私は1985年に陸上自衛隊に入隊し、1991年4月の湾岸戦争直後に強行された海上自衛隊の掃海艇ペルシャ湾派兵に反対して防衛庁長官に対し直接抗議を行い、そのため不当にも懲戒免職処分を受けた経歴を持つものです。処分に対し撤回を求める訴訟をおこしましたが、1999年最高裁において理不尽にも棄却されました。
 当時、日本国憲法のもとにおいて海外派兵をするなどということはまず考えられなかったが、現実に起きたとき必ず将来大規模な海外出兵につながるという確信をもって同僚二名と共に抗議をおこなったのです。今まさに現時点においてこのときの懸念が現実化していることに憤りを禁じ得ません。
 私は高卒の一般隊員として入隊しました。防衛大学出身者と違い、そのときの仲間はなりゆきとして、または今風に言うとスキルアップのために入隊したものがほとんどです。彼や彼女等の大部分は再び一般社会に一社会人、労働者としてもどっていくことになります。戦争の当事者になることは、こういった人たちにとって決して本意ではないと断言できます。
 当時直訴のあと、釈放されたにもかかわらず私は部隊に監禁されました。抗議のためハンガーストライキなどをおこない二週間ほどで解放されましたが、そういった状況の中でも励ましたり気遣ってくれた隊員がいました。ある隊員の「信念をもってやったんだからがんばれよ」といった言葉は、今でも強く覚えています。隊員たちは一様に同じ考えに染まっているわけではありません。抑圧が強くとも胸のうちまで完全に支配することはできません。
 現在、無定見かと思えるほど自衛隊の海外派兵が拡大しています。イラクにおいては、いつ自衛隊との戦闘が起きてもおかしくないほどの状況になっています。確かに、私たちが懸念した通り状況は悪化しています。しかし私は絶望していません。現在においても一般の隊員の中には海外派兵の現実に対する、あるいは隊内生活の悪化に伴う不平不満、抗議の声が蓄積されています。海外派兵による些細なスキルアップを期待する隊員たちの希望もあいまって「こんなところには絶対電話をするな」という強制もあり、「米兵・自衛官人権ホットライン」は盛況とはとてもいえない状態ですが、遅かれ早かれ「民間人もすべて敵」というような過酷な現実がこの状況を変えてしまうのは明らかです。
 現在の米軍兵士の陥っている事態は、このままでは間違いなく自衛官自身のことになります。そういった状況になったとき、さらに現在強行されようとしている自衛隊法の改悪(これが行われると命令による海外派兵を拒否すれば犯罪者となってしまう)などによって、隊員たちの逃げ道が完全に断たれたときタブー視された「米兵・自衛官人権ホットライン」が注目されることになるでしょう。それはもちろん、喜ばしいことではありませんが。
 さらには隊員周辺の、家族友人恋人たちにとっても大変なことが起きつつあります。英霊がつくられるということは、こういった人たちにとって何ら喜ばしいことでは決してありません。「誇りに思う」などと空々しいことをいっても何の救いにもなりません。なくしたものは帰ってきません。本質的に政府の戦争政策と対立せざるを得ないのです。これからは、こういった人たちにも抑圧の手が伸びてくることは間違いありません。イラク戦争のような、この不正義極まりない戦争によって20歳前後の若者の人生が次々失われるようなことがあってはならないのです。ましてやお互い憎しみあってさえもいないイラクの青年たちと殺しあうようなことも。
 今私たち「米兵・自衛官人権ホットライン」に求められているのは、高邁な思想はさておきこういった人たちに頼りにされる、現実に何らかの救済手段の取れる「米兵・自衛官人権ホットライン」です。現在の海外派兵のエスカレートは自衛隊のなかおも巻き込んだ戦争に対する絶望と反発を作り出していきます。私たちの運動がそれに答えられるように共にがんばりましょう。