上告趣意書学習会・講演録   2001年7月12日

ゴビンダさん無実を裏付ける新たな鑑定

「無実のゴビンダさんを支える会」主催学習会     講師:佃克彦弁護士

 2001年7月5日、弁護団は最高裁判所に対し、上告趣意書を提出した。全部で131ページ。二審判決に頭にきて書いていたらこんな分量になってしまった(笑)。  最初に事件のおさらいをしてから、上告趣意書の内容について解説していく。

一 事件の発生
 事件は97年3月8日(土)に起きたとされている。
 被害者は3月8日の午前中に自宅を出たあと、3月8日の夜で足取りが途絶えている。その夜に殺人事件があったとされている。
 遺体が発見されたのは3月19日。場所は渋谷区円山町。井の頭線神泉駅のすぐ向かいのアパート「K荘」の101号室の中。
 遺体を発見したのは「K荘」の管理人の男性。

二 事件に巻き込まれていくゴビンダさん
 ゴビンダさんは「K荘」の隣の「Hビル」というマンションの4階401号室に住んでいた。

 遺体が発見された19日、ゴビンダさんが、勤め先の幕張のインド料理店からいつものように夜中に帰宅すると、「K荘」の付近にパトカーがいっぱい停まっており、警察官も沢山いた。
 この時ゴビンダさんは警察官から職務質問をされている。職務質問でゴビンダさんは被害者女性の写真を見せられ、この人を知っているか、と聞かれたが、このときはゴビンダさんは「知らない」と答えた。
 帰宅後、401号室で同居していたネパール人仲間5人で相談した。警察官が沢山来ていたのはオーバーステイの摘発に来たのだろうと考え、20日に401号室を離れた。

 21日になってゴビンダさんは、19日に警察官が沢山来ていたのは殺人事件があったからであり、その件で警察が自分を捜していることを知る。
 ゴビンダさんは、遺体発見現場の「K荘」101号室の鍵を管理人から預かり持っていたことがあったため、警察はゴビンダさんを捜していたのだろうと思われる。
 殺人の件で警察が自分を捜していることを知り、ゴビンダさんは翌22日にすぐに警察に出頭した。

 渋谷警察に出頭すると、ゴビンダさんはオーバーステイで逮捕された。
 しかし取調べでは、K荘での殺人事件のことばかり聞かれた。
 ゴビンダさんは、被害者女性との関わりにつき当初は、その女性とは面識がないと言っていた。しかし実はゴビンダさんは、被害者女性と性交渉を持ったことがあった。被害者女性は渋谷界隈で不特定多数の人と性交渉を持っていた人であり、ゴビンダさんは彼女の客になったことがあったのだ。
 彼女と関わりがあると知られると殺人の犯人と思われるかもしれないと思い、ゴビンダさんは当初は彼女のことを「知らない」と言っていたのである。

三 強盗殺人で逮捕・起訴される
 オーバーステイで逮捕された彼は3月31日にオーバーステイの件で起訴され、5月20日に有罪判決がなされた。執行猶予つきの判決なので、通常だと入管に身柄を移されて入管により退去強制される段取りになる。
 しかしゴビンダさんの場合、判決を受けたその日に、強盗殺人の容疑で逮捕されてしまった。
 そしてその6月20日に強盗殺人罪で起訴された。

四 彼女との関わりの告白について
 ゴビンダさんは当初は彼女との面識を否定しており、接見している我々に対しても当初は「知らない」と言っていた。
 しかし強盗殺人で逮捕されてすぐに彼は弁護団に、彼女と面識があることを告白した。 我々は、そのことをすぐには公表しなかった。公表することによりマスメディアにいいように憶測記事を書かれたりして混乱を招きたくなかったから。
 いつ公表したかというと、一審におけるゴビンダさんに対する被告人質問のとき。1999年の3月。事件発生から2年も後。被告人質問の中でゴビンダさんは、彼女と面識があると答え、この時に世間の人が知ることになった。
 世間の人は、ゴビンダさんが99年3月まで彼女との面識を否定していたと思ってしまっている。しかしゴビンダさんは我われ弁護団に対しては、強盗殺人罪での逮捕当初から真実を語っていたのだ。

