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朝日新聞 2015年2月8日  評者:隈研吾(建築家・東京大学教授)
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朝日新聞 2015年2月8日 評者:隈研吾(建築家・東京大学教授)

〈境界が融け 写す豊かさを堪能〉

本を開くと、文字も紙も色も、見たことがないほどに不思議で、しかも美しい。著者は、日本を代表する建築家で、京都駅などの未来的な作品と、地の果ての集落と現代建築を重ねたユニークな思想で知られる。しかし、ここで原は作品も思想も語らない。というより、ほとんど何も語らずに、ひたすら写経して、その結果が本になった。といっても、仏典を対象とするのは「法華経」だけ。建築を考える上で重要とされたテキスト群が、原の手で書き写される。古くはホメロス、荘子から、新しきは大江健三郎まで及び、そのチョイス自体が多くを語る。

プロセスも尋常ではない。まず朝夕の雲を撮影し、その複雑な色を文字が懸命になぞり、トレーシングペーパーの上に、テキストが写されていく。実際に原が用いた特殊な薄紙が、製本でも使われ、本自体が聖典のようだ。原と対比される磯崎新のかたさや強い輪郭と対照的である。これは、そもそも著作というべきか、アートというべきか。

その絵とも字ともつかないもやもやとした雲のようなものから、何かが確実に伝わってくる。原の、どの著作よりも、強く、こちらに響いてくる。

原が病の中で、執念をもってこの写経を続けたこと以上に、デザインは曖昧さに向かうという原のメッセージが、人を打つ。世界と建築との境界が融け、他人と私、先達と自分との境界も融ける。環境や、先人との切断をめざす攻撃的なモダニズム(近代主義)に代わって、先達をなぞり、写していく受動性が美しい。

結果、写すことの豊かさ、深さを堪能する。現代とは、コピーという一瞬のワンクリックで、すべてが覆いつくされた時代である。写すことをこそ、心を込め、時間をかけてやらなければならない。写経を通じて、クリックに支配され、すべてが切断された現代が批判される。



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