無実のゴビンダさんを支える会

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悲しい人達と思います   2003年11月1日  櫻井昌司

櫻井昌司さんは、布川事件の冤罪被害者。1967年におきた殺人の犯人という身に憶えのない事件により、無期懲役刑に服役。29年を超える獄中生活を余儀なくされる。再審請求の中で、検察による無罪証拠の隠蔽などが明らかになっている。
 ゴビンダさんを支えてくださる皆さん、おはようございます。10月30日、久しぶりに東京拘置所に行きました。8年間を過ごした東拘は近代的になってました。でも、非常に密閉性があって、息苦しくて、もう俺は拘置所には入れないと思いました。その中で、毎日煩悶しているゴビンダさん!空が晴れるのも腹立たしかった25年前の私を思いますと、今のゴビンダさんの心は手に取るようにわかります。
 私は1週間もたたないで、よし俺は俺の人生を刑務所で送る、明日を信じて目の前のことを全力でやろう!と思いました。きっと、ゴビンダさんも、そうなると思ってましたが、面会して、そうなり始めたのが判って安心しました。
 冤罪の人間は刑務所に行っても、明日にも出られる希望がある。でも、犯罪を犯したものは、その希望が無い。この違いは、かなり大きいんです。決定的かもしれません。その違いはゴビンダさんも刑務所へ行けば肌で判るんです。だから皆さん、彼の刑務所生活は、全く心配しないで下さい。ゴビンダさんに会って、本当に優しい人だと判りました。刑務所は荒いと言うか、気まぐれでピリピリした人がかなりいます。でも、不思議なのは、そんな荒い奴でも気の荒い奴を嫌うんですよ。気の優しいゴビンダさんは、必ず仲間から安心を持って付き合える仲間として好かれます。
 人を疑うというのは悲しいことですね。私は人を疑う生活をしなければならない人達を悲しい人達と思います。ゴビンダさんに会えば、話せば、この人は人を殺さないと判ります。でも、警察、検察、ダメですね。あいつ等は、そうしか人を見られないんです。でも、裁判は違うでしょ!無実の目で事実から判断すべきなのに!人だって見られるのに!
 皆さん、刑務所は大変です。これからのゴビンダさんは社会の皆さんが支えです。私もできる限りの協力をしますが、どうか宜しくお願いします。
 11月13日、文京区区役所のシビックホールで再審を開かせる為の集会があります。午後6時半からです。
 どうか皆さんもご参加ください。
  頑張りましょう!

