BPOが「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」を発表


 BPOは、2008年4月15日に、「光市母子殺害事件の差し戻し控訴審に関する放送についての意見」(放送倫理検証委員会決定 第4号)を発表し、Webサイトでも公開しました。次のアドレスから閲覧できます。


    http://www.bpo.gr.jp/kensyo/kettei/f-index.html



「『光市事件』報道を検証する会」としてのコメントは、以下のとおりです。


 今回のBPOの意見書は、私たちが指摘した問題をしんしに受けとめ、「光市事件」裁判に関する多数の番組を検証し、それらがあまりにも画一的であることを「巨大なる凡庸」と表現し、番組制作者の側に猛省をうながしている。犯罪・裁判報道のあるべき姿にふれている点も評価できる。





















        その後の経緯 2

                             山際 永三

 「光市事件」報道を検証する会としての、その後の報告をいたします。

 別掲記事にもあるとおり、3月15日に東京四谷の主婦会館プラザエフにて集会を開くことになりました。弁護団は何を主張・立証したのか、報道された虚偽の事実と報道されなかった真実――というテーマです。

 私たちの申し立てを受けて、BPOでは審議が続いているようです。BPOは審議の概要をWEB上に公開しており、いわゆる透明性をアッピールしています。その点ではおおいに評価できるし、ほんとうにご苦労様と申し上げたい。

 第10回放送倫理検証委員会は、2月8日に開催され、「当面の議題となっている2案件(光市事件を巡る裁判報道 と 事件報道についてのシンポジウム)について、今後の進め方を中心に議論が行なわれた」としています。

  「◆議題1.光市事件を巡る裁判報道について

    小委員会で洗い出した問
題点をベースに、東京キー局全てと大阪・広
   島の局を合わせて8局に対
し質問状を送ったこと、また回答を受けてヒ
   アリングを行う予定である
ことが報告された。
    質問内容は、刑事裁判手続き、刑事弁護人の役割に
ついての理解、番
   組の作り方、演出、遺族会見・弁護人会見の取り扱い
など17項目。」

  「 各局への質問に対する回答が一般論でしか返ってこないことも考え合
   わ
せ、小委員会を拡大することも併せて、具体的に各局現場レベルから
   の
ヒアリングを行うこととした。」


とWEB上に記載されています。

 検証委員会での検証の進め方の概要が、私たちにも分かってきたのですが、テレビ界全体が非常に複雑な重層構造になっており、スポンサー・広告エージェンシー・テレビ局・下請け制作会社・制作スタッフが、長い間の力関係、慣習のしがらみのなかに存在してきたため、番組内容の検証と言っても、一筋縄ではいかないのであることがよく理解できます。電波の割り当て権限をもつ総務省(元郵政省)・政府・国会の思惑もからんでいるわけです。

 テレビ局編成の責任者・プロデューサーからの「回答が一般論でしか返ってこないこと」を重々承知しながらも質問し、「各局現場レベルからのヒアリング」を予定するとのことで、検証委員会とテレビ現場との話し合いがどれだけかみ合うか、期待とともに危惧を持たざるを得ません。現場は何か基準を持って日常の番組作りをしているのか、それは報道倫理基準なのか、それとも視聴率競争基準なのか、それを問うことからヒアリングを始めていただきたい。

 BPOのWEBでは、審議内容として、委員の名前は伏せたかたちで個々の発言の概要も記載されています(今回は7つの発言概要を記載)。これは最近の各省庁審議会などの情報公開のやり方と同様で、たいへんけっこうなことと思います。非常に見識のある発言も見受けられます。

 原則けっこうとほめておいて、すぐに批判するのはちょっと申し訳ない気もするのですが、なかには委員としての発言が、これではあまりにも情けないと思われるような発言も出ています。情報公開、そしてパブリックコメントのひとつと受け取っていただいて、少し批判をさせていただきます。


 発言概要のひとつは、次のとおりです。

  「・BPOが何をするか、基本的スタンスの問題だが、『たとえ間違った
    見
解でも発表すること自体は自由である』という基本原則に触れるよ
    う
な処理の仕方をすると大問題である。現在の司法制度のあり方、弁
    護
士のあり方などオーソドックスにはこうであるというのと、あり方
    そ
のものも批判されるべきであるというジャーナリズムの立場がある。
    批判の目を摘むべきではない。」


