ゴビンダさん冤罪事件が露呈させた
司法犯罪の底知れない闇

今井恭平

ネパール人冤罪被害者、ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの上告が棄却された。逮捕以来六年半、無実を訴え続けてきた彼の声は最高裁判所という司法の頂点によって、最終的に押しつぶされた。
一審無罪判決が出ても身柄拘束を続け、証拠をねじ曲げてまで有罪に固執した日本の司法の底知れない腐敗が、ここに露呈している。

上告棄却そして下獄

「ゴビンダですよね?きょうから刑が確定しましたので、親族以外は面会できません」  十一月十七日午前十時過ぎ、東京拘置所の面会受付窓口で、僕が差しだした面会申し込み用紙は、ガラス窓の下から押し戻された。
 上告棄却の知らせを受け取ってから約一カ月、いつ刑が確定してもおかしくない状態の中で、僕たち「無実のゴビンダさんを支える会」は、毎日三名ずつ交替で面会に訪れた。十一月九日にはゴビンダさんの妻、ラダさんがネパールから急遽来日、翌日から毎日面会を続けて来た。刑が確定すれば、親族など限られた人としか面会も文通も許されなくなる。そしてとうとうこの日、刑の執行指揮書が拘置所に届き、彼は服役囚となった。
 僕は後ろに佇んでいるラダさんを振り返った。日本語はわからないが、窓口での職員の対応がいつもと違うことや、僕が職員と深刻な顔つきで言葉を交わしているのを見て、彼女はすでに事態を理解しているように見えた。
 ネパール語が話せる会員に電話をかけ、一般面会ができなくなったこと、今後は家族も月に一度しか面会できず、その場合も通訳が同行して会話を逐一日本語に翻訳し、当局が記録できるようにしなければならないこと、などをラダさんに説明してもらった。
「夫はもうどこかの刑務所に送られてしまったの?今度はいつ会えるの?」  ラダさんは電話口でこう質問した。結局この日は通訳の手配がつかず、面会をあきらめて小菅駅へ空しく引き返すしかなかった。
 二〇〇一年十二月と
2003年10月31日「無実のゴビンダさんを支える会」と日本国民救援会は、上告棄却に抗議する記者会見を開いた
二〇〇三年三月にも来日し、滞在中一日も欠かすことなく面会を続けてきたラダさんが、東拘まで足を運びながら、夫と顔を合わすこともできず引き返さざるを得なかったのは、これが初めてだ。
 ゴビンダ・プラサド・マイナリさん、三十七歳、ネパール国籍。日本にやって来て十年、そのうち六年半を獄中に囚われて過ごしてきた。一九九七年三月、渋谷で発生した強盗殺人事件で容疑者として逮捕されたのがその発端だ。一貫して無実を訴え、犯行と彼を結びつける証拠も存在しない中、二〇〇〇年四月、東京地裁(大渕敏和裁判長)は無罪判決を下した。だがそれからわずか八カ月後の同年十二月、東京高裁(高木俊夫裁判長)は一審判決を破棄し、無期懲役の逆転有罪判決を下した。そして、二〇〇三年十月二十日、最高裁による上告棄却で有罪が確定し、彼はこれから、いつ終わるとも知れない無期懲役刑という重罰を背負っていくことになった。
 支援者から贈られたお気に入りのセーター、久しぶりでネパールから訪れた妻を迎えるためにクリーニングに出しておいた一張羅の背広なども取り上げられ、灰色の粗末な囚人服に着替えさせられているに違いない。

事実から目を背ける最高裁

家族の将来のために、一生懸命働いていた頃のゴビンダさん
「ナマステ」ゴビンダさんはいつもこう言って合掌するネパール式挨拶をしながら面会室に入ってくる。だが上告棄却決定書が彼のもとに届いた翌日十月二十二日朝、急いで面会に駆けつけた僕たち支援者の前で、彼はいつもの人なつこい笑顔を見せることはなかった。

