<各紙社説>
2007.4.28.朝日
戦時個人補償―扉を閉ざした最高裁
 
 1972年の日中国交正常化に伴う共同声明には、中国が日本に対する戦争賠償の請求を放棄することが盛り込まれていた。これによって、中国は政府だけでなく、国民も個人として裁判で請求する権利を失った。
 最高裁はこのような初めての判断を示した。そのうえで、日本に無理やり連れてこられて働かされたり、日本軍の慰安婦にさせられたりした中国人が、日本の企業や国を相手に起こした裁判で請求を退けた。
 残っている二十数件の同じような裁判も原告敗訴の見通しとなった。今回の判決の影響はきわめて大きい。
 強制連行訴訟の原告らは、日本軍の捕虜だったり、日本軍の施設で働いていたりしていて拉致され、日本の建設現場や炭鉱に送られた。劣悪な労働条件下で働かされ、亡くなった人もいた。
 元慰安婦の原告のなかには、13歳と15歳のときに日本軍に拉致された女性がいる。監禁されて強姦(ごうかん)された。解放されたあとも心身に大きな傷が残った。
 こうした最高裁も認めた事実は、目を覆いたくなるものだ。
 強制連行で企業に賠償を命じた広島高裁は「外国人から被害を受けた国民が個人として賠償を求めるのは、固有の権利であり、国家間の条約で放棄させることはできない」と述べた。被害のひどさを見れば、この判決の方がうなずける。
 請求を退けた最高裁も、さすがに気が引けたのだろう。「被害者らの被った精神的、肉体的苦痛が極めて大きかったこと、被告企業は相応の利益を受けていることなどの事情にかんがみると、被告企業を含む関係者においてその被害の救済に努力をすることが期待される」と付け加えた。
 企業の自発的な行動に期待するくらいなら、最高裁は自ら救済を命じるべきだった。

 司法が救済の扉を閉ざしたとしても、政府と国会、企業は何もしなくていいはずがない。いまからでも、高齢化した被害者らの救済の道を探っていくべきだ。この問題を日中間のトゲのままにしてはならない。
 被告になった企業のなかには、資金を中国赤十字会に託して元労働者の救済を図った例もある。そうした方法を改めて考えるべきだろう。
 元慰安婦に対し、日本政府は補償問題は国家間で決着済みとして、代わりにアジア女性基金の設立の音頭を取った。基金は韓国や台湾、フィリピンなどで、償い金を贈り、「おわびと反省」を表す首相の手紙を渡した。アジア女性基金が重要な役割を果たしたのは間違いない。
 しかし、日本政府による明確な謝罪と補償を求める人も多い。中国の元慰安婦は1人も償い金を受け取っていない。
 さらに手立てはないか。政府も国会も人道的立場から、解決の道を探る努力を続けなければならない。

毎日新聞 2007年4月28日 0時12分
社説 強制連行判決 加害企業は免責されていない

 被告の逆転勝訴だが、被告にとっては敗訴以上に厳しい司法による糾弾と受け止めるべきだ。第二次大戦中、日本に強制連行された中国人男性らが西松建設を相手取って損害賠償を求めた訴訟の最高裁第2小法廷判決。強制連行の経緯のほか、劣悪な労働環境や原告の心身の苦痛などを認定し、被告側の非を明確にしたからである。
 注目されたのは、72年の日中共同声明によって戦争被害を受けた個人の賠償請求権が放棄されたのかどうか、についての司法判断だ。同小法廷は「中国国民は裁判で賠償請求ができなくなった」と初めて判示し、戦後補償問題に司法として決着を付けた。判例となるので、今後は中国人ばかりかアジアの人々が法廷で戦争被害の賠償を請求する道は事実上、閉ざされたに等しい。慰安婦訴訟など同種の裁判でも、個別に特段の事情がない限り、原告勝訴の可能性は消えたということでもある。
 注視すべきは、判決が「請求権を実体的に消滅させることまでを意味しない」との判断も示したことだ。その上で、西松建設は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、戦後は国から当時の金で92万円余の補償金を取得した、と指摘。「自発的な対応の余地がある」と繰り返し述べ、異例の付言で西松建設を含む関係者に「被害救済に向けた努力をすることが期待される」と、道義的責任に基づく救済を促した。
 西松建設はもちろん強制連行に加担した他の企業も、付言を痛切に受け止めねばならない。西松建設側は強制連行や強制労働の事実はなかったと主張し、原告とは安全配慮義務を求められるような雇用契約も結んでいない、と開き直るように反論してきた。しかし、判決は強制連行した労働者の過酷な労働を踏み台に利益を上げた、と認定。法的な救済の対象ではないが、企業が自主的に策を講じるべきだ、と求めたのである。勝訴したから、相手に請求権がないから、と付言を黙殺すれば、国内外の世論が許さないのではないか。
 加害企業の責任については、日本人全体でも考えていかねばならない。加害企業の社員でさえ強制連行の事実を知らないともいわれるが、臭いものにふたとばかり事実を隠ぺいし、平然としてきた日本人の姿勢が、アジアの人々の反発を招き、日本の評価をおとしめていることにも気がつかねばならない。歴史に無知な人が多いために、国や加害企業の責任が見逃されてきた面もある。
 歴史を直視することから始めたい。強制連行については今も隠匿されている資料があるという。国や加害企業は持てるすべてを明かし、公正な評価に委ねるべきではないか。また、加害企業は日本全体に影響が及ぶ問題と認識し、被害者の救済に乗り出さねばならない。鹿島が「花岡事件」の訴訟で補償基金を拠出する和解に応じたことや、ドイツでは政府と企業がナチス時代の強制連行被害者に補償金を払う基金を創設したことなどを、参考にすべきだろう。