 確かにテレビ界が、「あるある大事典」の納豆ダイエット問題などで総務省から強力なプレッシャーを受けて、BPOを発足させた経緯から、試行錯誤段階でもあろうことが推測されるわけで、BPO自体の「基本的スタンス」がまだ明確になっていないのかもしれません。それでもとりあえず委員をやってくださいと言われてやっている委員諸氏にしてみれば、何を基本にしてテレビ局やその現場にもの申すのか、戸惑われるむきがあることはもっともです。しかし一般視聴者の立場から言えば、ともかく倫理検証委員会の委員を引き受けたからには、ご自分の見識にしたがって、ご自由に発言していただくしかないわけです。

 私は、その見識が「『たとえ間違った見解でも発表すること自体は自由である』という基本原則」というのであれば、それは酷すぎるではないかと批判せざるを得ません。『たとえ間違った見解でも発表すること自体は自由』というのが、報道の自由(国民の知る権利を保証するための)であるならば、それは自己矛盾もはなはだしいのであって、国民に嘘を提供してもいい、あとは受け取る側の判断だということになってもかまわないと言われるのでしょうか。虚偽を放送してはいけないと、放送法にも明記されています。この委員は放送法を否定する立場で委員を引き受けているのでしょうか。

 私はこの委員に、「見解」が「間違っていた」と判明した場合はどうするのですかと問いたい。「間違っていた」と「発表」すればそれでいいのですか。テレビにしろ新聞にしろ、他からの指摘なしで、自ら間違いを認めて公表した実例がどれだけあるか、研究してみたいです。「発表の自由」「表現の自由」を言いたいのであれば、それは、権力の検閲・弾圧に抵抗しての発表・表現の場合をいうのであって、一般的な(商業的な)発表・表現に短絡させてはいけないと思います。

 司法制度や弁護士のあり方に対してジャーナリズムが、いくらでも批判していいと思います。私たちは、そんなことをするなと申しているわけではありません。問題は、その批判の内容であり、方向であり、真実性です。批判が虚偽に根ざしている場合には、訂正してくださいと申し上げているだけです。

 この委員は、ジャーナリズムの立場に誇りをもっておられるようですが、それはジャーナリズムの奢りでしかありません。わが国のジャーナリズムの衰退と腐敗を示す発言としか、言いようがありません。


  「・『間違った発言を禁止するべきだ』とはBPOとしてはいうべきでな
    い。
ただ明らかに間違ったコメント、誤解に基づくコメントが一方的
    になさ
れている状況について、もっとバランスがとれないかと思う。」


 この発言も、前記の発言と共通するところがありますが、私たちは『間違った発言を禁止するべきだ』とBPOに要求しているわけではありません。コメンテーターの個々の発言が、いかなる経緯で出ているかを詳細に「申立書」とその添付資料によって明らかにしたつもりです。コメンテーターの人選を含めての演出・構成の仕方を問題にしてほしいのです。明らかに「バランスがとれない」から、問題提起をしています。



  「・論評は自由だ。何が問題かというとコメンテーターは(テレビ局が制
    作した)映像を見てコメントするが、その映像自体が正確に伝えてい
    ない。そこが問題の本質ではないか。現場の方に勘違いや理解の浅さ
    があるからなのか。」


 この意見は、コメンテーターを弁護してテレビ局のディレクターたちを批判するものになっていますが、これもいかがなものかと思います。正直のところどっちもどっちではないでしょうか。「現場」は単に「勘違い」したり「理解の浅さがある」で本当にいいのでしょうか。「勘違い」でわざわざ法廷のセットをこしらえて、俳優にあそこまで演技をつけることができますか。野田正彰証人のインタビュー画像の流用は、単なる「勘違い」でしょうか。

 映像の仕事について、あまりにも理解のない委員の発言ではないでしょうか。私たちは、演出・構成に作為、それも悪意ある作為があると指摘しています。

 コメンテーターは、多くの場合人選の段階からその役割が暗黙のうちに決まっています。ディレクターは、あらゆる機会にコメンテーターとのコミュニケーションを図っています。コメンテーターの発言の多くは、ディレクターの想定内です。そうでなければ、生番組は作れません。

