こんにちは、皆さん。ICANの龍田です。

ICANの日本在住メンバーも、7月18日宮地君(2〜3ヶ月滞在予定)が、
7月20日に赤星(7月24日に帰国)が現地入りし、僕自身は、8月18日
にマニラに飛びます(8月23日帰国予定)。

 今日は、日本の事務局の赤星が、7月22日、23日にパヤタスと
再定住地を訪問しましたので、それに関する報告をお届けます。

宜しくお願いします。

2000.8.8 ICAN 龍田 拝

<赤星の報告文>

訪問先:パヤタス、スモーキーバレー
                 
7月10日朝、パヤタス・スモーキーバレーにあるゴミ山が壊し、200名以上の死
者をだす災害があった。それから2週間近くたった今でも、ゴミ山に生き埋めになっ
た人は、数百人いると言う。

今回災害の被害をもっとも受けたのは、パヤタスB、phaseUと呼ばれる地区で、
1000家族、5000〜6000人が生活していた。内、20〜30%は、ゴミを
拾って生活するスカベンジャーである。以前は、ごみ山と住宅地(プロック5〜11
)を分ける小川があった。しかし、ごみ山が崩れ、小川を超えて住宅地のほぼ半分
が埋まってしまった。ここの住民には、1988、89年に政府の強制立ち退きでこ
こに移動してきたものもいるという。そのころのごみの山は、足首までしかなかった
という。

ごみ山が崩れるのではないか、以前から噂はあったようだ。災害のあった日も、家が
潰される前に家具類を運び出す途中で、災害にあった人もいる。しかし、正式な政府
からの避難勧告はなく、結果的にこれほどの災害になった。

2次的な災害もあった。道幅の狭いこの一帯には、救援隊の重機はなかなか思うよう
に現場に行けなかった。奇跡的に救出された人も、お金がなく、家族が病院に連れて
いけず、死んでしまったケースもある。現在も、ごみ山に埋もれている住民が、何百
人いるという。

ごみ山が崩れた先まで行く。
ショベルカーで、救助活動が行われていた。災害が起きた際、すぐに政府の救助隊が
かけつけたそうだ。それから2週間、現地に駐屯している。でも、実際にショベル
カーを運転していたのは、住民らしきかったけど。そういえば、救助にかけつけた軍
隊も、ごみ山からでる悪臭で、「くさい。くさい」といって、作業がはかどらなかっ
た報告もある。

私達に、酔っぱらった住民のおじさんが声をかけてきた。どうやら、私達の立ってい
るところに、家が埋もれてしまったらしい。家族が生き埋めになっていると言う。
ショベルカーに引き上げられた死体は、そのままビニール袋にいれて、バスケット
コートに安置される。災害直後は、そこで家族の死体を発見し、泣き叫ぶ住民で大変
だったそうだ。現在、住民達も落ち着き、支援物資の支給などお手伝いしてくれる住
民もいると言う。家族を亡くした直後でも、必死にお手伝いしてくれる住民に、とて
も驚いていると。現地スタッフの方が話してくれた。

<インタビュー>
 ミンダナオ、ブキットン出身の家族。ある住民のお母さんがインタビューに答えて
くれた。
(以下、お母さんの話)
子どもが3人生まれたあとに、溶接工の夫が仕事を探しにマニラにやってきた。19
88年の政府の、再定住地政策でパヤタスに移住した。災害が起きた時は、教会でボ
ランティアをしていて助かった。以前は、息子とともにごみを拾って生活していた。
Q. ごみが崩れると予想していましたか?
A. ここまで崩れるとは思ってもいなかった。去年のごみ山災害は、小川の手前だっ
  たが。今年はとてもひどい。朝5時頃に、崩れるとわかっていたが。。。
Q. 今、必要なものはありますか?
A. 支援物資はある。これからの生活が心配。子どもの教育費が必要。子どもの下痢
  の薬もない。
Q. 再定住地に移りますか?
A. 家賃がいると聞き(250〜350ペソ)、移る気はない。大統領が訪問した際
  に、こ の土地の権利は、全て以前住んでいたものに移ると聞いた。
Q. 現在、ガスや電気はどうしていますか?
A. 電気はメーター有。水は井戸から汲み上げている。