「おかしな判決出ました」
 こわばった顔つきで彼が示したのは、A4用紙二枚に印字された「決定書」だった。
「どうして僕が有罪ですか?この判決、僕が犯人だという理由何も書いてない。理由が書いてないで、どうして有罪ですか?」
 実質的には十行に満たない決定書である。一審無罪、控訴審で無期懲役という百八十度食い違った裁判に最終判断を下すにあたって、何をもって彼を強盗殺人犯と決めつけるだけの証拠があるのか、最高裁第三小法廷の判事たちは一言も触れていなかった。
「(弁護団の主張は)事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない」
「記録を精査しても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない」
 事件番号さえ書き換えれば、どの事件にでも使えそうな素っ気ない決定書である。
 いかに最高裁は事実審ではないと言っても、弁護団は上告趣意書とともに新たな医学鑑定書を提出し、一審と控訴審でその解釈に重大な齟齬があった物証が、むしろ無罪を強く推認させることを立証しているのである。この鑑定書について具体的評価を明らかにせず、たんに「四一一条を適用すべきものと認められない」では、判決理由になっていない。
 実は弁護団は、この鑑定書をさらに補強する補充書を十月一日に提出したばかりだった。それからわずか二十日足らずの上告棄却は、最高裁第三小法廷がいかに事実から目をそむけ、無頓着に決定を下したかを示している。

検察側鑑定が無罪を立証した

 証拠の乏しいこの事件で、唯一といってもよい物的証拠が、被害者の遺体が発見された渋谷区円山町のアパート、K荘一〇一号室の水洗トイレに遺棄されていた使用済みのコンドームである。前述した弁護側の鑑定書および補充書も、この証拠に関するものである。このコンドーム内に残されていた精液のDNA型は、ゴビンダさんのものと一致した。また、彼自身が、被害者のYさんと一〇一号室で性的関係をもったことがあることを認めている。事件当時彼はK荘に隣接するHビルの四階に、他のネパール人の友人数名とともに暮らしていた。Yさんは事件の数年前から円山町近辺で売春を行っており、近隣の住人などには顔をよく知られていた。ゴビンダさんも二、三回彼女の買春客として性的関係をもった。彼は、現場で発見されたコンドームは、そうした機会に空室であった一〇一号室を使用した際に捨てたものだと主張した。
 ここで、三つの日付が意味をもってくる。
  1. 遺体が発見された九七年三月十九日。
  2. 殺人が行われた三月八日の深夜。
  3. ゴビンダさんが最後にYさんと一〇一号室で性的関係をもったと主張している二月末。
 (1)と(2)の間と、(2)と(3)の間には、それぞれ約十日間の隔たりがある。つまり(1)と(3)では約二十日間の時間が経過していることになる。
 そこで、(1)の遺体発見とほぼ同時に採取されたコンドーム内の精液が、遺棄されてからどの程度の時間を経過しているかが重要な意味をもってくる。二十日以上経過しているなら、それは二月末にYさんと一〇一号室で性的関係をもったというゴビンダさんの証言を裏づけ、事件より十日も前の出来事である以上、彼と事件を結びつけるものではなくなる。
 他方それが十日程度経過したものなら、事件当日、彼が一〇一号室でYさんと会っていたことを推測させ得る。たとえそうであっても、殺人犯であることを直ちに立証するとは言えないが、事件当日、彼がこの部屋に入った疑いが出てくることは間違いない。
 検察からこの精液の鑑定を依頼された帝京大学の押尾茂氏は、コンドームに精液をため、水の中にひたした状態で、十日経過した場合と二十日経過した場合それぞれの精子の劣化状態を比較することで、現場にコンドームが遺棄された期日を推定する実験を行った。
 その結果、十日経過すると、全体の三〜四割程度の精子に頭部と尾部の分離が生じ、二十日経過すると、この分離は八割以上の精子に及ぶことがわかった。
 一方、現場で採取された精子は、そのほとんどが頭部と尾部が分離した状態だった。この結果を素直に評価すれば、現場に落ちていたコンドームは、少なくとも二十日以上前、つまり事件より十日以上も前のものと考えるのが自然である。つまり検察側の医学鑑定が、ゴビンダさんの無実を立証しているのである。
 ところが押尾氏は、鑑定意見書の中に実に奇妙な言い分を付け足していた。つまり、自分の実験は清潔な水の中で行ったが、現場のトイレの水は汚れていたため、精子の劣化がより急速に進行した可能性がある、したがってコンドームが捨てられたのは十日前であると考えても矛盾しない、というのである。
 自分の実験が、現場の状況を再現しえていないことを正直に告白するのはいいとしても、汚水の中で精子の劣化がより早く進行するというのは何ら実証されていない。そんな主張をしたいなら、むしろ現場と同じ汚水の中で再度実験を行い、その結果から結論を導くのが科学的な方法だろう。
 当然ながら一審判決は、この押尾鑑定に証拠能力を認めず、事実上無視した上で、全ての証拠を吟味し、次のように判示した。
「仔細に検討すると(中略)各事実のいずれを取り上げても反対解釈の余地が依然残っており、被告人の有罪性を認定するには不十分なものであるといわざるを得ない。 そして、その一方で、被告人以外の者が犯行時に一〇一号室内に存在した可能性が払拭しきれない上、被告人が犯人だとすると矛盾したり合理的に説明が付けられない事実も多数存在しており、いわば被告人の無罪方向に働く事実も存在しているのであるから、被告人を本件犯人と認めるには、なお、合理的な疑問を差し挟む余地が残されているといわざるを得ない」
 この判決には、論理的な破綻や飛躍
2001年3月25日、「無実のゴビンダさんを支える会」結成
は存在しない。合理的な疑いを超えて犯罪の証明を行う義務は検察側にある、という刑事裁判の鉄則に従って無罪判決を下したものといえる。

