無実のゴビンダさんを支える会

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ネパールの内戦   2002年9月30日  岡野美津子

「ナマステ」と挨拶をかわすと、ゴビンダさんは、早速、何か、 便箋にはさんだものを、広げて見せてくれた。ネパールの 美しい切り抜きだった。娘さんたちが、Tiju(ティジュ=日本の和服にあたる第一正装)を身に纏い、お祭りで踊っている。「ラダさんも、踊れますよね?」と訊くと、「はい」と答えた。 でも、現在のラダさんは、ゴビンダさんが無事に帰国するまで、踊るのをやめているのだ。そのことを私は、ラダさんから聞いて 知っている。もちろん、ゴビンダさんも知っているだろう。しかし、 つらいので、どちらも、その事実は、口に出さなかった。
 次の切り抜きを見せ、「Kumari(クマリ)です。知ってますか?」 と訊かれたので、「よく知ってます。ラダさんが来日した時、記者会見の夜に歓迎パーティをした、ネパールレストランの壁に クマリの写真がたくさん飾ってあり、教えてもらいました」と 答えた。
 最後の切り抜きは、ネパール国王の次にあたるHirdandraの家族写真である。8月末に誕生した二番目の女の赤ちゃんが、 Hidyandraと名づけられ、これは「二人の心の愛の者」という、日本で言えば「愛子さま」と同じような意味だと 説明してくれた。姉のプニカ王女は、写真では、4歳くらいに見えた。
「先週の新聞に、ネパールは内戦状態で300名も亡くなったと 書いてあった。ほんとうに心が痛みます」と肩を落とした。 「イラムは、大丈夫でしょう?」と訊ねると、「今の所、カトマンズだけ。でも、イラムから車で10〜15分走った地域で、女の子が『拉致』される事件が多い」と、顔を曇らせた。 集団でジープに乗って来て、家の中まで入り、美しい子供をさらっていくらしい。二人の娘のことが心配なので、よく注意するよう、家族への手紙にも書いているという。
 いつも故郷を思い、家族を案ずるゴビンダさん。彼の心の平安と、 この地球の平和を祈らずにはいられない。

みなさんに、ありがとうと言ってください   2002年9月11日  客野美喜子

 ゴビンダさんの面会に行って来ました。岡野さんからの報告で、下痢に苦しんでいると聞いていたので、 まず健康状態をたずねると、昨日、医者にみてもらったところ、やはり神経性の下痢だろうということで、「リラックスできる薬」(精神安定剤)を処方してくれた。そのおかげで、昨夜はよく眠 れたので、だいぶ楽になったとのこと。
  9月1日付けの手紙(通信用の原稿)が届いたことを伝えると、「どうでしたか?」と、内容を気にするので、「とってもいい。この 調子で書き続けて」と大いに褒める。ライフストーリーも、少しずつ書こうとしているのだが、子どもの頃のことは、忘れていることが多 くて、なかなか筆が進まないと嘆くので、それでも、書いているうちに、だんだん思い出してくるから、あきらめないで、ゆっくりでいいからと 励ます。通信用の原稿は、日本語(ローマ字)だが、ライフストーリーは、ネパール語で書いているので、神田先生経由でと確認する。 今日、支える会からの9月分支援金(5000円)を差し入れたことを 知らせると、「みなさんに、ありがとうと言ってください」とのこと。
 ゴビンダさんに一度も会ったこともなければ、支援活動をしている 私たちにだって会ったことのない人たちが、それぞれ、本を読んだり、 HPを見たり、誰かから話を聞いたりして、自分からすすんで、入会やカンパをしてくれている。ゴビンダさんがいつも言っているように、この 裁判はおかしい、ゴビンダさんは無実だから、なんとか助けてあげたい、そう思って、応援しているんだから、その気持ちにこたえて、がんばり ましょうね!と言うと、「ほんとです。私の所にも、知らない人から、よく手紙やお金が来ます」と、大きくうなづいていた。
 ・・・それにしても、彼は、あと何年、この状態に耐えればいいのか。 とにかく、健康でさえいてくれればと、祈るばかりである。

