現在開会中の通常国会における政府提出法案として警察庁で準備されている「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律案」は、子どもおよび市民一般のコミュニケーションの権利を大きく侵害するものであり容認できません。国会に提出することなく廃案とし、子どもの適切な保護の手段について十分に再検討することを求めます。
コミュニケーションの権利(the Right to Communicate)とは、人と人がコミュニケーションを行うことについての権利であり、基本的な部分においては結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密といった基本的人権の成立する前提となる自由権であり、また全体としてはそれらに加えて情報社会に参加できるだけのコミュニケーション手段へのアクセスの保障といった社会権をも包含した、包括的な権利です。
この「コミュニケーションの権利」は子どもを含めた全ての人のための権利であり、2月28日までジュネーブで開かれていた世界情報社会サミット第2回準備会合において作成されたサミット宣言草案においても、基本的な人権としてうたわれるようになるほどに、近年、世界的に重視されるようになりました。
我々は児童買春の禁止について実効のある方法が求められているということについて否定しませんが、それらはコミュニケーションの権利は最大限に尊重し、日本国憲法の定める結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密といった基本的人権を損ねてはならないと考えています。
しかし、我々は今回の法案はそれらの全ての点について問題があまりに多いと認識し、また、コミュニケーションの質に注目して、その運用に必ず事業者が関与していることを前提とする、そういった法的枠組それ自体が、インターネットの発展を阻害するものだと考え、法案に反対するものです。
我々は具体的には以下のように考えています。
法案は児童の健全育成を目的としており、児童買春からの保護はあくまでも健全育成に従属するものとして書かれています。これは、限定された領域ではありますが、昨年自民党より提出が検討されながら未提出となったメディア規制法案のひとつ「青少年有害社会環境対策基本法案」と、同じ方向性を有しています。
このため、子どもが児童買春から保護されるのに必要な限りの規制を越えて、子どもを多様なコミュニケーションから刑事罰を用いて遠ざける法案となっています。
また、コミュニケーションに関する政策の意志決定への参加の権利も、コミュニケーションの権利だと我々は考えます。この点、日本が批准している「子どもの権利に関する条約」は「その子どもに影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利」を子どもに与えています。しかし、今回の法案について、影響を受ける子どもの意見を反映させるべく十分な努力がはらわれたとは到底いえません。
法案は買春であろうとなかろうと、「性交等の相手方となるように誘引」したり、あるいは「対償を供与することを示して」「異性交際の相手方となるように誘引」するメッセージを公に掲示したり、あるいは特定の相手に送信した児童に刑事罰を課すものになっています。これは子どもの権利に関する条約が「公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関」が主として考慮すべきとする「子どもの最善の利益」にかなうものでしょうか? たとえ買春の勧誘であっても子どもは処罰の対象とされるべきではありませんが、法案では買春と全く無関係の子どもをも罰しようとしています。
すでに多くの批判があるように、規制の範囲を決定する「インターネット異性紹介事業」の定義が極めて曖昧です。このような定義では、インターネット上でエンドユーザが集まってメッセージを提示して交換できるような枠組は全て含まれてしまいます。
法案は、対象サイト利用にあたって利用者が「児童でないこと」の確認を義務づけています。具体的な確認方法について国家公安委員会規則に委ねる形態をとっていますが、直接・間接に利用者の個人情報をサイトに提供することを求めていると考えられます。そして、各都道府県の公安委員会は確認義務の履行の確認のためにサイトに報告を求めることができます。報告内容は「必要な限度」でとされていますが、具体的な限定はありません。これらをあわせると、法案はインターネット上のコミュニティサイトの利用者の個人情報をあらかじめ公安委員会で把握できる体制をつくる根拠となる危険性があります。これは、インターネット利用者から匿名性を剥奪しようとするものです。
現実のインターネット利用においては、実際には利用者は期待するほど匿名ではありません。さまざまな技術で個人のネット利用は追跡されますし、不正行為を行えば多くの場合は通信記録から個人が特定されます。しかし、それでもインターネット利用の多くの場面では正確かつ詳細な個人情報をあらかじめ提示する必要がない、という程度にはインターネットでは匿名性・仮名性のコミュニケーションが可能であり、それらは利用者の保護のために有用に機能しています。
しかし、法案はそういった、限定された匿名性・仮名性の有用性を大きく喪わせる危険があります。
また、そのような環境ではコミュニケーションの全てが、実社会の存在と確実に対応づけられて情報として蓄積されていきます。そのような情報が漏洩した場合のリスクは、現状に比べてはるかに高いものになります。
公安委員会が事業者に求める報告の内容が規定されておらず、さらに「事業者」への是正命令のためにホスティング事業者やドメインのレジストラやレジストリに対して連絡先の報告を求めることもできるとされていますが、これらは裁判所の令状なしに行うことができます。これらは通信の秘密を含む可能性があり、あるいは現行法において通信の秘密と解釈されているものもあります。