無実の人には、希望があるんだよ   2003年10月30日  客野美喜子

 客野です。10月30日(木)午後2時、桜井昌司さん、山田善二郎会長と三人でゴビンダさんの面会に行って来ました。
 手紙を書いたことはあるが実際に会うのは今回が初めてという桜井さんが、
「自分も、昔、ここの拘置所に6年位いたことがあるんだよ。ゴビンダさんと同じ、やってない強盗殺人で捕まってね。無期懲役で刑務所に入ってたの」と話しかけました。とたんにゴビンダさんは、身を乗り出して、
「どこの刑務所ですか?何年くらい?・・・刑務所は、どんな所ですか?テレビ見れる?野球とかできる?人と話せる?歌は、歌ってもいいの?」と、矢継ぎ早に質問。
「ああ、できるとも」、「もちろん、いいんだよ」との答えに目を輝かせ、さらに
「仕事するんでしょ?真面目に働けば本当に早く出られますか?」などと訊き続けました。
「ゴビンダさん、刑務所は悪いことした人が行くとこだから、悪いことしてない自分は、どうしたらいいのか、心配してるんだって?でも、悪いことした人だって、真面目に働く所なんだから、悪いことしてない人は、もっと真面目に働けるはずだよね」と、桜井さんは、先日私たちが答えに窮した質問に、いとも単純明快に答えを出してくださいました。
 「刑務所は、ここより規則は厳しいけど、真面目に働けば早く出られる。それに、ゴビンダさんは、無実なんでしょ?
 無実の人には、希望があるんだよ」
「・・・どんな希望ですか?」
「再審するんだから希望が持てるでしょ。それに明日にだって真犯人がみつかれば出られるかもしれない。だって自分は無実なんだから!」
 このとき、ゴビンダさんは、一瞬、虚をつかれたような表情を見せ、それから何度も頷いていました。
 桜井さんが、今、2回目の再審請求をしていると知ったゴビンダさんは、自分も、今日の午前中、佃先生がみえた時、再審についての説明を受け、弁護士5人の名前を届け出たと言っていました。
 桜井さんの毅然とした態度に、ゴビンダさんは、30年後の自分の姿を重ねて見たのでしょう。話をするうちに、しだいに元気づいてきて、
「真実は、必ず勝つというネパールの言葉があります。再審で勝ってお金(賠償金)もらったら、イラムに支える会と国民救援会の名前で、学校と病院を建てたい」
  最後には、こんな大きな夢まで語ってくれました。
 実際に体験した者にしか語りえない言葉で、ゴビンダさんを励ましてくださった桜井さん、本当にありがとうございました。第二次再審請求の成功を心から応援しています。
 山田会長からは、ゴビンダさんの服役について特段の配慮をもとめる要請を東京拘置所、法務省矯正局、および服役先の刑務所にたいして行うこと、国民救援会がゴビンダさんの冤罪が晴れるまで支援を続けていくことを話していただきました。
 非情な上告棄却から10日。ゴビンダさんは、今、絶望のどん底から、再審という一条の光にすがって、少しずつ立ち直ろうとしているようです。おそらく、東京拘置所で私がゴビンダさんに会うのは、この日が最後になるでしょう。これから面会に行く方、あと何日なのかわかりませんが、残りの日々、どうぞよろしくお願いします。

忘れられぬ言葉をゴビンダさんへ   2003年10月29日  コウダ

 はじめまして。コウダと申します。2001年に、僕自身も冤罪の当事者(被疑者・被告人)になり、その後、縁があって昨年の夏から、ゴビンダ・グループの皆さんには、色々な形で御協力を頂いております。
 さて、去る2003年10月29日・水曜日、僕は「初めて」ゴビンダさん御本人に、小菅の東京拘置所で、お会いして来ました。「支える会」の岡野さんと、その御子息のコウタロウ君と一緒でした。僕としては、正直、小菅でゴビンダさんにお会いするハメになってしまったこと自体、非常に悔しい想いでし た。なぜなら、「必ず、最高裁は再逆転無罪を言い渡す。そしたら、拘置所の外で・拘置所以外の場所で、必ずゴビンダさんにお会いすることができる。だから、何も無理して小菅までゴビンダさんに会いに行かなくても良いじゃないか。むしろ、あえて小菅には行かず、拘置所の外でゴビンダさんを待っていようじゃないか!」と、心に決めて、言い聞かせていたからです。それなのに、こんなことになってしまって・・・。
 初めてお会いしたゴビンダさん。事前に想像していたのとは、全く違っていました。ゴビンダさんは僕達に話しかけながらも、まるで、その言葉を御自身に向けるように、御自身にムチ打つように、御自身を奮い起たせるように、力強い、力のこもった言葉を、一言一言、はっきりと、発せられていました。
 やはりゴビンダさんは、これからについての2点、
  1. ネパールにいる家族(ご両親・ラダさん・お子さん)の、これからの生活は大丈夫なのか?
  2. 何も悪いことしていない自分が刑務所に行って、自分は本当に大丈夫にやって行けるのだろうか?
が、心に重くのしかかっているようでした。
  さらに、僕に向かって、「裁判所は、ただ単に、何もしていない私を有罪にしただけじゃない。人を殺した真犯人を見逃して、外で自由にさせてるんだよっ!日本の裁判所は、本当にそれで良いのっ!?」と、おっしゃって。それが僕には、まさにゴビンダさんの「心の叫び」として感じられました。
 そんなゴビンダさんを目(ま)のあたりにして、僕は何と声をおかけすれば良いのか困惑してしまい、結局、僕自身が未決勾留されていた時に、面会に来た祖父から言われた言葉をそのまま、ゴビンダさんにおかけすることしかできませんでした。
 僕がゴビンダさんに申し上げたのは、
「御飯は食べれてますか?喉を通りづらくても、多少無理してでも、とにかく食べて下さいねっ。どんなに心が強くて、どんなに心が頑張れると思っても、『気力は体力から』。体が元気なくなると、心も元気なくなってしまうから。とにかく食べて、体の元気を保って下さいねっ。そしたら、心の元気も自然に着いて来ますから。」というものでした。
 身振り手振りも交えながら。日本語のあまり得意でないゴビンダさんに、主旨がきちんと伝わっていれば良いのですが・・・。

