サムエル・ルイス師は語る・平和・仲裁・教会の役割
聞き手:ホルヘ・サンティアゴ・サンティアゴ
    ミシェル・アンドロア


【註記】ホルヘ・サンティアゴ・サンティアゴは一九四三年サンクリストバル・デ・ラスカサスに生まれた。大学で神学を学び、一九六九年からサムエル・ルイスと行動を共にするようになった。

現在「メキシコ先住民族の経済・社会的発展のための市民連合」事務局長を務めチアパスの先住民族・農民が貧困状況と周縁化から抜け出す道を求めて活動している。

ミシェル・アンドロアはレバノン生まれ。現在、トロント神学校で平和のための神学のあり方を学んでいる。このインタビューは、一九九六年から九七年にかけて何回かにわたって行なわれ、スペイン語と英語で出版された。紙数の制約上、ここに紹介するのは「付録」として巻末に収録されているふたつのインタビューの抄訳である。

 スペイン語版を入手できなかったので、英語版(“SEEKING FREEDOM : BishopSamuel Ruiz in conversation with Jorge S. Santiago", Toronto Council ofthe Canadian Catholic Organization for Development and Peace,1999.に依って訳出した。           
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  ●あなたが行なってこられた仲裁のための司牧活動の影響で、平和のための神学という捉え方が生まれていますが、それについて語っていただけませんか?


ドン・サムエル 「北」の人たちが考えたり期待したりするのとはちがって、私たちは平和の神学について精巧な考え方をもっているわけではありません。

そのようなものとして平和の神学があるのではなく、私たちの司牧活動についてのふりかえりをしているのです。平和を求める私たちの仕事は、精密きわまりない神学の結果として生まれたものではありません。

 抽象的な、練り上げられた理論によってではなく、具体的な対立・抗争の状況に対応しているだけなのです。この種の問題に向き合うときの困難さは、何か精緻な理論的な解答を期待しがちだということです。

実際の物事はそういうものではありません。私たちは仲裁の仕事に携わりつつ、その中身を内省するのです。

それが平和の神学です。質問に答える前に、このことをはっきりさせておきます。

この枠組みの中でなら、私たちは確かに仲裁の仕事をしており、それをしながら内省的にふりかえるのです。

 どこの対立・抗争でもそうなのですが、仲裁の仕事が直面する困難な問題のひとつは、交渉している紛争当事者のいずれからも、いかに距離を保つかということです。

私たちの場合、政府と話し合っているからといってEZLN(サパティスタ民族解放軍)を代弁しているわけではないし、EZLNと話し合っているからといって政府を代表しているわけでもない。

両者が何を考えているのか、相手に何を伝えようとしているのかということに、私たちの関心はあります。単なることばのうえでの翻訳のことを言っているのではありません。

異なる先住民族言語を話し、異なる文化をもった先住民族社会との交渉なのですから、それは文化の翻訳でもあるのです。

言語的な、同時に文化的なコミュニケーションの問題だということになります。文化的な解釈という仕事は、仲裁の仕事の一部をなします。

 ここでの危険は、私たちを、紛争中の一方の当事者に関連づけたがる人がいるということです。

実は、私たちはそうではありません。私たちはサパティスタではありません、キリスト者です。私が議長を務めるCONAI(仲裁全国委員会)を通して、仲裁の仕事に集団的に取り組んでいるのです。

私自身が仲裁者であるわけでもなく、仲裁の作業のコーディネーターを務めているだけです。対話はEZLNと政府の間で行なわれています。

私たちは対話への参加者ではなく、メキシコ市民社会の積極的な関わりの結果生まれたこの和平プロセスの一部である対話において、言語上の、かつ文化上の解釈・意志交通の媒介役です。

