編集後記

★メキシコ・サパティスタ蜂起が起こって一年一〇ヵ月後の一九九五年一一月、CONAI(仲裁全国委員会)のサムエル・ルイス司教の秘書ミゲル・アルバレス・ガンダラ氏を日本に招き、各地でチアパス情勢の報告会を開いた。

連絡をとり始めたころ、「サムエル・ルイス司教の推薦で、日本へは私が行くことになった」との文面があった。サパティスタ文書にもよくサムエル・ルイス司教の名前は登場したが、メキシコ政府との交渉の仲介者として、サパティスタがルイス司教に信頼を寄せているらしいことが推測できた。


★ミゲル氏は無事来日した。ソ連型社会主義体制が無残に倒れ東西冷戦構造も崩壊した後の、新しい政治・社会状況の只中に生まれたサパティスタ運動への関心は高く、各地とも大勢の人びとが集まって、ミゲル氏の話に熱心に聞きいった。その後も断続的にではあったが、相互の連絡は続き、メキシコへ行く人びとはよく彼(ら)の世話になっては、チアパスの現実に触れることになった。

彼らの紹介で、その後日本に来て、新たな情勢を報告してくれるメキシコ人もいた。

★サムエル・ルイス氏が庭野平和財団の平和賞を受賞するので二〇〇二年五月に来日することになった、との連絡が今年にはいって、あった。

庭野財団の公式行事が続く以上、話をうかがう機会はないかもしれないと思っていたところ、公式スケジュールが終わり、帰国の途につくまで「空白の一日」があることを知り、あえて講演会の日程を入れていただいた。お忙しい日程のなかで、私たちにとっては望外のことであった。

★サムエル・ルイス司教についての本はかなりメキシコで出版されている。庭野財団がどの程度紹介するのかはわからないままに、せっかく講演会も開くので、私たちなりの方法で、ごく簡単にでもサムエル・ルイス司教の活動について紹介したいと考えた。

手元にある五、六冊の本から、氏の活動の内容・考え方がもっとも適切に浮かび上がると思われる文献をふたつだけ紹介することにした。

もっと詳しくという要望もあるかもしれないが、今回はこれが限度だった。氏が日常的な活動にたずさわっておられる「バロトロメー・デ・ラス・カサス人権センター」はインターネット上にホームページを開いている。ご利用の方は、言語上の壁もあるが、以下のアドレスでアクセスできる。
http://www.laneta.apc.org/cdhbcasas/

★来日されて数日後、少し時間があるということで、ホテルに訪ねた。サムエル・ルイス司教の一行はミゲル氏も含めて三人で、いずれも「人権確立・擁護」、とりわけ先住民族のそれに関わっている方々だった。

庭野財団の性格から、世界各地の宗教者の代表も来日しており、米国人も含めて七、八人での雑談になった。

★通例のあいさつ的なことばのやりとりが一段落してまもなく誰だったか、「ところで、日本の憲法九条の問題は、いったいどうなっているんだ?」との問いが発せられた。

大急ぎで、戦後憲法の制定過程、第九条がもった意味、中国革命・朝鮮戦争などを見据えた米国の対日政策の変更にともなって「戦力なき軍隊」が設立された経緯など戦後史をおさらいし、自衛隊の現況、今回の有事立法策動までを説明した。

説明しながら、あらためて、自衛隊海外派兵が常態化して以降のこの一〇年間に日本社会が失いつつある「価値」を実感した。聞いてくれたサムエル・ルイス氏も、日本の現況を知って、「危機的だね、辛いね」と語った。

「でも、こうして語り合っている七人は、別な価値観をもって平和な世界をめざしているんだから」。ひとりが自分を奮い立たせるように、言った。(ま)

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