パヤタス活動記録(SALTからの報告を一部修正して作成)

(1日目)2000年 7 月 10日 月

パヤタス現地からの一報
パヤタスで大規模なランドスライド(ゴミの山の崩落)が発生。ルパンパガコ
のフェース2(ICAN,SALT,ACCEの支援地区)のルパンプロック5〜10の
被害が最も大きい模様。この地域一帯は、1988年・1989年に政府によっ
てケソン市のスラムエリアなどから強制移住により、希望の地(ホープラン
ド)として提供された再定住地である。

避難所の様子
 SALTセンター近くの小学校が住民の避難所に指定され、SALTとACCEの
メンバーがそこを訪問。3階まである小学校の1階の6教室が住民の避難用、
3教室が政府による支援センター(2教室が事務所・1教室が救護室)
にあてられていた。また、校内の廊下では食事の供給が行われていた。
医療面では、現在バランガイヘルスセンター・レッドクロス・ジャーマンドク
ター
がケガ人などの対する緊急の応急処置を実施。SALTセンター横の教会に
災害対策指令本部

現地での活動
午前8時過ぎに現地からの報告を受け、現場へ直行。ダンボール約15箱分の
衣料品(昨年ICANが送付したものが多数含まれる)をSALTセンターに配
送。
エリアコーディネーター3人から事情を聞く。エリアコーディネーターの1人
サイリルさんの家族を始めとし、周辺住民の多くが、死亡・行方不明・または
家の倒壊の被害に遭っている。スタッフの間で彼らの安否の確認を行う。
サイリルさんの娘は翌朝崩れたゴミの中から死体で発見された。
避難所の救護室にてどのような薬(応急キット含む)が不足しているか避難所
の救護室の医者に質問。
現在の段階で必要とされているもの:医薬品・食料・衣類・ダンボール(避難
所の床に敷く)

(2日目)2000年 7 月 11 日 火

パヤタス現地からの情報

災害発生から2日目。レスキュー隊400人が動員。SALTセンターの前に
あるバスケットボールコートにはレッドクロスとマリキナの本部、そして死体
の一時安置所が設置。ゴミ山から掘り出された死体が次々と隊員達
の手で運ばれて来る。近所のルパンパガコ小学校の他にバランガイホール
(公民館のような建物)、教会が避難所となっている。

避難所の様子  SSDDによる食糧援助が実施。
 給食の内容:朝 スープ、昼 ライス・ソーセージと豆を煮込んだもの、
夜ライス・おかず1品
(エリアコーディネーターによれば、ヌードルの配給ばかりで、
 調理の仕方が汚い。)

現地での活動
伊藤(ICAN)も参加。これ以降、現地のセンターにほぼ毎日詰める。タガログ
語(現地語)を使いこなすことができるため、住民からの情報収集や連絡に
威力を発揮。パヤタス全体の状況確認とサポートしている周辺住民の
安否再確認がスムーズになる。
医薬品提供(抗生物質・沈痛解熱剤・風邪薬・咳止め・傷薬・応急キッド)

今後の課題
被災者や被害の状況、行政やNGO、他の団体の動き方を見据えながら慎重に
動くことが大切。一時的な物質支援も大切であるが、被災者の今後数ヶ月、
半年先の支援(物資だけではなく精神的サポート)が重要なのではないか。

(3日目)2000年 7 月 12 日 水

現地での活動
1) 周辺住民の状況、個別詳細レポート
2) 避難場所での被災民の状況、不足物品の調査など
3) SALTセンターでの物品支給の指揮

(4日目)2000年 7 月 13 日 木

パヤタス現地からの情報
降り続く雨により避難所の床は水と泥でかなり不衛生になっている。
ダンボール・毛布が必要。
現在では小学校の3階までが被災者で占められる。家を失った家族以外に、
雨による二次災害を恐れて避難する人が増加。避難所に設置された
医療センターでは医薬品が不足。住民の不安が高まっている。

現地での活動
ACCEスタッフのロイーダとディンドンに現地へ向かってもらう。SAL
Tセンターに医薬品を求めて住民が訪問。

その他の活動
国内の日本人向けチャンネルWINSにSALTスタッフの小川恵美子・伊
藤洋子(ICAN)が出演。被災の状況と支援の要請を訴える。

(5日目)2000年 7 月 14 日 金

パヤタス現地からの情報
 避難家族数498(小学校のエバキュエーションセンター)、
 100(小学校横の教会)、崩壊した戸数300戸

 今までに避難所へ寄付した団体、個人数40
降り続く雨により倒壊した家の周辺が洪水の被害に遭う。その被害に遭った
家族が、新たにエバキュエーションセンターに避難。
死傷者の掘り出し作業はすでに手作業がなく、すべてショベルカーを利用。
大きな機材での作業では、いまだ埋まっている人達への繊細な取り扱いが
できないことは容易に予測された。

避難所の様子(ルパンパガコ小学校):被災者は合わせて12教室で生活。
各部屋は雑然とした雰囲気だった。救援支援本部に行き、物資の寄付を
受け付けているデスクで、被災者への支援として何が現在必要かと尋ねたと
ころ、明確な返答はなかった。こちらからの救援物資としてダンボールを寄付
したい旨を伝えたところ、自分達で配った方が良いと担当の女性は言う。
人手不足である事が予想された。
配り方はひとまず救援支援本部に一端段ボールを集め、そこに各ルームリー
ダーに取りに来てもらう方法をとる。ダンボールの総数は300枚。1教室20枚
を12教室渡す。余ったダンボールは比較的人数の多い部屋にスタッフが手分
けして配る。避難者によって取り合いの様になっている部屋や、リーダーが
手渡している部屋とその反応は様々だった。ダンボールは、直接床に敷くか
もしくはゴザの下に敷いたりしてクッションや保温に役立てている人や、ひと
まず自分の荷物の中に取り込んでいる人もいた。またボールで箱を組み立
て、自分の荷物を整理して入れている人もいた。また部屋によっては一箇所
に置いているところもあった。各ルームリーダーによってその反応は様々で
あったといえるだろう。しかし、ルーム10のみ、ルームリーダーが取りに来
た際に手渡した段ボール20枚の行方がわからなかった。