眠れないと下痢が続く   2002年9月9日  岡野美津子

「ナマステ」と、便箋を小脇に抱えて入ってきたゴビンダさん。席につくなり、ネパールの美しい山々を背景に建つ、ゴビンダ さんの自宅の写真や、家族達の写真を見せてくれた。瑞慶覧さんがネパールで撮ってきた最新の写真だと、懐かしそうに言う。 二人の娘さんは、学業も優秀で、上級進学試験に合格して いるそうだ。二人とも、とても美しく、聡明な顔立ちをしている。
 ラダさんは、帰国してから5キロ太ったとのこと。ゴビンダ さんの兄さん夫婦も、自宅前に勢ぞろいだ。山から山づたいに、 パノラマ写真で、ゴビンダさんの2軒の自宅が写っている写真もあった。緑の萌える、のんびり暮らせそうな山岳地帯というかんじ。 写真を見せながら、家族から届いた手紙の内容を一生懸命、 説明してくれる。ラダさんの手紙には、日本滞在中の感謝のことばも書かれていたとのこと。
「金、土、日は、よく眠れました。その前の2日間は、眠れません でした。眠れないと下痢が続くので、困っています」と、訴える。 「心に心配があると、眠れないんですね」
「せめて下痢だけでも治る薬がほしい」
 今日の午後、医師の診断を受けることになっているという。苦しい症状や心の中のことを、ありのままに医師に話すことで、 楽になればいいけど、ここから出られないと、全ての解決にはならない。「でも、がんばりましょう」と、言ってしまった。
 ちょっとした出来事も、拘置所の中にいると、過敏に反応して しまう。神様、お願いします。一日も早く、ゴビンダさんを自由に してください。そして緑萌える、のどかな故郷、イラムに帰してあげてください。今の私には、祈ることしかできない。
「雨が激しく降っていたので、今日は、来てくれないかと心配して いました」と、まるで子どものように言うゴビンダさんを、私は 「安心して」と、慰めた。私は、日本に来たラダさんに約束した。
 可能なかぎり、拘置所を訪れ、少しの時間でも、ゴビンダさんを 独房から出してあげると。ここへ来たくても来られないラダさんの 代わりに、私は、これからも、週に一度の面会を続ける。

こうたろう君の夏休みの終わりに   2002年9月2日  岡野美津子

 番号を呼ばれたとたん、こうたろうがものすごい勢いで走り、奥の9番の部屋に入って行った。私が歩いて入室した時には、すでに ゴビンダさんとの、いつもの二人の儀式(ガラスの両面から手を合わせる)とナマステの挨拶を済ませて、こうたろうは椅子に座り ゴビンダさんは、優しいまなざしで微笑んでいた。
「今日は、むくんでいない、すっきりした表情ですね」と言うと、「この5日間はとてもよく眠れました」と、晴れやかな顔で答えた。 ネパールから帰国した瑞慶覧さんが、記者会見や家族の様子を報告に来てくださった8月28日から数えて、今日がちょうど5日目 なのだという。
 国民救援会のような大きな組織の支援を受けたことで、とても励まされ、また瑞慶覧さんがイラムの家族に会ってきてくださったことで安心し、東京拘置所に入ってから初めて、5日間もよく眠れたのだ。
「ネパールに行くと聞いても、カトマンズだけだと思っていたのに、イラムにまで足を運んで下さるなんて」と、胸が一杯の様子だった。
 28日の瑞慶覧さんの面会では、時間が足りなくて伝えきれなかった こと、二人の娘さんたちが瑞慶覧さんと英語でよく会話できたことなどを私から補足した。「娘さんたちは、二人とも聡明で、しっかりなさっているんですね」と私が言うと、ゴビンダさんは、私の息子に「こうたろうくんも、勉強、がんばってね。そして約束どおり私とネパールに行って、高い山に登ろうね。日本の富士山とちがって、 ヒマラヤは、1年中雪なんだよ」と、親戚のおじさんのようなかんじでやさしく話してくれた。そして私にも「あと5年は養育が大変だけれど、 がんばって、こうたろうくんを育ててあげてください」と、今までにないほど余裕のある口調で言った。
「ゴビンダさんの着ているウェア、とてもかっこいい。似合ってるね」 と息子が言うと、「シスター・ヘノベバのおみやげです。フランスチームジダンの5番の背番号付きです」と、後ろを向いて背中を見せてくれ、とても嬉しそうだった。
 苦しく困難な拘置所生活だが、支援の輪が広がり、ゴビンダさんの 無実の訴えを信じて支援してくださる多くの人々の支えが、こんなにも彼に希望と勇気を与え、一人の人間としての心の余裕を生み出すのか と感心した。
 面会終了の合図で、息子が「夏休みが終わったから、しばらく会いに来られないけど、また手紙書きます。日本語の練習、がんばってね」と別れを惜しむ息子に、いつもは刑務官に促されるとすぐ指示に従うゴビンダさんも、自分の娘さんの様子を重ねて切なそうで、なかなか立ち去りがたい様子だった。しかし、「暑い中、ありがとう。勉強、がんばって。お母さんの言うことをよくきいてくださいね」と、立派な 大人としての挨拶をして去った。
 日本の国の対応は、国際的にまだまだ遅れており、他国の方々に 申し訳なく、日本人として恥ずかしい。それなのに、こんな日本人にやさしく接してくれるゴビンダさんに、感謝の気持ちでいっぱいである。
 8月25日付けの『救援新聞』に掲載されたゴビンダさんの特集記事と『ゴビンダ通信No.4』をガラス越しに見せて、内容を説明した。
次の『ゴビンダ通信No.5』に向けての原稿も、すでに書き終わり、 今日発送したそうだ。