2007年4月28日東京新聞
【社説】強制連行判決 企業は責任を果たせ

 最高裁は日中共同声明で中国が個人の戦争賠償も放棄したとして西松建設の中国人強制連行に対する賠償請求を退けた。強制連行の事実や過酷な労働実態は認めており、企業の救済責任は免れない。
 日本と中華人民共和国の国交を回復した一九七二年の日中共同声明は「中国政府は日本に対する戦争賠償請求を放棄する」と述べている。
 これは、日本の戦後処理を決めたサンフランシスコ平和条約(五一年)や韓国との日韓請求権協定(六五年)が「国及び国民」の賠償請求権を放棄したと明記しているのに比べ、あいまいさを残した。
 このため九〇年代から中国で「政府は賠償請求を放棄したが民間は放棄していない」として賠償請求が広がる一因になった。社会の開放で権利意識や抑圧されていた反日感情が強まったことが背景にあった。
 これに対し、最高裁は共同声明もサンフランシスコ条約による戦後処理の枠内にあり個人の賠償請求も放棄したと見なす初の判断を示した。中国政府は声明について日本の司法当局が中国の意見も聞かず解釈を決めるのは不当だと反発している。
 しかし、これによって共同声明の解釈をめぐる外交論争を再開し、日中関係を振り出しに戻すのは生産的ではない。日中関係の大局に立った両国政府の慎重な対応を望みたい。
 二〇〇四年の広島高裁判決は強制連行の事実や安全配慮義務違反、時効も成立しない不正義を認めた。共同声明は個人の賠償請求を明記していないと原告勝訴を言い渡した。
 西松の上告に対し最高裁は共同声明の解釈に限って受理した。しかし、判決では強制連行や過酷な実態にも触れ、政府や企業の適切な対応を求めた。西松は勝訴したが責任そのものが否定されたわけではない。
 同じ強制連行に対する賠償請求の花岡訴訟では被告の鹿島は和解し、被害者救済の基金に五億円を拠出した。先例に学んで責任ある対応を取れば企業の信用は高まる。
 中国政府は共同声明が民間の賠償請求を放棄したかどうか明言を避けてきた。放棄したとすれば民衆の反発を買い、放棄していないとすれば請求が広がり日中関係を揺るがす事態になりかねないためだ。判決で中国政府は苦境に追い込まれた。
 今回の事態で国際社会は政府の対応にも注目している。慰安婦問題で、おわびを表明した安倍晋三首相は米国で強制連行についても政府の姿勢を示し「美しい日本」の品格を示してはどうか。それが日中関係の危機を救うことにつながる。

2007年4月28日1時20分 読売新聞)
戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁(4月28日付・読売社説)

