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図書新聞    2012年6月23日    評者:長谷川啓(城西短期大学教授)
東洋経済日報    2012年1月20日    「今週の一冊」欄
朝日新聞    2012年1月8日    「著者に会いたい」欄
毎日新聞    2011年12月18日    「今週の本棚」欄    評者:鴻巣友季子
日刊ゲンダイ    2011年11月22日    「週刊読書日記」欄    評者:中島京子(作家)
読売新聞    2011年11月22日
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図書新聞    2012年6月23日    評者:長谷川啓(城西短期大学教授)

アジアの女たちの痛みと再生の記憶
3・11後の日本の再生、今後のフェミニズムにも示唆を与える、メッセージ満載の女性文学コレクション


アジアの女性文学が昨年の末、続けて刊行された。韓国・台湾・インドの女性作家の作品である。それぞれ、成人してなお、少女時代のトラウマの記憶から逃れられない女性たちの物語だ。性的被害等々、女性ゆえに体験する痛みが語られ、あらためてこの世の男性中心社会に憎悪の火を再燃させる。

とはいえ、哀しみにうちひしがれているばかりの少女・女たちではない。逆境で底辺に生きる女性のしたたかさや逞しさをもっとも鮮やかに活写したのが、韓国の姜英淑の『リナ』(原書2006年刊)である。貧しい炭鉱の町から脱北したリナ一家を含む一行は韓国への苦難の逃亡中に、経由した隣国で数人が逃げ遅れ連行されてしまう。家族と離ればなれになった少女のリナもその一人で、捕まった女性たちは化学薬品工場で働かされたあげく、管理者に強姦され、協力者の少年工も道連れに脱出をはかる。そこからリナの本格的な流離いの人生が始まるが、途中、家族に再会しても、女の子である自分を軽視して見捨てられたと思い込み、両親を無視して放浪する。歌手の真似事をしたり、韓国の宣教師によって売春村に売られたり、自らもまた人身売買や麻薬販売に加担したりなどして生き抜いていく。

隣国の中国全土を彷徨うことになる悲惨でスリリングな道中はブラックユーモアの冒険談さながらで、いっきに読破できる面白さだ。人身売買を幇助しながらも被害者の少女たちを助けて一緒に加害者を殺害する場面は痛快ですらある。やがて大人の男に変貌する少年工や、臨終近いベッドにすら駆けつける恋人をもつ元歌手のおばあさんとの風変わりなポスト・ファミリーの絆は、砂漠の中の一時のオアシスのようでもある。しかし、その唯一の家族の絆も、流れ着いた大規模なプラント工業団地で、工場の大爆発によって失ってしまう。もはやどこの国にも人にも幻想を抱いていない少女ではあるが、世界の終わりを経験した地から、国境に向かって走り始め、あらたな出発を予感させるところで物語は終わっている。

経済自由区域におけるこの多国籍コンビナートは、科学ガスによって団地全体を白い霧で覆い、人々を咳き込ませるなど公害をまき散らす。あげくの果てに工場の爆発事故によて街ごと墓石、空気も大地も汚染する。世界がいっきょに消滅してしまうような終末光景は、3・11の原発災害を連想させ、近代化科学文明の恐ろしさをまざまざと伝えている。

いっぽう、少女の時の傷跡から逃れられない女性の狂気を描き出したのが、台湾の陳雪著『橋の上の子ども』(原書2004年刊)である。書く行為が救済となっているかのような女作者の物語で、3作品中、もっとも痛みを結晶、表象化させている。三人の同性の恋人たちや、アメリカ在住の男性の恋人へ、「あなた」と語りかけるなかで、少女時代の故郷の記憶が回想され、現在と過去が交錯しながら、トラウマの基層が炙り出されていく。過去の記憶に襲われ、恋人を変えても居場所を変えても安住の地はなく、狂気は鎮まらない。居場所の変転は、転々とした少女時代の親の職業や住まいが修正となっているふしもあるが、蓋をしたはずの過去から逃れられず、どこにも精神の安定が見出せないからである。