 ところが、控訴審判決は、事実としての鑑定結果ではなく、何ら実証されてもいない押尾氏の強引な「意見」の部分を用いて、押尾鑑定を有罪方向に強引に利用したのである。

「本件精液の置かれていた便器の水の環境(中略)と、右実験におけるサンプルの精液がおかれた精製水中の環境との大きな相違にかんがみると、この両者の各精子の崩壊変化の状況を単純に比較して、前者の経過時間を推定で割り出すことはできないのであって、(中略)その採取時において、便器内に放置されてから十日間程度経過したものであったとしても、右実験結果と矛盾しないとする押尾鑑定意見は、相当なものとして受け容れることができる」
 これは要するに押尾鑑定はいい加減なものだから、適当に解釈してよく、検察に都合よく十日前と考えてもいいのだ、という強弁以外の何ものでもない。
 弁護団は上告にあたり、精液の劣化に関する新たな鑑定を独自に行った。現場のトイレと同じ条件の汚水をつくり、その中に精液の入ったコンドームを浸して、内部の精子の劣化状態を観察した。その結果、汚水の中での実験結果と真水の中での鑑定の結果には有意な差異は認められなかった。つまり、汚水の中では劣化が早く進行するという押尾氏の「仮説」は実験によって否定された。つまりこの「仮説」を採用した控訴審有罪判決もまたこの点で破綻したのである。しかし、最高裁は、この新鑑定を一顧だにせず、三行半で上告を棄却したのである。