 面会の終了後、これまでにも何度もゴビンダさんと面会されている岡野さん親子は、やはり、かなり落ち込んでいらっしゃいました。僕も、「一体、何がどうなって、何をどうやったら、こうなってしまうのか!?」と、とにかく無力感・脱力感に覆われてしまっていました。
「一体、何がどうなって、何をどうやったら、こうなってしまうのか?」その答えを、これから皆さんと一緒に探して行きたいと思います。 

無実で何ら恥じることのない自分は、それ以上に誇りをもって(櫻井さん)
  2003年10月29日  今井恭平

 今井です。本日朝8時半より、最高裁前で、上告棄却に対する抗議を行ってきました。7名でビラを配布し、「心ない上告棄却はゴビンダさんの人生を破壊した」と書いた横断幕を広げ、マイクで訴えました。
 明日、30日は、国民救援会の山田会長、布川事件の冤罪被害者、桜井昌司さん、事務局の客野さんが面会に行く予定です。その後、東京拘置所の所長に面会を申し入れ、ゴビンダさんの今後の処遇についての申し入れをする予定ですが、今のところ、東拘側は申し入れを受けることを頑なに拒んでいるようです。しかし、これからのゴビンダさんの長い服役生活を少しでも円滑なものとするために、家族や支援者との面会、ネパール語での文通その他ができるようにという申し入れを行います。31日には、法務省矯正局に出向いて、そうした申し入れを行う予定で、こちらはすでに先方の担当者が会うということで約束ができています。
 昨日、桜井さんからは、ゴビンダさんの服役にあたって、ご自分も冤罪で30年も獄中におられた経験からさまざまなご忠言を伺わせていただきました。ゴビンダさんが、「刑務所は悪いことをした人が、まじめになるために行くところ。悪いことをしてない自分はどういう気持で生きていけばいいか?」と質問していることを桜井さんにお伝えしたら、
「悪いことした人でも、まじめに真剣に生きていこうとしているんだから、まして無実で何ら恥じることのない自分は、それ以上に誇りをもって、まじめてやればいいだけのことだ」と喝破されました。これは、冤罪被害者としての苦しみを乗り越えてこられた桜井さんだから言える言葉であり、彼の言葉だからこそ、説得力がある、と思いました。明日、桜井さんがゴビンダさんに会ってくださることは、とても大きな意味があると思いました。
 ゴビンダさんの服役まで残り少なくなりますが、いまはとにかく出来ることに全力を上げるしかありません。吉川さんのメールにもあったように、みんなが手紙や葉書を書くことが、彼には大きな励ましになっています。どうか、手紙が届く限り、毎日でも何通でも彼に励ましの手紙を書いてください。(ローマ字でお願いします)

