無実のゴビンダさんを支える会

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あの日のこと(再審開始決定日とゴビンダさん帰国に寄せて)

2012年6月7日は、私たちにとって忘れることのできない日になりました。
以下は、この1日と、ゴビンダさんの帰国までの出来事について、共同代表の蓮見順子さんから寄せられた一文です。
あの日のこと

昨年の七月、真犯人の可能性を示すDNA鑑定結果が出るまで、支援の会は明かりの見えない暗いトンネルをただ歩き続けてきたような気持でした。私たちが生きている間に、彼をネパールに帰せるだろうかと、時には絶望的になることもありました。でも、それを励ましてくれたのはゴビンダさんの一言でした。”ネパールには「真実は必ず勝つ」ということわざがあります。私は希望を捨てていません。”彼はことある事にそう言っていました。裁判所、検察への要請書にも、私たちへの手紙にも、また面会に行っても、いつも笑顔でそう言っていました。

昨年の7月に決定的とも云える証拠が出た後、検察によって、さらにいくつもの証拠のDNA鑑定が行われたました。その時も、私はやっていないのだから、私のDNAが出る筈がないときっぱり言って、力づけてくれました。証拠隠しをやって、15年も無実の人間を獄中に拘束した検察を信用していない私たちは、もしかしたら、検察が証拠を捏造するかもしれないという不安から、いつも新たに提出された証拠のDNA鑑定結果が不安だったのです。ゴビンダさん自身も実は不安で一杯であったに違いありません。彼は、新聞も読めるようになり、また、私たち支援の会や、弁護士面会で情報が提供され、自分の置かれている状況をしっかりと把握していましたから。

そして、6月7日、喜びの日がやってきました。急遽呼び寄せた奥さんと二人の娘さんはぎりぎりの前日、日本に到着していました。裁判所前に集まり、身動き出来ないほどの報道陣に囲まれ、吉報を待っていました。再審開始は間違いないと信じつつも、一抹の不安がありました。弁護団の宮村啓太弁護士がまるめた紙を持って、裁判所の中から走り出て来ました。表情で分かりました。「再審決定だ!」紙が拡げられ、「再審決定」の文字が飛び込んできました。家族と共に抱き合って泣きました。喜びの涙でした。その時宮村弁護士がさらにこう叫んだのです。「刑の執行停止もつきました!」私たちは一瞬耳を疑いました。要請ではいつも、刑の執行停止も要求してはいたのですが、これまでの経過をみても、まさか現実になるとは思っていなかったのです。日本語の分からない家族に私はすぐに、「解放よ!一緒にネパールに帰れるのよ!」とネパール語で伝えました。奥さんのラダさんは天に両手をあげ、神に感謝をしていました。報道陣に感想を聞かれ、「うれしい、うれしい、うれしい。ありがとう、ありがとう、ありがとう」と泣きながら言っていました。

その日はめまぐるしい一日となりました。再審開始と刑の執行の停止を聞き、私たちは家族と共にそのまま、高等検察庁に、無駄な抵抗をせず早く再審開始のために協力するよう要請に向かいましたが、その途中で、検察が再審開始と刑の執行停止に対して異議の申し立てをしたことを知りました。私たちの心に明るく照っていた太陽はまた雲に包まれ、怒りとともに検察庁に入り、無実の人間をどこまで苦しめたら気が済むんだと、憤懣の限りをぶつけました。

その後、再審開始を喜ぶ食事会のため、ネパールレストランに行ったのですが、心は晴れませんでした。食も進まず、今後の話などをしていたら、事務局長の客野さんの携帯に、神田安積弁護士から連絡が入り、検察の申し立てた勾留請求が二つの法廷で却下された、というのです。また、また驚きの結果です。検察がかくも素早く勾留請求までしたとは驚きましたが、裁判所がそれに対し、即座に却下したことにさらに驚きました。今度は嬉しい驚きでしたが。その後は、報道陣を通じて次々と情報が入り、ゴビンダさんが解放され、刑務所から入国管理施設に移されたことを知りました。

翌日、家族を連れて、横浜の入管にゴビンダさんに会いに行きました。刑務所と同じく、狭い部屋で、同じアクリル板を通しての面会でしたが、囚人服ではなく、白いスポーツジャケットとパンツを着たゴビンダさんが、別人のように自由で、新鮮に見えました。

それから帰国までの数日間は、早く時間が経って欲しいと祈るような毎日でした。検察がまた、どんな妨害をして、再び、ゴビンダさんを勾留しかねないという不安がみんなの心にあったからです。

6月15日、出国の日です。ゴビンダさんはオーバーステイであったため、入管から職員に伴われ、裏道を通って飛行機に搭乗したので、家族は別れてから18年ぶりに、飛行機の中で、遮るもののない状態で、ゴビンダさんと手を握り会うことができたのです。飛行機は同行する報道陣で満席になっていました。 タイ航空の配慮で、ゴビンダさん家族と支援者4人は一番後の席に、ゴビンダさんを取り囲むように用意されていました。これまでゴビンダさんに接触ができなかった報道陣は、搭乗するなりゴビンダさんの席に殺到しました。他の搭乗者の迷惑も考え、乗務員たちはゴビンダさんの映像を撮ることを止めるよう何度もアナウンスをしましたが、すったもんだが治まるまでかなりの時間を要しました。

機上では、ゴビンダさんの肩に頭を乗せ、本当に安心したように眠る奥さんのラダさんの姿を見て、ここまで、闘いを続けてきて本当に良かったと、改めて思いました。

バンコックに一泊して、(この時もゴビンダさんは、家族と別れ別れになり、入管施設に一泊留め置かれました)翌16日にゴビンダさんは故郷ネパールの土を踏み、病をおして飛行場まで迎えに来ていたお母さんと抱き合ったのです。

再審で無罪を勝ち取るまで、まだ私たちの闘いは続きます。でも、ゴビンダさんを故郷ネパールに帰そう、家族のもとに帰そうという私たちの願いはかなえられました。影になり日向になり、縁の下の力持ちとしても、会が結成されて11年もの間支援してくださった皆様方のおかげです。私たちみんなの祈りが通じたのです。ほんとうにご苦労さまでした。ありがとうございました。たくさんの方たちと心を一つにし、共に闘い、共に喜び合えることができ、とても、とても嬉しいです。

今後とも、ご支援どうぞよろしくお願いいたします。

無実のゴビンダさんを支える会
Justice for Govinda-Innocence Advocacy Group

共同代表 蓮見順子