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週刊金曜日 2021年10月8日 評者:伊高浩昭(ジャーナリスト)
図書新聞 2021年8月14日 評者:細谷広美(成蹊大学文学部教授) 
東京新聞 2020年11月号 評者:石田昌隆 
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週刊金曜日 2021年10月8日 評者:伊高浩昭(ジャーナリスト)


ペルー中等部アヤクーチョ州の寒村に19711年に生まれた著者は、12歳で同州を中心的活動拠点としていたカルト的な農村ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」(SL、輝く道)に入る。殺戮や破壊を「革命的暴力」と呼び、それによる「人民戦争」遂行を唱える最高指導者アビマエル・グスマンを崇める少年ゲリラとして、生死の境で食料調達、襲撃、逃走に明け暮れる。

だが現実的で懐疑心の強い少年の心は揺れていた。3年後に陸軍の捕虜となると、少年兵として、正反対の側からSLゲリラや支援者を掃討する。しかし90年代半ばにカトリック修道僧生活に転身し、長年犯した血塗られた罪を懺悔、心の中庸を得て平穏な日々を送る。ところが体内の羅針盤は新しい方向を指し示す。

神の僕を辞め、州都アヤクーチョにある国立サンクリストーバル・ウアマンガ大学で学んだ人類学こそが我が道と悟る。メキシコ留学で博士号を取得し、50歳の現在は母校ウアマンガ大学の講師。SL時代の山谷を歩き直し、この自伝を書いた。

波乱万丈の半生を幸運と克己心で突き進んだ。これほど「起承転結」が明確に区切られた生き方も珍しい。本稿を執筆中の今年の9月11日、同大学の元哲学教授で86才だったグスマンが終身刑に服役中の獄中で病死した。訳文は原初の良さを伝えているが、十分な推敲が必要だろう。
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図書新聞 2021年8月14日 評者:細谷広美(成蹊大学文学部教授)

「まるで小説のような、しかし事実である半生」

内戦の現場という文化と内戦にみられた異文化間関係を、当事者の視点から善悪や加害/被害の二項対立、断罪、「犠牲者の語り」に回収することなく伝える
アンデスの先住民の少年が12歳でゲリラ兵、その後政府軍の兵士、そしてカトリック教会の修道士になった後、メキシコで人類学を学び博士の学位を取得、故郷に戻って大学教員となる。しかも、その間インカ帝国の公用語であったケチュア語、スペイン語、ラテン語、人類学のアカデミズム言語ということなる言語間を「移動(displacement)」していく。まるで小説のような、しかし事実である半生が、本人の手によって書かれた稀有な本が本書である。その特異な経験にもかかわらず、実際のルルヒオ・ガビラン氏は、短く刈った髪と精悍で背筋が伸びた体躯が軍にいたことを伝えこそすれ、柔らかく控えめに語る人物である。本書は邦訳に先立ちデューク大学から英訳が出版されている。

ペルーの紛争は、毛沢東系の反政府組織「ペルー共産党−センデロ・ルミノソ(輝ける道)」(PCP−SL)が、1980年にアンデス山岳部で武装闘争を開始したことではじまっている。「アンデスのクメール・ルージュ」とも称されたセンデロは、国立大学の元哲学教授であったアビマエル・グスマンをリーダーとしている。センデロは毛沢東の戦術に倣い農村地域で武装闘争を開始した後、首都を制圧することを目指した。しかし、ペルーの社会的文脈では山岳部の「農民」は先住民でもあった。そして、非常事態宣言地域に政府軍が派遣されると、政府軍と反政府組織の双方による、ジェノサイドとも呼ぶべき先住民の虐殺が起こった。1980年〜2000年の政治的暴力により、約7万人が死亡・行方不明となっている。このうち75%が先住民の犠牲であった(真実和解委員会2003年)。

紛争は先住民たちを被害者だけでなく加害者にもした。特に若者たちにとっては、反政府組織は新たな世界を提供する存在でもあった。本書では兄に続いてセンデロに参加したガビラン少年の目から、ゲリラの日常や内部粛清、年上のゲリラ女性へのほのかな思慕が語られる。その後、ガビラン少年は政府軍との戦闘で、「ショウグン(将軍)」という通名の士官に命を救われ政府軍の兵士となる。ガビラン少年は学校に通いスペイン語や地域の歴史を学ぶ機会を得る。一転して今度は軍での日常、兵士たちによる強盗を装った強奪、捕虜たちを殺害するために演出された虚偽の戦闘、拷問、レイプ、殺害、見習い兵たちの「訓練」に置ける過酷で残忍な扱いの再生産、「チャーリー」と呼ばれた軍が雇った性的奉仕をする女性たちについて記されていく。そして、彼はさらに修道士になる。

本書は一人称で語られているが、いわゆる自伝とは異なる。あえていえば、ガビランが人類学という「言語」とツールを得たことによって書くことが可能になった一種のオートエスノグラフィーと位置づけることができるかもしれない。人類学者マイケル・タウシグは「恐怖の文化(culture of terror)」について論じているが、本書は内戦の現場という文化と内戦にみられた異文化関係、当事者の視点から、善悪や加害/被害の二項対立、断罪、「犠牲者の語り」に回収することなく伝える。それはプリモ・レーヴィがいうグレーゾーンでもある。淡々とした記述に読者はまるで透明なパーティションのこちら側から向こう側を覗きこんでいるようなもどかしさを覚えるかもしれない。ひとつひとつの記述で語られていることがあまりにも削ぎ落とされているが故に、そこに存在する行間に気づかずに通り過ぎるかもしれない。このような記述スタイルになったことにはいくつかの理由があるだろう。ひとつには、著者は書く際に「回想」というよりは、その場にいるかのように蘇った光景や記憶を描写しながら書き進めたのではないかと考えられる。そのリアリティを優先させることで説明や解説は省かれる。訳者の黒宮氏は原文では接続詞がほとんど使用されていないことを指摘している。さらに著者は、単に母語がケチュア語であるというだけでなく、エクリチュールにおいてケチュア語を通じての経験をスペイン語に「翻訳」しながら執筆した可能性がある。ペルーの人類学者であるインディヘニスモ(先住民主義)の作家として知られるホセ・マリア・アルゲダスが、試行錯誤の末スペイン語にケチュア語が混在する文体を生み出したように。

一方で、もどかしさは著者自身が関わった「加害」が、十分書かれていないことにもよる。それを書くことはまだ時間が必要かもしれない。加えて、故郷に戻った著者にとっては、焼き討ちや攻撃をした村の生存者達の存在もある。著者は書く。「和解の抱擁が行われたからといって、その先に平和のアーチが待ち受けているとは限らないのだ。そのアーチにたどり着くには、一人一人が沈黙することなく、言葉を飲み込まずに、そして忘れることなく歩んでいかなければならない。善も悪もすべてが一つになった、あのまったく異なった日常を悼み、そうして他者とだけでなく自分自身との対話が可能になるように歩まなければならない(9-10頁)。この物語はまだ続きがある。
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ミュージックマガジン 2021年5月15日

インディアス群書 現代企画室発行。中南米の先住民の歴史、社会、文化、社会問題を扱う。最新刊の15巻はルルヒオ・ガビラン著、黒宮亜紀訳『ある無名兵士の変遷 ゲリラ兵、軍人、修道士、そして人類学者へ』。3300円。ペルーの反政府武装組織センデロ・ルミノソ少年兵、国軍軍人、修道士を経て国立大教員の著者がつづった自叙伝、人類学者の論考「暴力の人類学」などを収録。全20巻を予定。


















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