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お父様の訃報をお伝えする  2007年5月1日

ゴビンダさんの実父であるジャヤ・プラサド・マイナリさん(86)が、4月27日午前10時30分、イラムの自宅にて心筋梗塞のため逝去されました。
ご家族からの依頼により、この訃報をゴビンダさんに伝えるため、5月1日午後3時、事務局の客野美喜子さんと蓮見順子さんが、ゴビンダさんの面会に行ってきました。以下、客野さんのレポートです。
 ラダさんと娘たちに会えた余韻もさめないうちに届いた、突然の悲しい知らせでしたが、ゴビンダさんはとても落ち着いた態度で受け止め、お父さんの最期の様子(以下、蓮見さんがインドラさんから電話で聞いたこと)に、時々頷きながらじっと耳を傾けていました。

〜〜〜 インドラさんは、お父さんが亡くなる1日前までイラムに行っていた。その時はお元気で、一緒に買い物にも行ったりもしていた。カトマンズに戻った翌朝、お母さんから電話があり、お父さんの具合が少し悪いようだと伝えてきた。何度か電話して容態を確認していたが、10時30分、最初の電話から3時間後、たった今、心臓麻痺で亡くなったと電話があった。ほんの30分前には食事して、家族とも笑って話をしていた。お顔はとてもきれいで穏やかで、苦しんだ様子はまったく見られない。
 インドラさんは亡くなったという電話をもらってすぐに、飛行機を予約し、イラムに飛んだ。翌日、インドラさんの奥さん、ラダさんと二人の娘さん、ウルミラさんも到着した。葬儀と火葬、いっさい滞りなく終えたので、これから13日間は喪に服す。お母さんは、とてもしっかりしていて、健康状態も大丈夫 〜〜〜

 「インドラさんは、ゴビンダに知らせてよいだろうかと少し心配していたけれど、私たちとしては、息子に父の死をいつまでも知らせないわけにはいかないと思った」と言うと、「もちろん、本当のことを話してくれてよかった。人間は必ず死にます。お父さんはもう歳だから、いつかこういう日が来ると覚悟していた。苦しまずに亡くなったと聞いて安心した。生きて会えなかったのは悲しいけれど、悪いのは警察と裁判所だからしかたない。本当なら13日間、塩断ちや食事制限をして喪に服すのだけれど、ここではできそうもないから、いつかネパールに帰ってからやることにします。お兄さんに、ゴビンダは大丈夫だと伝えてください」と静かな口調で言っていました。

 この日、横浜刑務所には、あらかじめ訃報を知らせに行くことをファクスで事前連絡しておき、また面会に入る前に処遇担当者と面談して、訃報後のケアをお願いしました。無期刑が確定してしまったとき(2003年10月)、今生で老親と会えなくなってしまったことを、もっとも深く嘆いていたので、いざその日を迎えたとき、一時的動揺から、何らかの不安定な様子や不注意な言動を示す(あるいはそのように見られる)などして、万が一にも規則違反や懲罰に問われることがあってはと心配していたのです。そのため、当日は、もう作業に戻らなくてよいような時間帯に面会に行きました。幸いなことに、翌日(水)は隔週の免業日にあたっており、翌々日から4連休なので、少なくとも5日間は作業に出ることなく、静かに喪に服すことができるでしょう。もっとも、私たちの心配とは裏腹に、本人は「むしろ作業に集中しているほうが気が紛れる。一人で5日間も部屋にこもっていたら、お父さんのことばかり思い出してしまって悲しい」と言っていました。しかし、それもまた故人への供養というものではないでしょうか。
客野美喜子