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まいにちスペイン語 2019年12月号 評者:柳原孝敦(スペイン文学者)
いえらっく 2014年12月1日 評者:服部彩乃(翻訳家)
まいにちスペイン語 2014年11月号
朝日新聞 10月19日 評者:佐倉統(東京大学教授)
日経新聞 8月27日夕刊 評者:小谷真理
WEB本の雑誌 8月26日 「今週はこれを読め!SF編」 評者:牧眞司
ハヤカワミステリマガジン 2014年10月号
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まいにちスペイン語 2019年12月号 評者:柳原孝敦(スペイン文学者)

パス・ソルダンの故郷、ボリビアの都市コチャバンバでは、1999年から2000年にかけて「水戦争」と呼ばれる騒動があった。民営化された水道料金が高騰し、たまりかねた住民たちがデモに打って出、暴動も起きたほどの抗議運動だ。その結果、水道は再公営化された。この出来事はイシアル・ボジャイン監督『ザ・ウォーター・ウォー』(スペイン、フランス、メキシコ、2010年、『雨さえも』のタイトルでの映画祭上映も)という映画の題材にもなった。この「水戦争」をモデルに、電気民営化に反対するデモの続く架空の都市リオ・フヒティーボ(コチャバンバがモデル)の混乱を描いた小説だ。 

伝説的なコンピュータのハッカー、カンディンスキーがコンピュータのシミュレーション・ゲーム「プレイグランド」で反政府抵抗運動を組織、それを現実世界に広げて反電気民営化デモに乗じて本当に政府を転覆しようとしている。政府の諜報機関ブラック・チェンバーでチューリング(イギリスの数学者で、第二次世界大戦中敵国ドイツの複雑な暗号を解いたことで知られている)とあだ名されるほどの敏腕諜報部員であったミゲル・サーエンスが要請を受けてこの運動の諜報活動を展開する。『クリングゾールをさがして』が「サイエンス・フュージョン」ならば、こちらは「テクノ・スリラー」と喧伝されている。実にぴったりの形容ではあるまいか。

「テクノ・スリラー」ではあるが、これはグローバル化の時代に対応した作品でもあることは間違いない。小説中ではカンディンスキーは自らの抵抗運動を、反グローバル化の象徴的動きである1999年のアメリカ・シアトルのWTO会議抗議デモになぞらえている。グローバル化を市場の拡大と資本の世界化と捉えるならば、ラテンアメリカの国々がいち早くその流れに飲み込まれてきたのは事実である。この世界化の功罪にどこよりも早く直面してきたのだ。これ以上はないラテンアメリカ的なテーマだ。

そしてこれは世界的なテーマでもある。水道の民営化と再公営化は多くの国で起きているのだから。
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いえらっく 2014年12月1日 評者:服部彩乃(翻訳家)


本著は、ボリビアを舞台とした長編テクノスリラー小説である。作者はボリビア出身の中堅作家エドゥムンド・パス・ソルダン。

物語は、秘密諜報組織ブラック・チェンバーの暗号解読官サーエンスに奇妙な暗号メッセージが届くところから始まる。サーエンス、またの名をチューリング。IT化の波についていけず現場を追われた冴えない中年男だが、じつはその過去は敏腕暗号解読者としての輝かしい業績に彩られている。おりしも世の中は、多国籍企業による法外な電気料金値上げに怒る市民らの抗議行動によって大混乱に陥っていた。その機に乗じるように仕掛けられる政権へのサイバー攻撃。政権転覆を狙う天才ハッカーとハッカーを追うブラック・チェンバーとの総力を挙げたサイバー対決が繰り広げられる中で次第に、独裁政権時代の闇の歴史とチューリングにしかけらえた過去の恐ろしい陰謀が暴かれていく。

ここで紹介した粗筋からも明らかなように、本著にはラテンアメリカ文学のイメージとしていまだに根強い「魔術的リアリズム」の世界は登場しない。それらしきものとしては暗号解読者の塊と自らを称するアルベルトの存在があるが、全体としては現在のボリビアを忠実に再現した作品である。

先にも触れたが、ジャンルで言うと本著はテクノスリラーに分類される。まさにその通りに作中では暗号解読、諜報活動、ハッキングといったスリリングな題材がふんだんに扱われ、また筋書き自体の面白さもあり最後まで読み手を飽きさせることはない。だが本著の魅力はそれだけにはとどまらない。エンターテインメントであると同時に本著は鋭い社会批判を含んだ作品でもあり、そういう意味では社会小説であるという言い方もできる。

本著で取り上げられている社会的テーマはじつに多伎に渡っている。権力の腐敗、社会的不平等といった普遍的なものから、グローバリゼーション、IT化や技術の進歩とその弊害などまさに今の世界を象徴するものまで、主要なテーマが網羅されていると言っても過言ではない。そのいずれもが重要な問題提起となっているが、とりわけ本著を特徴づけるものであるといえばやはり本著の主要な要素であるインターネットの問題、具体的にはインターネットが人間社会に与えている変化についてであろう。インターネットの出現以来、実際の日常生活も人間の価値観といった目に見えないものも、あらゆるものがインターネットの影響を受けるようになり、それが社会を、また人間の価値観といった目に見えないものも、あらゆるものがインターネットの影響を受けるようになり、それが社会を、また人間のありかたを大きく変えつつある。作中で描かれている人々のバーチャル世界への熱狂、それによってもたらされる人間関係の希薄化などもそうおした変化を象徴するものであり、それらを通して問われているのは、そもそもインターネットとは人間社会にとってどういう意味をもつものなのかという根源的な問題なのである。