たとえば、エルサルバドルにおいては、市民社会の積極的な関わりは見られませんでした。

期待はされたのですが、実際には起こらなかったのです。

 今日メキシコにおいては、市民社会の活発な働きが見られます。

あるときはアドバイザーとして、また各地で開かれる全国フォーラムを通じて、さまざまな資格で市民社会の代表が対話に参加しています。

この文脈において、私たちの仲裁が対話の中で、また市民社会との関係において、基本的な役割を帯びてくるのです。

これが、CONAIが果たそうとしている役割の一部です。それは、サパティスタの最初の要求とも合致しています。彼らは紛争の当初から、市民社会も武装蜂起に加わるよう呼びかけませんでした。

むしろ、紛争の解決のために、市民が政治的に、民主主義的に参加するよう訴えたのです。

 和平が達成されるとしても、それは、政府が善良なる政治的意思をもったがゆえに対話が成立したり和平協定ができたりするのではなく、この和平プロセスに共同で責任をもつ市民社会の圧力と参加によるものだということは、最初からはっきりとしていました。

キリスト者の観点から、私たちは断言します。純理論的で、抽象的な声明ではありません。自らの経験に基づいて言います。

平和は、すべての市民が責任をもって関わってこそ実現され、打ち立てられます。それがすべての人びとの責任です。こう断言したからといって、私たちがこれこそ適用したい原則であるとか理論であると考えているわけではありません。

私たちの信念によって照らし出され、導きの指針となったプラクシス=実践の結果です。あなたの問いと、私の答えの違いはそこにあります。同じ結論に到達しているように見えますが、プロセスが異なるのです。

 私たちは戦争状況の中に生きています。戦闘で人びとが日々死んでいく公然たる戦争ではありません。いわゆる低強度戦争です。

だから、平和について語ることもいつもやっていることです。平和をつくるということは、現実の戦闘に終止符を打つという意味に留まらず、正義のある社会、正義と平和に包まれた社会をつくるということです。

紛争の根っこにある原因が処理されないのであれば、平和はありえません。チアパスにおける紛争の原因はローカルな要因に依るものだけではない。これらの問題をつくり出すに寄与する経済システムさえなければ、ここにだって、世界のどんな場所にだって、紛争はなかったでしょう。


●あなたは、仲裁の仕事も平和創造も司教としての司牧活動の一部であり、それは教会の
布教活動やアイデンティティの基本的な構成部分である、とかつて言われました。
その意味をもう少し説明していただけませんか? 

ドン・サムエル 私たちの仲裁の仕事は具体的な状況への対応として始まったものです。他の二人の方と一緒にこの任務に誘われましたが、ふたりの方は事情があって引き受けることはできませんでした。

そこで私ひとりが残ったのですが、最初から意図したことは仲裁のための全国委員会をつくることでした。これが私の司牧活動との関連づけが可能な奉仕だと自分で見なすことができないならば、引き受けないことは自明のことでした。

仮に徒党を組む仕事ではないせよ、厳密にいって政治的な課題だったならば、受けるわけにはいかないのです。

仲裁の仕事は政治的な局面をもつが、それに終始するものではない。そもそも政治的な理由で勧誘されたわけではないことは、私にも教区にもはっきりしていた。

私が三七年間ここで司牧活動をしてきたこと、そしていまもここにいること、それが勧誘の理由です。

この力の範囲内において、私は仲裁役として招かれたということが紛争当事者の双方にわかるという限りにおいて、そうなのです。したがって、それは、当教区がこれまでにも行なってきた、何事かに寄り添うような形としての司牧活動の延長上にあります。

●あなたは、現在の新自由主義的なグローバル経済が、貧困、排除、周縁化、ひいては紛争を生み出していると、しばしば述べておられます。この文脈で教会が果たし得る役割とは何でしょうか?