五 一審での無罪判決とその後の勾留問題
 2000年4月14日に一審で無罪判決。無罪判決を聞きゴビンダさんは法廷で飛び跳ねて喜んでいた。
 しかしゴビンダさんは、無罪になったにも拘わらず釈放されずに勾留された。
 ふつうのオーバーステイの外国人の場合だと、無罪判決によって勾留の効力がなくなり、入管に身柄を移されて入管から本国へ退去強制される。
 ところが彼の場合、入管に身柄を移されたもののいつまで経っても強制送還されないで留めおかれた。そしてその間に検察側が裁判所に「彼を勾留しろ」と訴え続けた。最終的に高裁第4刑事部が勾留を決定した。
 勾留決定は5月8日。彼は入管に1ヶ月近く留めおかれていたことになる。異常といわざるを得ない。
 こうして彼は、無罪判決を受けたにもかかわらず勾留され続けるされるという事態におかれた。

六 高裁判決
 一審無罪なのに勾留され、無罪の人が手錠腰縄をつけられるという、異常な状態で控訴審の審理が始まった。
 判決は2000年12月22日。無期懲役の逆転有罪判決。
 ゴビンダさんは即日上告した。

七 上告趣意書の概要
 上告趣意書は2001年6月5日に提出した。
 上告趣意書に何を書いたか、ポイントを絞ってお話をする。

1 現場に遺棄されたコンドームはいつのものか?
(一)どのような争点か?
 死体が発見されたK荘101のトイレの便器の中に、使用済みのコンドームがあった。そのコンドーム中の精液のDNA型がゴビンダさんのものと一致した。
 検察側はこれをゴビンダ犯人説の有力な根拠としている。つまり、ゴビンダさんが3月8日に101号室で彼女と性交渉を持ち、その後彼女を殺した、というストーリー。
 ゴビンダさんは、彼女と何度か性交渉を持ったことを認めている。そしてその時期も供述している。最後の性交渉は97年の2月下旬。そのときにコンドームを使って性交渉をし、コンドームをトイレに捨てたと言っている。トイレ内のコンドームはこのときのものだ、というのがゴビンダさんの主張。
 そこで、そのコンドームが捨てられたのは3月8日なのか2月下旬なのか、が裁判での争点になった。