 中国人による相次ぐ戦後補償裁判に幕を引く判決である。 戦時中、日本に連行され、過酷な労働を強いられたとする強制連行訴訟で、最高裁は、日本側への戦争被害の賠償請求について「1972年の日中共同声明により、中国人個人は裁判上、訴える権利を失った」との初判断を示した。
 中国人女性2人が、旧日本軍兵士に監禁、暴行されたとして、日本政府に損害賠償を求めた訴訟でも、同様の判断を示し、中国人側の請求を退けた。
 強制連行訴訟の1審は、中国人を働かせた建設会社の不法行為を認めつつ、不法行為の時から20年が過ぎると賠償請求権がなくなる「除斥期間」、時効を適用して、原告の訴えを退けた。
 2審も不法行為を認めた。加えて「賠償義務の免除は正義に反する」として、時効をあえて適用せず、建設会社に請求通りの賠償を命じた。 建設会社の上告を受けた最高裁は、中国人個人に賠償請求の権利があるかどうかに絞って審理を行った。 相次ぐ訴訟で、下級審の判断が分かれたため、明確な判断基準を示す必要があると考えたのだろう。 日本に関する戦後処理の基本的枠組みは、1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約で定められた。 日本と連合国の各国が、個別に戦争賠償の取り決めをした後は、個人の損害賠償請求権を含め、戦争で生じたすべての請求権を日本と連合国側が互いに放棄するというものだ。 日中共同声明は「中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」としているが、中国人個人の賠償請求権の有無については、明確な記述がない。それが訴訟の背景にあった。 この点に関して、最高裁は、日中共同声明は実質的には平和条約であり、サンフランシスコ平和条約と同じ枠組みで締結されたと結論付けた。 国際社会の常識に照らして、妥当な判断だろう。
 平和条約とは、戦争状態を完全に終結させ、請求権などの問題を後に残さないために締結するものだ。
 27日の強制連行訴訟の判決も、補償問題を個人の賠償を求める裁判に委ねたなら、「どちらの国家または国民に対しても、平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ、混乱を生じさせるおそれ」がある、と指摘した。 中国人による戦後補償裁判は、約20件に上る。今回の判決で、訴訟による賠償請求には最終的な決着がつけられた。

2007/04/28 05:31)産経
【主張】個人賠償請求権 決着をつけた最高裁判決

 第二次大戦中に中国人が日本で過酷な労働を強いられたとする訴訟で、最高裁は「日中共同声明により、中国国民個人の賠償請求権は放棄された」とする初めての判断を示し、原告の請求を退けた。日本の戦後処理の歴史を踏まえた妥当な判決である。
 この裁判は、1審の広島地裁で時効などを理由に原告の損害賠償請求が棄却されたが、2審の広島高裁は時効を認めず、被告の西松建設に賠償を命じた。また、広島高裁は日中共同声明について「中国国民が損害賠償請求権を放棄するとは明記されていない」とする解釈を示していた。
 これに対し、最高裁はまず、サンフランシスコ平和条約(昭和26年締結)について「個人の損害賠償などの請求権を含め、戦争の遂行中に生じたすべての請求権を連合国と日本が相互に放棄することを前提としている」と指摘した。そのうえで、日中共同声明(昭和47年)について「サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる取り決めがされたと解することはできない」とし、広島高裁の解釈を否定した。
 最高裁はさらに、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかったこと」などから、「関係者がその被害救済に向けた努力をすることが期待される」と人道的救済を促した。 日中共同声明は「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」(第5項)としている。個人の請求権の有無があいまいなようにも読める。しかし、日本の戦後処理は、いずれもサンフランシスコ平和条約の枠組みの中で行われており、日中共同声明に伴う日中国交正常化も、その延長線上で行われたとみるべきである。
 戦争中、日本の占領下にあったフィリピンやインドネシアなどの国々との間では、経済協力という形で2国間の賠償協定を結び、韓国とは昭和40年に日韓基本条約を締結した。中国との賠償問題も日中共同声明により、すべて決着済みなのである。最高裁判決は、それを改めて確認したものだ。
 現在、慰安婦訴訟など同じような戦後賠償裁判が全国各地で起こされているが、いずれも原告が敗訴する可能性が強い。今回の最高裁判決は、解決済みの賠償問題を蒸し返すような際限のない要求を断ち切ったといえる。