ドン・サムエル 現在のグローバルなシステムが、日々不正義をうみだしていることを見ている私たちは共犯です。システムそれ自体の根本的な変革が必要なのです。

私の分析ではありません。よく知られた事実です。ローマ法皇も、一九九三年にここユカタンに来られた時に言われました。

資本主義システムはこの時代にあって世界に残された唯一のシステムですが、グローバリゼーションによっていっそう全体化し、効率的になり、多数の人びとから次第に奪い取り、ごく少数の個人とグループの手中に経済的・政治的権力を集中させています。この現象はいわゆる第三世界でますます加速して起こっています。

そこには、ここラテンアメリカに住む私たちも含まれます。

ここメキシコでは、たとえば、国民総生産の七〇%以上を受け取る家族数は、八〇家族から、おそらく一四ないし一五家族にまで減りました。これらの人びとだけが、全国レベルで、また国際的なレベルで競い合っているのです。

このプロセスは平均的な人びとに大きく影響を与えています。貧しい者の犠牲のうえに、富める者をいっそう豊かにする作用をしています。

にもかかわらず、ものの本によれば、多くの国の政府は言うのです。経済危機は終わった、収支のバランスはとれた、債務はコントロール可能な範囲であり、余剰もできはじめた、などと。

 これは、第一世界と第三世界の共同責任の問題です。私たちがここで抱える経済的・政治的問題は、彼方で起こっていることによってのみ引き起こされているのではない。わがひとつひとつの政府がグローバル経済・ゲームの中での役割をもち、共に経済パワーを弄んでいるのです。

多くの分析家がいうところによれば、このチアパスで一九九四年一月に起こった叛乱の主な理由のひとつには、一九九三年のコーヒー価格の大暴落があります。

叛乱が起こった四つの村落に住む人びとの大多数は零細なコーヒーの生産者であり、自ら生産したものの価格決定の力をもたない。

それは、どこか国際市場で決められる。もちろん、叛乱の理由がこれだけだったというわけではないが、やがて洪水の引き金となる一滴ではあったのです。

 状況は、一九九三年以降ここの人びとが経験している抑圧やその他の諸々の困難な状況の結果、緊張が高まっていました。

チアパスはメキシコでももっともデリケートな社会構成体の地域です。サパティスタの叛乱は、全国で爆発寸前にあった普遍的な状況の兆しであり、まずここでそれが爆発したのです。

一九九三年、メキシコの政治システムは深刻な危機に直面していました。

この年の新聞なら、どの任意の日の紙面を見ても、この全国的な政治危機が反映されています。選挙の年でした。

国中で一七の州では、いったん選出された知事は不正な手段や操作を行なったことで、有権者に否認されました。全国各地の市町村舎が抗議する住民によって占拠されました。

ここチアパスでは、百数十ある市町村のうち七四で選挙違反に抗議する住民が占拠したのです。

 このシステムがこれらすべての問題の根源です。共同責任だと私がいうのは、大きな影響を及ぼすような経済的な取り決めを行なう者は、その結果ここ第三世界で引き起こされることの責任を共有すべきだということです。

あちらの世界でのその取り決めが、ここでの経済的な結果と政治的な反響を呼び起こすからです。

この悪化するばかりの状況を正すためには、このような取り決め自体を再検討することが必要です。私は経済の専門家ではありませんが、この世に生きる者として、多くの人びとの人為的な死の原因となっている状況を解決するための提案を行なうよう呼びかけられているのです。

 この意味において、サパティスタの運動がこれほどまでの注目をひきつけている理由を私は理解します。

これは、人びとに暴力の行使を呼びかけたり、暴力によって政府を打倒しようとする運動ではありません。

それは暴力をではなく、解決策を探るための対話を呼びかけるものであったがゆえに、多数の人びとに受け入れられる衝撃的な出来事、抗議となり、全国的な、そしてある程度までの国際的な支持をうけるに至ったのです。

暴力を生み出すシステムを変革する方法を平和的に探ろうとする呼びかけでした。問題は、平和的な変革の道をどう見出すかです。

中途半端なことではいけない。公平な分配と富の分かち合いが行なわれ、村々での生活が可能になって、人類の生活に新たな道が開かれる。

国際的な経済システムが頼り切っている生産様式は、天然資源をほしいままにし、人類の生存を脅かすまでに環境を破壊している。

生態学上の要求は、社会的正義の要求と共に、緊急を要します。第三世界に起こっていることは他の世界で等閑視されてよいことではない。

私たちは同じ船に乗っており、いっしょになって解決策を見いださなければならない。私たちが、国際的な共同責任を言い、グローバル・システムの根本的な解決を必要としているのは、この文脈においてです。


  (以下の質問は、同じメンバーが、一九九八年八月にチアパスを再訪し、ドン・サムエルと会見した時になされたインタビューのなかでなされた。一部、ドン・サムエルに代わって答えているゴンサロ・イトゥアルテは、教区の正義と平和委員会を担当する聖職者)


●サンクリストバル教区に対してなされている現在の攻撃についてお話いただけますか?