(二)押尾鑑定のおかしさ
 これを判断するには、捨てられていたコンドーム内の精液の古さを調べるしかない。コンドームが発見されたのは3月19日。だから、この精液が10日前(事件日)のものか20日前(ゴビンダさんが彼女と性交渉を持ったと供述している日)のものか、その古さを調べるということになる。
 この精液の古さについては裁判上の正式な鑑定はなされていない。警察側で調達をした学者に依頼して鑑定をした結果の資料のみ。それは押尾茂という帝京大学の教授がやったものであり、お巡りさん4人の精液を採取し、その精液が時間の経過でどのように変化するかを実験したもの。
 お巡りさん4人の精液を、精製水にブルーレットを溶かしたものに入れた。それを放置し顕微鏡で調べた。精子は、時間とともに器質的に壊れて、頭部と尾部が離れていく。押尾氏はその崩壊度を観察した。
 すると、10日間放置した精子では、精子の頭部と尾部が離れたものが30〜40%あった。これさらに放置して20日経つと、全体の60%〜80%に、頭部と尾部の分離がみられた。
 他方、現場で採取された精子は、かなり崩壊が進んでいてもはや頭部しか残されておらず、尾部はあっても痕跡程度だった。
 となると、現場の精液は、どう考えても10日間よりも20日間以上放置されたものとなるのではないか。
 ところが押尾氏はこの実験結果につき、“この実験は全ての捜査を清潔な環境下で行なったものである。事件現場の精液は不潔な環境下にあったのだから、清潔な環境内で20日間かかった崩壊が、不潔な環境下で10日で起きてもおかしくない。だから本件コンドーム内精液につき、3月8日に捨てられたものと考えても、この実験結果と矛盾しない。”と言った。
 しかしこれはちっとも科学的ではない。「汚い環境なら崩壊が早い」というのであれば、実際に汚い環境を作って試してみなければ、科学的に検証したことにならない。押尾氏は、自分の目指していた結果と異なる結果になったときに、対照実験や追加実験をせずに、口先だけで自分の目指す結論を言い張っただけ。科学者とはとてもいえない。
 二審判決は、この非科学的な押尾意見を、「相当なものとして受け容れることができる。」とした。もうめちゃめちゃである。
 ちなみに弁護団は一審でも二審でも裁判所に対し、ゴビンダさん本人の精液を使ってそれが日数とともにどのように変化するかを鑑定するよう、申請してきた。しかし一審も二審もそれを却下した。
 一審は結果的には無罪判決になったから、却下したことに問題はない。我々はゴビンダさんの無罪の立証として鑑定を申請したけれど、一審は「そこまで必要ない。そこまでしなくてもそもそも検察側の有罪の立証ができていない」という意味になるから。
 ところが二審は、こちらの無実の反証を却下しておいてゴビンダさんを有罪にしたのだからおかしい。これは審理不尽。なすべき審理を尽くさないで判決を出したもの。これは判決の違法理由の一つになる。

(三)あらたな鑑定結果 (押田鑑定)
 一審も二審も結局鑑定をしてくれなかった。最高裁での鑑定は制度上あり得ない。
 そこでこちら側で自前の鑑定をした。日本大学法医学教室押田茂實教授に協力を依頼した。
 これは、できるだけ事件現場のコンドームと条件を同一にするため、事件から4年後の同じ時期(ゴビンダさんが性交渉をしたという時期)である 2001年2月28日に、ネパール人5名、日本人3名(いずれもゴビンダさんの年齢に近い人)から精液を採取し、その経時変化を調べたもの。
 採取した精液をコンドーム内に入れ、日大法医学教室の便所の便器の中のブルーレット溶液と混ぜて便所に放置した。しかし、コンドームを外に吊したのだと外気に触れてしまうので、便所では、トイレの中のブルーレット溶液の中に浸しておいた。さらに念の入ったことに、使ったブルーレット溶液は、その前1ヶ月ほど便器の中で流さずに放置したものを使った。つまり、当時のK荘101号室のトイレで便器の中に入っている状態とできるだけ近い状態を作り出した。そうして5日後、10日後、20日後、30日後に一部を採取し、形態学的な精子の変化を観察した。
 その結果は、押尾鑑定の結果とほぼ同一で、細菌が繁殖している状況下においても、10日目では、頭部のみになっているのは40パーセント前後であるのに対し、20日目は80〜90パーセントとなった。
 つまり、不潔な環境の水でも精子は1日間では40パーセントしか壊れなかったということ。“不潔な環境なら精子の崩壊は早い”という押尾意見が誤りであることが証明されたといえる。
 となると、3月19日に採取して頭部しか見られなかった精子は、3月8日のものではないということになる。
 この実験結果につき、上告趣意書では次のように述べた。
「このような鑑定結果からしても、本件精液中確認された200個の精子のすべてにつき、尾部がなくなり、頭部しか残されていなかったという事実は、採取後10日しか経過していないのではなく、むしろ20日余りを経過したことを強く推定させるものであり、本件コンドームが事件当日に捨てられた蓋然性が高いなどとはとうていいえないことは、明らかなのです。
 従って、この精液の存在は、かえって、被告人は2月下旬、被害者と101号室で性交したものであり、事件当目は自分ではないという被告人の弁解を裏付ける重要な状況証拠というべきなのです。 」