 私たちは、今回の申し立てにおいて、BPOの倫理検証委員会の委員の一人について、問題の番組「第4.ザ・ワイド」にコメンテーターとして出演し、問題のある偏見発言をしているから、その委員が入って審議するのであれば公正性が疑われることになると指摘しています。その委員は少なくとも、本件の小委員会には入っていないのであろうと、私たちは理解しているところですが、いずれそのことも情報公開してほしいところです。

 以上3つの発言には、結果としての現状肯定という傾向が共通しています。そして、あまり規制を強めると報道現場が萎縮してしまうから、ジャーナリズムの勢いをそぐことになるという考え方にも通じています。私たちも、ジャーナリズムが本来の勢いを取り戻してもらうことを願っています。しかし、最近のテレビが、テレビ報道が、本来の権力チェックの役割を果たしていると言えるでしょうか。あまりにもそうした硬派の番組は少なく、酷い番組が多い現実があり、今回の「光市事件」の報道も、その酷い番組の典型だから、私たちは怒りをもって、BPOへの申し立てに及んでいるわけです。

 公表された委員の発言概要に対して、私たちがいちいち批判を加えると、多分委員の一部からは、不正確な発言概要をもとにして批判されてはかなわない、このような議事録のようなものを公表するのであれば、委員会での自由な発言がしにくくなる、といった意見が出るかもしれません。それはやめていただきたい。透明性は、責任ある発言によって高められるのであって、相互批判がおきらいだったら、公的な場に出るのをおやめになるしかありません。


  「・どの局も申し合わせたように被害者側に立って、例外なく弁護団を袋
    だたきにしている。メディアが一定の方向に向いてしまう。それが裁
    判員制度に多大な影響を与える。危惧すべき一例だ。しかし一方で、
    テレビは世論に対し臆病であり、一定の方向を向いているとすれば、
    それは世の中全体がそう見ていると理解しないと、世論を批判するの
    かということになる。」


 この発言の前半は、私の考えと全く一致しています。大賛成です。後半の「しかし一方で」以後の意見には賛成しかねます。「世の中全体がそう見ている」と言われるが、「世の中全体」の人々は、広島の裁判所に行って傍聴しているわけではありません。遺族や弁護団の記者会見に出席したうえで「見ている」のでもありません。そうした直接性は無理なことが前提です。だからこそ、マスメディア報道の公平・公正性が必須なのではないでしょうか。新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアから情報を得るしかない、私たちを含む多くの人々があることを考えれば、今日のわが国の「世論」は、ほとんどマスメディアによって作られているのであることは明白と言うべきではないでしょうか。だから、マスメディアの責任は重いのです。



  「・何が真実かわからないなかで、法廷の再現という手法を取る。見る人
    はそれが事実のように思ってしまう。その怖さ、世論は誘導できると
    いうこと。局側は視聴者に分かりやすい映像というが、それは視聴者
    を馬鹿にしていないか。」


 この発言には、諸手を挙げて賛成です。



  「・やるなとは言えないが、もう少し反対の立場も提示できないのか。」

 どうして「やるな」と言えないのでしょうか。報道の自由があるからですか。BPOがテレビ局に対して警告を発すると、政府・権力が喜ぶとか、法規制を招くとかを危惧しておられるのでしょうか。それは逆でしょう。私たちは、放送に対して法規制がなされる前に、テレビ界が自主的に番組内容を検証し、メディア責任制度を明確にうちたてること以外に法規制を阻止することは難しいと主張しているのです。「光市事件」報道のような報道がなされる中での、事件被害者の刑事裁判参加(本年中とか)、裁判員制度(来年)の導入があった場合を想定してみてください。長い歴史のなかから生み出された裁判における適正手続きや無罪推定の原理、法のもとの平等、証拠主義などは踏みにじられてしまいます。



  「・バランスというより正確であって欲しい。情報が断片的であり、荒唐
    無稽なところしか分からない。」

 この発言の趣旨は少し分かりにくいのですが、私たちは、法廷での論議の全てを報道すべきだとは思いません。確かにあらゆる事件は、複雑な要因をもっているでしょうし、それを報道すること自体難しいことだと思います。要約する場合には、報道する人の主観が入ることになるのも分かります。

