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毎日新聞    2012年2月23日    新世紀世界文学ナビ[スペイン語圏8:セルヒオ・ピトル]     ナビゲーター:寺尾隆吉(フェリス女学院衣装授)
図書新聞    2011年9月17日    評者:成田瑞穂(神戸市外国語大学准教授)
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毎日新聞    2012年2月23日    新世紀世界文学ナビ[スペイン語圏8セルヒオ・ピトル]     ナビゲーター:寺尾隆吉(フェリス女学院衣装授)

〈メキシコ現代文学の醍醐味〉

メキシコは、20世紀のスペイン語圏において最も豊かな小説文学の「伝統」を築き上げた国かもしれない。1910年の革命に始まり、関年代の高度経済成長、それに続く失速を経て、2000 年の政権交代に至る現代史、その流れに沿う形で、時代ごとに政治・社会的状祝を的確に反映する作品が発表されてきた。

革命の動乱を描き出したマリアノ・アスエラの「虐げられし人々」(15年。邦訳収録は学芸書林『全集・現代世界文学の発見第9巻』、70年、品切れ)、農村部の荒廃を背景にしたファン・ルルフォの「ベドロ・パラモ」(55年。邦限は岩波文庫、92年)、急激な都市化をテーマとしたカルロス・フエンテスの「澄みわたる大地」(58年。邦訳は現代企菌室から来月刊行予定)、停滞に伴うノスタルジーを映し出したホセ・エミリオ・パチェーコの「砂漠の戦い」(81年。邦訳収録は集英社文庫『ラテンアメリカ五人集』、95年)。メキシコ文学を特徴づけるのは文壇の求心力であり、作家たちは、友情、怨恨、ライバル心、様々な形で相互に影響を受けながら創作を進めている。後進の作家は、時に先達の指導を仰ぎ、時に反発しつつ、前世代の業績を引き継ぎながらそれを乗り越えていく。

こうした状祝にあって、「ブームの世代」世紀末に台頭する新世代の繋ぎ役となったのが、33年プエプラ生まれのセルパンテス賞作家セルヒオ・ピトルである。メキシコ小鋭の「伝統」を引き継ぎながら彼は、そこに広範な外国文学の知識を持ち込むことで新たな道を切り開いている。幼少から現在まで絶えず世界文学の名作を読み続け、27年にも及ぶ海外生活で得た知識と語学力を糧に、これまで40にのぼる文学作品のスベイン語訳と、20冊近い小説・評集を積み上げてきた。

『愛のパレード』(邦訳は現代企画室、2011年)において、デル・ソラールというイギリスで大学教員を務める歴史家が主人公に選ばれるのは偶然のことではない。小説と現代史が緊密に結びつくメキシコ小説の本流を汲んでいるのはもちろんだが、この人物によって作者の膨大な知識を物語に注ぎ込むことが可能になる。幼年期に隣家で起こった殺人事件をめぐって鋭い洞察力で歴史的調査を進めていく彼は、やがてメキシコ現代の抱える深刻な問題の数々に行き当たる。小鋭を読むことでメキシコ社会への理解を深め、歴史・政治問題への興味をそられる、そして、メキシコへの理解が深まれば小説をさらに楽しく読むことができる。『愛のパレード』は、そうしたメキシ現代小説の醍醐味に満ちた作品だと言えるだろう。

〈作家本人から〉

「ブーム」と違う潮流

現在病気療盤中のため、思うように言葉も出てきませんが、私の代表作『愛のパレード』が日本語に訳されて大変嬉しく思います。

この20年というもの、ラテンアメリカの小説は劇的な変貌を遂げました。コルタサル、フエンテス、バルガス・リョサ、ガルシア・マルケスといった名前は、日本でも知ちれていることと思いますが、現在文学界を賑わせているのは、そうした「プームの世代」とは遣った潮流に属する作家たちです。

チリのロベルト・ボラーニョ、グアテマラのロドリゴ・レイローサ、メキシコのマリオ・ベジャティン、コロンビアのファン・ガプリエル・パスケス……。今後そうした作家たちの日本語訳がますます進行していくことを祈っています。
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図書新聞    2011年9月17日    評者:成田瑞穂(神戸市外国語大学准教授)