2 被害者手帳の記載の解釈
(一)どのような争点か
 被害者女性は、売春をした相手との結果を手帳に記録していた。つまり、何月何日、誰と交渉をもって、いくら受け取ったか、というメモが手帳に細かく残っていた。
 たとえば「1月2日、山田3万」とか書いてある。
 ゴビンダさんは2月下旬に性交渉をもったということを言っている。トイレのコンドームはそのときのものだと言っている。ということは、そのときに対応する性交渉の記録が手帳にあるはずだ、ということになる。

(二)「? 外人 0.2万」との記載はゴビンダさんとの交渉を表わすか?
 手帳の該当箇所をみると、97年2月28日の欄に、「? 外人 0.2万」との記載があった。これがゴビンダさんとの性交を指すものかどうか、が争点の一つとなった。
 たとえば客が日本人の場合、きちんと名前が書いてあって分かりやすいが、客が外国人の場合は、「外人」とか「台湾人」とかの記載になっている。固有名詞が書いていない。
 ちなみにゴビンダさんが“2月下旬に被害者女性と性交渉をもった”という供述をしたのは、99年4月。法廷における被告人質問で述べた。
 これに対し、被害者の手帳が弁護側に証拠開示されたのはその後のこと。つまりゴビンダさんは、手帳の記載につじつまを合わせて供述したのではなく、自分の記憶に基づいて供述をしたのだ。そして、蓋を開けてみたら手帳の記載はゴビンダさんの供述に符合していたということ。
 もっとも検察官は、この2月28日の記載はゴビンダさんとの性交を示すものではないという。
 ゴビンダさんが彼女との最初に性交渉をもったのは96年12月。Hビル401号室で同居していたネパール人2人と合計3人でその女性と性交渉をもった。手帳を見ると、12月12日欄に「? 外人3人(401)1.1万」という記載があった。
 97年1月にもゴビンダさんは彼女と性交渉をもっていて、それに符合する記載は、97年1月29日欄に「? 0.5万」となっている。
 その次が先の2月のもの。「? 外人 0.2万」。
 我々の見解としては、いずれも「?」と記載されいるという意味で、彼女にとってゴビンダさんは「?」な存在であったということで一貫している、だからこれらの記載はゴビンダさんのものだ、というもの。
 彼女にとって「外人」かそうでないかは重要ではない。なぜならば「外人」と書いたからといって何の目印にもならない。彼女はゴビンダさん以外にも外国人と性交渉をもっていて、他に沢山「外人」という記載がある。「外人」という記載をするかしないかは重要なことではない。彼女にとっては、常連客になってくれる人以外の客は「その他大勢」でしかなく、連絡先も名前も聞かない。だからメモの付け方としてあまり一貫性がない、というのがこの手帳の素直な読み方だと思う。
 一審判決はこの争点につき、2月28日欄の記載は“ゴビンダさんのものではないとまでは断定できない”とした。
 しかし二審判決は、28日欄の記載はゴビンダさんに関するものではないと結論づけた。
 二審判決は、彼女の手帳の記載はきわめて正確で一貫性があり、例外を許さない厳密なものだという理解の仕方をした。
 ちなみに、どういう場合に「?」がつかないか、ということについて二審判決は、“客の名前や連絡方法が判明している場合であり、かつ、その被害者女性が今後もその人を客になりそうだと判断した場合”に「?」がはずされる、という。
 単に「客の名前や連絡方法が判明している場合」ではなく、彼女が「今後も客にできそうだ」と判断した場合を要する。つまり、基準としてちっとも客観的ではない。彼女の主観によった基準であり、そもそも“基準”とは到底呼べない恣意的なもの。
 検察側は一審では“「?」は初対面の相手の時につける”といっていた。ところが二審になって、“初対面のときにつけるのではない”と変わってきた。
 2回目なのに「?」がついたままの人もいるし、名刺の交換をしてもなお「?」がついている人もいる。
 つまり「?」がつくというのは、どこの誰かが分からないということでもない。要するにバラバラ。一貫したルールなんてない。
 そこで高裁は“今後もその人を客とできると、被害者女性が判断した場合”などというように彼女の主観に頼る。
 しかし実際のところ「?」が外された場合には、客の名前と住所が手帳に記されている。ここが重要。「?」が外れている人はまちがいなく名前と連絡先の電話番号が書いてある。