この家族は、NGOのマイクロクレジットで事業(物品の販売)を始めたが、失敗し
た。ごみを捨てることが禁止され、仕事が無くなった。家はコンクリートでつくられ
ており、この辺りでは、比較的しっかりしている。今回の災害でもっとも被害を受け
たプロック21の住民の家は、しきもの一枚ひき、壁も押したらつぶれそうなつくり
だったと言う。

避難所となっている学校に移動。インタビューしたお母さんも、昼間は家にいるが、
夜は怖いので、学校に避難すると言う。
約1000人を収容している。トイレは6つ。井戸から水を汲みシャワーする。教
会、市からの援助有り。ケソンシティーからの医療支援として、医者が2名派遣され
ている。医薬品の支給もある。
訪問時は、お昼時で、子ども達はお菓子を手にしていた。炊き出しも行われていた。
メニューは、いわしの缶詰、インスタントヌードル等。インタビューのお母さんは、
毎日、同じメニューで飽きていると言う。

訪問先:モンタルバン(リサール地区)、再定住地訪問

パヤタスから車で約30分。ライスフィールドが広がる自然豊富なところだ。ごみ山
で生活するより、環境は数倍いいだろう。空気もおいしい。
パヤタスの住民が、どこに住んでいるかわからなかった。住民達に聞いてまわり、
パヤタス出身だという夫婦に、突然インタビューを申し込んだ。

<インタビュー>
引っ越して一週間になるレアさんと、旦那さんの二人暮らし。パヤタスで家が火事で
焼けた。その時、家具を運び出そうとしている内に、中にいた子どもを火事で亡くし
た。
                
Q.家の内装はしても良いですか?
A. はい。でも、お金がない。雨漏りがする。
(アルミの屋根で、日中は相当熱いのでは)
Q.旦那さんは仕事をしていますか?
A. 以前は、漁師、建築現場で働いていた。今は仕事がないので、家の仕事をい
 る。今は、下の床が堅いので、背中を悪くし、教会の医療ミッションで、薬を
 もらいにいっている。資本金があれば、商売を始めたいと思っている。
Q.必要なものはありますか?
A.DSWD(社会福祉省)や教会から食事の支給がある。教会からガスコンロと、
 ガスボンベの支給があったが、補充のガスが無い。現在は、まきで炊いている。
 (インタビューのお礼として、ガスボンベをプレゼントしました)。
 必要なものは、45ペソ支払ってトライシクルを共同で借り、近くの町まで
 買い出しに行く。
Q。家賃がいるのは知っていますか?
A.知らない。ここには、わざわざ引っ越して来た人もいるらしいが、私達は、家を
 失い、たまたまアルファベット順で、この家を支給された。
Q。電気、ガス、水道は?
A.電気はまだない。ランプで夜は過ごしている。(前の家は、電気がついていまし
 た)水道はない。近くの水くみ場まで、汲みに行く。飲料水は、支給でもらった
 ペットボトル2瓶のみ。(これが無くなったらどうするの?)

<感想>
このような再定住地は、マニラ各地に4箇所存在すると言う。インタビューにもあっ
たように、電気、水道設備の整わないまま、定住地に引越す住民が多数いるが、これ
は、フィリピン政府が、早急な対応をしたと世論に実証したいためだと言う。
法律では、再定住地には、工場などを隣接して建設することが義務づけられている。
途中、工場建設予定と大きな看板が立っているそうだ。しかし。着工の兆しはないよ
うだ。まずは、再定住地の食料・ライフラインの確保、インフラ設備の改善、そして
雇用問題を考えていかなくてはならない。

スモーキーバレーは、災害以降、大統領の訪問を始め、国内外の関心が高まってい
る。私達が訪問した際も、NGO団体のボランティアらしき人(フィリピン人とはい
え、とてもこぎれいなので)が、現地を訪問していた。食料だけは、支援で送られて
くるので、飢え死にすることはないだろう。しかし、再定住地は、今回インタビュー
したレアさんのケースだと、食事は支給に頼るのみ、世論の関心が薄い再定住地に
は、いつ支給がストップするかわからない危険がある。そして、ここはマニラ市街か
ら遠い。当然、世間の関心も薄れていく。辺境の地には仕事も無い。ここの住民は、
またマニラ市街のスラムで生活するのではないかと思う。

政府の被害者への生活支援はどうなっているのか。まず被災者は、役所、福祉省等に
足を運ぶ。交通費もかかるだろう。そして、屈辱的なソーシャルワーカーの質問にあ
うのだそうだ。そうすると、めんどくなって、手続きにいかないそうだ。

以上 赤星 千晶