無実のゴビンダさんを支える会

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絵はがきの中のポカラ山の風景   2002年5月20日  岡野美津子

「どうですか?似合うでしょう、この作務衣」ときり出すゴビンダさん。「ぜひ見ていただきたくて、少し寒いけれど着て来ました」とにっこり笑顔である。
 絵ハガキを取り出し、「これ、ポカラ山の風景。ここがマッサプッスレ、魚の尻尾と呼ばれています」と説明してくれる。このあたりは、景観を重んじるために、建築規制がされているそうだ。ゴビンダさんも、目にするだけで安らげるポカラ山の風景が大好きで、この絵ハガキを見ては祖国ネパールを思い出しているという。
 次に、二人のお子さんの写真を見せてくれた。
「上の女の子はラダさん似で、したの女の子はゴビンダさんにそっくりですね」と私が言うと、ゴビンダさん自身の感想は逆だった。毎日、日本の拘置所で、祖国を想い、家族を想いながら耐え忍んでいるゴビンダさんの胸中を想像すると、胸が痛む・・・。
 前々回の報告に書いた「家族を想う歌曲」の題名を教えてくれた。「BISHOD KOPIDA」というのだそうだ。皆様(とくにネパール人会の方)、譜面が手に入りませんでしょうか?
 それと、ゴビンダさんがNHKラジオにリクエストしてほしい曲は、都はるみの「好きになった人」と島倉千代子の「お久しぶりに〜」で始まる歌(題名はわからない)だそうです。譜面探しとリクエストの件、皆様、ご協力お願いします。
 スポーツが大好きだというゴビンダさん。実は、ハイスクール時代は、「スクールを代表するハイジャンプの選抜選手だった」のだそうです!昔の写真を見ると、とてもスリム。当時は、高いバーを見事にひとっ飛びだった。
 BUT!
「今では太ってしまってダメ。やっぱりダイエットしなくちゃ」と、少し肩を落としていました。
 不当に拘束されている苦しみを、懐かしい歌やメロディで慰め、いろいろな事柄を見つけては、ささやかな「夢」を見ようとする、そんなゴビンダさんの心が痛いほど伝わってくる。ゴビンダさんの心の安らぎのため、何もできない辛さを抱えながら、ラダさんと約束したとおり、せめて週1回、東京拘置所へと通う私である。

「ゴビンダ通信第1号」を見せてきました   2002年5月16日  客野美喜子

 窓口で申し込みをしたのが、10時45分。外の待合室は、なぜかいつになく人がまばらで、あまり待たされない内に番号を呼ばれました。ケイタイをロッカーに預け、手荷物チェックを受けてから中の待合室へ。ここで待つ間に、「支える会」からの5月分支援金5千円とネパール語雑誌3冊を差し入れます。面会の後でもよいのですが、今日は、時間節約のため、先に済ませてしまいました。また番号を呼ばれて、ようやく面会室へ。
「ナマステ!」と元気よく入ってきたゴビンダさん。岡野さんにもらった作務衣を着ていましたが、1ヶ月前より顔色も良く、生き生きしているように見えました。
(1)まず、差し入れ物品の確認。連休明けに私が送った「カンティプール」(ネパール新聞)、まとめて1ヶ月分は、全て手元に届いた。また3月19日のラダさんカトマンズ記者会見を報じたネパール新聞は、同日付で全て種類が違うため、いっぺんには「房下げ」されない規則になっており、毎日少しずつ届けてもらっているとのこと。一昨日、山本さんがとても素敵なじんべえを持ってきてくれたと大変喜んでいました。(みなさんで一着という意味だったので、もうこれで十分です。気にかけてくださった他の方々によろしく伝えてください、とのこと)
(2)「ゴビンダ通信第1号」を窓越しに見せて内容を説明し、300名以上の会員・支援者に発送したことを報告すると、驚いた様子で目を輝かせました。これから毎月出すので、ゴビンダさんも、ここでの日々の様子を書いてほしいと頼むと、仮名文字は、まだ書けない、ローマ字でいいですか?と言うので、今回はそれでもいいし、短くてもいいから、第2号に間に合うよう、早目に送ってと頼みました。本当は、「ゴビンダ通信」を翻訳して読ませてあげたいのだが、みんなはブックレットの英訳で手一杯なので、すぐには難しい。ゴビンダさんが、早く日本語を読めるように勉強してほしいとも言っておきました。
(3)ラダさんの手紙については、先日ネパールから帰ってくる人がいると聞いていたので、もしかして、その人に託したのではないかと、期待していた。3月末以来、便りがないので、気にかけているとのこと。
(4)牛乳を入れてほしいというので、「1日1本ずつ、20日分(2,000円)」を、帰りがけに外の窓口で頼みました。牛乳が本人に届くのは、月〜金だけ(土日はなし)だそうなので、明日から数えれば、だいたい6月13日頃までということになります。