貧困のなかで家を出ていった母の不在と、時折見せる母のもう一つの側面による不安。恐らく借金返済のためか売春をしているようなのだが、少女にとっては母が何者なのか謎の存在となる。しかも母の留守中に父から性的悪戯を受けて自殺未遂に陥った悪夢の日々。辛い体験は少女の内面に分裂意識や喪失感を抱かせ、決定的なトラウマとなっていく。

両親の移動露天商を手伝って橋の上を走り回り、屋台の呼び込みまでしなければならない少女の唯一の避難所は、空想の世界に浸ることだった。だが、少女によって嫌悪される下層社会における露天や夜市の光景こそが、作中もっとも生き生きと魅了されるところである。ついに、育った環境の似ている同性の恋人との出会いによって、自分を開き、過去と向き合い、「かつて放棄した世界と和解できそうな予感」がし始める。傷や痛みの氷解、逃避してきた家族との和解が開始され、あらたな人生の旅立ちが訪れるのだ。

インドのムリドゥラー・ガルグの『ウッドローズ』(原書2004年刊)は、4人の女性と男性1人の生が各章ごとに語られる。それだけに1人の主人公に焦点を絞った前の2作品に比べて、それぞれが相対化されつつ、女の痛みがハーモニーとなり、全女性の声として響き渡ってくる。なおかつ、世界の哀しみを背負ったような両性具有的な男性の視点によって伴走され、さらに相対化されて、近代科学の進歩や近代主義フェミニズムの行方さえ問うポリフォニー的世界を現出しているのである。

最初は命の象徴のようなウッドローズの硬い実を持ち歩くスミターの告白から始まる。彼女は姉の夫に強姦されてアメリカに渡り大学院まで進むが、今度は結婚した精神科医の夫の暴力によって流産してしまう。離婚を決意して、勤務先である女性の救護施設に助けを求め裁判を起こすが、アメリカの法廷もまた男性優位で敗訴する。トラウマは解消されずにどこまでも続くのだ。

女の語りは知人や友人に次々とバトンタッチされていく。スミターの同僚のマリアンは作家志望の夫の資料収集に献身するが、書き綴ってきたものを夫に奪われてしまい、彼の願望を内面かして妊娠中絶までする。女性の救護施設に駆けつけ裁判所に夫の盗作を訴えても、男性の判事の前では取り上げてももらえない。インドのスミターの姉の家で働くなるまだーは、義兄によって少女の時から幼年工や下働きに出されて搾取されつづけ、娘になると彼の第二婦人となることを強制される。だが、教育も受けられない下層階級のなまるだーこそ、4人の女たちの中でもっとも肝が据わった中年女性へと成熟していくのだ。彼女の恩人で裁縫店を開く女主人である娘のアシーマーは、自分たち母と子供を捨てて再婚した父を許せず、男を信用しない過激なフェミニストに成長する。そして、帰国した親友のスミターと協力して、インドの村の貧しい女性のために産業興こしの一環として植樹する。子供たちの学校教育にも全力を尽くし、村人を家族のような存在として結びつけるが、痛みを分かち合う女たちの連帯が実に素晴らしい。

先住民の女性たちの、我が子のように植樹を愛する心や、ウッドローズの実に託された自然の再発見にこそ、痛みからの再生があることを暗示している。3・11跡の日本の再生、今後のフェミニズムにも示唆を与える、メッセージ満載の女性文学コレクションだ。

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東洋経済日報    2012年1月20日    「今週の一冊」欄

母国の過酷な状況を逃れて国境を超えた22名の脱北者たち。国境の向こう側には、夢見たものがあったのか?彼女達を待ち受けるものは何だったのか?国家はもとより、家族すら捨てたリナが選んだ新しい家族の形とは?著者初の長篇小説として2006年に単行本化、同年の韓国日報文学賞を受賞。