'07/4/28中国新聞
「強制連行」上告審 救済の道放棄する判決

 西松建設(東京)を相手取った強制連行訴訟の上告審で最高裁はきのう、「個人請求権は日中共同声明で既に放棄されている」と初の判断を示した。第二次大戦中に連行され、広島県安芸太田町の発電所建設現場で過酷な労働を強いられた中国人元労働者らが賠償を求めていたが、九年に及ぶ訴訟を「入り口」論で退けた形である。
 判決では、広島高裁が認定した強制連行・労働による被害については認め「賠償請求の権利は実体的には消滅していない」とする一方、「裁判上の行使まではできない」と、司法による救済の道を閉ざしてしまった。全国で相次いでいる他の強制連行訴訟などへの影響も避けられず、理解に苦しむ。
 訴えていたのは、中国・山東省の宋継堯さんら元労働者二人と遺族三人。西松組(現在の西松建設)は一九四四年、中国の収容所などから三百六十人の中国人を日本に連行し、水力発電所の建設現場でトンネル掘りなどをさせた。粗末な食事しか与えられないなど劣悪な環境で、宋さんは事故で大けがをしても治療してもらえず、両目を失明し、帰国後苦しい生活を余儀なくされたという。 戦後、四十八年ぶりに広島を訪れた宋さんらは、西松建設に公式謝罪と精神的、肉体的な苦痛に対する補償、歴史的な事実を後世に伝える記念館建設を求めて交渉を重ねたが、西松側は国策で行ったもので企業に責任はないとして要求を拒否。このため宋さんらは、九八年に広島地裁に提訴した。
 時効の壁があって地裁は請求を退けたものの、高裁では当時の不法行為などを理由に、西松建設に賠償を命じる逆転判決となった。
 こうした経緯から考えていくと、「日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同等の枠組み」と位置づけ、国同士の請求権放棄を個人レベルにまで広げた、今回の最高裁判決には首をかしげたくなる。強制連行で苦しんだ被害者はどうすればいいのだろうか。
 判決の結論の末尾で「西松建設は、中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けている。被害者の苦痛は極めて大きく救済に向けた努力が期待される」と述べている点は見逃せない。
 原告側の敗訴が確定したからといって、戦時中に強制連行・労働で苦痛を与えた企業としての責任は、消えるわけではあるまい。西松建設は判決を厳粛に受け止め、原告らに「誠意」をもって対応するべきである。

4月28日(土)信濃毎日
戦後補償訴訟 救済へ踏み出すとき

 中国人の元労働者や元従軍慰安婦らが日本政府を相手取って起こした二つの損害賠償請求訴訟で、訴えを退ける判決を最高裁が下した。いずれも、日中両政府が交わした共同声明によって個人の請求権は放棄された、と判断している。
 ここで考えねばならないのは、人々が理不尽な苦しみを強いられたのは事実であり、その過去は消えないと言うことだ。政府の責任で、償いをする枠組みを急ぎ整えたい。今回の判決に居直って、補償に後ろ向きになるのは許されない。
 一つは、日中戦争中に強制連行され働かされたとして、元労働者2人と死亡した3人の遺族が企業を相手取って起こした裁判。もう一つは元従軍慰安婦が訴えた裁判だ。
 1972年の日中共同声明には確かに、戦争賠償の請求を中国が放棄する旨がうたわれている。法律論を詰めれば「請求権なし」ということになるのかもしれない。
 今回の判断は、中国人以外のケースにも適用される。一連の戦後補償裁判はこれで事実上、流れが決まった。同じような訴訟を今後、被害者が起こすのも難しくなりそうだ。司法による救済の限界である。
 ただし、司法の場で請求できなくなるとしても、日本の政府や企業に対し、賠償を求める道まで閉ざされたわけではない。元労働者の判決も、請求権そのものは消滅していないとの判断を示している。強制連行と強制労働の事実も認定した。
 今度の判決は日本政府に対し、政治の責任で補償を進めることを促すものと受け止めるべきだ。
 現に、秋田県大館市の花岡鉱山に強制連行された中国人が過酷な労働に抵抗してほう起、多くの死者を出した「花岡事件」をめぐる訴訟は、訴えられた企業が5億円を拠出し、被害救済の基金をつくることで和解している。従軍慰安婦の問題では、民間の募金により「女性のためのアジア平和国民基金」をつくり、中途半端で不十分な面を残しながらも償いを進めた。
 被害者の救済は、これからも緊密に協力していかなければならないアジア近隣国に対し、平和を追求する日本の姿勢を示すことにもなる。過去に対する反省の気持ちを補償の形で示せば、日本とアジアのきずなはそれだけ太くなる。
 反対に、日本政府が判決をいいことに、補償責任から逃れようとするようでは、日本は国際的信用を失ってしまうだろう。
 戦後60年が過ぎ、被害者は高齢化している。残された時間は少ない。戦争責任とあらためて向き合い、行動を起こす機会としたい。