ネパールの家族に会ってきたよ   2002年8月28日  客野美喜子

 今日の午後、瑞慶覧さんと一緒にゴビンダ さんに面会してきました。以下は、その報告です。
「お帰りなさい!ネパールは、どうでしたか?」が、面会室に入ってきたゴビンダさんの第一声でした。よほど瑞慶覧さんの帰国を待ちかねていたのでしょう。いつもの「ナマステ」の挨拶さえ、すっかり忘れていたくらいです。
「カトマンズのお兄さんの案内で、イラムまで行ってきました。ゴビンダさんの部屋に泊めてもらいましたよ!お父さん、お母さん、 お子さん達から、あなたへのメッセージがあります」
 瑞慶覧さんが日本語によるメモを読み上げました。 ほんとはテープに録音されているのです。生の声を聞かせて あげられないのが残念だけれど、しかたがありません。
「帰りを待っている」というご両親の言葉や、「お父さん、早く 会いたい」という子供達の言葉を、ゴビンダさんは、身を乗り 出して聞いていました。
 ゴビンダさんは、暑くて眠れない夜などに、よく故郷の川で 泳いだことなど、子供時代のことを思い出したりするそうです。
「以前、客野さんから、ライフヒストリーのようなものを書いて みたらどうか」と言われていたので、思い出したことを少しずつ、 書き始めた。あるていど、書けたところから送るので、通信などに載せてほしい」ということです。 昨日発送した「ゴビンダ通信No.4」(ゴビンダさんの手紙が載って いる)、8月25日付けの「救援新聞」(支援決定と事件解説が大きく 写真入りで掲載されている)を、ガラス越しに見せました。 ラダさんからの手紙、お姉さん一家の写真、ネパール語の新聞や雑誌など、瑞慶覧さんが持ち帰ってきたものについて も、ひととおり見せて、それぞれ適切な方法で手元に届くよう にすることを、約束してきました。