 今日は空いていたせいか、いつもより長め(それでも20分くらい?)話をすることができました。全てを終えて、表に出たのが、12時少し前。どんよりと空の曇った肌寒い日でしたが、ダイエットのせいか、以前よりひきしまって生き生きしたゴビンダさんの顔を見られて、安心しました。やはり、足しげく面会に行ってくださっているみなさんに支えられているのだと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いします。
以上

ゴビンダさんはサッカーが大好き   2002年5月13日  岡野美津子

「ナマステ」といつもの笑顔で、「今、運動をした後で、とても気分がよいんです」とゴビンダさん。「私、わかったんです。午前、午後、運動すると、夜はぐっすり眠れるんです。それ、体験したので、運動がんばります」
 今週の訪問予定表をローマ字と英語で書いたものを窓越しにゴビンダさんに見せる。言葉で伝えると長くかかって時間がもったいないので、こうして書いたものを用意して行くようにしている。赤沢さんからの譜面が手書きなため、コピーしないと差し入れられなかったので、代わりに私が入れたことを説明する。
 ゴビンダさんは、ワールドカップを楽しみにしている。野球は興味が薄いが、サッカーはとても好きなので、うきうきして開催を待っているそうだ。「チケットを買いましたか?」と私に 聞くので、「とても購入なんかできないのです」と説明する。
 長い休みが近づくと、ゴビンダさんは決まって、遊びや旅行の予定を質問してくるが、残念ながら、我家は夏休みくらいしか出かけないので、彼を楽しませる特別の話題はなく、もっぱら日常の日々の話をするしかない。支援者の皆さんでワールドカップの情報に詳しい方は、ゴビンダさんと文通で情報交換してあげてください。お願いします。
 先日差し入れた作務衣が、ひもの長さのせいでまだ手元に届かないそうだ。差し入れ窓口で、「30センチまで」と言われ、その条件をクリアしているにもかかわらず、である。
 どうして内部と窓口とで、こういう食い違いがあるのか。時々、この手の不徹底さが飛び出す。
 ここでタイムアウトになったが、「今週は面会が多くて、とても忙しいです」と、最後までニコニコ顔のゴビンダさんだった。

手書きの楽譜は差し入れできなかった   2002年5月9日  かかし

 先月末の感動の初対面(まだレポートを1行も書いてません、ゴメンナサイ)に続き、先週の5/9木曜日に小菅へゴビンダさんに会いに行ってきました。
 彼は、その日はだれも面会に来ないと思ってたらしくて、とても喜んでくれました。
 彼のふるさと・イラムの話をした後、彼が「いま日本でやってるサッカーのワールドカップは見ましたか。どうなりました?」
と聞いてきたのですが、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などと全く無縁の生活をしている私は、そのことを全く知りませんでした。所内でラジオを聞いているゴビンダさんの方が、私より世の中のいろんな出来事を知っているかもしれません。
 面会の最後に彼が「りんごを食べたい」と言ったので、待合室の売店で2個差し入れました。小さなリンゴがナント1個200円! しめて税込みで420円也。(会で払ってくれませんか)
 ボクが自分で五線譜に書いた日本の懐かし系の歌4曲(叱られて・夏の思い出・知床旅情・夕焼け小焼け、だったかな? 忘れちゃった)の譜面と白紙の五線譜を、ハンコを持ってなかったボクの代わりに、たまたま別の方の面会に来ていた「ゆうの会」の岡野さんに差し入れてくれるように頼んだのですが、後で聞いたら、手書きの譜面は手紙扱いになるので郵送でしか差し入れできないし、白紙の五線譜は便箋扱いになるので、差し入れを代行している数軒の小さなお店(そんなお店に五線譜なんか置いてないよ!)以外のものは入れられないとのことで、みんな返されてしまったそうです。
 返された歌の譜面は岡野さんがコピーして、あした5/13の月曜日に面会に行くとき差し入れてくれるそうです。
(手書きはダメで、コピーはOKだそうです。ヘンなの!)
 また、つい長くなってしまいました。それでは。