 高裁は、ゴビンダさんに「?」がつくのがおかしいというが、それではゴビンダさんの連絡先が手帳に書いてあるかというと、書いてはいない。それなのにどうして彼女がゴビンダさんを“今後もその人を客とできる”と判断しているといえるのか。高裁の理屈は、自分の立てたルールにも矛盾している。
 さらにいえば、高裁は、“客の名前や連絡方法が被害者女性に判明している場合”に「?」を外す、と言っているが、ゴビンダさんの連絡先は判明していないのだから、その点においても高裁は自分で立てたルールに矛盾している。
 一貫して例外を許さないルールで手控えに「?」を記していく、ということがあり得ないということは、みなさんがご自身の手控えの記入を考えてみてもおわかりになるでしょう。
 また、被害者の手帳の記載欄は小さくて、そんなに詳しい内容を記入できるものではない。その程度の手控えなのだ。その程度のもので何かを決める(有罪の証拠としてしまう)ということがおかしいと思う。
 そんなことよりも明確な物的証拠の方を見るべきである。
 ところで、ゴビンダさんはなぜ「?」な存在だったか。
 ゴビンダさんは彼女にとってはずっと「その他大勢」でしかなかった。彼の顔を彼女自身覚えていなかったのだと思う。
 ゴビンダさんにとっては彼女との性交渉は極めて非日常的なことなので彼女のことを覚えているが、彼女の方は毎日3人から4人の客を取っていたので、彼女の方がゴビンダさんの顔を覚えていなかった可能性は極めて高いと思う。だから2月28日の性交渉のときにも「?」がついていたのだろう。
 一審判決はそこのところをきちんと指摘しているが、二審判決はそれを無視した。
3 巣鴨の定期券
 巣鴨で被害者女性の定期券が発見されている。彼女が3月8日の朝に使ったという記録のあるもの。
 ゴビンダさんは神泉のアパートに住んでいて、幕張のインド料理店で働いていた。幕張の店までのアクセスは、マンションから渋谷駅まで歩き、山手線の南回りで東京駅まで行って、東京駅から京葉線に乗り幕張まで行く。彼の動線の中に巣鴨はない。また彼の友人知人の中にも巣鴨に住んでいる人はいない。
 つまりゴビンダさんには巣鴨に土地鑑はない。
 ゴビンダさんの土地鑑のないところにどうして定期券が落ちていたのか。
 一審判決ではそれを「解明できない疑問点」として上げている。
“どうして土地勘のない巣鴨までわざわざ出向き、しかも人目に付くような民家の庭先に定期券を投棄したのか、説明が付かない。こういう解明できない疑問点がある以上、有罪にはできない”という論理。
 二審判決もこの点は未解明のままだといい、「その点が幾分かでも明らかにされれば、本件の解明に何らかの寄与をなし得るものと考えられる」という。
 しかしそれに続けて、「これが明らかでないからといって、それゆえに被告人と本件との結び付きが疑わしいということにならないことは、本件証拠に照らして見易い道理である」という。具体的な論証はなく、「本件証拠に照らして見易い道理」などという抽象的な言葉で逃げているところに、二審判決の苦しさが現われている。
 巣鴨の定期券の問題は、一審のときから問題になっていた。捜査機関は初めはこの巣鴨の定期券の問題については証拠を一切出さなかった。検察側から出さなかったということは、ゴビンダさんを有罪にするのに都合の悪い証拠だということを検察自身が認識していたということ。
 巣鴨の定期券に関する証拠を何と出させたいということで、捜査官の尋問のときに石田弁護士がうまく巣鴨の定期券の話を引き出し、それに続けて証拠開示を求めた。
 「巣鴨の定期券」というと、JRの巣鴨駅を思い浮かべてしまうがこれは正しくない。検察側もその錯覚を利用して、巣鴨はゴビンダさんが「渋谷−東京」間を利用していた山手線の同じ沿線だ、と述べて巣鴨の定期券とゴビンダさんを結びつけようとする。
 しかし、実際に定期券が落ちていたのは、JR巣鴨駅から1キロも離れたところ。最寄りの駅は三田線の「西巣鴨」。もっと近いのは都電荒川線の「新庚申塚」。JR「巣鴨」はちっとも近くない。つまり山手線の「巣鴨」に結びつけて考えるのはおかしい。
 「新庚申塚」「西巣鴨」であればなおさらゴビンダさん犯人説から離れていくのは明らか。このことも上告趣意書で指摘しておいた。