差し入れの規則にとまどう   2002年8月26日  comcom

 岡野さんに付き添っていただいて、初めての面会に行って来ました。
 てきぱきと説明してくださる岡野さんがいなかったら、きっとおろおろしてしまったろうと思いました。
 まず入り口が、裏口みたいでよくわかりにくかったです。 門の前に「差し入れ屋」っていうのがあるんですね。
 待合室の壁に掛かっている規則がやたら多い(中の、差し入れ規則も多い)。
 こんなの、「面会について」っていうリーフレットの一つも 作ってくれたらいいのにと思いました。
 差し入れられるもの、数、とても覚えられません。なんでこんなに細かいのかよくわからないし。
 申込みの紙を書いてから待合室に戻るとか、初めてだったらわからないと思います。
 順番が来て、服装・手荷物の検査をされるところで 二人の担当者の方がいましたが、一人の方が「中を見せてもらうよ、いいかな」と。 そういう言い方はないだろうと思ったんですが、こういうところって、変にトラブルと、中の人(ゴビンダさん)に 影響あるかな、とか思ってしまって何もいいませんでした。
 面会者に対してこうなのだから、収容されている人に対しては 推して知るべしという感じがしました。
  差し入れは、本当はネパール語の本を持っていきたかったのですが 八重洲ブックセンターでも紀伊国屋書店でも扱ってないというので、岡野さんに「英語でも」と伺っていたので、 英語の映画の雑誌を2冊持っていきました。
 どこか、ネパール語の本を扱っているところご存じでしたら教えて下さい。思ったより狭い、でも、思ったより明るい面会室で、初めてゴビンダさんにお会いしました。
 甚平を着て、にこやかに・・・でも、一生懸命にこやかにしているように見えました。
 ちょっとあがってしまった私を岡野さんがてきぱき紹介してくださり、 事務的な(?)連絡事項も話されていました。
 私は、昔ネパールに行ったこと、目玉寺にお参りしたことなど話しました。ゴビンダさんは、「田部井淳子さんを知っていますか?彼女はとても有名です。」と、日本の登山家の話をしてくださいました。 また、ネパールでとった写真があれば見たいと。
 私は、岡野さんから、ゴビンダさんがネパールの新聞をとっていらっしゃると聞いていたのでネパール情報には不足ないと思ったのですが、やはりふるさとの姿は見たいのですね。
 探してお送りすることをお約束しました。
 岡野さんは、ラダさんの写真を差し入れしたことを伝え、ゴビンダさんは うれしそうでした。(あとで聞いたことは、前に差し入れたラダさんの写真は悲しそうな顔ばかりだったので、ゴビンダさんに頼まれて、ディズニーランドにいってうれしそうにしている写真を探してこられたそうです)また、ほかの方もいわれていた「夜、どうしたら寝られますか」と、私も聞かれて困りました。なんといったらいいのか・・・ そんなことを話しているうちに、となりにいた看守(?)の人が書類をまとめ始め、 私が「え? え?」と思ううちに面会は終わり。 思わずゴビンダさんとの間の透明な板に手を当ててせめてゴビンダさんと手を合わせました。 握手して励ましたかった。 あんまり急なので涙出そうになりました。
 岡野さんが、「家族だったらどんな想いだと思いますか」といわれました。こんな、後ろ髪引かれる思いでラダさんは通われたんですね。
 もちろん、もっともっとつらい思いで。
 終わる前に、岡野さんが忘れずに差し入れの希望を聞いて下さったので 「黒いソーセージの缶詰」と、(黒いというのがわからなかったけど下半分が黒いフランクソーセージの缶詰が差し入れのお店にあったのでそれにしました)「花がほしいです、花瓶があります」といわれたので花束を頼んできました。 岡野さんが確認してくださったのですが、今日中に届くそうでした。
 翌日になることもあると彼女が教えてくれました。とにかく、最初から最後まで岡野さんが手を引いてくださった面会でした。
 客野さん、よろしくお伝え下さい。

山に登ったこと、ありますか?   2002年8月19日  岡野美津子

 なぜか今日は、「いらっしゃいませ!」と手を合わせて 入室してきたゴビンダさんである。息子のこうたろうと、 ガラスの両側から手と手をぴたっとつける。心を通い合わせるための二人の「儀式」である。
「台風なのに来てくれて、ありがとうございます。やっと ラダさんからの手紙を先週受け取りました。日本滞在 中の出来事や支援者達との交流、プライベートな外出の思い出を、帰国してから振り返って、とても感謝して いる。皆様にくれぐれもよろしくと書いてありました。ゴビ ンダからも、皆様に『アリガトウ』と伝えてください」とのこと。
「先週は、月曜から金曜まで毎日、訪問者がありました」と、 にこにこ顔で話してくれた。オーストリアの妹さんからも、 手紙、写真、かっこいいえんじ色のTシャツスーツが届いたので、ご機嫌である。
 日本滞在中のラダさんの写真で、今ゴビンダさんが持って いるものは、「悲しい表情」ばかりなので、「笑顔の写真」を 持ってきてほしいと言う。私が困っていると、息子が「買い物したり、食事に行ったり、ディズニーランドに行った時のラダさんには、笑顔がたくさんあったよ」と話してくれたので、 ゴビンダさんは、安心したようだ。
「夏休み、どこか遊びに行きましたか?」という質問に、「まだです」と息子が答えると、「山に登ったこと、ありますか? 私は登山が好きで、日本に来て、富士山も火口まで登ったよ。ネパールには世界一高いエベレストという山がある。こうた ろうくん、いつか一緒に登ろうね。知らなかったら、お母さん に教えてもらってね」
 ゴビンダさんは、そういう登山の思い出に耽るかのように、うっとりしながら話をしてくれた。
「ラダさんも、日本に来た時、客野さんたちと一緒に富士山に登ったでしょ?」と私が口をはさむと、「ちょっと、 違いますね。ラダさんは、車で行っただけ。私は全部、自分の足で登った!」
 毎日じっと座っているだけの拘置所暮らしの中で、自由に動き回っていた頃のことに、思いを馳せているらしい。
「こうたろうくんは、好きな食べ物は何ですか?私は、牛丼、 カツカレー、チャーハン、餃子、ラーメン。でも、拘置所では 食べられない。ここでは、好きなことは、全部ダメ・・・アイス クリームみたいな、甘くて冷たいものは、虫歯になるから 注意しないとね。私は虫歯、2本しかないよ。こうたろうくん、 歯を大切にしてね」。息子と話している時のゴビンダさんは、まるで良いおじさんのようだ。「この手を見てごらん」と言って、 手を握りこぶしにして見せてくれた。こぶしを床につけて 腹筋をしているので、指のふしにタコができている。息子はびっくりしていた。
 大人の私でも驚く事実がたくさんある。今日の読売新聞によると、日本は受刑者急増のため収容率104%なので、 刑務所や拘置所を新設するという。しかも予算が法務省関連年間予算100億円〜200億円が見込まれるそうで、今後3〜4年で収容定員を1万人増やし、将来の8万人 時代に備えるのだそうだ。
「ゴビンダさんを早く解放してあげてください。神様、 お願いします」と、息子はいつも祈っている。

