無実のゴビンダさんを支える会

Justice for Govinda Innocence Advocacy Group

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PLEASE HELP ME !!!   2002年7月22日  岡野美津子

 どことなく、心細げな様子で入室してきたゴビンダさんである。「今日はもう来ないのかと心配していました」と言われたので、「小学生の息子が夏休みになったので、今日は午後になってしまったのです。先週伝えておけば心配させなかったのにね。ごめんなさい」と謝った。すると、「大丈夫です。カレンダーを見て、夏休みだとわかっていました」といつもの笑顔になった。今、一番心配なことは、ラダさんと二人の娘達のことだと言う。「イラムとカトマンズは離れているので、往復するだけでも大変だから、ラダさんはカトマンズに住みたがっている。しかし、ゴビンダさんの両親が街に住むのを嫌がるので、しかたなくイラムにいる。カトマンズとの行き来の途中で、万一テロに襲われでもしないかと、気が気ではない」そうだ。このように、いつも家族に思いを寄せているゴビンダさんである。国民救援会の山田会長に手紙を書きましたと話してくれた。山田会長も、その内、時間を作って拘置所を訪ねてくださるそうですと伝えると、とても嬉しそうに安心した笑顔を見せてくれた。7月24日に阿部弁護士を招いて学習会を行うことを話す。「支える会」が各方面にさかんに働きかけていることを知って、ゴビンダさんも、今までとは、意気込みが違ってきているようだ。「この日の集まりのために、何かメッセージはありますか?」と訊いてみた。すると、即座に次のような答えが返ってきた。
「いつも言ってることですが、阿部先生と支援者のみなさんに、あらためて伝えてください。私は無実で、何も悪いことはしていません。神様は全て知っています。暑くて暑くて眠れません。助けてください。PLEASE HELP ME !!!」

 追伸:
 ダイエット中なので、なおさら、暑さがこたえるようだ。「もう動けない」と訴えるゴビンダさんに、今日だけは特別にウナギの缶詰を差し入れることにした。日本では、土用の丑の日にウナギを食べると、先日のラジオ放送で聞いて知っていると、大変喜んでくれた。

1週間は、あっという間ですね   2002年7月15日  岡野美津子

「ナマステ、どうですか?」いつもどおりの笑顔だが、今日のゴビンダさんは目に力がなく、しんどそうだ。「外はここ(拘置所)より暑いですか?」と早速訊いてきたところから察するに、やはり暑さでばてているらしい。
「風が強いですよ」などと外の様子を伝える。すると、「ボクは不幸です。外にいる人たちは、みんな幸せでいいですね!」と言われた。
 私は少し戸惑ったが、「それは違うよ、ゴビンダさん。ゴビンダさんは、この中にいて、とてもつらいし、大変な目にあっているけれど、みんな、人はそれぞれ何かを抱えて生きていると思う。あなただけが不幸で、他の人たちが全員幸せいっぱいっていうのは、違うんじゃないのかな?」と答えてしまった。今度は、ゴビンダさんが少し戸惑った顔になったが、「フレンドだから、あえて、何でも、そうね、そうね、とは言わないの、わかる?」と言って、「ラダさんだって、ネパールに帰国してから電話も手紙もないけど、子供たちを育てるために、ずっと大変な苦労をしてるんじゃないかな」と話すと、最近届いた親戚の手紙に書いてあったラダさんの窮状を思い出したのだろう、辛く苦しそうな目をして、しきりと頷いていた。
『ゴビンダ通信No.3』を見せながら内容を説明したら、だいたい理解してくれた。国民救援会の支援決定のことは、私よりゴビンダさんの方がよく知っていて、「全国5万人の会員が支援してくれるのだ」などと、嬉しそうにいろいろな事を教えてくれた。本当に力づけられている様子で、良かったなと思う。
 ダイエットの効果で少しやせた様だが、こうなると体力が落ちて体を壊さないかが心配になってきて、おかずはちゃんと食べて穀類を控えなさいなどと、正しいダイエットをするように注意した。すると、「大丈夫。腹筋もがんばっていますから」と言いながら、FIFAのウェアでファッションショーのように体を揺らして、スマートさをアピールして見せてくれた。
 面会終了時、「また来週、来るからね、がんばって」とエールを送ると、「1週間は、あっという間ですね」と、ゴビンダさんは自分に言い聞かせるように答えた。帰路、強風の中を拘置所の長い塀に沿って歩く。こうしてゴビンダさんにエールを送らなければならない日々が、早く無くなる事を祈りつつ。