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朝日新聞    2012年1月8日    「著者に会いたい」欄

過酷な現実生きる「脱北」少女

北朝鮮とおぼしき国から脱出した少女リナは、同じ言葉を話す豊かな国「P国」をめざすが、人身売買で様々な国の売春村や工業団地を転々とする。貧困や暴力、性虐待など、悲惨な現実を強いられながらも、リナはどこか明るく、自らの力で状況を切り開いていく。韓国では、少女の成長小説として読まれたという。

物語の着想を得たのは2004年の東南アジア旅行。韓国をめざす脱出ルートとなったカンボジアやベトナムの村で、多くの脱北者に出会った。その後、2人の少女にインタビューする。1人は冗舌なほどに自己の来歴を語ったが、もう1人の少女はかたくなに口を閉ざしたまま。

「個々のエピソードをそのまま作品に使ったわけではありません。沈黙した少女の表情から、はるかに多くの想像力をかきたてられました。この少女の印象を小説の最後まで保っていこうと構想したのです」

本文中には具体的な国名や地名は現れない。特定のイメージを消した状態で書いたという。

「リナのたどった運命は、現代の資本主義の世界ではどんな場所でも起こりえます。売春村も工業団地も、富と貧困を象徴する空間。リナは現代的な遊牧民(ノマド)としてそこを移動し、国境を越えてゆくのです」

日本では初の翻訳となった本作の作中、大規模な産業災害が起きる。災害後の描写は、どこか3.11の震災や原発事故をも連想させる。1998年に韓国でデビュー、自然災害をテーマにした短編小説集もある。

「人間の欲望が、自然災害をさらに大きくしてしまうこともある。災害の後に人々がどう生きるべきかが、私のテーマの一つです」
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毎日新聞    2011年12月18日    「今週の本棚」欄    評者:鴻巣友季子

「善」を失い尽くす脱北少女の尊厳

現代アジア文学の実力とポテンシャルを示す快作であり、ある種、現代世界文学にとって脅威となりうる作品だ。姜英淑は韓国文学のホープ。文学賞を総なめにしている作家の『リナ』、題名からしても、可憐(かれん)な少女の清冽(せいれつ)な成長物語などを想起させるかもしれない。確かに主人公のリナはたくましく「成長」していく。ところが、これは西洋文学の概念でいうビルドゥングスロマンというものではない。なにか名前をつけるとすれば、女のピカレスクロマン(悪漢小説)である。

名前のない架空世界の物語だ。リナを含む三家族と縫製工場の若い労働者ら二十二人はグループとなって、兵士につきそわれて国境を越え、隣国に入る。しかし最終的に目指すのは、“自分たちの国と同じ言葉を話す同じ民族が住みながら豊かなP国”。最初に入った第三国は「テーブル以外なら脚のあるものはなんでも食べる」という国。ここから、リナたちが脱北者だという推察はできるだろう。

一団は飢えと寒さのなかで乳の足りない赤子に小水を飲ませようとしたり、「皮膚が蛙(かえる)のように青黒く変色」して死んだ子を森にすてたりしながら進んでいくが、あるときリナは女性二人と老人とともに村人たちに捕まり、流刑地である化学薬品工場へ売り飛ばされ、ここから闇の奴隷市場を転々とすることになる。工場では監督にレイプされ、その後、監督と目撃者の老人を遠心分離機に放りこんで殺し、南西部の麻薬町へ迷いこみ、天幕の演芸小屋で働き、売春村へ売られ、やがて東北へ向かって、あげくに国境の近くに舞い戻ってしまう。

序盤に印象的な場面がある。逃走中のリナは田んぼで小用を足す際、「局部に、かすかに草の葉が触ったのを感じて肩を震わせた。それは顔の上に細かい雨が落ちるときのくすぐったさに似てい」た。十六歳のリナのセクシュアリティにふれた数少ない抒情(じょじょう)的な場面だ。彼女のこの性はすぐに蹂躙(じゅうりん)され、身もふたもない商品になっていく。