花を差し入れよう   2002年8月14日  熊野里砂

 お盆の週だからか、前回初めて客野さんと面会に行った時よりも待っている人の数が少なく、実際面会室に通されるまでの時間も、受付をすませてから40分程度と短くすみました。ということは普段よりも長く話せるのかと淡い期待を抱きましたが、結局6分程度でした。
 一緒に呼ばれて面会室に入った人があと二人いたのですが、出てきたときは私ひとり。私と同じタイミングで男性が入っていった隣の部屋からは、まだ男性の声が聞こえてきます。ふと思ったのですが、あの面会時間は誰がどう決めているんでしょう? まさか、ゴビンダさんだけ異様に短いなんてことはないでしょうね、とつい疑ってしまいました。この点は一度はっきりさせたいものです。
 待合室は窓が全部開け放たれていたので風通しがよく、想像していたよりは 暑くありませんでしたが、締め切られた面会室はさすがに蒸しました。
 ゴビンダさんから「教えてください。どうしたら夜眠れますか。」と言われた時は返す言葉がとっさに見つからず、心の中で思わず「ごめんなさい」と誤りました。
 昼寝はさせてくれるらしいですが、昼間はうるさくて眠れないとのこと。薬飲んでも眠れない、薬のみ過ぎると体に悪い、自然に眠くなるまで待つしかないのか、とたたみかけられ、心が痛みました。
 今回は、3月にネパールにトレッキングに行った時の写真を持参し、窓越しにゴビンダさんに 見てもらいました。私達が旅行したムスタン地方はゴビンダさんも行ったことがないそうで、 国に帰ったらぜひ行きたいと話していました。ネパールはいい国、きれいな国だからいろんな人に見てもらいたい、と。(ちなみに写真をめくるたびに守衛さんの視線を感じました。) 昨日は私が行くことを知らなかったようで「来てくれて嬉しい、ありがとう」と言っていました。
 花を差し入れようと思っていることを伝えると、とても喜んでくれ、 花瓶があるから10日くらいはもつんだと教えてくれました。ほんの少しの間だけでもゴビンダさんの心が和めば何よりです。
 面会後、花束の差し入れをお願いして帰りましたが、どうも気が滅入ってしまいます。 大きく立ちはだかる「権力」や「システム」に対して、なんて小さなことしかできないんだろう、 と自分の無力感を感じてしまいました。もちろん、そのわずかなことが少しでもゴビンダさんの 心の支えになると信じてこれからも自分にできることをできる範囲で続けようと思います。 とは言え、何かもっと根本的な解決につながることはないか、何をしたらゴビンダさんを 家族の元へ返してあげられるんだろう、とつい考えをめぐらせてしまいました。