歌を歌いたい(その2)   2002年5月7日  岡野美津子

 人なつっこい笑顔で登場するゴビンダさん。そんな彼の様子から、私はいつも、「この人は、本当に人間が大好きなのだ」と感じる。連休が続いていたせいもあって、早く話を始めたいという風で、いつもは立ったまま挨拶してから椅子に座るのだが、今日は入ってくるなりすぐ椅子に座り、ほぼ同時に「ナマステ」と、手を合わせた。時間が惜しくてたまらないのだろう。
「ラダから、手紙が来ているかどうか、知りませんか?」と、真剣な様子で質問された。「しばらく手紙がないので、喉から手が出るほど、待ちわびている」という。「いつも仲介してくれる方の所に届いていないか、客野さんに訊いてみます」と答える。
*註: ネパールにいる奥さんのラダさんからの手紙は、ネパール語なので、直接拘置所に送ると、検閲のため翻訳に出すせいで、非常に時間がかかる。それで、ネパール関係の方が託されてきたり郵送で受け取ったりしたものを、さらに弁護士経由でゴビンダさんに転送するという方法をとっている。弁護士からの郵便物は、裁判資料なみの扱いで検閲されないため、すぐ本人に届く。(ラダさんからの最近の手紙については、現在確認中です)
 連休中は、面会がないので、ネパールの新聞や本を読んで過ごしたという。ラジオ放送を拘置所内で聴けるのは、朝、昼、それと夕方の5時頃から少し。
「支援者のみなさんに伝えて、リクエストしていただきますから、今一番聞いたいネパールの母国語の歌は何という曲ですか?」と質問すると、
「ビートゥー・コール・ビーダー」という答えが返ってきた。ナーラーエン・ゴーパールという人の歌で、家族から離れた辛さを、切々と訴える歌詞なのだそうだ。
「支援者の方々に、何かメッセージがあれば伝えますが」と言ったところ、面会に来る方々に、「じんべえ」が欲しいといったが、あれは一人一人に頼んだのではなく、「みなさんで一着用意してくれないでしょうか?」という意味だったのだそうだ!真夏用の麻の作務衣を届けたので、今度差し入れを予定していらっしゃる方は、できれば綿のものをお願いします。今日は、連休明けのせいで混んでいたので、いつもよりさらに短い時間で、打ち切られました。

歌を歌いたい(その1)   2002年5月1日  岡野美津子

 にこにこ顔で祈りながら面会室に来たゴビンダさんである。珍しく、髭が頬一面に目立っている。「珍しいですね!どうしたの?」と尋ねると、「今日はまだです」と一言。(まだ剃っていない)という意味で、特に問題があるのではないようである。
「どうですか?」と尋ねると、「よく眠れました」と返ってきた。今度来日する米国人歌手のヒット曲を、昨夜、所内放送のラジオで聴けた。とても良かった。それでよく眠れた。音楽は大好き。心を癒してくれる。すごくリラックスできる。でもネパールとインドの曲、8年間一度も聞いていないので、もう忘れたという。
 日本のものだったら、昭和20年代、30年代の曲。石原裕次郎の「赤いハンカチ」、島倉千代子の「ここが、二重橋・・・」という歌詞の歌(タイトルは忘れた)や、「ああ、上野駅」など、昔の心打つメロディーが好き。現代のポップスはダメ。演歌も苦手。とにかく情緒に訴える曲が好みだという。今のゴビンダさんの心情に、そういう歌が溶け込むのだなとあと感じて切なくなった。ゴビンダさんを励ますため、下手だけれど、その場で2〜3曲、うろ覚えの歌詞を小声で歌ったり、メロディーを口ずさんだりした。
 ゴビンダさんは、音符を読めるそうなので、好きそうな歌の譜面を探して、できれば今度差し入れると約束した。拘置所の中では、声に出して歌うのは禁止されているが、歌詞を口ずさんだり、メロディーを頭に浮かべることはできると思う。
 次回は、5月7日(火)に面会に来ること、夏用の作務衣を購入したので、その時に差し入れることを伝えたところで、タイムアウト。毎回、ぎりぎりまでねばって話す面会である。何曜日の何時頃NHKのラジオを聴けるのか、今度訊いてみよう。その時間帯に、彼の大好きな日本の曲やネパールの音楽をリクエストして、流してもらえないものだろうか。そんなささやかな希望を抱いている。
 P.S. 連休の狭間のため、とても混んでいました。次回は連休明けの5月7日(火)ですが、以後は、月曜日に訪問します。情緒のある曲の譜面を探す件、みなさまにも、ご協力をお願いいたします。