両親に会いたい   2003年10月29日  吉川直美

 面会報告をいたします。個人的な思いが混じって長くなりましたが、どうかご容赦ください。
 Yさん、Kさんと午前中面会に入りました。面会時間は17分ほどでした。ゴビンダさんは、おそらく先週よりかなり落ち着いた様子で、面会室にやってきました。
  まず、初対面のネパール人留学生Kさんと挨拶をかわし、それから静かに微笑んで、いつものように「お元気ですか?」と尋ねるので、一瞬目を見合わせて「先週、私と面会した直後に、通知を受けとったのですね?」とことばを絞り出すと、「そうです」「……涙そうそうね」と答えました。
 先々週、「最近よくラジオでかかる、古いアルバム……、会いたくて……という歌が好きです。なんという歌かよくわからない」というので、帰ってから調べて「涙そうそう」のことだとわかり、ローマ字で書き送りました。それで、先週はその話が出て「まだ、歌詞をもらってからFMにかかっていないけれど、土日にFMでかかるだろうから、そのときに(小さいな声で)歌います」と楽しみにしていました。まるで、ゴビンダさんとラダさんの歌のようだね、早く会えるといいねと語り合いました。その直後に急転して、この土日に、どんな思いで聴いたことか……。
 それから、Yさんにラダさんと電話で話した時の様子を伝えてもらいました。「泣いていましたか?」と心配していましたが、悲しみの中にも、落ち着いて受け止めていたとのYさんの話に耳を傾けていました。その後、Kさんとネパール語でネパールの国情のこと、ゴビンダさん自身の生育歴、裁判のことを話していました。Kさんは日本語が堪能ですが、ネパール語で話せるように、Yさんに通訳の役割をしていただきました。
  ネパールでどのように報道されているか、気にかけていました。一貫して「涙も出ない」と落ち着いていましたが、決定通知を開いて見せたときには、「何も判決理由が示されていない。示せる訳がない。証拠がないんだから!」「こんなおかしなことはない」「だいたい、一審で無罪になったのに、拘留されたこと自体がおかしいんだから、期待してなかった」と憤りをあらわにされました。
「両親に会いたいです」と言うので、ご両親にはこういう状況で会いたくないと聞いていたので、「会いたいですか?」と確認すると「はい、会いたいです。支える会で呼んでくださるように相談したい」と仰いました。
 かかしさん今井さんのおっしゃる通り、はがきや手紙に力づけられている様子でした。ここ数日で300通くらい来たそうです。
  刑務官に促されて席を立つ前に、諦めないでできることを続けていくと、確かめあいました。「ここでのご愛、忘れません」と、胸に迫る言葉を残して立ち去りました。

ゴビンダさんに手紙を書いてください   2003年10月28日  かかし

無実のゴビンダさんを愛するみなさまへ(私の友だち●●さんへもBCC配信してます)
 ふえ吹きのかかしです。
 きのう10/27、小野寺さんと、名古屋からわざわざ来てくれたお坊さんと、お午すぎに、ゴビンダさんに、面会してきました。私が想像していたより、彼は、落ち着いていて、言葉少なく、小声でボソボソと喋っていました。あたりまえの話ですが、先々週、上告棄却の前、私が、いちばん調子のいい時の彼に会った時とは、まったく、別人の様な顔をしてました。
 今週中に意義申し立てが却下され、ゴビンダさんが刑期に入れば、もう、しばらく(??年)彼に会えないのかと思うと、こちらも、感無量で、私は、いつもは面会室で思いつくままベラバラ喋るんですが、きのうは、何も言葉が浮かびませんでした。
・・・ゴビンダさんは、みなさんからの手紙を欲しがっています。一字でも名前を間違えると彼に届きません。宛先は、日本語(漢字・カタカナ)でOKですが、ゴビンダさんは日本語は喋るけど、ひらがな・カタカナ・漢字を読むのが苦手なんで、彼へのメッセージは、日本語をローマ字で書いてください。
例えば、
Namaste, konnichiwa ,
Govinda-san.
Ogenki desuka?
Kyou ha asa kara ii tenki desu....
ってな感じで。
 チョー筆無精な私も、彼が刑期に入って、はがきが郵便局から返ってくるまで(刑期に入ると、家族以外からの郵便物は彼に届かなくなる)、きょうから、毎朝、彼に絵はがきを書きます。さっきも、起きがけに、一枚、書きました。
 私は、激励のメッセージは大の苦手なんで、あまり、肩のこらない、短い文章に、下手なイラストや、絵を添えて届けようかと思ってます。