流れ着いたのは、「経済自由区域」だという地域のプラント工業団地。やがてリナは高級クラブで働きだし、気がつけば自分が人買いをする側にまわっている。多国籍企業が経営するプラントは数年前に汚染事故を起こしており、周りでは後遺症のある労働者や畸形(きけい)の子どもたちが苦境を訴えている。このあたりは、インドの化学工場事故をモデルにしたインドラ・シンハの話題作『アニマルズ・ピープル』なども想起させるだろう。テクノロジーとユートピアを謳(うた)った巨大企業が地元の人々の生活を歪(ゆが)めるという“シナリオ”は、場所を問わず、虚構と現実の別を問わず、いまも世界中で、もちろん日本でも起きている。ならば、奴隷売買は日本では起きていないだろうか?

シンプルでプリミティブな物語は、いつ、どこの国の物語としても読める。そして殺しあり身売りあり裏切りありの壮絶な毎日を綴(つづ)る文体は、徹底してドライでコミカルですらあり、内容との落差が凄味(すごみ)を生む。

家族とはぐれたリナは途中で再会とP国行きのチャンスを得るが……。自分にとって偽りの幸せに背を向ける彼女は、売られた先で知り合った男の子や孤独な老歌手らと疑似家族のようなものを形成していく。血の繋(つな)がりや徳や純潔、「善」とされるものを片端から失い続けるこの少女から屹立(きつりつ)するのは、しかし人間の尊厳である。それは悪事にまみれても穢(けが)れることがない。ラストで北へと向かうリナがある幻影を見る場面はとりわけ出色だ。今年最も心揺さぶられた小説である。(吉川凪訳)
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日刊ゲンダイ    2011年11月22日    「週刊読書日記」欄    評者:中島京子(作家)

北朝鮮を思わせるある国から家族と共に国境を越え、同じ言葉を話すP国を目指す少女リナの物語。P国にはなかなか辿り着けず、経由地の第三国で家族と離れてしまい、売春婦に、化学プラント工場にと売られて、底辺を這いずるような日々を生き抜くことになる。

小説は一種ファンタジーのようなスタイルで描かれ、主人公のリナはタフで色っぽいし、おばあさん歌手や、成長して一人前の男になる少年ピーなど、リナが行動を共にする面々もキャラクターが立っている。惹きこまれて読み進むうち、小説が描き出しているのはまさに、21世紀の世界そのもの、ウォール街を占拠する若者たちが訴える99%の貧困、経済効率だけが優先される社会の底に吹き溜まる矛盾だと気づく。リナが働く工場の事故を原子力発電所と重ねてしまうのは、3.11以後の日本人読者だからか。すごい小説を読んじゃった。部数少ないんだろうな。重版希望!
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読売新聞    2011年11月22日

〈アジア女性作家の創造力〉
韓国、台湾、インドの現代女性作家の小説が、「日本女流文学者会」」の助成を受け、3か月続けて出版されている。韓国の姜英淑(カンヨンスク)氏「リナ」は、貧しい炭鉱町に育った女性が、豊かな〈P国〉へ逃れてゆく物語だ。

脱北者を念頭に置く作品のようで、そう言い切れないのが面白い。子供が近くでボール遊びに興じる売春村、年上の女性と眠る工場の寮のベッド。脱出行の光景は何か優美で幻想的だ。今月は「新潮」で続いた日中韓の小説を紹介する企画「文学アジア3×2×4」も完結した。韓国のキム・イソル氏「餌」は、釣り具店を営む父子の確執を描き、暴力シーンが陰惨を極める。

幻想性、暴力性、女性作家の活躍。この3点は、日本の現代文学の特徴でもある。経済的豊かさを実現したとき、文学の創造力は似てゆくものなのか注目したい。



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