 だが、今回の「光市事件」差戻し審のテレビ報道は、いくつかのルーティン的なパターンで、視聴者の感情に訴えかけることに集中していました。被害者遺族への同情、被告人である元少年の心情・心理に対する無理解と人格に対する侮蔑、そして、「大弁護団」と鑑定証人に対する誹謗中傷、そのためにあらゆる画像・音声・音楽・文字などを総動員する演出・構成――という大がかりな作為に満ちていました。バランスはむろんのこと無視し、正確性もかなぐり捨てていたのです。

 以上、2月のBPO倫理検証委員会の審議、委員の発言概要への、私の感想です。この問題に、より多くの方々が関心を持ってくださるようお願いします。
 

「光市事件」裁判報道のBPOへの申立その後の経緯 1 


 BPOの放送倫理検証委員会は、12月14日に私たち「光市事件」報道を検証する会の申立を議題とし、1月11日には、川端和治委員長が「一方的な弁護団批判や事実誤認、歪曲があったと市民団体から指摘があった6放送局の18番組について、委員3人で組織する小委員会を設置し調査に乗り出すことを決めた」と公表しました。

 BPOのホームページによると、1月11日の第9回委員会(全体会)の議事概要は次のとおりです。

 議題1.フジテレビ「27時間テレビ『ハッピー筋斗雲』」について

    (江原啓之氏が亡くなった人の言葉を伝える内容に、検証委員会は、

     制作上の倫理に反するとの意見)

 議題2.テレビ朝日「報道ステーション」マクドナルドの制服問題

    (批判的な意見)

 議題3.光市事件裁判報道

    (18番組をチェックして、問題点を抽出した委員長代行のリポート

     をもとに審議)

 議題4.坂出市事件報道

    (捜査段階の報道のあり方について5月にシンポジウム企画)

 議題5.報告事項

 この議題3.の光市事件裁判報道については、次のような意見が出たとホームページに紹介されています。

   視聴者の知る権利を侵害しているのではないか。つまりほんとは裁判でいろいろなことがあるのに、自分たちが番組を作るために都合のよい部分だけをピックアップして視聴者に伝えているということが一番大きい問題なのではないか。

   確かにこの事件はセンセーショナルな事件、難しい事件でもあるが、そもそも論として裁判というものをどう考えているのかということを放送局に問いたいと思った。

   弁護活動に対する無理解、弁護士は何のためにいるのかということそれはすごく疑問に感ずるところが多々あった。

  被害者遺族の発言の取り扱いで、放送局からすれば、遺族がこういうことを言ったんだということを放送しているということかもしれないが、長々と時間を取ってやるということは、放送局がこの被害者遺族の言っていることに共感しているというような意味合いを持ってこないのか、非常に気になった。

   この問題は、そもそも刑事裁判制度が日本のメディアにまったく理解されていないという、そこに問題がある。もともと日本で法教育を全然やっていないから、専門家だけの世界になってしまって、専門家の間では当然、近代的な訴訟制度はこうあるべきだと思われていることが、まったく世間に共有されていないことがよくわかった。そこに根源的な問題がある。

   番組の作り方で困ったなと思うのは、ワイドショーとか生ワイド等は、昔はある程度は裏付けを取った情報に関して1人か2人にコメントしてもらったのが、最近、情報の検証みたいなことをほとんどやらないでコメントに全部頼るという作り方が常識になってしまった。この辺で一度、警鐘を鳴らしておかなければいけないという作り方だ。

   この問題を考えていくキーワードとして、弁護団に対する誤解と公平性とフェアコメントというか、論評が問題なんだろうと思う。

   全体として、いわゆる死刑廃止論者を少数派、異端者という線は全番組にほぼあると思う。その少数意見に対する耳を傾けようという姿勢がほとんどない。そういう意味では、ほんとに誤解を視聴者に与えるだけじゃなくて、ある意味では世論を誘導しているみたいなものがある。知る権利、つまり視聴者に対してまったく何も伝えていない。片方の意見を。そういう意味で、すごく偏向報道という、そして極刑礼賛というか、極刑を待っているという状況が作られていくなという、危惧を感じる。