刑務所でどうやって生きていけばいいんですか?教えてください
  2003年10月24日  客野美喜子

 客野です。今朝、西さん、熊谷さんと3人で面会に行ってきました。ゴビンダさんは、一昨日より憔悴した様子ではじめから泣き顔でした。1人きりで悶々としていておそらく夜も眠れないのでしょう。
1)ネパールの家族の近況
 最初に、昨夜ネパールから帰国したばかりの西さんが家族の最新情報を伝えました。
「10月16日(上告棄却前)、イラムに電話してゴビンダさんのおかあさんと話をした。その時はラダさんが不在だったので、翌日また電話してラダさんと話した。二人とも、家族はみな元気なので心配ないと言っていた。その時、また来日するつもりはないかと訊いたら、来年の2月か3月なら行きたいという返事だった。21日カトマンズでウルミラさん宅に行った。じつはマハトさんは、5月頃から病気で入院していたのだが、今はかなり回復して自宅療養している。そこへインドラさんも来たので話をしてから帰った。ウルミラさんに、ゴビンダさん上告棄却の第一報(TBSからの電話)が入ったのは、そのしばらく後のことだった」
2)家族の緊急来日
 ラダさんには、支える会ができるだけ早く来日できるようにするから、そのつもりでいてくれと言ってあります。その他に、家族の誰に来てほしいかを確認したところ、やはりゴビンダさんの返事は、「これからの家族の世話を頼んでおきたいので、インドラ兄さんに来てほしい(このような状況で、両親や子供たちには、来てほしくない)」というものでした。
 一応、念のため、インドラさんは、「ラダさんの不在中、自分が両親の世話をするためにイラムに行くつもりでいる」とメールで言っていると話したところ、ゴビンダさんは、両親の世話はイラムの町にいる姉さんに頼めるはずと言っていました。そこで、私たちとしては、とにかくゴビンダさんの希望を、そのまま家族に伝え、彼らが合意するなら、支える会としては、全力でそのようにとりはからうと約束しました。
3)ゴビンダさんの記者会見用の手紙
 上告棄却後に書いたネパール語の手紙を、昨日、神田先生宛に郵送したとのことです。(31日の記者会見で公表するため、至急の翻訳を蓮見さんからNさんにお願いしてあります)。
4)宅下げ
 支援者からの書信など、刑務所に持っていかない品物(5キロくらい?)を昨日、客野と瑞慶覧さんの名前で宅下げ手続きしたとのこと。これらは次回(30日)面会時に「宅下げ票」をもらっておけば、既決になった後でも1階の窓口で受け取ることができるそうです。
5)面会時間延長願い
 上告棄却後の面会について、毎回、面会時間延長願いを出すよう、ゴビンダさんに言ってあったので、8階の窓口で確かめたところ、その場にいた3人の係官がいっせいに即座に頷いて、「出てます。もう、そのような扱いをしてますから」と言っていました。たしかに、いつもよりかなり長め(20分くらい?)の面会でした。「これからも毎日3人ずつ来ますからよろしく」とお願いしてきましたが、何となく、みなゴビンダさんに同情的であるような印象を受けました。
6)面会可能な期間について
 1階の面会受付窓口で、「上告棄却になり、現在異議申し立てをしているが、通常、どのくらいの期間、一般面会が可能なのか?ふつう1週間くらいと聞いているのだが」と、試みに訊いてみたところ、「人それぞれ違うので、一概に言えない。異議申し立ての内容にもよるだろうし」という返事でした。異議申し立てが却下され、刑が確定した日から、一般面会はできなくなります。この時から既決囚扱いなので、家族でさえ「月に1回」しか会うことができません。ラダさんの場合、来週早々すぐビザ取得手続きをしても、早くても2週間後でないと来られないので、せっかくネパールから駆けつけても、たった1回しか面会できないとの公算が大で、何とも痛ましいとしか言いようがありません。
 今日もまたゴビンダさんは、「刑務所は悪いことした人が行くとこなのに、何にも悪いことしてない私は、これから先、刑務所でどうやって生きていけばいいんですか?教えてください」と、さめざめと涙を流していました。もし最高裁の4人の裁判官がここにいたら、彼の問いかけに何と答えるのでしょうか?