ドン・サムエル 攻撃はいま始まったものではなく、一九九四年の紛争以前からのものです。チアパス知事パトロシニオ・ゴンサレス・ガリド(任期一九八八〜一九九三年)はその二回目の公式声明で、教区、司教、司祭、助祭、宗教共同体、伝導師らが州の敵であり、州政府の公式プロジェトを妨害していると非難して、宣戦を布告しました。

事実、私たちは、農民・先住民共同体に対して押しつけられている、州政府の破壊と不正義に満ちた諸施策に反対していました。パトリシオ・ゴンサレス・グスマンの任期は、先住民共同体に対する徹底的な弾圧をもって終わりました。

 一九九四年以前は、教区への攻撃は主として農園主や地主からきていました。教区は、農園主や地主が先住民たちに仕掛ける暗殺・その他の暴力行為を人権侵害だとして批判し、先住民共同体を支援していたのです。

 一九七四年、この教区の最初の司教であったバルトロメ・デ・ラス・カサスの生誕 (★1) 五〇〇年祭の前夜、私たちは他のグループと共同して、「第一回先住民会議」を開きました。おそらくこの種のものとしてはチアパスではじめてのことです。

この会議は教区内のさまざまな先住民族が集い、そのアイデンティティ、団結、先住民や村としての力を自覚するよい機会でした。チアパスの次期知事や権力中枢エリートは、この会議を組織したことで、私たちを決して許すまいとし
たのです。

 チアパスの経済的実権をもつエリート層は政治的実権をもつ層としっかり結びついています。世界中どこでもそうでしょう?

 そういう人びとは、連邦政府にも州政府にも、私たちの活動についての不平をいつも言っています。メキシコの枢機卿も含めたメキシコ司教会議にまで抗議の声を届けることもするのです。

私たちの司牧活動の方針を変えさせる力が、その人たちにはあると考えているのでしょう。

私をここから追放するために、バチカンとすら連絡しようとしているのですよ。こんなことを話していたら、それはそれは長い物語です!

 あとで知ったことですが、在メキシコ・ローマ法皇代表(ジェロニモ・プリジオーネ)とメキシコ政府の間では、私を排除する約束もあったのです。

私の首と引き換えに、法皇代表はバチカンがメキシコ国と外交関係を復活するとしていたのです。[このシナリオは、カルロス・サリナスの任期中(一九八八ー一九九四年)に実現しました]。私を排除するためには、口実が必要です。

そこで、私の教義はバチカンのそれと対立しているとか、暴力を奨励しているとかの理由で、異教徒だと言ったのです。でも、私の教区は、国内からも世界的にも大勢の組織から支援を受けており、そんな言い分は功を奏しません。

あの時点で私を追放すれば、宗教界でも非宗教界でも、国内的にも国際的にも、反響を呼んだでしょう。

だから、私はまだここにいるのです。

 一九九四年一月以来、私たちに対する攻撃は激しさを増しています。

メキシコ政府軍によれば、一月一日に、一五〇〇人の先住民がメキシコ政府軍に宣戦布告をしました。カナダ、米国との北米自由貿易協定(NAFTA)の発効によってメキシコが「第一世界」の仲間入りをしようとした瞬間に、サパティスタは戦争を宣言し、先住民族の村の極貧状況が世界中に知られてしまい、実はメキシコは第四世界なのだと思われてしまったのです。

経済発展に関するいくつもの国際会議のホスト役を演じ、そのめざましい経済成長ぶりを世界に売り込んでいたメキシコ政府は、そんな状況が自らの管轄区域内にあることなど認めることはできなかった。