社説(2007年4月28日朝刊)沖縄タイムス
[戦後補償判決]償いが信頼回復への道

 中国人の元従軍慰安婦とその遺族が国に損害賠償を求めた訴訟と、中国人の元労働者が西松建設(東京)に強制連行・労働の賠償を求めた訴訟の上告審判決が相次いで言い渡された。
 二つの訴訟で、最高裁は「一九七二年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判では行使できない」との初判断を示し、いずれも原告敗訴の判決を言い渡した。 日中共同声明では、日本は過去の戦争で中国に与えた損害について「責任を痛感し、深く反省する」と表明。第五項で「中国政府は、両国国民の友好のために日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」としている。
 第二次大戦中の従軍慰安婦、南京大虐殺、強制連行などをめぐる戦後補償訴訟は、中国人や韓国人らが一九九〇年代から各地で提訴し、市民団体「戦後補償ネットワーク」のまとめでは計約六十件に上っている。
 これまでに原告勝訴は一審六件、二審は西松建設強制連行・労働訴訟など二件にとどまるが、旧日本軍の不法行為はほぼ認定され、企業側と和解した例もある。
 こうした中で、今回の最高裁判決は、中国側にとって政府のみならず個人にも請求権がないとする初判断であり、今後、中国人らの個人的な請求は退けられる可能性が高くなった。 この判断は、中国と日本の間に新たなあつれきを生みかねない。中国側の弁護士協会などは「最高裁判決はでたらめだ」と強く抗議。「日本政府や関連企業の責任をあいまいにし、政府や関連企業の責任回避を手助けした」などと反発しているからだ。
 ただ、最高裁は強制連行・労働訴訟の判決の末尾で、被害者らの精神的・肉体的苦痛などを指摘し、関係者の「救済に向けた努力」が期待されると述べている。
 戦争被害を救済できない司法の限界を示し、国や被告企業に自発的解決を促したといえるが、元慰安婦訴訟にはこうした付言はなかった。
 司法による個人救済の道を閉ざした最高裁判決で、戦後補償の問題は司法の手を離れ政治的解決に委ねられる。政府は今後、中国側への新たな対応を迫られるのは必至だ。 「一日も早く日本政府による謝罪と賠償を実現させたかった」というのが、敗訴が確定した被害者と遺族たちの偽らざる気持ちであろう。
 原告たちへ「償う」意味は、結局、日本の信頼回復につながるといえるのではないか。政府、西松建設などの「誠意」ある対応を期待したい。

北海道新聞(4月28日)社説
戦後補償*司法の門が閉ざされた

 戦時中、中国人が受けた被害への賠償請求に対し、最高裁が初判断を示した。
 日中共同声明(一九七二年)により、日本の政府や企業に個人が損害賠償を求める権利が放棄されたというのだ。
 この判断に基づき、中国人強制連行と元従軍慰安婦の計五件の訴訟で、原告の請求をいずれも棄却した。
 最高裁は一連の戦後補償裁判を「請求権放棄」の統一判断で一蹴(いっしゅう)し、終結を図ったと言える。
 これで、中国人による一連の戦後補償裁判で原告敗訴が決定づけられた。
 政治的な意図を感じる。司法の独立性に強い疑問を抱かざるを得ない。
 五件のうち三件では上告棄却決定を通知しただけで門前払いだった。うち一件は故劉連仁さんの訴訟だ。
 北海道の炭鉱で過酷な労働を強いられた後、終戦を知らないまま十三年間の逃亡生活を送った劉さんが執念を燃やした裁判だった。  条理を欠く決定だ。
 戦後補償裁判で、下級審の各裁判所は強制連行・強制労働の事実、慰安婦の性的被害など、戦時中のアジアへの加害行為をほぼ認めてきた。
 しかし、不法行為から二十年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用や時効によって請求が退けられた。
 国家賠償法施行前の公務員による損害では国が賠償責任を負わない「国家無答責」の法理でも退けられた。
 ただ、一九九八年以降、国の時効の主張は権利乱用に当たるとして「時の壁」を認めない判決が出ている。
 これに対し、国と加害企業は条約や声明に基づく「請求権放棄」を主張の柱として打ち出してきた。
 日中共同声明は個人の請求権には言及していない。中国外務省は最高裁判決を前に、司法解釈を含めて、両国とも声明を一方的に解釈してはならないとの考えを表明している。
 最高裁の判断はまさに、国と企業側が求めていた解釈だ。これで国際的に胸を張れるのだろうか。
 今回、はっきりしたのは、現行の法体系では戦後補償を求める被害者を救済できないことだ。
 ただし、最高裁は賠償請求権そのものが消滅したわけではないとした。
 そのうえで、強制連行の西松建設訴訟の判決では、原告が被った精神的、肉体的苦痛が大きいと認め、政府や企業など関係者に被害者の救済に向けた努力を強く促している。  ドイツでは、戦後補償に関して国
と企業が基金を設け、被害者への賠償をほぼ終えようとしている。
 政府は、戦後補償の問題を人道的、道義的立場で解決する枠組みを考える必要がある。でないと、アジアはもとより、国際社会の理解を得られない。  原告は高齢化し、亡くなった人も多い。残さ
れた時間は少ない。