自分だけでなく家族の人生まで破壊された   2003年10月23日  今井恭平

 今井です。きょう午後、蓮見さん、関さんと3人で面会に行って来ました。
  昨日以上に憔悴した顔つきで現れたゴビンダさんは、終始落ち着いてゆっくりと話しましたが、それだけに彼の苦悩の深さを感じさせられてしまいます。上告棄却の決定以来、夜まったく寝られない。もう、泣き疲れて涙も出なくなった、と語っています。
  無期刑というのは、いったい何年入っていることになるのか?悪いことをした人は、刑務所で反省してまじめにやっていこうと考えて生活するのだろうが、そういう場所で、悪いことをしていない自分は、毎日どう考えてどう生きていけばいいのか?
 自分の生命を奪われたという心境だし、自分だけでなく家族の人生まで破壊されたと感じている、
と静かな口調であるだけに胸にこたえました。
  最高裁の判事ども、彼のこの声を目の前で聞いて、それでもあんな杜撰な有罪判決が書けるのか、と思います。彼にとって最も緊急の関心事は、やはりラダさんのこと。ネパールでも上告棄却が報道されたので、支援者からラダさんに連絡した時には、すでにラダさんはこの結果を知っていたこと。ご両親もすでに報道を耳にして、結果を知っていることをお伝えしました。そして、ラダさんは落ち着いて事態を受け止めようとしている、という様子を蓮見さんからお伝えしました。
 みなさん、ぜひゴビンダさんに手紙をたくさん書いてください。いま出来ることは、まずゴビンダさんの怒り、苦しみを理解しようと努めている人がいること、そして何よりも彼の無実を信じている人がいることを可能な限り伝え続けることだと思います。
 刑の確定、服役にむけての具体的な問題についても、一つずつ確実に対応していく必要がありますが、やはり一般面会ではむずかしすぎます。弁護士面会で通訳を通じたネパール語での意志疎通が重要になります。


いったいこの3年は何だったのか!ただごまかすための時間稼ぎじゃないか
  2003年10月22日  客野美喜子

 今朝9時30分、まず神田弁護と(通訳)のお二人、その後、続いて今井さん、瑞慶覧さん、客野の三人が、ゴビンダさんに面会しました。話の内容、ゴビンダさんの様子など、まとめて報告します。
 ゴビンダさんには、昨日の昼、最高裁の棄却決定通知が届いたとのことです。面会室に持ってきていたので、アクリル板ごしに見せてくれましたが、決定理由は、たった5行ていど。要するに「・・・上告理由にあたらない」という、まさしく紋切り型の形式的な文面でした。
「こんな裁判、おかしい!」
 ゴビンダさんは、憤懣やるかたない様子で、最高裁に対する怒りをあらわにしていました。彼の語った内容はおよそ以下のとおりです。
「なぜ有罪なのか、理由が何も書かれてない。被害者の手帳には、私の言ったとおり、2月28日の日付があった。目撃者は、女性が先にアパートに入っていくのを見たと言ってる。精液鑑定は、20日以上という科学的結果が出ている。こういうことを最高裁はどう考えるのか。何も説明しないでただこんな形だけの判決出すなら、いったいこの3年は何だったのか!ただごまかすための時間稼ぎじゃないか。日本は、こんなに進んだ国なのに、裁判所はひどすぎる。貧しい国の人間だから、軽蔑してるとしか思えない。」
 私たちもまったく同感だと言って、近日中に、弁護団と救援会と共同で記者会見を開いて、この裁判の経緯と判決の不当性を訴え、抗議声明を出すつもりでいることを伝えると、ぜひやってくださいとのことでした。
 ここから家族のことに話が及ぶと、目からいっぱい涙を流し始め、
「ふつう仮釈放まで18年、どんなに早くても10年以上と聞いた。両親は年老いているから、もう生きては会えないだろう。できるだけ早く、支援の会でラダさんを呼んでほしい。この前来た時には、必ず無罪判決が出て帰国できると信じて、よい話ばかりしていたので、あらためて、これからのことを相談したいから」と言っていました。
 私たちも、もちろん、そのつもりで、できるだけ早くラダさんを呼ぶよう準備を進める。また服役後、私たち支援者とは今までのように毎日面会したり自由に文通したりできなくなってしまうが、家族の代わりに特別面会を申請するなどして、厳しい制限の中でも、できるだけ連絡を絶やさないようにしていくつもりである。このような最悪の結果になってしまい、私たちもショックを受けているが、今は、泣いたり怒ったりするより、限られた日数のうちにできるだけのことをしておかなければならない時だと思っている。毎日、誰かが面会に来るので、ゴビンダさんも、何か今のうちにしておいてほしいことを考えておいてほしい。
 最後に、最高裁の結果に関わらず、私たちは、みなゴビンダさんの無実を信じており、たとえ何年先になろうとも、ゴビンダさんが国に帰るまで支え続けていくからと、励ましました。
ゴビンダさんは、泣きながらも「よろしくお願いします」と、しっかり返事をしていました。
 以上、とり急ぎ、今日の面会の様子です。もう臨時事務局会議に出かける時間になってしまったので、あとは、事務局会議の結果とあわせて報告します。

