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出版ニュース 2014年8月中旬号
週間読書人 2014年7月18日 評者:野上暁(子ども文化評論家)
信濃毎日新聞 2014年7月13日 評者:中川素子(文教大学名誉教授)
MOE8月号
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出版ニュース 2014年8月中旬号


〈子どもの本には幾多の問題がひそんでいる。それをあばきたてないことには先に進めない〉〈子どもの本とは何か。絵本とは何か。子どもに伝えるとは何か〉〈そもそも子どもとはいったい誰のことをいっているのだろうか〉絵本編集者として数々の現代絵本を手がけてきた澤田精一のエッセイ・対話集。編集者生活を振り返り、絵本編集者とは何者かと問い、絵本の可能性、絵本作家を目指す若手へのエールを送る。米田佳代子、井上洋介、スズキコージ、大竹伸朗ら作家・編集者と対話『季刊ぱろる』(95年創刊)の思い出と思考の足跡。最首悟、伊藤比呂美が編集者・澤田精一を語る文章も併せて。
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週間読書人 2014年7月18日 評者:野上暁(子ども文化評論家)

〈関係性の中で自在に変容
そこに絵本や物語の開かれた世界があるという視線〉

日本を代表する現代美術家の一人、大竹伸朗に幼児向け絵本『ジャリおじさん』を描かせ、詩人の伊藤比呂美の文章による『あーあった』など、福音館書店からユニークな絵本を世に送り出した絵本編集者・澤田精一の、絵本論であり、編集者論でもある。

澤田が絵本編集に携わることになったのは、四十三歳になってからで、それまでは、今はない『子どもの館』という先鋭的な児童文学専門誌の編集者であったという。この雑誌の連載から、河合隼雄の『昔話の深層』や、なだいなだの「T・N先生の伝記』、佐竹昭広の『「酒呑童子」異聞』などが誕生していることをみると、既存の児童文学の枠を超えた、その編集の狙いや、編集部の雰囲気も想像できる。そこでの編集者としての知的研鑽が、後の絵本づくりに大きく影響してきたと思われる。実際、同誌に「子どもの本の世界から」を連載中の光吉夏弥の担当をしたことから、さまざまな薫陶を受けたことを澤田も記している。

光吉は、戦後間もなく中央公論社から創刊された児童雑誌「少年少女」の創刊にかかわり、一九五〇年代の初め頃から、「岩波子どもの本」の編集や翻訳を担当し、瀬田貞二が発案した平凡社の『児童百科事典』全二十四巻の編集委員として執筆陣にも加わっていた、戦後の児童書黎明期からの先駆者的な存在でもあった。光吉との交流が、子どもの本に対する著者の特異な立ち位置を醸成したともいえそうだ。

著者は、「子どもの館」という大人向けの雑誌から、「こどものとも」という月刊絵本雑誌の担当になり、どうしたらいいか戸惑う。マチスやピカソの絵が好きだったという著者は、それまであまり興味がなかったベン・シャーンの絵に出会ったことから、物語絵本が作れるのではないかと思ったという。様々な試行錯誤を重ねていくうちに、自分がいちばん心を惹かれる作家にぶち当たって行くしかないと、覚悟を決めてアプローチしたのが大竹伸朗だった。大竹が快諾し、最初の原稿が上がってから二人のやり取りが続き、最終的に絵や文章を七回描き直してもらったという。

編集者が著者と打ち合せをし、もらった原稿を編集するのは決まりきった仕事である。絵本の編集者は、絵本だけではなく、美術にも文学にも、およそ人間が表現するものについて、それなりの知識が必要だし、これまでにそういった表現がどのような質を達成してきたかについて不断の関心が必要だと澤田はいう。そして編集者が首を縦に振らない限り、本は出版に至らないのだから、権力者としての自覚が必要だとも述べる。