現地での活動
SALTセンターへ衣類・雑貨(ポリ袋4つ分)を搬送。
持参したダンボールの配り方について議論する。
エリアコーディネーターから被災状況・他団体の情報、その他具体的な話を
聞く。
避難者に対してフィリピン政府が代替地(再定住地)を設定。

その他
昨晩の番組を見た日本人からの問合わせの電話が約7件入る。
救援物資の集め先であるSALTスタッフの湯浅さん宅にダンボール約7箱
分の物資が集まる。
日本人対象の店に貼ってもらう、災害の状況のポスター作成。

今後の課題
本日の時点で被災者が必要としている物資
洗面道具・下着・クシ・タオル・ゴザ・シーツ・衣類(子供よう含む)・生
理用品・トイレットペーパー・食
器類・粉ミルク・哺乳ビン・おしめ

(6日目)2000年 7 月 15 日 土

パヤタス現地からの情報
1)大雨による二次災害の可能性確認。土砂崩れ左右に亀裂発見、
 危険区域内の住民も小学校に待避
2)マタイ(現ケソン市長)その息子に対して、下院、上院の公聴会が
 開かれることが決定、オンブズマンも調査開始を決定。新聞等で、
 マタイ一族がゴミ捨て事業から大きな利益を得ていた,と報道
3)ケソン市は、死亡者に10,000ペソ支給を約束したが、今のところ
 支給がない。
4)モンタルバン再定住地への再定住が開始された。居住権所有者
 及び非所有者に関わらず、アルファベット順に再定住が開始された。
5)プロック21住民(ゴミの山に隣接した家屋の住民)は、改装されて
 いない校舎に多く収容の模様
6)食料はSSDDによって提供されているが食器がない。持っていない
 家族は、持っている家族の食事終了後、それを借りている。

現地での活動
 食器分配のために受領者の確定方法を論議。住宅倒壊者を
優先することが決定。リスト作成開始

今後の課題
1)上記SALT-ACCE-ICAN(伊藤)の今回の事態に対する見解に関する
 全体論議、発展と共有化
2)大量の援助物資が予想される中で我々は何をするのか。
3)活動日程表の作成

(7日目)2000年 7 月 16 日 日
パヤタス現地からの情報
1)本日、3名が再定住地に移動したとのこと
2)昨日は、83家族のリストを作成した。その後避難所でカードを分配した。

現地での活動
 朝十時より食器、古着の分配開始

その他の活動
1)在フィリピン日本企業向け救援呼びかけ文作成、50社にファックス送付
2)被害者リストのファイリング
3)日本人対象に救援掲示をビデオレンタルショップ、日本食材店等で行っ
た。

(8日目)2000年 7 月 17 日 月
パヤタス現地からの情報
1)マリキナの救援部隊が撤収
2)医薬品の数が不足している。
3)住民から要求の強い援助物資は
 Tシャツ、ショーツ、長ズボン、サンダル、下着、洗濯石鹸、歯ブラシ、
 生理用ナプキン、紙おむつ、コーヒー、砂糖、ミルク、ダンボール

現地での活動
 湯浅先生現地視察 SALTセンター、被災場所、避難所
  現在まで作成された被害者リストは、家屋倒壊且つ全衣服及び
 家財道具搬出が出来なかった家族である。
 今後追加して家屋倒壊の被害者リストを作成する。

追加援助物資に関する論議
 SALTセンターには今週金曜日以外、伊藤さん(ICAN)が常駐
 救援物資は基本的に火曜日と土曜日にセンターで配給することを決定

その他の活動
 在フィリピン日本企業向け救援呼びかけ文作成、50社にファックス送付
 被害者リストのファイリング

(9日目)2000年 7 月 18 日 火
現地での活動
 WINS集積の物資を現地搬入、寄付金89,000ペソ受領、物資分配は土曜日

(10日目)2000年 7 月 19 日 水
パヤタス現地からの情報
 ガバガット医師バランガイヘルスからの要請
不足医薬品:
パラセタモール(沈痛解熱剤)、カルボシステイン(咳止め薬)、
サルブタモール、アモキシシリン(抗生物質)、メセナミック、
アムブロックソル

 昨日まで14家族がモンタルバン以外に移住。周辺に仕事はなく、
3家族が現地に行って既に帰ってきている。
カダマイ(住民団体)等は、フェーズ4へのリロケーションを要求している。

現地での活動
 湯浅先生(JICA)現地訪問
 宮地君(ICAN)現地訪問

<報道された被害の推移>
7月10日 死亡者  47 行方不明者 100 被災者数800以上
7月11日 死亡者  57 行方不明者 100以上 被災者数 800以上
7月12日 死亡者 105 行方不明者 100以上 被災者数 800以上
7月13日 死亡者 105 行方不明者 178以上 被災者数 1000以上
7月14日 死亡者 149 行方不明者 400-800 被災者数 2288(498家族)
7月15日 死亡者 159 行方不明者 400-800 被災家族数 498家族
7月16日 死亡者 173 行方不明者 400-800 被災家族数 567家族
7月17日 死亡者 187 行方不明者 400-800 被災家族数 567家族
7月18日 死亡者 200 行方不明者 400-800 被災家族数 567家族
7月19日 死亡者 205 行方不明者 400-800 被災家族数 567家族