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図書新聞 2018年6月30日 評者:林みどり(立教大学文学部教授)
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図書新聞 2018年6月30日 評者:林みどり(立教大学文学部教授)

瑞々しい詩女神の霊感
〜彼女の詩が日本語読者のもとに届けられた意義は大きい〜


17世紀末のスペインは、植民地帝国の絶頂期をとうに過ぎ、黄金世紀の遺産もおおかた消尽しつくして、斜陽の坂を転がり落ちつつあった。スペイン植民地ヌエバ・エスパーニャの文学界も例外ではなく、ゴンゴラ流の超絶技巧のバロック趣味に疲弊して知的荒野と化していた。そこに突如として瑞々しい詩女神(ムーサ)の霊感がもたらされたのである。

植民地生まれ(クリオーリョ)の平民で婚外子、あげくのはてに女という、救いがたい社会的スティグマを負った美貌の詩人ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス。卓越した詩才を独学で彫琢し、膨大な数の抒情詩や宗教詩、宗教劇、世俗劇をものした彼女は、たちまち数多の文人や貴族、時の権力者を虜にした。

本書はソル・フアナの様々な主題からなる抒情詩の邦訳である。これまで日本語で読むことができたソル・フアナ作品は『スペイン黄金世紀演劇集』(牛島信明編訳、名古屋大学出版会、2003年)に収められた宗教劇一篇と、書簡形式の散文と数篇の詩からなる『知への賛歌―修道女フアナの手紙』(旦敬介訳、光文社古典新訳文庫、2007年)だけである。17世紀当時、最も高い価値が置かれていたのは詩であり、ソル・フアナが文筆活動の中心にしていたのも詩だったことを思えば、定型詩の押韻や音節数を損なわざるをえない翻訳の困難を超えて、彼女の詩が日本語読者のもとに届けられた意義は大きい。

だが、それだけではない。ソル・フアナの詩の邦訳に先だって現代ラテンアメリカ文学の巨匠オクタビオ・パスによる重厚なソル・フアナ論『ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスの生涯−信仰の罠』(林美智代訳、土曜美術社出版販売、2006年)が邦訳されている。死後2世紀以上の長きにわたって黙殺されてきた詩人ソル・フアナを、現代のスターダムに押し上げた記念碑的な研究書だが、これまで日本語読者は、この博覧強記のパスの詩論に切れ切れに引用され、断片化されたかたちでしかソル・フアナの詩を読むことができなかった。今回『抒情詩集』としてまとまったかたちで訳出されたことによって、はじめてわたしたちは、パスの拘束的な読みの指針から離れて、自由にソル・フアナを読むことができるようになったのである。

国際的なブームになって久しいソル・フアナの作品だが、これまでどのような分脈で読まれてきたのか。

最も一般的なのはプロト・フェミニストとしてのソル・フアナ理解だろう。女にはまともな初等教育すら認められていなかった時代に、ソル・フアナは男に頼らず生きることができる修道院をあえて住処に選び、無知と沈黙と従順さの檻に女を閉じ込め疎外する、社会の男性中心主義を徹底的に批判した。陰に陽に仕掛けられる男社会からの攻撃にズタズタにされながら、女の知の権利を擁護しつづけた。ソル・フアナはいまなお続く男性中心主義からの女性の解放を象徴するアイコンとして、ラテンアメリカの若者向けの本やウェブサイト、サブカルチャーにまで浸透している。

次に代表的なのは、植民地時代に遡るメキシコの文学的聖典として、ひいては近代メキシコの国民的な想像力の基礎をなすナショナルな文学的伝統のうちに、ソル・フアナを位置づけて聖典化しようとする文学研究だろう。パスの著作はその典型である。

ソル・フアナの詩に見られる「メキシコ的」主題を、ただちに文学的ナショナリズムの文脈に回収する軽率さを避けながら、パスは、男性作家中心の系譜からなる国民文学史を構成する聖典的文学者のひとりと位置づけている。

こうしたソル・フアナの聖典化=純粋化に異議申し立てをしてきたのが、ラテンアメリカや欧米の女性作家や研究者、なかでもメキシコ系アメリカ人女性作家たちである。彼女たちは影響力絶大なパスの論が、徹底した女嫌い(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)に縁どられていることを見逃さなかった。

『信仰の罠』のなかで、パスは、ソル・フアナの詩に溢れるホモエロティックな輝きに、「新プラトン主義」や「宮廷詩の伝統」といったヴェールを掛けて無害化しようとした。それでも手に負えなくなると、婚外子の出自がもたらす「男性化」や、リビドー過多による「鬱病」によるものとして彼女の詩を病理化し、精神分析的規範に幽閉した。

チカーナ作家たちは、パスによるソル・フアナの「聖女化」(むろん反対の極にはマリンチェがいる)を突き崩し、クィアに読むことのなかに、新たな言語の可能性を探そうとしてきた。ソル・フアナは詩を書く〈わたし〉のジェンダー的な単一性を疑いながら、詩的言語の攪乱をめざしたからである。

チカーナ作家たちとともにその知的実践の現場に立ち会うためには、まずはわたしたち自身が、ソル・フアナの詩のホモエロティックは震えに直接触れ、感応しなければならない。詩人自身による詩の声を響かせる本書は、わたしたちに新たな詩の経験を開くはずである。



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