4 目撃証言の信用性、ゴビンダさん現場到達可能性
(一)どのような争点か
 被害者女性らしい女性と、東南アジア系らしい男性の二人連れを3月8日の夜中に見たという目撃証言がある。その目撃証人は大学生。
 目撃された女性が被害者女性だというのは、どうやらその通りらしい。
 他方、連れの男性についてはその学生は、目撃当初は「東南アジア系」ということを言っていなかった。しかし警察に通ううちになぜか「東南アジア系」ということになっていった。したがってこの証言は捜査官側で作られた証言だと我々は言っている。
 彼が見たのはゴビンダさんなのか、そもそもゴビンダさんはその目撃時刻にそこにいることができるのか、が裁判では問題になった。

(二)ゴビンダさんは目撃証人の目撃時刻に現場にたどり着けるか?
 学生は夜中に「東南アジア系」の男性を見たと言っている。
 ゴビンダさんは夜10時まで幕張のレストランでアルバイトをしていた。退勤したあと、幕張駅から京葉線に乗り、東京駅で山手線に乗り換え、南回りで渋谷まで来きて、渋谷で下車し、道玄坂を歩いて上りK荘までたどり着く。
 学生が目撃した時刻にゴビンダさんはK荘前までたどり着けるのか、という問題。
 幕張駅の東京方面行きの午後10時過ぎの電車は、1本目は10時7分、2本目は10時22分。
 「10時7分に乗ると目撃時刻に間に合うが、10時22分だと間に合わない。」というのが主要な争点だった。
 一審判決では22分に乗っても目撃時刻に間に合うという結論になっている。他方、二審判決では、“7分だと間に合うが22分だと間に合わない、それゆえ7分に乗った”という結論になっている。要はかくも極めて曖昧な話だということ。
 その日の仕事の状態によってそもそも退勤できる時刻は変わるし、退勤後どういう行動をとるかによって乗れる電車は異なる。また、東京駅での京葉線から山手線への乗り換えは極めて長い駅のコンコースを歩くことになるので、時間の誤差は大きい。その日の混み具合によって相当変わる。山手線にダイヤの乱れもあるかもしれない。渋谷駅のホームに出てからも、駅の混み具合で所要時間はかなり変わる。道玄坂の歩き方によっても相当な時間の幅が出るはず。不確定な要素が多すぎる。
 学生の目撃時刻はどういう構造になっているかというと、夜の11時14分にトークスでガムを買ったことがレジの記録にある。客観的に時刻がわかるのはそれだけ。その後のことは、「そのあとこうしたから5分後かな」「そのあとこうしたから10分後かな」…という曖昧な推定の話の積み重ねでしかない。
 だからどこをどうみるかによって、目撃時刻は大きく変わる。