 ホームページでは、「この案件は作業量も多く時間がかかるため、小委員会を作り検討することになった」と書いています。

 以上が、公表された現状です。

 以下、申立人のひとりである山際永三のコメントです。

 ホームページに公開された議事概要からみて、BPOの放送倫理検証委員会(川端和治委員長)は、私たちの指摘を受けて、真摯に検討してくれているとの印象を持ちます。ご尽力に感謝です。

 テレビ放送における捏造問題に端を発して設立された「倫理検証委員会」は、電波行政を行なう政府総務省からテレビ局へのプレッシャーを意識せざるを得ず、少なくともテレビ局現場から政治的検閲の代行機関とみられたくないという思いがあるようでした。そこに私たちの、裁判報道に関する指摘があって、この問題は総務省からのプレッシャーにはならない方向性をもっているため、ちょうどいいタイミングで受け止められたのだと思います。

 12月の委員会では「裁判報道一般のあり方のようなテーマを入れると、手に余るのかなという気もする」との意見も出たそうですが、1月の委員会では、むしろ裁判とは何かといった話まで出た様子で、おおいに議論していただくことは私たちにとって歓迎なのですが、議論の内容を吟味してみると、逆に、そのような議論で、テレビ界に対して有効な警告を発することになるかどうかとこちらが心配してしまう部分もあります。

 私たちの申し立ては、テレビ番組の作り方が、死刑廃止の少数派への配慮が足りないとまでは言っていません。なぜなら、光市事件弁護団は、死刑廃止で統一されているわけではないし、差戻し審の法廷で死刑廃止論を展開しているわけでもありません。それなのに、「死刑廃止のために被告の元少年を利用する大弁護団」とレッテルを張ったことに歪曲・捏造があると、私たちは主張したのです。

 ホームページに公開された限りでは、弁護団にも説明責任があるとか、弁護団の方針には世論が反発しているとかの議論は、さすがになかったようです。

申立書のなかで、元少年の心情は差戻し審になってから突然出されたのではなく1・2審では出せなかったのだと繰り返した私たちの主張が、委員の皆さんには一応受け入れられたのかと、安堵もします。

 しかし、「裁判制度が日本のメディアにまったく理解されていない」とか「日本で法教育を全然やっていない」とかの話になると、私たちの今回の申し立ての趣旨は、そういうことではないのだが……と、心配してしまいます。

 つまり、「制度についての理解」の度合いではなく、報道に「捏造」を持ち込み、音楽をつけ、ナレーションで巧妙に主観を入れ、役者を使って芝居をさせるという演出過剰、一口で言えば報道の娯楽化、それも程度の低い悪意に満ちた娯楽化をこそ私たちは指摘したのであって、「理解」ではなく「作為」を問題にしないと、テレビ局は「理解不足でした」で終わってしまうと思うのです。BPOの委員会での議論の内容の一部をみて、その危惧を強く持たざるを得ません。

 そうした意味で、私たちが、1月18日になってBPOに補充の指摘を行なった問題 ―― 申立人のひとりである野田正彰教授のインタビュー画像が、他のテレビ局の全く別の話題のインタビュー画像の流用で、いかにもその番組がインタビューを行なったかのように扱い、しかも野田教授を誹謗中傷するところで使った問題 ―― は大きいと思います。これこそ「悪意ある作為」です。「制度についての理解」の不足どころではありません。問題の18番組中の第14.「The サンデー」のなかで、裁判の鑑定人としての野田教授の画像だけを、2カット19秒使い、当初は、私たちも騙されていたものでした。

 こうした作為、捏造に対してBPOがどれだけ調査を徹底してくれるか、私たちは、さらに刮目して待つことにします。
                       (2008年2月6日)


「光市事件」裁判報道のBPOへの申立その後の経緯 1


                        その後の経緯 2

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光市事件弁護団編著 『 光市事件 弁護団は何を立証したのか』



BPOが「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」を発表

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 2008年3月15日に当会が主催したイベント 「『光市事件』弁護団に聞く 弁護団は何を主張・立証したのか」 の光市事件弁護団の発言を掲載した本が出版されました


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