また、法案において利用者への罰則となる「児童に係る誘引の規制」の対象は、公に掲示されるメッセージに限定されていません。従って、利用者間のプライベートなメッセージのやりとりについても罰則の対象となり、通信の秘密を著しく侵害するおそれがあります。
法案が広範囲のサイトについて幅広いメッセージを規制対象としていることから、これらは表現の自由を侵害しているといえます。
それにくわえて、この法案では国及び地方公共団体が「児童によるインターネット異性紹介事業の利用の防止に資する技術の開発及び普及を推進するよう努める」とし、さらにインターネット接続業者が「児童によるインターネット異性紹介事業の利用の防止に資する技術の開発及び導入に努めなければならない」としています。これは、具体的には、フィルタリングソフトと呼ばれるシステムの技術開発と導入に関するものです。フィルタリングソフトは批判的に検閲ソフト(censorware)とも呼ばれるもので、インターネット上のコンテンツについてコンテンツ内の語句や別に用意されるブラックリストなどをもとに閲覧を阻止するのがおもな機能です。ここでは「児童によるインターネット異性紹介事業の利用の防止」を目的と掲げていますが、データベースの内容によってより広範なコンテンツへ対応し、実際、フィルタリングソフトは多くの場合「有害コンテンツ」とされる、為政者や管理者が児童や従業員や国民に見せたくないものを検閲し排除するために用いられています。
努力義務によって一度フィルタリングソフトのインフラがあまねく広まれば、より広範な検閲は低コストに行われてしまう可能性がありますし、さらにフィルタリングソフトで実際に何がブラックリストとして用いられてるかが公表されることは一般にはありません。データベースの知的財産の保護やデータの悪用防止が理由としてあげられていますが、透明性と説明責任を欠いたシステムではいつのまにか多くの情報が検閲されているような事態も起こりえます。
このような問題のあるものを努力義務としてインターネット接続業者への導入を強制し、また国や地方公共団体に開発および普及のための財政支出を行わせるこの法案は、表現の自由を侵害するものです。
これまで述べてきたような歪んだ規制の枠組をもった法案は、インターネットのもつ可能性を大きく阻害します。インターネットの特質は、その上で自由にアプリケーションを展開して多様なコミュニケーションを構築できることになります。これは、ネットワークが厳密に独占的通信事業者によって制御され、1対1の音声電話という単一のアプリケーションが基本とされ、その他のアプリケーションも独占的通信事業者によってコントロールされていた、かつての電話ネットワークとは大きく異なります。自由なエンド・ツー・エンドのインターネットは、スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授が指摘するように、技術革新のための共有地(コモンズ)として機能してきました。
「インターネット異性紹介事業」を曖昧に定義し、それらに特定の個人認証アーキテクチャを強制していくことは、インターネット上のアプリケーションの自由さを喪わせ、発展を阻害するものとなります。この点、風俗適正化法の「店舗型/無店舗型電話異性紹介営業」の定義にならう提案がすでにいくつか出ていますが、それらはなお問題であると考えています。
電話のネットワークはエンドユーザが独自の機能を盛り込むことができない技術的に不自由なネットワークです。だからこそ、それを利用する「電話異性紹介営業」は、特別な機器と多数の電話回線を用意し、それだけのコストを回収して利益に結びつける営利事業として構成されることとなりました。一方、「インターネット異性紹介事業」は、いくら利用形態で定義を厳格化しても、それはきわめて安価に構成され、誰でも作ることができ、営利性は必要な要件とはなりません。法案は、そういった環境において得られるであろう、自由な創造性と実験を抑圧します。法案は、特定のコンテンツと利用形態に対して、「事業者が利用者の認証を行うこと」を強制します。インターネット技術を使って行われるコミュニケーションはそのような形態に限定されません。古典的な分散電子掲示板システムであるネットニュース、P2P技術を利用したメッセージ交換、さらには通信回線すら特定の事業者に所有されない無線メッシュネットワーク技術、こういった技術の上に誰にも所有されない「インターネット異性紹介事業」が出現したら、そのような技術はどう扱われるのでしょう?規制を満たすことができない技術ということで抑圧される可能性を憂慮します。
コミュニケーションの質に注目して、その運用に必ず事業者が関与していることを前提とする、そういった法的枠組それ自体が、インターネットのもつ技術革新のための共有地としての可能性を大きく阻害するものだと我々は考えます。
JCA-NETは、社会的、環境的、経済的正義、性による差別の克服を求めて活動し、持続可能な市民社会を形成する運動を情報通信技術を使って支援する通信NGOです。近年はとくにコミュニケーションの権利や情報社会におけるプライバシーと市民的自由の問題に取り組んでおり、1月に東京で開催された世界情報社会サミットアジア地域会合ではサイドイベントにおいてコミュニケーションの権利についてのプログラムを主催しました。なお、JCA-NETは国際通信NGOであるAPC(進歩的コミュニケーション協会)の日本におけるメンバーとなっております。
2002年に設立されたCPSR/Japanは,CPSR(Computer Professional for Social Responsibility, 社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会)の日本支部です.CPSRはコンピュータ政策が社会に与える影響について現実的な評価を提供し,技術的な自由度が高いコンピュータ技術を生活向上のために用いることを推進しています.