無実のゴビンダさんを支える会

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ゴビンダさんからの手紙

以下の手紙は2001年3月25日に東京の八丁堀で行われた「無実のゴビンダさんを支える会」の結成集会に寄せられたゴビンダさんからのメッセージです。

原文はネパール語・支える会事務局/訳


拝啓

 すべての皆様に私ゴビンダからナマステの御挨拶を差し上げるとともに、私に対する支援を賜りますようお願い申し上げます。私は無実であり、何も悪いことをしておりません。皆さんには大いなるものの祝福があると信じますし、私が心より感謝していることをお知らせしたいと思います。私は、皆さんが私をこの苦しみから救い出して下さるために懸命に努力して下さると信じ、それを願わずにはいられません。

 私の名前は、ゴビンダ・プラサド・マイナリといいます。ネパールの東部で1966年に生まれました。父の名前は、ジャヤ・プラサド・マイナリ、母の名前はチャンドラカラー・マイナリーといいます。

 父には2人の息子と2人の娘があり、私は兄・姉に続く3番目に生まれました。

 私は25歳のときに結婚しました。妻の名前はラーダ・マイナリといいます。結婚して2年ほどの間に2人の娘が生まれ、上の娘にはミティラ、下の娘にはエリサと名付けました。娘達は今、8歳と9歳になっています。学校でいえば、2年生と3年生になります。

 私が初めて日本という名前を聞いたのは10才の時でした。その頃、学校の歴史の時間に日本について学ぶ機会がありました。歴史の授業では、第2次世界大戦においてアメリカが日本の広島と長崎に原子爆弾を投下し、多くの人が死んだことを教わり、たいへん悲しい思いをしたことがあります。その後、日本は国民の目ざましい努力によって発展を遂げ、今では世界でも指折りの豊かな国に成長しています。「日出ずる国」として知られていますし、そう言われてもいます。そして、その優れて美しく清潔な道路や橋、日本人の行動様式、習慣などを見てみたいと思ったものでした。

 その後、兄と姉のウルミラが日本人と知り合って日本を行き来するようになりました。

 子どものころから日本に行くことを夢見ていた私は、日本とネパールを行き来する兄と姉から日本のことを知るようになりました。仕事は至るところにあり、真面目に働けばお金を稼ぐことができ、美しい国、友好的な日本人などなど、沢山のことを聞きました。

 その話を聞き、私は日本に行きたいという気持ちがますます募りました。

 そして私は、3〜4年間日本で真面目に働き、新しくモダンな家を建て、娘達には良い教育を授け、将来家族が幸せに暮らせるように、可愛いさかりの娘と年老いた両親、そして愛する妻を残して日本に行く決心をしました。

 1994年4月、私はあこがれの日本に来ました。空港から東京に向かうとまるで天国に来たかのように思ったものです。高層ビル、滑らかできれいな道や橋、穏やかで素直な性格の日本人たち、それらを見たとき幸せな気分になりました。そして自分の幸運に感謝しました。

 日本で私はウェイターのアルバイトをしました。仕事は休まず、一生懸命働きました。自分の将来のため、家族や娘達の将来のためにと、夢をもって懸命に働きました。

 もらったお給料は、自分の生活費を残してネパールに送金し、娘達を良い学校に入れさせました。また、カトマンズに土地を買い新しい家も建てました。

 そんな私が、突然警察に捕まってしまったのです。

 警察は私に、女性を殺しただろうと言って迫り、私のことを蹴ったり叩いたりしました。

 私はずっと本当のことを、女性を殺していないということを言っているのに、全く信じてもらえませんでした。

 幸い地方裁判所は私の言うことを信じてくれて私は無罪になったのですが、その後も私は国に帰らせてもらえず、拘束され続け、ついに高等裁判所は私に罪をかぶせました。

 このような裁判をお釈迦様は決して許さないでしょう。私の魂も幼い娘達の魂も決して許すことはないでしょう。

 日本のような豊かな国の、智慧あるものとされる裁判官が、真実から目を背け偏見に満ちていることは正しいことではありません。無実の人間に罪を被せることは間違っています。

 私はいつまでこの苦しみを耐えなければならないのでしょうか。この罰をどうして受け入れなければならないのでしょうか。無実であるにも拘わらず、狭い部屋に閉じ込められて4年が過ぎてしまいました。

 皆さん。皆さんが私を支え、応援して下さることを私はとても心強く思っています。

 最高裁判所が正しい判断を下し、私を祖国に帰してくれるよう、皆さん、私に力を与えて下さい。

 今日はお忙しい中お集まりいただき、本当にありがとうございました。