またもう一つ本著での大きなテーマをあげるならばそれは、タイトルの"チューリングの妄想"の意味にも関連する、社会を構成する人間たちの生き方を巡ってのものである。チューリングは、有能な役人ではあるがじぶんの仕事の結果として引き起こされる事態に思いを至らせることはできず、責任を感じることもなり。そのチューリングが死の間際に、それまでの人生すべてが偽りの現実、そなわち妄想でしかなかったと自覚する。ここで描かれるチューリングの生き方には、現代人のひとつの典型的な生き方が投影されている。そしてチューリングが迎える結末はそのままそうした生を生きることへの問いかけとなっている。

エンターテインメントと社会批判の融合。この新しいラテンアメリカ文学を生み出したソルダンのますますの活躍が楽しみだ。
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まいにちスペイン語 2014年11月号


チューリングとは、英国の数学者で暗号解読者。コンピュータ科学の父として知られる。本書の主人公は国家諜報機関の暗号解読官で、呼び名をチューリングという。そしてもう一人の主人公が反グローバリゼーションを標榜(ひょうぼう)してサイバー攻撃で政権転覆を謀る転載ハッカー。このほかにチューリングの娘、妻、上司など登場人物7人の視点から語られる南米ボリビアを部隊にした近未来スリラー小説。
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朝日新聞 10月19日 評者:佐倉統(東京大学教授)

〈魔術性盛り上げる祝祭的構成〉

著者はボリビア出身の中堅作家。ラテンアメリカの文学といえば、魔術的リアリズムや祝祭的多声性が連想されるが、この作品はそれらの系譜を引きつつも、独自の世界を新しい感覚で展開する。

語り手というか主人公というか、は七人。ボリビア政府暗号解読機関の窓際族、コードネーム「チューリング」を中心に、その家族、上司、反対派など、絶妙の距離感をもった顔ぶれだ。それぞれの視点からの物語が順番に入れ替わりつつ進行し、交錯する。

まさに祝祭的な構成であり、暗号解読とインターネット・テロリズムという題材自体が、魔術性を盛り上げる。

さぞや幻想的で夢の世界のように複雑かと思いきや、これが正反対。全体があたかもひとつの視点から語られる物語のように、一気呵成(いっきかせい)に読み通せる。多声性を満喫しつつ一本筋を通す構成力には、感嘆する。

翻訳のすばらしさも、この成功に一役買っている。平明で、とても美しい日本語だ。
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日経新聞 8月27日夕刊 評者:小谷真理

〈暗号を巡るテクノスリラー〉

南米文学というと、ガルシア・マルケスに代表される魔術的リアリズムのイメージが未(いま)だ強い。だが本書は一転、現実とも幻想ともつかぬ白昼夢のような描き方とは一線を画す、クールなテクノスリラー小説である。

舞台は21世紀初頭のボリビア。民主化前の独裁政権下の時代には大活躍した暗号解読の達人ミゲル・サーエンスは、コンピュータ全盛というデジタル時代の趨勢に勝てず、閑職に追いやられている。そんな彼の非公開のアドレスへ、差出人不明のメールが配達される。

ふつうならただの文字化けにしか見えない一見無意味なアルファベットの羅列を彼は自分宛の暗号文であると見破る。

「人殺しお前の手は血で汚れている」。これはどういう意味なのか?

ミゲルら暗号解読班の過去をめぐる謎解きもさることながら、本書の魅力はなんといっても、「暗号」そのものをめぐる壮大な思索を展開しているところだろう。

旧大陸から新大陸へ、アナログからデジタルへ、暗号解読者からハッカーへ。暗号世界の激変を通して、その視点から歴史を洞察力豊かに捉え直す手腕に、感銘を受けた。服部綾乃、石川隆介訳。
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WEB本の雑誌 8月26日 「今週はこれを読め!SF編」評者:牧眞司
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ハヤカワミステリマガジン 2014年10月号 海外レビュー 評者:古山裕樹

(一部抜粋)ネット社会を題材にした作品を紹介しよう。ボリビアの作家エドゥムンド・パス・ソルダンの『チューリングの妄想』は、政権への抗議活動を背景に、政府にサイバー攻撃を仕掛けるハッカーと、それを取り締まる諜報機関との対決を描く物語だ。

ボリビア政府の諜報機関、ブラック・チェンバー。ミゲルことチューリングは、かつて独裁政権下では優秀な暗号解読者だったが、民主政権下では任務が激減し、コンピューター化にもついていけず閑職に追いやられている。折しも市民の反政権デモに呼応して、ハッカー集団が政府機関にサイバー攻撃を仕掛けていた。ブラック・チェンバーは、ハッカーたちを追い詰める作戦を開始する。そこでは傍観者に過ぎないチューリングだったが、彼の身にはまた異なる危険が迫っていた……。 ハッカーと諜報機関との攻防を軸に、さまざまな登場人物たちの思惑が絡み合うスリラーである。ラテンアメリカ文学という言葉から連想するものとは、かなり趣を異にする作品だ(ただし、古今の様々な暗号解読者の身体に宿ってきた魂が暗号の歴史を語るくだりは、やはり南米の小説らしいと感じる)。

本書の刊行は2003年。情報通信技術という移り変わりの激しい分野を扱っていながら、全く古さを感じさせない。むしろウィキリークスやスノーデン事件を経た現在の方が、作中に描かれた問題がより切実に感じられる。こういう小説が、いわゆる先進国ではなくボリビアで書かれたという事実が興味深い。

作中では、グローバリゼーションに翻弄されるボリビア社会の様子も描かれている。独裁から民主化に至る政治の動きと、情報技術の発展という二重の荒波が社会を変容させる中での、人々の戸惑いと怒り。そのダイナミズムを感じさせる小説である。



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