この本には、澤田と画家や編集者との対話も収められている。中でも大竹伸朗との対談はなかなかエキサイティングだ。オールズバーグが好きだといったら、児童書関係者に意外な顔をされてと大竹はいう。子どもをなめていないから好きなんだけど、日本の場合は子どもに合わせ過ぎで、あまりにコセプチュアル。自分は絵本の世界に合わせたくないといい、編集者も作家も、お互いにリスクを負わないといけないともいう。

子どもの本は、子どもが読む本を作るのだが、その子どもとはだれか。「大人が大人に向かって、書き手である自分でも了解できるような表現というのは、つまらないのではないか。むしろ自分でもわからないことを、不確かなことしかわからない世界に向かって表現していくことこそ、スリリングで快楽にみちたことではないだろうか」と、澤田は記す。それはまた、大竹が『ジャリおじさん』について、「なんだかわからないけど、何かがある世界が好き」と述べているのに呼応する。編集者は、自らの知的好奇心の探求とともに、著者とのやり取りを通して、その表現者としてのエキスを吸収しながらスキルアップしていくのだ。

絵本を読むこともまた、一つの創造行為だから、テキストに順応するのではなく、そのときどきの関係性の中で自在に変容していってもいいし、そこに絵本や物語の開かれた世界があるという視点もいい。絵本について、編集者について語りながら、優れた子ども論として読めるところが、この本のもう一つの魅力でもある。村中李衣と伊藤比呂美の「編集者・澤田精一をめぐって」も示唆的だ。何を「ひそませ」、何を「あばきたてる」かは、読んでのお楽しみだ。
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信濃毎日新聞 2014年7月13日 評者:中川素子(文教大学名誉教授)

刺激的なタイトルの本書を書いたのは、児童書中心の出版社・福音館書店で編集に携わってきた澤田精一である。1章から3章までは、パロル舎の「季刊ぱろる」(1990年代)、また絵本学会の機関誌「BOOKEND」(2000年代)などに澤田が寄せたいくつかの文で構成されている。10〜20年ほど前のものだが、澤田が絵本を編集する現場で抱えていた疑問は、今も絵本の世界を覆ったまま、いや、より深くなっているのかもしれない。

こどもの絵本には、「わかるということ」以前に表現の根があり、知識の伝達よりそういった根源的なものに触れる心の体験が大切だとする澤田は、「子どもは本人の意志に関係なく、大人が必要ならいくらでも介入していける存在だと日本の大人は思っているのである。これはパターナリズム(温情主義)と呼ばれるもので、すでにアメリカでは破綻した」と日本の状況を憂えている。また、「読み聞かせ」という言葉も、耳にするとぎょっとするとし、子どもと絵本をめぐって大人たちがよかれと思ってしていることの価値観をぐらつかせている。

では、そういった澤田が手がけた出版はというと、絵本の世界に合わせたくないというアーティスト・大竹伸朗の「ジャリおじさん」、年少の子どもたちに絵の情報を多くしたスズキコージの「きゅうりさん あぶないよ」、子どもたち自身が物語を紡ぎだせる伊藤比呂美・文、牧野良幸・絵の「あーあった」などである。それまでになかった画期的な表現に、子どもたちが大喜びしたのは、言うまでもない。

澤田の仕事とリンクし合うこの時代の動向も興味深い。画家による絵本だけをとりあげた「100冊の絵本」や、1997年設立の絵本学会など、児童文学の一部としてだけでなく、〈絵本そのもの〉として見ようとする目の育ちである。

「子どもの本には幾多の問題がひそみ、それを暴き立てないことには前に進めない」と詩人でもある澤田が逡巡しながら語る言葉は、暴き立ての厳しさと同時に、優しさと誠実さをもみせている。
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MOE8月号

著者は、福音館書店で「子どもの館」や絵本を担当してきた気鋭の編集者。子どもの本とは、絵本とは何か、ひそんでいる問題とは何か……。子どもの本の根源的な問題をあばきたてようとしているところが、他の関連書と違って興味深い。表紙絵は大竹伸朗。



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