(三)高裁の認定
 二審判決は、ゴビンダさんが10時7分の幕張発の電車に乗ったとしたうえで、渋谷駅には11時17分に着き、渋谷からK荘まで12分程度だった、と認定した。
 17分プラス12分で、ゴビンダさんは11時29分に現場に到着したことになる。
 ところで高裁は、学生がそのカップルを目撃したのは、早くても午後11時25分をいくらか過ぎたころだという。
 つまり二審判決の認定を前提としても、学生の目撃時刻とゴビンダさんの到達時刻とに重ならない部分がある。つまり、二審判決を前提としても学生が目撃したのはゴビンダさんではない可能性もあるはずなのに、二審判決はゴビンダさんを有罪にしている。
 これは明らかにおかしい。上告趣意書ではこの点についても指摘した。
 もちろん、そもそも10時7分発に乗れたとは限らないということは従前から言って来たことである。また、10時7分発に乗れたとしても、11時29分に現場に到達できるとは限らない。ちょっとでも寄り道したり混んでいたりしたら間にあわない。それほどギリギリの時間の話なのだ。
 そのギリギリの時間の問題をあっさりクリアして二審判決は「彼が目撃したのはゴビンダさんだ」というが、無理やりの感は否めない。
 ちなみに上告趣意書で新たに指摘したことだが、同居のネパール人のマダンさんは、3月5日にゴビンダさんが何時頃帰ってきたかと聞くと、「12時頃に帰ってきた」と言っている。3月6日のゴビンダさんの帰宅時刻については、同じく同居のネパール人のラメシュさんが供述しており、やはり12時頃だったといっている。他方タイムカードは、3月5日も3月6日も、午後10時にきっかりに打刻されている。
 つまりタイムカードが10時に打刻されているからといって、現場に11時過ぎに到着はしていない。だいたい12時頃になってしまっているのだ。
 11時29分に現場に到達できるというのは、全てにおいてテキパキシャカシャカと帰宅して初めてなせる業なのだ。ゴビンダさんの日常の行動態様からすると、11時29分に現場に到達するのは無理だというのが常識的な解釈だと思う。

(四)女子高生の証言の重要性
 もう一点付け加えると、学生が目撃していた時刻には後ろの限界がある。
 それは、K荘の2階に住んでいた女子高生の供述に基づく。その女子高生が神泉駅そなえ付けの公衆電話に電話をかけに行ったときに学生の姿を見ていない、つまりその時刻には学生は既にK荘前から出発して家路についているということ。
 その女子高生は、夜中の11時30分頃、ボーイフレンドと自宅の電話で長話をしているとお父さんに怒られるから電話を切って、神泉駅の公衆電話に電話をかけに行った。自宅の電話の時刻は11時32分。NTTの記録がある。その電話はすぐに切って、10分後くらいに神泉駅に電話をかけに行った。32分プラス10分、つまり11時42分過ぎ頃に家を出て神泉駅の公衆電話に行った。
 そのとき彼女は学生の車を見ていない。学生はK荘前の狭い道に車を停めていたのだが、その車を女子高生は見ていないのである。
 つまり11時42分頃には、学生はその場所から離れていたということになる。ちなみに学生はK荘の前にある「まん福亭」という料理屋に、お父さんを迎えに行っていた。お父さんが出てくるのを車に乗って待っているときに、その問題のカップルを車の中から目撃したのだという。
 学生は、自分が車を出したのは父親がまん福亭から出てきて10分ほどしてからだったと証言している。したがって父親がまん福亭から出てきたのは、遅くても11時32分頃になる。
 アベックを目撃したのは「お父さんがまん福亭からでてくる5分ぐらい前」と証言しているので、32マイナス5で11時27分ということになる。
 したがって二審判決に従ってゴビンダさんは11時29分ごろに到着したとすると、やっぱり学生が見たのはゴビンダさんではない、ということになる。
 二審判決は、この女子高生の証言について一切触れていない。都合の悪い証拠には触れていないということ。明らかに偏った判決。
 このことについても上告趣意書で指摘した。
 この女子高生は検察側の証人で出てきたのだが、K荘から出てくるときに、101号室の方から性交をしているような男女の声が聞こえた、と証言している。そこで反対尋問をしたところ、101号室の窓の外に、使い古しのティッシュとコンドームが複数個ころがっていたとの証言が出てきた。
 これは被害者女性が窓から外に捨てたのだろうと考えられる。被害者女性は、この101号室で複数人の客と複数回の性交渉をもっていたということ。私たちはこれがゴビンダさんの無罪証拠の一つだと考えている。ゴビンダさんが1人で短時間の間に複数回の性交渉をするのは生理的に無理だし、今までも複数回の性交はしていない。
 この時被害者女性は定宿にしていたラブホテルを出入り禁止になっている。料金が安いために彼女はそのホテルをよく利用していたのだけれど、彼女の利用の仕方がよろしくないので出入り禁止になっていた。つまりこの時彼女は定宿がない状態だった。そういう意味でも、この101号室を利用する必然性があった。この点も上告趣意書に記載した。
5 一審判決の指摘する「解明できない疑問点」とそれに対する二審の判断
 ゴビンダさんが犯人だとするとそれと矛盾する事柄がいくつかある。これが「解明できない疑問点」である。これが解明されない限り彼を犯人とすることはできないはずであり、一審判決は、「被告人を本件犯人と認めるには、なお、合理的な疑問を差し挟む余地が残されているといわざるを得ないのであり、そうすると、『疑わしきは被告人の利益に』との刑事裁判の鉄則に従って判断するのが相当である。」とした。