東京拘置所へは初めて行きました   2002年7月9日  Cさん

 今回の拘置所訪問は大変貴重な体験でした。ゴビンダさんは周囲の人達が言うように、人殺しをするような人ではないということが一目見て分りました。運命にもて遊ばれた悲運の人と言えるかも知れませんが、この様なことが許されるとしたら、神も仏も無いというのが実感です。ただ、その前に彼の自由を奪っているのは神でも仏でもなく人間である、ということはゴビンダさんを解放することは決して絶望的な事ではなく、幹事会の皆さんの真剣な討議を聞き、諦めなければ必ずゴビンダさんを家族の元に帰す事が出来ると確信しました。
 東京拘置所へは初めて行きましたが、高い塀、面会室までの道のりの長さに比べ面会時間の短い事、古めかしい差し入れの店、全てが驚きでした。まさに聞きしに勝るというところでしょうか。未決という、まだ犯人とは断定されていないのにもかかわらず、あたかも犯罪者のような扱い、中に入れられた人はどんなに苦しいか、想像するだけで心が痛みます。好きな言葉ではありませんが、ゴビンダさんに思わず「頑張って」と言ってしまいました。
 続いて渋谷の事件現場へ行きましたが、渋谷の町の広さに比べ被害者の女性の行動範囲が以外に狭いのに驚きました。事件の起こったアパートの部屋もほとんど駅の前と言ってよく、人通りもかなりあり、簡単に殺人をおこなえるような場所とはとても思えません。周囲の状況を考えず平然と人殺しの出来る者なら可能でしょうが。
 微力ではありますが、ゴビンダさん解放のために尽力するつもりです。

少し痩せましたね   2002年7月8日  岡野美津子

「ナマステ」、「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わす。土・日の休みが入るため、今日は2日ぶりに、思いきり声を出して話ができると嬉しそうである。
 最近届いたカトマンズの兄さんと姉さん、オーストリアの妹さん夫婦の写真を誇らしげに見せてくれた。Mさんのテナントビルは、なかなか豪華である。こうして、身内が立派に成功を収めていることが、ゴビンダさんには心の支えなのだ。
 体調がすぐれなかったので、血液検査をしてもらったが、異常なしだった。それでも、ダイエットのため、甘いもの、果物を摂るのはやめている。スポーツで汗をかくことと食事制限で必ず体重を70キロ代に減らす意思を、みなさんに伝えてくださいとのこと。サッカーの指導者をしていた頃の体型に戻すのが目標だという。「そう言えば、少し痩せましたね」と言うと、とても嬉しそうに「がんばります」と答えていた。
 拘置所内で我慢して貯めたお小遣いを、ラダさんに送金したいのだという。ネパールで待つ家族への思いやりが痛いほど、伝わってくる。これから暑い暑い夏を拘置所で過ごさなければならないゴビンダさんを、早く開放してあげてほしい。

奥さんの手紙が待ち遠しい   2002年6月20日  客野美喜子

 イラムからの手紙が、弁護団から昨日転送されてきたが、これは、待ち焦がれていたラダさん(ゴビンダさんの奥さん)からの手紙ではなく、ゴビンダさんの従兄弟からだったそうです。
 支える会のスタッフが15日にネパールに国際電話をかけた時、ラダさんは「神田先生に郵送した手紙が、あと2,3日で届くだろう」とたしかに言っていたのですが、郵便事情のせいで遅れているのでしょう。
 先日、医者から「血糖値が少し高め」と言われたので、以来、紅茶・コーヒーに砂糖を入れるのをやめた。パンは食べるがバターは付けない。米飯はいっさい食べない。好物の果物もやめたので、これからは差し入れしなくていい。ここに5年もいると、どうしても運動不足で病気になりやすいので、できるだけ注意することにしたと言っていました。本人の健康のためとは言え、ただでさえ少ない楽しみが、ますます減ってしまったようで気の毒です。
 数少ない楽しみの一つであるネパール語の新聞雑誌も、前回送付した1ヵ月分は、とっくに読みつくしてしまったとのこと。次の1ヵ月分がネパールから届くのは、6月末なので、それまで待たなければなりません。
 この中にいて、あなたにできることは、限られているが、それでも日本語の勉強をするとか、支援者にアピールレターを書くとか、できる限りのことをしてほしい、それがあなた自身を助けることにつながるのだから、がんばって、と励ましてきました。
「ゴビンダ通信」でもお知らせしましたが、6月25日はゴビンダさんの誕生日です。みなさん、ゴビンダさんにバースデイカードなど、お祝いのメッセージを送ってあげてください。よろしくお願いいたします。

