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図書新聞 2024年2月24日号
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図書新聞 2024年2月24日号 評者:藤田直哉

《「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」はなぜ卓越しているのか 》

「大地の芸術祭」ディレクターの北川フラムが、バーチャルツアーのように、「大地の芸術祭」が開催される広大な地域を案内しながら作品の解説をしたり、地域について説明をしたり、思い出を語る

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、2000年に始まった。日本における地域と関わる芸術祭の草分け的な存在であり、その内容は実に卓越したものである。本書は、そのディレクターの北川フラムが、バーチャルツアーのように、「大地の芸術祭」が開催される広大な地域を案内しながら作品の解説をしたり、地域について説明をしたり、思い出を語ったりしてくれるものである。実際、フラム自身がツアーガイドをするときに話している内容とも重複しているという。無味乾燥なデータや事実の羅列ではなく、思い入れなどを込めた属人的な語り方により、読者が感情移入しやすく、実際の芸術祭を観に行く際のとても良いガイドになってくれる本である。

以下、評者も、自分の興味と関心に重点を置いて、本書を評していきたい。

まず、なぜ「大地の芸術祭」が他の芸術祭と比較して卓越しているのかについてである。それは、基本コンセプト「人間は自然に内包される」が徹底しているし、そこに美術的な筋が通っているからなのではないだろうか。分かりやすい二分法になってしまうが、西洋の美術では、ホワイトキューブのような抽象性の高い空間の中に永遠性を体現するかのような作品を置く部分がある。自然や生活からむしろ切り離された超越性を志向していると言っていい。それに対し、「大地の芸術祭」は、人間が自然の中に生物として巻き込まれていて、生きて生活しているのだという生命観・世界観に徹する姿勢があり、それを美術で体現しようとしているように見える。

そして、このように、自然や生活の中で芸術を実践しようとする運動は、美術館から外へ出ようとしてきた現代美術や、アングラ演劇などの実践の試みの延長線上にある。

「優れたアーティストは都市という猥雑な場に進出してはいましたが、過疎の山村には出て行っていない。過疎の山村は都市化する現代の後追いということではなく、その現象が前線なのではないかと考えていたのです」(P113)

しかし、個人的に不思議に思っていたのは、どうやってこれほどの事業を実践出来たのかである。現代美術によるイベントを、過疎地で実行するには困難もたくさんあっただろう。実際、説明会や会議の数は二千回を超えているという。その困難を超えて、どうしてこのような困難な実践を行い、偉大なる事業を実現できたのだろうか。その理由は、個人的なバックグラウンドにあるのかもしれない。

フラム氏は、新潟県高田市生まれである。「自然のすごさと、その自然の中で苦労しながらも生き抜く暮らしを讃え、誇りを持つ」「田舎での自然を地盤とした生と死の一回性と、それゆえの厳粛さと積み重ねの中で生まれる人々の明るさが好き」「美術的体験は、見るということだけでなく、身体の全体性に関わるものでありたい」(P200)という発言や、「人間が自然と関わっていくあり方と、それが世界的にはどんな普遍性と個別性を持っているのかを知りたい」(P149)、「人間と自然との関わり合いの痕跡、技術」を「人間のアートだと思ってきました。それは46億年前の地球誕生の奇跡、広大無景な宇宙の中に一瞬光っては消える人間一人ひとりの孤独な、かけがえのない、厳粛な、それ故の宛名のないラブレターだと思ってきたのです」(P266)という言葉は、生まれ育った場所に近いからこそ出てくる言葉であり、理念だろう。

もうひとつ、父の影響も見逃せない。フラムの父・北川省一は、良寛研究者であり、日本共産党員として活動をしていた。「父は農民運動で毎年松之山に行っていたことがありました」(P179)。「革命」なり運動のためには農民たちと交わることが必要だという理念を持っていたのだろう。そこでは、知識人が単に「正しい」「知識」を啓蒙するだけでは物事は進まないという現実がある。