ネパールの女神様にお祈り   2002年4月27日  岡野美津子

 紫色の「ゴビンダさん支援Tシャツ」を着て、「ナマステ」と笑顔で現れる。「夕べは、久しぶりに、ぐっすり眠れました。目が赤くないでしょう?」Tシャツのデザイン(ヒマラヤの山やネパールの国旗)がきっかけで、この日の話題は、もっぱらネパールのこと。私が4月21日に見たNHKのTV番組の内容を話し、よくゴビンダさんが口にするヒンドゥの女神様「カーリー」、「ラクシュミー」、「ドゥルガー」のことが、やっと理解できたというと、「娘たちも、9〜12歳になったら、『バラグデ』という儀式をする」とニコニコ顔。日本国宝展のカタログに、象に乗った普賢菩薩像、孔雀明王像、千手観音像の写真があった。「ネパールの女神様にそっくりだ」というので、「一緒に祈りましょう」と声をかけ、手を合わせた。また、「14日にネパールで大勢の人々が犠牲になって残念」とも言っていた。やはり、故国の事情には特に敏感なようだ。
 金曜日に定期面会していたシスター・ヘノベバが休暇で留守の間、シスター・カルメンが代わりに来てくれることが決まった。そのことを伝えると、とても安心した様子だった。ゴビンダさんんの良き「隣人」となり、心と心で文化の違いを理解したり、分かち合ったりして、訪問を続けさせていただいている日々である。次回は、5月1日(水)の訪問を予定している。

故郷のラダさんと心を合わせ、ヒンドゥー式ダイエット   2002年4月15日  岡野美津子

 ゴビンダさんは、いつものように手を合わせ、祈りと共に入室して来られた。
「以前、差し入れてもらった東京カテドラルの絵はがきの神様にも祈ってます。私に、キリスト様への祈り方、教えて下さい」
 ゴビンダさんが、切り出して来られたが、時間も制限があるため、「どこでどの様に祈ってもOK。絵に祈るよりも、いつものゴビンダさんのやり方で、手を合わせ、心を込めて祈れば、OKです!神様は、全て、何でもご存知です」と答える。
 人なつっこい笑顔と共に、5〜6分の面会。カピル・シュレスタさんが来られた際は、薬を2日飲まなかったが、現在は再び飲んでいるという・・・眠るために!
 拘置所内で身体検診があったが、異常なしとの事。しきりに外のグッドニュースを聞いてくる。新緑が美しいことや草花の話題など。現在は時間があるので、支援者に手紙を書いているということである。
 ネパールのラダさんと心を合わせ、「ヒンドゥー式ダイエット」(肉などを絶つ食事制限)の犠牲を捧げているというゴビンダさん。面会を終える時、ゴビンダさんは、いつも私に「来週も来てくれますか?他の曜日にも、誰か、面会に来てくれる人、いますか?」と、心配そうに尋ねてくる。そんなゴビンダさんを、少しでも安心させてあげたい。一日も早く、自由の身になれますようにと、いつも、お祈りしている。

ネパールの読みものが欲しい   2002年4月9日  小野寺、他一同

 昨日、3人で、ゴビンダさんに面会に行ってきました。いつもながら、嬉しそうに迎えてくれ、私たちは、そのつど、せつない思いで別れます。とても眠れないと話してました。それはそうであろうと、3人も気持ちは同じです。
 ネパールの読みもの、何でもいいから欲しいと言いました。長い長ーい無の時間、彼はどのように埋めているか、想像もつきません。せめて笑顔でと接しますが、15分後、3人から笑顔はぱっと消えます。彼のおかげでネパール関係の人とも知り合えました。次回にはそんな読み物も用意できると思います。次回のこと、相談中。私たち、月一度は必ず行きます。
 地球はいろいろあって、彼への支援不足が心苦しく、それでも行かねばならない想いのこと、3人はやりくりしながら、ゴビンダさんのことは、いつも忘れません。パレスチナもアフガンも、ゴビンダさんも、同等に100パーセント。彼が出所できるまでがんばろーと、3人は心一つです。
 次回については、近々にご相談。他に何かできることあれば、お知らせください。仕事の合間のこと、想うにまかせぬ事、多々アリ。しかし、何とか3人なら出来ることも、多々アリ。