いたします。
読売国際協力賞受賞
日本チェルノブイリ連帯基金が「第13回 読売国際協力賞」を受賞、11月1日に授賞式が行われました。
チェルノブイリの事故から20年、JCF活動15周年を迎え、年月の経過と共に、風化させることなく、チェルノブイリやイラクの子どもたちへの支援活動を続けていこうと思いを新たにしておりました。
そんな矢先の今回の受賞は 私たちを励まし、背中を押してくださるかのような気がします。
ありがとうございます。
これからも、応援してくださる皆さんと共に、多様な活動を展開していきたいと思います。
2006年11月21日、「ジュネーブ・チェルノブイリの会」のみなさんが、ジュネーブ在住アーティストに呼びかけ、チャリティー絵画展を開催してくださいました。
ジュネーブの中心地にある会場には、猪又由加さんを中心に、ピチエ亮さんらジュネーブ・チェルノブイリの会の皆さんが集まりました。
抱えてきた大きな手荷物が解かれ、絵画・華やかなチューリップを描いた焼き物・カード・瀟洒な折り鶴の焼き物が並べられ、正面には、猪又さんの描かれた特大号の花々が咲き乱れています。
あいにくの雨の中を、国連大使ご夫妻も参加され、チャリティーの集いが行われました。
ジュネーブに留学中の高橋さんのビオラ演奏は、曇った夕刻の空気を静めていきます。
チャイセレモニーのコーナーも開かれました。
ピチエさんの進行で、大使、山下先生、猪又さんのご挨拶となごやかに会が続き、その間に、赤色の売約印が付けられていきました。
作品の売上とご寄付は、チェチェルスク地区病院へのエコー支援に使わせていただきます。
事故から20年が経ちました。
しかし、汚染地に住み続けている人たちがいます。
ささやかなつながりを継続したいと思っています。
JCFの活動も、かつてのような大きなプロジェクトは、現地事情もあり出来なくなっていますが、放射線災害が半永久的である以上、細く長く現地に関わることがたいせつです。
続けていることで、新しい発見と出会いが結ばれていきます。
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