ヨーグルトの差し入れはできない   2002年8月13日  今井恭平

 ゴビンダさんに会ってきました。
 開口一番、「暑いですね〜。夜、毎晩眠れない」もちろん、エアコンも扇風機もない狭い部屋に閉じこめられている状態の彼だから、熱帯夜をもんもんとしているだろうことは想像に難くありませんが、ほんとうに辛そう。でも、昨日は事務的に伝えたり確認する大事なことも多かったので、世間話もそこそこに、本題に。
 国民救援会の支援決定についての文書を、ローマ字で書いてもらったものを読んで、その感想や返事を、すぐに救援会に送ったとのこと。
 国民救援会の支援決定は、彼にとってとても大きな嬉しい出来事だったようで、「ありがたいことです」と繰り返し述べていました。 また、救援会の直接の担当者である、瑞慶覧さんが17日からネパールに約一週間の予定で行かれるので、その間、カトマンズでの記者会見や、家族への伝言などのことで、いろいろ気がかりな点もあるようで、一生懸命に、真剣なまなざしで話していました。いつもの人なつこい笑顔も見られましたが、やはり家族のことが一番気がかりなのだ、ということがとてもよく分かります。 ラダさんに電話をするから、伝えたいことがありますか?と聞いたら、神田弁護士を通じて送った手紙が届いているかどうか、確認して欲しい、とのこと。
 きょうは、誰も面会がないかもしれないと思っていたから、嬉しかったとひと言。
 面会は、変化のない彼の毎日にとって、せめてもの慰めになっていることをあらためて感じました。 最後に、何か差し入れて欲しいものある?と聞いたら、遠慮がちに、「1個でいいですからリンゴが欲しい」 彼はほんとにリンゴが好きなのだなと思いますが、暑い独房の中では、リンゴの甘酸っぱい味がせめてもの救いになるのかもしれません。リンゴを差し入れるとき、差し入れ屋に聞いてみたのですが、ヨーグルトの差し入れはできないそうです。ヨーグルトなんて、くさるものでもないし、なぜ差し入れを許可しないのか理由が分かりません。日本の行刑は、すべて、まず制限する前提の上で、例外的に何かを許可するという考え方。およそ意識は江戸時代の武士階級による百姓支配の頃と同レベルです。
 アメリカやヨーロッパの監獄は、刑が確定した後でも、そしてもっとも厳重な警備に置かれている死刑囚ですら、電話を使うことができます。それはほとんど常識で、日本は、逮捕された瞬間から被疑者段階であれ、被告であれ、いっさい電話が使えないというのは、ほとんど信じられないほどの非常識です。自分のほうからも、コレクトコールで電話をすることができるし、その相手も、ほとんどの場合制限がありません。親族である必要もありません。アメリカの刑務所から、日本に電話をかけることもできます。せめてこうしたことが可能であれば、ラダさんやご両親の声、そしてまだ見たことのない娘さんの声も聞け、彼がいつも案じている家族のことでも少しは助けになるだろうに。ラダさんにしても、せめて電話で話でもできれば、いろんな相談もできるだろうに、と思います。電話が使えないと言うことが、いかに世界的な人権基準や国連が定めている被拘禁者の人権最低基準(“最低”基準です)に抵触する非人道的な処遇であるのか、もっと声をあげて改善させていかなければならないと思います。
 冷暖房の問題もそうです。現在立て替え中の東京拘置所は、完成すれば、窓からいっさい外が見えません。運動も、コンクリートの床の、屋上でやらされるようです。そしてハイテクの監視システムが導入され、テレビカメラによる監視が常時行われます。これだけ金をかけて設備を新しくしても、冷暖房などの改善はいっさいありません。夏は猛暑。冬は酷寒です。これは、アメリカでも問題になったことがあり、数年前にテキサス州で猛暑がつづいたとき、数名の囚人が熱中症で死亡しました。この時は、支援団体などが、扇風機の差し入れのためのカンパを集めたりしていました。扇風機が使えるところは、まだしも日本よりましかもしれませんが、金があれば扇風機が買える、そうでない人は死ね、ということでしょうか。 こうした非人間的な処遇をしている国が、犯罪を犯した人たちをまともに「矯正」など出来るのでしょうか???