政府高官は、蜂起が地域の現実に根ざしたものであることを否定しました。蜂起を始めたのは外国人だ、それにサンクリストバル教区の司牧活動家も幾人か加わっている、インディオはそうした外国人に操られている、などというのです。

それ以来、多くの高官の、こんな考え方はたいして変わっていません。私たちと、教区にいる外国人司牧者がインディオ叛乱の原因だというのです。叛乱にはしかるべき根拠があると私たちは認めているのですが、それを武装蜂起に対する支持だと意図的に混同しています。

政府自身が、対話・和解法を制定した時に[一九九五年三月九日発効の、チアパスの対話・和解・平和のための法律]、叛乱には一理あると認めているにもかかわらず。

 武装運動ならいざ知らず、それことなら私たちも支持しています。わが教区に対する最近の攻撃は、こうして、司牧活動や先住民共同体の正当な大義に対する支持と、彼らの武装運動とを、故意に一体化するところから生まれています。

 一九九四年一月一二日、それはサパティスタの宣戦布告から一一日後ですが、メキシコ政府は、国内的・国際的な圧力のもとで休戦を提案し、サパティスタはそれを直ちに受け入れました。

仲裁役を要請されたのは三人でした。私とリゴベルタ・メンチュウ(メキシコ人ではないという理由で、彼女は断りましたが)、もうひとりはジャーナリストでしたが、彼もまた、自分の仕事の性格からすれば、このような件では必要とされる中立性を保つことができないという理由で断りました。

こうして仲裁委員会に残ったのは私ひとりで、いわばひとり委員会となりました。政府は、メキシコ市民社会と先住民共同体からの大いなる圧力の下で教区が仲介役を担うことを認めざるを得ませんでした。

 政府は平和を望んではいませんでした。私たちが仲介役として出席していた交渉のテーブルを、サパティスタに圧力をかけその政治的な力を削ぐことに利用しました。平和を心底から追求する意図に欠けていました。

交渉の間じゅう、政府はサンクリストバル教区とCONAIを攻撃し続けました。大地主やその支持者の圧力を受けて、バチカンも介入し、教区の助祭が新たに任命されました。

ラウル・ベラ新司教はすでにこの教区のことを知っていましたが、物事を私たちと同じように見るようになりました。彼は、私たちの司牧活動に対立していたのではありません。それどころか、私たちは彼のなかに、私たちの活動を支える新しい司教を見ていたのです。

 最近になってバチカンとの関係には変化が見られます。現在のローマ教皇大使は私たちのもとに来られたので、ここの状況をよくご存じだと思います。チアパスの三教区すべてを回られて、私たちの活動への支持を明確に示されたうえ、推薦もしてくださったのです。私には言えないことを、言ってもくださいました。

つまり、サンクリストバルの司教のためならば、わが手を火にかざしてもよい、と。確固として、私たちの活動への支持を表明されたのです。過去を思えば、大変な変化です。

 政府との関係は大して変わっていません。共和国大統領[エルネスト・セディージョ]は、最近チアパスを訪れた時に三回にわたって、私たちを暴力の推進者であるとして非難しましたが、政権党の多くの人びとがその立場を批判したので、私たちが応答する必要もありませんでした。

でも、私たちはCONAIの解散を決めたので、政府との関係が急速にではないとしても、せめて改善するくらいの変化は期待しています。この決定は政府にはショックでしょう。意味を理解することもできないかもしれない。

解散宣言から一週間が過ぎても、政府はまるでそれが存在しているかのように批判を続けていました。

CONAIの解散決定は、政府が本心ではサパティスタとの直接的な対話を望んでいなかったことを社会全体に対して明らかにしたのです(だからこそ、CONAIの存在意味があったのですから)。政府はサン・アンドレス合意を履行する意志などさらさらないにもかかわらず、CONAIをスケイプゴートにして、その政治意志の欠如を覆い隠していたのです。


●あなた方はメキシコの教会以外から支持や援助を受けていますか? たとえば世界の他の教会とか教皇とかから?