無罪勾留の詭弁

 ゴビンダさん冤罪事件には、もう一つ重大な側面がある。一審で無罪判決が出たにもかかわらず、身柄が再勾留されたことである。
 無罪判決後、検察は控訴するとともに、東京地裁に対して、被告人を再勾留する職権の発動を要請。その理由として、ゴビンダさんの滞在ビザの期限が切れているため、釈放されるとネパールに強制送還され、控訴審の維持が困難になるというのである。だが控訴審ではそもそも被告人の出廷は必ずしも必要条件ではない。
 東京地裁、高裁第五特別部は職権発動を行わなかったが、検察はなおも執拗に勾留を求め、訴訟記録が高裁に到達した後に、再度職権発動を求めた。今度は、控訴審の担当部となった高裁第四刑事部(高木俊夫裁判長)が勾留を決定。弁護側の異議申し立ては、東京高裁第五刑事部によって棄却された。さらに弁護側の特別抗告が最高裁第一小法廷によって棄却されたことで、勾留が決定した。
 冤罪が晴れ、入管施設に移って帰国を待つばかりになっていたゴビンダさんは、この時から東京拘置所に逆送され、無罪の喜びから一転して絶望に突き落とされた。
 勾留を認めた高裁第五刑事部と最高裁第一小法廷の論理は、およそ詭弁と強弁と自己矛盾に満ちている。
 両裁判所が「決定」の中で共通して述べているのは、被告人の勾留を決定するに当たって、その時期については特段の制約はない、という理屈である。しかし、時期について特段の制約がないからと言って、無罪判決を受けた、という事情が発生した後にも勾留が可能と解釈するのは論理の飛躍も甚だしいし、ここには「時期」の問題と、無罪判決という「状況の変化」をすり替える詭弁がある。
 また、人の身体の自由を奪う重大な人権の制約が「特段の制限がないから」できる、などと軽々しく考えてよいものなのだろうか?それは憲法三十一条違反ではないだろうか?
憲法三十一条【法定の手続きの保障】
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。
 むしろ、勾留について積極的な要件が法律によって明示されていなければ「法律の定める手続に」よらずに自由を奪われないという憲法の規定に抵触しないだろうか?
 さらに、刑訴法六十条が、勾留の必要条件として「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合」という前提をおいているのだから、これに相当すると判断することは、無罪という第一審判決と真っ向から対立することになる。この点について東京高裁第五刑事部の「決定」はこう述べる。
「(無罪判決は)『罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由』があるかどうかを判断するに当たって慎重に検討すべき一事情にとどまる」。
 裁判の判決とは、市井の人々が井戸端会議で「あいつは犯人に違いない」とか「いや、やってないんじゃないか」というのと同等の重みしかない「一事情」にすぎない、と裁判所自らが宣言しているのである。これからはどんな判決も、そんなものは「一事情にすぎない」と涼しい顔をして無視してもよいということらしい。
 審理に三年近くを費やし、証拠や証人を綿密に調べた結果としての無罪判決がかくも重みのないものなら、控訴審も始まらないうちに「一件書類を検討」したくらいの高裁や最高裁の決定の重みは、さらに軽々しいものと考えるしかない。そんな軽薄な見解のもとに、一人の人間の自由が拘束されたのである。

その後も続く無罪勾留

 無罪判決を受けた者が控訴審が始まる前、あるいは実質審理開始前に勾留されるケースは、ゴビンダさんが最後ではなかった。
 二〇〇〇年六月、長野県穂高町でおきた幼女傷害致死事件で、ブラジル国籍のトクナガ・ロベルト被告が一審無罪(長野地裁松本支部)を受けたケースと、二〇〇一年八月、東京都内と諏訪市で起きた二件の窃盗事件で無罪判決(諏訪簡裁)を受けたチリ国籍のモラガ・アンドレイス被告のケースでも、控訴審第一回公判直後(トクナガさん事件)控訴審開始前(モラガさん事件)に、控訴審裁判所が職権で身柄を勾留している。
司法の腐敗の頂点、最高裁
 トクナガさん事件では、ゴビンダさんの場合同様、勾留を認めた同じ法廷が逆転有罪判決を下した。そもそも無罪勾留を認めた裁判官は、被告人に対して有罪の先入観をもっていると考えられるから、裁判官忌避の対象にならないのだろうか?
 ゴビンダさんの無罪勾留に際しては、最高裁第一小法廷の決定は三対二であった。藤井正雄判事(裁判長)遠藤光男判事の二名は、多数意見を厳しく批判し、「第一審裁判所が(中略)慎重かつ客観的に分析、検討することに努め、ようやくにして一つの結論を示し得た場合に、控訴審裁判所が実質的な審理を開始する前に一件記録のみを検討し、これと異なる判断を示すということは、裁判に対する信頼という観点からみても、到底許され得るものではない」(遠藤判事)と述べている。
 恐ろしいことに、トクナガさん事件では最高裁第三小法廷は全員一致で無罪勾留を認める判決を下している。(このうち二名までが、今回のゴビンダさん上告棄却に加わった判事である)
 最高裁は、下級審を正すのではなく、下級審に対してやみくもに推定有罪を押しつけようとしているとしか見えない。
 ゴビンダさん上告棄却が露呈させたものは、日本の司法がその頂点に近づくほど、より救いがたい官僚的硬直と民衆への憎悪という腐臭を放っている実態である。

<注>トクナガさん事件については、「週刊金曜日」二〇〇二年十二月十三日号の拙稿を参照。

いまい・きょうへい ジャーナリスト
「無実のゴビンダさんを支える会」会員