ヨーグルトを 食べる夢を見ると、良いことがある   2002年8月12日  客野美喜子

 客野です。午前中、小菅に行ってきました。 月曜日は、土日の休み明けなので、いつもより混んでいるのを覚悟して行きましたが、やはり案の定で、長く 待たされたあげく、せいぜい6分ほどの短い面会でした。
 以下は、その報告です。
 先週の木曜日に山田さん、瑞慶覧さんが面会に来て くださって大変嬉しかった。その晩は、暑さのせいで熟睡とまではいかなかったが、ヨーグルトを食べる夢を 見た。朝、目を覚ました時、子供の頃、「ヨーグルトを食べる夢を見ると、良いことがあるよ」と、いつもお父さん お母さんが言っていたのを思い出し、とても幸せな気持ちになったのだそうです。
 国民救援会の全国大会決議文(ローマ字化して 送ってくださったもの)が届いたので早速読んだが、「ちょっと難しかった」とのこと。読んだ感想を救援新聞に掲載して 下さるそうなので、できるだけ早く書いて送るようにと言ったところ、今日はもう規定数の手紙を出してしまった ので、明日か明後日には必ず送りますとのことでした。
 瑞慶覧さんがいつからネパールに行くのかという質問をしてきたので、記者会見の予定や家族に会うつもりでいることなど、この前話したことをもう一度、伝えました。
 木曜日の面会の後、救援会本部に行き、Iさん、Tさんも加わって、今後の協力体制について相談したこと、最高裁へのはがきや署名など全国の救援会に呼びかけてくださることなどを報告し、今までよりずっと多くの人が応援してくれるのだから、あなたもがんばってねと、激励。
 その他、家族への手紙や差し入れなど、こまごました事務的な確認をしている内に、あっという間にタイムアウトとなりました。今日はいくらか涼しくなったので、連日の猛暑に苦しんでいたゴビンダさんも、やっと一息つけたというかんじでした。この 涼しさがしばらく続いてくれればよいのですが。

5万人の支援   2002年8月8日  客野美喜子

 国民救援会の山田会長と中央本部の瑞慶覧さんをお連れして、ゴビンダさんの面会に行ってきました。以下は、その報告です。
 全員が胸の前で両手を合わせて「ナマステ」の挨拶の後、私からゴビンダさんに山田さんと瑞慶覧さんを紹介しました。ゴビンダさんは、お二人が「ゴビンダさん支援Tシャツ」を着ているのにすぐ目をとめて、「ありがとうございます」とにっこり。この日のために、あらかじめゴビンダさんから「面会時間延長願い」を出してあったので、それが許可になっているかどうか、まずはじめに、私が立会いの看守に確かめたところ、「10分まで延長になっています」との返事。「10分間、延長されるのですか?」と訊き返すと、そうではなく「延長して10分」だというので、呆れてしまいました。「あそこ(掲示板)には30分と書かれてますよ」と、山田さんがやんわり抗議したけど、「混んでしまうので、ふつうは、7〜8分です」。これ以上押し問答しても仕方がないので、あきらめて話し始めました。
 山田さんから、「来日したラダさんの要請を受けて、国民救援会が独自に学習と調査を行った結果、ゴビンダさんが冤罪であることを確信し、正式な支援を決定した。これに基づいて、7月末の全国大会で最高裁に対する要請を決議した。その決議文をローマ字にして、一昨日ゴビンダさんに送った。届いたらすぐ、それを読んだ感想を書き送ってほしい。それを、調査報告と一緒に次の救援新聞に掲載する」とのお話がありました。私が持参した救援新聞を見せて、「この新聞が、全国の5万人に、5日毎に送られている」と補足すると、ゴビンダさんは「ボクはとてもラッキー」と感激した様子でした。
 瑞慶覧さんが、近々個人的な旅行でカトマンズに行くので、ちょうど良い機会だから、記者会見を開いて救援会の正式支援決定を報告すること、ゴビンダさんの家族にも会うつもりでいることなどを話すと、「イラムにもぜひ行ってください!」とゴビンダさん。雨期のためイラムまでの交通事情が悪いので、行かれるかどうかわからないが、できれば行きたいと思っていると、瑞慶覧さんは答えていらっしゃいました。 ゴビンダさんは、「夜眠れないし、体の調子も悪い。こうして面会してる時は、嬉しいから笑った顔をしているけど、一人で部屋にいる時は、こんな顔じゃない。わかりますか?」と拘置所生活の辛さを語り、この日のために用意していた覚書を見ながら、「一審で無罪だったから国に帰れる筈だったのに、入管からまたここに連れ戻されて、ほんとにひどいです。私、何もやってないから、何も証拠ない。だから、一審で無罪だったのに、高裁の有罪判決はおかしい。助けてください、お願いします」と訴えました。
 山田さんは頷きながら、「あなたが一日も早く国に帰れるように、できる限りのことをしていくつもりですから、希望を持ってがんばりましょう」と山田さんは、暖かい言葉をかけてくださいました。面会終了時、ゴビンダさんは「ありがとうございました。今夜はよく眠れそうです」と言って、名残惜しそうに部屋を出て行きました。
 このような猛暑の中、救援会のお二人が会いに来てくださったことで、ゴビンダさんには大きな励ましの力になったことと思います。今後、救援会の方でも、面会・差し入れ支援の呼びかけをしてくださるとのことです。
 毎日1本ずつ、届くようにしている牛乳が、ちょうどきれるところだったので、山田さんがあと20日分を差し入れしてくださいました。「寝苦しい夜を過ごしているので、朝起きて冷たい牛乳を飲むと、すっきりして気持ちよい」のだそうです。読むものがなくなってしまったので、何か持ってきてくれと言われていたのですが、ネパール語のものを入手するのが間に合わなかったので、この日はとりあえず、英語の新聞とニュースウィーク誌を差し入れてきました。瑞慶覧さんも、ネパールから読み物を買ってくると約束してくださいました。
 10日の平和祈願祭でビラまきをすることも伝え、暑いけれど私たちもがんばっているのであなたも暑さに耐えてがんばってと、激励してきました。
 以上