フラムの実践はこの延長線上にあるように思われるが、大きな違いもある。フラムは、日本共産党に入党し新日本文学会にも参加していた美術評論家の針生一郎に触れながら、上京したての頃、新日本文学会の影響を受けた友人たちとデモに参加する日々を送っていたエピソードを語る。その中で、疑問を感じ、色々な「党派」の流れから外れた。「そんななかである日、絵を描きたいと思ったのです。自分のやりたいことをちゃんとやる、これが指針となりました」(P208)

「私は10代末からさまざまな異議申し立ての活動に参加してきました。全共闘世代で、大学時代は学生運動が盛んであり、国際連帯を望んでいました。それらの長い困難な活動のなかでわかってきたことは、反対者と同じ土俵に立たなくてはいけないということでした」(P113)。そして、マルクス『ドイツ・イデオロギー』の「交通」を「コミュニケーション」に読み替えて、言う。社会は柔らかく、「押し合い、浸透し合う、誘発されるやわらか」なもので「生まれも育ちも違う人間の生理や嗜好性、思想が誘導コイルのように感応し、共感し、うたげに向かう情動だと思うのです」(P267―268)

つまり、政治や党派性、有用性にのみ芸術を回収することはしない。上述のような「うたげ」のコミュニケーションの中に、「孤心」(大岡信)の表現としての芸術を重視する姿勢があることが、「大地の芸術祭」を卓越したものにしている。「日本の美術界は社会性が乏しい、さらに政治的党派性をすぐ持ち込むし、マスコミ等の多数派に寄りかかる傾向がある。社会性の質はアーティスト個人の生理、体験、思想の重層の中で浸透し合い、鍛えられていくので、そう簡単に記号的正論では語れない」(P209)、アーティストの拘りがなければ、ふやけた一般的な合意、社会的な無難さに落ち着きやすい」(P64)。彼は、カバコフ夫妻とフランシスコ・インファンテという作家についてこう言う。「20世紀からこの21世紀にかけて、故郷や国家、国際的経済マフィアとは異なる、美術という無限の意識・時空間の中で熾烈な格闘と人間ドラマを生んできたような気がします。私はその時空間を見せてくれるアーティストを知っていきたい」(P217)つまり、一人一人の共約が難しい実存的な「孤」を尊重しながら、それらが祝祭的に混じり合い交歓していくユートピア的な空間が、「大地の芸術祭」に夢見られているのだ。

「大地の芸術祭」は、放っておけば過疎になり、文化や建物なども維持できなくなる可能性の高い地域に介入し何とか生き残らせようとする試みでもある。新しいもの、外のものを招き入れることで、伝統やローカルなものを残そうとする、創造的な両立と折衷の実験が、越後妻有でおこっている。フラムが引用する、アーティストのパオロ・ソレリの言葉は、その試みを言い表しているように感じる。蛇は脱皮しても本質は変わらない、とソレリは言う。「妻有が内部に持っている力、才能を自ら掘り起こし、内部の力をきちんと活用し、その成長にともなって用をなさなくなってしまったものを脱ぎ捨て、脱皮していくべきであると思います」(P165)。これは、越後妻有のみならず、日本、あるいは世界、地球全体においても必要な姿勢なのではないか。闇雲に過去に固執するのでも、新しいものに飛びつき続けるのでもないような、伝統と前衛の折衷による、新しい生き方とアイデンティティの創造が。

「私たちの地球は、また特にこの国は底なしに落ちつづけているという実感があります。そのなかでも一人ひとりは生きなくてはならず、そこに少しの楽しさ驚きを持っていたい、それが美術の根拠です」(P271)と、フラムは言う。しかし、絶望はしていない。無私の利他的活動をする人たちについて言及した後、自分たちも含んだそのような実践が積み重なり、人類全体の倫理的な次元を高める可能性をおそらく彼は信じている。「私たちのなかにあるささやかな思いが、類としえては数多く積み重なり、大きな量になると信じて私たちは動いているのです」(P177)




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