(一)現場のコンドームの遺留状況
 現場にはコンドームのパッケージがなかった。これはどういうことかというと、「犯人が、証拠を残さないためにパッケージを持ち帰ったのだろう」と判断できる。
 ところがそんな犯人が、みすみすトイレに使用済みのコンドームを残していくか。しかも自分の体液の入ったものを、である。
 そこのところに一審判決は目を付けた。
・ コンドームのパッケージがないということは、犯人は自分に関係するものは全部持って出たことを推測させる。
・ ということは、トイレのコンドームは犯人に関係するものではない。
という論理。
 ところが二審判決は、トイレのコンドームについては、後日重要な証拠になるとは思っていなかったのでしょう、といい、他方、パッケージについては、用意周到に持ち出したのでしょう、という。
 認定が明らかに矛盾しており、一審の指摘した問題点を全く乗り越えていない。

(二)第三者の陰毛
 この事件は、物証がなく状況証拠しかない事件だと言われているが、実はそんなことはない。先に述べたトイレのコンドームもそう。コンドームは、ゴビンダさんの犯人性を疑わせる証拠ではなく、むしろ無罪証拠である。
 第三者の陰毛もしかり。
 現場の被害者の遺体付近には、被害者女性のものでなく、ゴビンダさんのものでもない陰毛が2本あった。
 一審判決は、他の人の陰毛もある以上、その陰毛の持ち主が犯人である可能性がある、とした。
 それに対して二審判決は、“前の住人が退去するときに部屋の掃除が充分ではなかった。だから第三者の陰毛があっても、第三者が101号室に入り込んで彼女を殺したことにはならない”という。
 この論は、その陰毛が前居住者の退去よりも前から存在した、という前提があって初めて成立するもの。しかしそのような前提は全くない。だれの陰毛かわからないのだ。
 女性は日頃から不特定多数の人と性交渉をもっていたわけで、となると、その日初めて会った人に殺されたのであれば、捜査機関としては捕捉しきれない。
 お巡りさんがいくらがんばっても、見つからないものは見つからない。
 この第三者の陰毛はまさに真犯人のものであり、その真犯人は彼女の一見の客だ、というのが私たち弁護団の推測。
 少なくとも証拠関係から言って、ゴビンダさんが犯人であるとは到底いえない。
 それは、「合理的な疑いを容れない程度の有罪の立証がなされていない」という程度よりももっと積極的に、彼が無罪であることは明らかである、といえるものだと私は思っている。
以 上