ドン・サムエル 私の答えを攻撃的だとは受け取らないでください。本意ではありませんから。しかし、この種の質問には、反問の形で答えることにしています。

人は呼吸をするのに許可が必要ですか? 良い行ないをするために、あなたの許可を得なければなりませんか? 私たちがしなければならないことをするのに、いつもバチカンの支持を必要としますか? 直接に支援や許可を受けていないからといって、私たちが間違ったことをしているということにはならないのです。


 [サパティスタの蜂起が起こった翌日の]一九九四年一月二日、チアパスの三司教が声明を発表し、チアパスで何が起こっているかを、広くメキシコ社会に説明し、武装蜂起についても倫理的な判断を示しました。

武装運動には同意しないが、この運動の原因には同意すると。紛争の勃発以来、メキシコ司教会議はチアパスの和平プロセスに連帯するための委員も任命しています。委員たちはすでに七回チアパスを訪れ、つい先週も来ていました。教区の司牧活動の現況を説明しました。

 紛争発生以来、メキシコ司教会議も何度か声明を発表して、私たちの活動やチアパスの和平プロセスに対する支持を明らかにしています。

彼らがまとめてきた文書は、優に一冊の本になるほどの厚さです。教皇もいまでは以前よりはるかにチアパスの状況をご存知です。メキシコから訪問した司教たちと何度かチアパス情勢について討論もされていますし。

でも聖歌隊のなかには、いつも、他の人とは違うトーンの人がいます。司教でも同じことです。ひとりかふたり、全体とは別な考えを持つ人がいて、その人が私たちを批判するのです。


●CONAI(仲裁全国委員会)の解散についてもう少し  説明していただけませんか? 和平プロセスの今後の見通  しと、そこで教区が果たすべき役割について。


ゴンサロ・イトゥアルテ ドン・サムエルは一九九八年六月七日にCONAIの解散を宣言しました。この仕事に区切りをつけるべき時期だと考えたからです政府には平和交渉を行なう意志がないのだから、CONAIは無用になったと判断して、数ヵ月後の決定です。政府は戦争を欲してはいません。

でも、平和も望んでいないのです。そんな状況が都合いいのでしょうね。武力衝突はメキシコの政治と経済に与える打撃が大きいから、たしかに政府も望んではいない。

しかし、政府はチアパスに政府軍を派遣して地域全体を軍事化し、サパティスタを管理化においているので、平和を達成することにも熱心ではない。こんな状況は数年続いても、政府には構ったことでもないのです。

 ドン・サムエルはCONAIを辞したのではない、CONAIは解散されたのです。その役目を終えた今、教区としても、とりわけドン・サムエルは、和平プロセスを押し進めるために一歩を踏み出し、自由に語ることができます。 

 CONAIの構造的な問題から、私たちはある程度の制約をうけていました。市民社会の他のメンバーと一緒に仲裁役を担い、交渉手続きの法的な枠組みもあって、平和建設のうえで私たちが望むように自由に動けたわけではない。

だから、一歩を踏み出し、平和を求める私たちの長い伝統的なたたかい方に合致した新しい道を切り開くためには、この構造をなくす必要があった。私たちはここチアパスでもう四〇年間も平和を求めてたたかってきているのです。ここでは、暴力と戦争が絶えることのない現実でした。

 和平プロセスに私たちがどう関わっていくかについては熟考しなければなりません。人びとのなかでの私たちの存在感を強め、和平を達成し、紛争の真の原因に至る道を探らなければなりません。

今の時点では、先住民共同体内部での和解プロセスを強化しようとしています。この紛争の鍵となる点は、共同体の内部分裂にあるからです。政府が仕組んだ低強度戦争が共同体内部の抗争を生み出してきました。

政府は、紛争の歴史的・構造的な原因に迫ろうとするのではなく、この紛争を利用してチアパス問題の根っこが共同体内部にこそあると世論に印象づけたいのです。政府は共同体やその組織内部に緊張関係と対立を作り出し、これを煽る。マスメディアでそれを誇大に取り上げさせて、ことの真相を隠すのです。