2003年10月21日(読売新聞)
ネパール人被告の無期確定へ…最高裁
1997年の東京電力女性社員殺害事件で強盗殺人罪に問われ、1審無罪、2審で逆転有罪となったネパール国籍の元飲食店員、ゴビンダ・プラサド・マイナリ被告(37)について、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)は21日までに、被告側の上告を棄却する決定をした。
4人の裁判官全員一致の結論。被告を無期懲役とした東京高裁判決が確定する。
この事件では、被告を犯行と結びつける直接証拠や自白がなく、検察側の積み上げた状況証拠が1、2審で正反対の評価を受けたが、最高裁は、有罪とした2審の判断を「判決に影響を及ぼす重大な事実誤認はない」と全面的に支持、被告側の無罪主張を退けた。

やることがないのが一番つらい   2003年10月16日  今井恭平

この面会の5日後、突然上告棄却の報を受け取りました。この日が、私にとって未決期間中のゴビンダさんの顔を見た最後の機会となりました。棄却の報を受けた翌朝、急いで東拘に訪ねたゴビンダさんの顔は、5日前とは別人のように憔悴しきったものでした。

 数ヶ月ぶりに、昨日ゴビンダさんと面会してきました。
 一時期、ちょっと太り気味だったですが、久しぶりにみた彼は、ややダイエット成功みたいな感じで、すっきりしてました。とはいえ、あいかわらず睡眠薬を飲まないと寝れないようだし、運動もちゃんと日光を浴びることが出来ないような状態のようです。
  支える会が準備している「無罪勾留シンポジウム」のことなどを伝えました。ほかの会員の人から聞いていたのだと思いますが、ゴビンダさんへの無罪勾留が先例となって、ブラジル人、チリ人などの刑事被告人が、無罪判決を受けた後に勾留されている事例について、ゴビンダさんも知っていました。
  毎日、やることがないのが一番つらいと言っていました。何か読みたいものはあるか、と聞いたら、やはり外のニュースに一番飢えているようで、会員の熊野さんが定期的に入れてくれているニューズウィーク(英語版)がうれしいと言っていました。(彼は読む能力からいうと、日本語よりも英語のほうがいいようです。日本語だと漢字が読めないので)
  日本語で来た手紙は、担当の看守に読んでもらうそうです。
 そんな話しと、健康状態の確認などをしたら、以前よりは少し時間が長くなったとはいえ、面会はあっけなく終了時間となりました。一日にたった一度の楽しみである面会、せめて30分くらいでもゆっくり話せるといいのですが。このあたりは日本の刑事施設は圧倒的に遅れています。
  東拘はあいかわらず工事中で、ちょっと行かないと様子がかわってしまってます。以前にはなかった立体歩道橋みたいなものが構内にできていて、面会者はこれをわたらないと入れません。高齢者にはあの立体歩道橋の上り下りはかなりしんどいと思います。