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出版ニュース 2017年12月上旬 評者:中川隆介(評論家)
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出版ニュース 2017年12月上旬 評者:中川隆介(評論家)

〈豪州の多文化・多民族共生への希望〉

猪俣良樹著『昭和テンペスト 上海リル正伝−吹き荒れた戦争と陰謀の嵐』を読んだ。ずいぶん昔、ある新聞で「上海帰りのリルという女性は実在したのか?」という連載記事があった。戦中戦後はそのような話が数多くあったので、それらのさまざまな要素を組み合わせて作り上げた一つのイメージ像だろう、というような結論であったことを覚えている。

本書のカバーの帯には「実在した作家、鹿地亘の波乱万丈の動静と、幻のダンサー、上海リルの軌跡を結びあわせた先に見えてきたものは? 戦争へ向かう社会の実相を明かすエンターテインメントの荒業!」とある。

本書の対象時期は1930年代から1950年代。構成は、第一部「戦前の闇に潜る」が11章、第2部「戦中の闇に潜る」は11章プラス[残照](日中戦争批判コメントの要約の列挙)、第3部「戦後の闇に潜る」は6章である。記述の形式は、著者が鹿地亘とその周辺のプロレタリア作家、魯迅など良識派中国人、日中戦争中の諸勢力の動きなどを記述し、著者の娘(K子)がリルの日記をもとに知人との会話などの形で時代のディテールや裏情報や庶民の状況を記述する、という硬軟相補う分担方式である。そして組立ては、娘が一つの章(場合によっては二つ以上の章もあるが)でリルのことを書いて、次の章で父親が政治状況や鹿地亘のことを書くという配列になっている。

まず本書の主要人物である作家・鹿地亘と架空の(?)上海リル(本名ミツコ)が上海に入る前とそのあと終戦時までの活動の一部を要約する。目次の第一部と第二部である。

鹿地亘は昭和4年(1929)日本プロレタリア作家同盟創立で常任中央委員に就任、同役に小林多喜二がいた。昭和8年小林多喜二が築地警察署内で虐殺される。鹿地は昭和10年浅草の劇団に雑用係として入り、上海に逃れる。そこで内山書店主内山完造や魯迅らと親交を深める。昭和12年第二次上海事変で状況が悪化、鹿地夫妻は香港へ映る。昭和13年3月、中国軍事委員会より客分の亡命者として招かれ、武漢に向かう。鹿地夫妻は日本向け反戦ビラ作成に協力。反戦同盟結成を目指す。太平洋戦争開始後、アメリカが重慶に進出しOWI(戦争情報局)OSS(戦争情報部。CIAの前身)などが加わる。米国国務省の秘書官が戦後に米軍に協力する意思があれば協力するかと鹿地に質問し、共同の目的があれば協力すると答える。昭和21年(1946)5月帰国。

リルに関しては、読み物風に面白い。記述の担当は著者の娘である。著者の娘は、ダンス・カンパニーの主宰者から1930年代上海で人気のあったダンサー上海リルのことを聞き、上海にいた時期が鹿地亘と重なるので、調べてみようとする。福岡県のリルの関係者に連絡をとったところ、そのリルらしき女性は最近死去したが、日記や備忘録が残されていることが判明し、現地福岡県飯塚市に行って50冊に及ぶ日記や備忘録を借用する。記述担当の著者の娘は「日記の記述を素材に大胆な想像を加え、彼女の人生をもう一度綴ってみる」と宣言している(66頁)。

リル(本名ミツコ)は飯塚市の医師の娘。母親が関東大震災(大正12年=1923年)のさい横浜に滞在中で行方不明になった。のちミツコは東京の叔母に引き取られる。昭和7年(1932)ミツコ17歳のとき押しかけで浅草の踊り子となる。熱心なアメリカ人のファン、バートン・クレーンから芸名を「リル」とするよう勧められる。昭和10年ミツコは上海に到着。以後上海でダンサーとして働き、さまざまな人々と知り合う。当時上海のフランス租界はパスポート、ビザ不要であったため、外国人が多かった。

リルが仲良くしたのは、たとえば北京リリー(暗黒界の大ボスで蒋介石の右腕である杜月笙の愛人)、ジョゼフ・シー(フランス租界政治担当刑事)、シュウピン(国府軍参謀)、アンドレ・ジャスパー(フランス外務省、フランス租界文化事業担当)、ジャンヌ(マダム・リヴィエール、リルの少女時代のフランス語教師)、アンナ・バラール(クラブ・支那の門の経営者)などで、彼らが当時の中国や上海の政治状況、世界の動きなどを語ってくれた。

そして戦後すなわち第3部の鹿地亘とリルの動きを見る。まずリルから書くと、リルは昭和22年(1947)に帰国し、横浜のクリフサイドで働く。上海帰りのダンサーは大歓迎された。客はアメリカ人か金持ち日本人。やがて浅草時代に「リル」と名付けてくれたバートン・クレーンがニューヨーク・タイムズの特派員として日本に来ていて再会。そしてリルはGHQの将校の愛人になり、彼らを通じてGHQ内部のタカ派G2(情報局)とハト派GS(民政局)の対立抗争のことも聞く。

上海時代付き合ったシュウピン(当時国府軍将校)とも再会、現在はGHQのキャノン機関に所属していた。シュウピンは乳白色の勾玉の耳飾り一つを持参した。リルの母親のものだ。これは重慶市郊外にある建物の遺体のそばにあったという。関東大震災で死んだはずのリルの母に何があったのか。母親の部分はミステリーのままである。小説にできそうだ。

一方、鹿地亘は昭和21年(1946)5月に帰国。結核に倒れて大手術。療養のため、藤沢市鵠沼海岸に住んだ。昭和26年11月25日、夕方散歩に出たところでキャノン機関に誘拐された。機関の日本人食事係が鹿地に同情し、ひそかにメモを運んだ。受け取ったのは上海から帰っていた内山完造で、人権派弁護士の左派社会党猪俣浩三代議士によって記者会見が行われて大問題になり、やがて鹿地は解放された。

大部な本だが一気に読んでしまった。硬派の部分を記述した著者の戦争と権力者を激しく否定する気持ちが徹底している。一方リルの側は気楽に生きているようで腹が据わっているのが心地よい。この二つを組み合わせるとは、たしかに荒業である。



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