教区としての私たちは、共同体のなかでの存在を持続すること、和解を推進すること、チアパスで起こっている事態の真相を伝えることが重要です。

 メキシコはこの七〇年もの間、低強度民主主義に苦しんできました。体制は低強度戦争を利用して民主主義へ移行しようとする力を留めようとするのです。

この和平プロセスのなかで教会の占めるべき場所、私たちが参加できる道を見つけなければなりません。和平を実現できる新たな道を探り続けます。貧しい人びとの大義、先住民族の大義を裏切ることはしません。

でも、変革を実現するために暴力を用いることには反対です。絶望した人びとが、体制によって暴力に駆り立てられてはいますが、本来的に暴力的な人びとではありません。


●ここサンクリストバル教区において、現在、「貧しき人びとの選択肢」はどういうものでしょうか?


ドン・サムエル ここでいままで行なわれてきたことは、(ラテンアメリカの他の場所でもそうだと思うのですが)、約めて言えば、自らの歴史の「主体」となるよう一歩を踏み出しつつある先住民の人びとの助けとなることだった、と私は信じています。

何事かを提供することで助けるというのではなく、必要なことは、先住民が自らの歴史の主体であることを自己表現する空間を提供すること、この歴史的な機会を彼らが手にすることを拒否しないことです。

このことは、先住民蜂起の数ヵ月前の一九九三年八月にローマ法王がユカタンに来られた時に強調されました。ヨハネ・パウロU世はその時、大陸各地から集まった先住民に、「あなた方は新しい福音伝道の主体である。全大陸の一体的な変革の主体である」と語りかけられました。

 法王が一九九二年にサント・ドミンゴに来られた時は、具合も悪く疲れておられた。そして、先住民の人びとに、今度また再訪するからと約束された。こうしてユカタンに来られたわけですが、ここで言われたことは意義深いことで、衝撃的ですらあったのです。法王は、全大陸の先住民族が福音伝道の主体だという。

誰もが知っているように、人は自分に似た立場の人に福音伝道のことばを語りかける。労働者は労働者に、農民は農民に。

法王が、先住民が福音伝道の主体だと断言されたのは、大陸全体で先住民が抑圧されていると言われたことを意味している。

この点でいえば、リゴベルタ・メンチュウのような人びとの努力を否定することはできない。彼女がノーベル平和賞を受けたのは、それだけ、ラテンアメリカの先住民のおかれている状況が切迫しているということです。

 私はしばしば、自治的なインディオ教会を推進していると非難されている。そんな方針は、教会からインディオ共同体を切り離してしまい、かえって社会の他の部分と共に解放過程に参加することを妨げると思う人がいる。

私の考えでは、先住民は一民衆として共に解放を経験したときにのみ、変革と解放の主体であるということです。

インディオ大衆は政治的・経済的にだけではなく、文化的にも抑圧されている。だからこそ、彼らは、女性、アジア人、黒人など文化的に抑圧された諸集団と合流し、変革の主体として姿を顕わしつつあるのです。

 先住民叛乱はチアパスだけで起こっているのではない。世界中で起こっていて、チアパスを越えている。

それが証拠に、あなたのように欧米の人びとが、チアパスでは何が起こっているのかを知るために、ここにやってくる。ここの先住民族のたたかいは、自分たちにとって、未来への希望をもたせてくれるメッセージだと欧米の人びとは言います。

先住民の文化的なたたかいは、グローバル・システムを変革するためにきわめて重要なのです。
                               
【久保田 毅=訳】

  (★1)バルトロメ・デ・ラス・カサス(一四八四〜一五六六)はスペイン人聖職者。

カリブ海の島に伝道師として渡って以降、従軍司祭として征服活動に参加し、褒賞としてインディ オの割り当ても受けていたが、やがて征服者がインディオに くわえている暴虐に気づき、米大陸におけるスペイン人のふるまいを内部から激しく批判し、王室に改善を求めるなどした。

著書に『インディアス破壊に関する簡略なる陳述』(石原保徳=編訳、現代企画室、一九八七年)。

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