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図書新聞 2012年11月24日 評者:柳原孝敦(スペイン文学)
NHKラジオまいにちスペイン語 2012年5月号
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図書新聞 2012年11月24日 評者:柳原孝敦(スペイン文学)

訳者の稲本健二が紹介しているように、自身シネフィルでもあるフアン・マルセーの小説は、多くが映画化されている。とりわけ『魅惑の上海』(1993)は、あのビクトル・エリセが脚色、『上海の約束』とタイトルも変えて映画化しようとしたのだが、プロデューサーと決裂、頓挫したといういわくつきの作品だ(エリセは実現されることのなかったそのシナリオを、出版してもいる)。小説はフェルナンド・トゥエルバが原題のままに脚色して映画化した(日本未公開)。

本書『ロリータ・クラブでラヴソング』(2005)も映画化されている。かくいう私もビセンテ・アランダによる映画版(『クラブ・ロリータ』として熱海美術館、タキ・コーポレーションからDVD発売)を、劇場公開はされなかったけれども、DVDで先に見ていたのだった。

双子の兄弟がいる。ラウルは少しばかり過激なところのある刑事。勤務地ビーゴで行き過ぎた行動をとってマフィアのボスの息子に大けがを負わせ、実質的な停職性分をくらって故郷のオレンセに戻ってくる。すると知的障害を持つ弟バレンティンが、そのマフィアの経営する売春宿《ロリータ・クラブ》で、料理人兼雑用係として働いていた。困ったことにバレンティンは、コロンビアから連れられてきた店の娼婦ミレーナにぞっこんのようだ。店に乗り込んだラウルは、荒っぽいやり方で弟を奪回しようとする。バレンティンには性のなんたるかなどわかりようがないのだから、ミレーナや娼婦たちにはよからぬ企みがあるに違いない、というのがラウルの考えだ。だから弟を救い出したい。ところがバレンティン本人はミレーナに入れあげているし、ミレーナも憎からず思っているらしい。乱暴な兄の要求を簡単に呑むわけにはいかない。そこに対立が生まれ、ストーリーが生まれる。息詰まるやりとりが印象的だ。

やがてバレンティンはラウルと取り違えられ、マフィアの手先に殺される。ラウルは直接けりをつけるために敵の懐中へと乗り込んでいく。勝ち取った解決策は……と書けば映画のストーリー紹介になってしまう。原作にかなり忠実に作られてはいるけれども、日本語訳にして300ページを超す小説を、100分に満たない映画にしようとすると、やはりいろいろな要素を削らないわけにはいかない。そして、映画に再現できないとして削られた要素にこそ、小説の面白みは詰まっているものだ。本作の場合も、ご多分に漏れず、そうだ。

書き出しがとても印象的だ。「海に沈んだ死体の行動特性は予見不可能です。」バレンティンが想起するある船の船長の断言だ。どうやら海に沈んだ「かわいそうなデシレー」」のことを思い出しているらしい。娼館の廊下を進む彼は「足下で暗い深海が揺れ動く」のを感じている。「海辺の人は何でも知っている、と言うよね。それに引き換え、ここにいる僕は、バカな僕は、デシレーの青い目の中にその後で起きることをどうして読み取ってやることができなかったのか」。

最初のページに展開されるこの記述に、映画化できない小説の魅力が詰まっている。バレンティンは、映画で感じられるよりはるかに思弁し、想像する存在だ。そしてその想像力で幻視しているらしいデシレーなる女性の存在、これが実在の人物であることが明かされるとき、小説の基底にあるハードでホットな裏社会の現実と、多分にファンタジックに思われたバレンティンの主観の世界が溶解してひとつになる。彼の地勢のあり方がわかる瞬間だ。このとき既に彼は亡い。兄ラウルのとった行動が、ここで納得できるという次第。ロマンティックな映画監督が好みそうなストーリー展開でありながら、ただ「ロマンティック」ではすまされない構成になっている。
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NHKラジオまいにちスペイン語 2012年5月号

ラウルとバレンティンは双子の兄弟。警官の兄ラウルはマフィアがらみの事件で謹慎処分となり故郷に戻る。そこでは知的障害を持つ弟が娼婦に夢中になっていた。ロリータ・クラブという名の店に入り浸る弟。何としても弟を娼婦から引き離したい兄。兄弟の葛藤を中心に据え、暴力や麻薬、人身売買、資金洗浄といった現代のスペイン社会が抱える問題を描いた作品。著者フアン・マルセーは2008年にセルバンテス賞を受賞。




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