ワールドカップ、見てますか?   2002年6月10日  岡野美津子

「今日は。ご機嫌、いかがですか?」
 いつもどおり手を合わせ入室してくるゴビンダさん。
「ワールドカップ、見てますか?岡野さん、どこを応援してますか?わたしは、ごめんなさい、日本は応援してません。日本のサッカー、歴史、新しいからね。わたしが応援してるの、スペインとイギリス。サッカーの歴史が、古いね!」と、しきりにサッカーを話題にする。
「ゴビンダさんは、ワールドカップの放送を聴けるの?」と尋ねると、「夜8時30分からラジオ放送を聴きました。でも9時で終わりです。結果は、ここの先生(看守さん)から今朝、聞きました。日本、ロシアに勝った。もしかして、これからも勝っていくかもしれない。だけど、応援はしません」ワールドカップの写真入り記事が出ている新聞や雑誌を差し入れしてほしいと頼まれた。
 持参した「ゴビンダ通信NO2」を見せて、「あなたの書いた手紙が、全文載っています。これからも支援者にアピールする手紙を、どんどん書いて送ってほしいという事務局からの伝言を伝える。「今回の5月22日付の手紙、皆さんが読んで、心から感動しています」とも。
 帰路、フライデーにWカップ情報が少し載っていたので、それとりんご、花を差し入れ屋に頼んだ。花は、少し香りがあるようだと思って頼んだのだが、聞けば、本人に届くのは、これとは別の品だそうだ。これから面会に行かれる方、Wカップの情報誌、スポーツ新聞など差し入れてあげてください。本人宛に郵送することもできます。日本語でも写真が載っていれば、OK。よろしくお願いします。

家族からの手紙   2002年6月5日  かかし

 小菅のゴビンダさんは、神田弁護士経由で、ネパールのご家族からの手紙を受け取ったそうで、今はその返事を書くのでたいへん忙しいそうです。
 いつも彼は、看守の人から何度か催促されてからいやいや面会室を出ていくのですが、この前は、看守の人にちょっと目配せされたらすぐに自分から出ていきました。ご家族からの手紙がよっぽど嬉しかったんですね。
 あと、ネパールからの新聞や雑誌もたくさん受け取ったそうです。これもたいへん喜んでました。それと、ゴビンダさんが書いた手紙が「ゴビンダ通信」2号PDFに載って会員の皆さんに発送されたことをボクが話したら、それを是非見たいと言ってました。

面会時間は短すぎる   2002年6月3日  岡野美津子

「ナマステ」と手を合わせて、ゴビンダさんは面会室に入ってきた。今日は、シスター・Kと私と二人での訪問である。いつも金曜日に面会してくださっていたシスター・H、6月後半から8月までスペインに帰るので、その間、シスター・Kが代わりをつとめてくださることになった。
 初対面の挨拶を交わすなり、早速ゴビンダさんは、「拘置所内の外国人で、Aさんという人を知っていますか?」とシスターに話しかけた。
「知っています。訪問していますよ。あの方はスペイン語が大変上手です」
「ボク、Aさんから、シスターのこと、聞いていました」
 ゴビンダさんとシスターの話がはずむ。
「ボクの妹、オーストリアにいます。無罪で帰ったら、スペインとかオーストリアとか、旅行したいです。そのためにオーストリア語、英語、スペイン語、覚えたいです。スペイン語は、シスター・Hに少しだけ、習ってます」
 シスター・K一生懸命、話しかけるゴビンダさんは、すさまじいまでに真剣な様子。これからも面会にきてほしいという切々たる思いを全身で訴えている。それが、傍で見ている私に、痛いほど伝わってくる。面会は、5分きっかりだった。
「短すぎます!」