毎日、何をしてるの?   2002年8月5日  岡野美津子

 先週面会した時に約束していたとおり、今日は、小学生の息子を連れて面会に行った。ゴビンダさんは、面会室に入ってくるなり、息子に向かって「こうたろうくん、どうもありがとう。来てくれて!」と、優しい笑顔を見せてくれた。早速、ネパールから届いた最新の家族の写真を取り出し、「こうたろうくんに見せようと思って、ここに持ってきました」と言って、ご両親、ラダさん、二人の娘さんについて、説明を始めた。昨年の夏休み以来、1年ぶりに私の息子と面会したゴビンダさんは、彼の成長と娘さん達の成長とを重ねあわせて、話をしているらしい。二人の娘さんは、とても背が高く美しくなっていて、ゴビンダさんの宝だという思いがよく伝わってくる。
「ラダさんとマハトさんが日本に来た時、ディズーニーランドに一緒に行って、楽しかったんだよ。買い物したり、ボクのうちにも来てくれたんだよ」
「知ってる。ラダさんから聞いたよ。どうもありがとう」と、話が弾む。
「こうたろうくんは、ローマ字が読めるかな?手紙を出したいんだけど」
「まだ習ってないので、ママに読んでもらう。ボクの手紙は、ママにローマ字に直してもらって、送ります」と、約束を交わす二人。
「そのバッグ、よく見せてください」とゴビンダさんに促され、こうたろうは、ポケモンバッグを高く上げて見せた。「カワイイね。イエローがきれい」
「女の子には、ピンクがいいわね。今度、ピンクの可愛いアニメグッズを見つけたら、娘さんたちに送ってあげましょうね」と、私。
「ウナギの缶詰、久しぶりで美味しかった。ダイエットで5キロやせました」
 2ヶ月に一回、体重測定があるのだという。ここで、こうたろうが、突然、「毎日、何をしてるの?」と、今のゴビンダさんにとっては、残酷な質問をしてしまった。ゴビンダさんは、
「何もすること、ありません。じっと部屋にいるだけです」と悲しそうな顔をしたが、すぐ「ネパールにいる時、夏は、マイコラという川でいつも泳いでいました。泳ぎは得意でした」と続けた。そして「拘置所の部屋にいると、夏休みは、表から子供の声が、賑やかに聞こえてくるんです」と、遠い眼差しになった。ネパールで家族と過ごした夏の日々を思い出しているのだろう。
 待合室も面会室も、うだるような暑さで、みんな、汗をダラダラ流している。独房は、地獄の暑さにちがいない。独房から面会室まで階段の上り下りが何度もあるので、来るまでによけい汗をかくのだと、ゴビンダさんは言っていた。着ているジンベエの下は、汗、汗、汗・・・
 昨夜、巣鴨プリズン(元巣鴨拘置所)のTV番組を見た。独房も雑居房もひどい状態で、不衛生そうに見えた。小菅も似たようなものかなと、胸が痛んだ。面会中ずっと、私の息子と、ガラスの両側から手を重ね合わせていたゴビンダさん。叔父が亡くなったので、来週は面会に来られないと伝えた時、「お祈りしていますね」と心から言ってくれたゴビンダさん。限りなく優しい、無実のゴビンダさんである。

追伸: 8月8日、国民救援会の山田会長と瑞慶覧さんの初面会をとても楽しみに待っているとのことでした。