〈語りの声が交差や拡散を繰り広げ、絡まったままの糸が張り巡らされるー「本物の真実」をとらえることの困難をつまびらかに〉

邦訳で読むことのできるメキシコ人作家といえば、メキシコ論の定番的作品『孤独の迷宮』(法政大学出版局)のオクタビオ・パス、革命期のメキシコに入り消息を絶ったアンブローズ・ビアスに焦点をあてる「老いぼれグリンゴ」(河出書房出版)やコロンブスの新大陸到達500年を契機にラテンアメリカの文化と歴史を見つめ直す評論『埋められた鏡』(中央公論新社)のカルロス・フエンテス、エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』(新潮社)にも書かない作家として登場し、長編小説『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)ではメキシコ土着の物語を神話的世界にまで昇華させたフアン・ルルフォなどが思い浮かぶ。スペイン語という共通の言語で創作する作家たちは、ラテンアメリカ(イスパノアメリカ)作家として、出身国とは関係なくひとくくりにされる傾向にあり、本人たちもそれを受け入れている一方で、右に挙げた作家たちは、それぞれの方法で自国メキシコの社会をとらえ、描こうと試みている。そして今年初めて邦訳が出版されたセルヒオ・ピトールもまた、『愛のパレード』でメキシコの歴史を眺めるための新たな視点を示している。

物語の舞台は1973年のメキシコシティ。主人公ミゲル・デラ・ソラールは、30年前にミネルバ館―当時10歳の自分もその住人だった―で開催されたパーティのさなかに発生し
た殺人事件が、第二次世界大戦中のメキシコ外交文書のなかで言及されていることに興味をもち、この事件の真相を解明しようとする。かれは、パーティの主催者や参加者への聞き取りを始めるが、その作業はすなわち、メキシコ革命から第二次世界大戦へいたる20世紀前半のメキシコ現代史を辿っていくことに他ならなかった。事件当時のミネルバ館は、40年代のメキシコシティの縮図として存在し、メキシコ革命で頭角を現した有力政治家の家族、革命により逆に凋落してしまった旧家の人間、戦火を避けてメキシコへ亡命してきたヨーロッパの上流階級、知識人たち、さらには地下活動する親ナチスグループのメンバーなど、様々な人物たちが出入りする空間だったからだ。そして事件の起こった1942年といえば、メキシコが枢軸国に対し宣戦布告をした年であり、歴史家デラ・ソラールにしてみれば、オーストラリア人青年が殺されたこの事件の背後には政治的な陰謀あるいは国家の枠を越えた複雑な事情があるはずで、自分が探偵役を引き受けることで、犯罪の真相が明らかになり、それがメキシコ現代史における「なんらかの本物の真実」の発見の繋がることを期待しているのだ。

事件に関する証言や当時の記憶をデラ・ソラールに語る関係者たちの叙述がこの作品の大部分を占めているが、かれらの語りの内容は互いに矛盾するだけでなく、その信憑性を保証するものすらなにもない。一見ばらばらに見えるエピソードが繋ぎ合わされ、謎の解明へと収斂してゆくのが推理小説の王道だとすれば、人物たちの語り声が交差や拡散を広げるこの物語はそのパロディであって、むしろ「本物の真実」をとらえることの困難さをつまびらかにするものである。そして妄想、嘘、うわさ話の入り交じる語りをただ聞くことしかできないデル・ソラールとともに、読者もまたその饒舌な声に圧倒されることになる。しかし同時に、人物たちの、ときには機知に富み、ときには冗長すぎるかれらの過去やメキシコ社会に対するそれぞれの思いを解き放ち、読者による物語の再構築をうながす。その意味で、「作品全体が、絡まったままの糸が張り巡らされた喜劇であり、事件の袋小路に否応もなく突き当たってまう心地よい誤読の物語に」という作者ピトルの目論みは十分に達成されていると言えよう。語ることで思い出されるはずの過去の記憶、語りを聞くことで構築できるはずの歴史は、この作品において、ぼんやりと浮遊したまま、多声的な軋み、澱みのなかから拾いだされるのを待っているのだ。



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