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池原 秀明(いけはら ひであき) 反戦地主会事務局長 沖縄市市議会議員 仕事は牛チカナヤー(食肉用黒毛和牛を育てている)牧場主 ソフトな語り口調と人懐っこい笑顔が魅力だ。 しかし、岩より硬い意志と燃えさかる平和への情熱を内に秘めている。 |
はあ〜るばる来たわ、泡瀬の浜〜★ 今日はお祭りがあるらしいの! |
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![]() キャンプが出来るレジャー施設の整ってて、休日には家族連れが多いね。 僕らが行った日もとてもたくさんの家族連れがオートキャンプや海水浴・潮干狩りを楽しんでいました。 先日、ボクらは、泡瀬干潟を守る会の満月祭りに参加してきました。 |
潮風が心地よく、満月もとてもきれいでした。 |
![]() ←音楽に乗せられて大きいカニが! ハサミではさまれて痛かったよ〜(**); |
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左のスクリーンに、泡瀬干潟に生きる動物達の映像写しだされ、たくさんのいろんな種類の生き物がいることが分りました。海人(ウミンチュ)のオジーやオバーが、海の豊かさを話していました。 今、歌っているのは、歌手の海勢頭豊さんです。 手前のオブジェは沖縄市の高校生が泡瀬に生息し、埋立てられたら死滅してしまう「クビレミドロ」という海藻をイメージしてつくりました。 アーマン(ヤドカリ)がいたよ! |
| 【最近の泡瀬干潟問題 新聞報道】 海藻の移植が埋立てより先行 議論されずにきていた? 藻場より計画遂行が大切? 泡瀬干潟のホームページには埋立て計画側の情報と反対側のなぜ反対するかの意見が出ています。ぜひ見てね! しかも、計画案は数年前のもの。 夢のような「観光開発計画」唱えて、市民をエサで釣って・・・ いまどき、一泊3万円もするホテルに泊まる客、少ないってば〜!埋立てた人工ビーチには魚はいなくなるよ。お金じゃ自然は買えないよ! →阿波根昌鴻さんの100歳のお祝いの時に。 |
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池原さんは沖縄市大工廻(ダクジャク・タクエ)というところで牛を160頭も飼っています。 今年の暑さは牛にも厳しいようで、扇風機がついていました。ちょうど、子牛がたくさん生まれていたんですよ!
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池原さんが子どもの頃、ココは米軍に奪われており、黙認耕作地でした。 「父は英語で書かれた契約書を訳もわからぬままハンコを押さされたんだ。」 池原さんはお父さんお母さんと一緒に、パスポートを見せてゲートをくぐり、畑を耕し、また、パスポートを見せて家に帰っていました。 「なぜボクの家の土地なのに、米軍に入る許可を得なければならないのか?」 池原さんはお父さんから土地を譲り受け、契約拒否を拒否しました。 「実際には軍が使っていない、ココみたいな黙認耕作地や、個人的なレクリエーションのための施設でも、土地は取り上げたままなんだよ。許せないよね!」 |
| 池原さんは、かねてからずーっと農業をやりたいと思っていました。 獣医の勉強もしました。牛を飼うためです。 ある晩から、池原さんは奥さんと一緒に夜の闇にまぎれて、材木や資材を畑に運び込み始めました。そして、こっそりと豚舎をつくり始めたのです。 「黙認耕作地にはいろんな規制がある。ここは弾薬庫だから火を使う事もできないし、建築物も建ててはいけない。でもね、見つからないよう、夜、作業したんだ。パトロールが来たらライト消してじっと息をひそめてね。捕まるかもしれないという不安もあったけど、いろんな規制なんか取っ払いたい!基地も無くして、自分の土地でやりたいって気持ちも強かったんだ。」 農業改良普及員もしていた池原さんは畜舎を建てる綿密な計画を立てていた。 「ちなみに、土地は5600坪もあったけど補償金は年間たった79万円だったんだよ。(^^);」 何度も防衛施設局員を追い返し、米軍基地との契約を拒否した。 あまりの頑固さに、負けたのか、1982年5月。前回の土地収用期限が切れる日になっても、防衛施設局は何も言ってこなかった。再契約しろとも、返還するとも・・・ 東京の官報で「返還」を知った弁護士から連絡があって、 (ああ、ほんとに土地を取り戻したんだ・・・)と思ったそうです。 |
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「ボクの土地は不発弾の集積所だったんだ。不発弾もあったよ。返還にの時、国には、現状回復の義務があるでしょ?でも防衛施設局は70万円を払うから自分で不発弾撤去をしてくれ、って言ってきんだよ。 |
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1994年米軍のF15戦闘機が離陸に失敗して墜落した時、 破壊された戦闘機の車輪の支柱が池原さんの土地に飛び込んできたんだよ!もし、家畜や畜舎に当たったら・・・ましてや、そこに人間がいたら・・・ でもね、聞いたら、危ないのは飛行機だけじゃないんですって!交通事故よ!池原さん自身も過去に何度か追突事故を起こされた経験があるんだけど、ココは米兵がムチャな運転をして交通事故をよく起こすらしいよ。 先日も畜舎外側の林にYナンバー(米兵の車)が飛び込んで動けなくなってて、米兵と一緒に車を引っ張りだしてあげたらしいわ。やさしい人ね! 墜落現場の写真、見たい人はクリック! |
| 自分の土地を取り戻した池原さんは、その後、そこを農業振興地域に指定させ、水道・電気を利用できるようにした。 「軍用地のなかに電線が走るようになって、水も近くのダムから米軍より先に取れるようになった。 軍用地料に頼らなくても、農業だけでも立派に食べていける証明もできたしね。 こういったたたかいは楽しいね。(^。^)」 「軍用地を生活と生産の場に」という反戦地主運動のスローガンそのものをみずから実践している池原さんなのでした。 →阿波根昌鴻さんのお祝いの時にカチャーシーを踊る。 |
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| 参考資料:くさてぃ 公開審理闘争の記録 沖縄軍用地意見訴訟支援県民共闘会議編 素顔の反戦地主 ふきのとう書房 |