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寄せ場学会通信78    2011年春    評者:濱村篤(日本寄せ場学会会員)
■下地秋緒さんの作品集「すべてのもののつながり」の刊行を記念して、4月と6月に沖縄と東京で展覧会を開催。

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寄せ場学会通信78    2011年春    評者:濱村篤(日本寄せ場学会会員)


『すべてのもののつながり』の著者である下地秋緒さんとは生前に二度会ったことがある。一度は、ある小さな集まりの後に早稲田のレラ・チセという料理屋で、もう一度は、彼女がそこで版画の制作に本格的に取り組むことになるスペインに渡る直前の東京でであった。目の印象的なひとであった。彼女のまだ見ぬ父親、寄せ場の運動の伝説的な人物となってしまった船本洲治さんの面影を今に伝えるのは、きめの粗い数葉の白黒写真しかないと思うが、下地秋緒さんの目は、船本洲治さんのかつての友人の言葉を借りるならその「ギョロっとした目」をそっくり受け継いだのだと初対面のときに感じた。彼女はその目でものおじすることなく相手をしっかりと見据えて話をした。その目は、無防備であり、内に深い情熱を秘めており、「ギョロっと」はしているが愛らしかった。

再会は不意にやってきた。しかし、今度は快活な女性としてではなく、ひとりの版画作家としてであった。2008年1月、享年弱冠32歳というあまりにも早すぎる下地秋緒さんの訃報が友人たちの間に驚きをもって伝えられた。翌年の2009年には、下地秋緒さんを知る友人たちの熱意によって、1月に彼女の生まれ故郷である沖縄の那覇市で、3月に広島のカフェ・テアトロ・アビエルトで、6月に彼女がよく立ち寄ったという横浜の寄せ場寿町で、同じく6月に東京でそれぞれ個展が開催された。『すべてのもののつながり』は、このときの個展を基にしていると思われる。

下地秋緒さんの一連の立体作品や版画にそのとき初めて接して思ったのは、下地秋緒さんの手から作り出されたにもかかわらず、作品が作品で作品独自の軌跡を描き出しているということであった。快活でものおじしない生前受けた印象、生まれ育った南島沖縄の文化風土、版画制作に専念した光と影のコントラストが鮮明なスペインという国の背景知識がこのような感想を抱かせるのであろう。『すべてのもののつながり』の中では、下地秋緒さんの作品が、その短い制作年数の年代順に配列されている。淡い青色や紺色、少しくすんだ緑色、独特な赤褐色を下地にして浮かび上がってくる下地秋緒さんの版画の形象は、しかし、一貫して静謐さを特徴としていると思う。ごく初期の「鳥猫」と題された、想像上のユーモラスな夢見がちな動物の形象を描いた銅版画でさえも、そこで空気がピタリと止まったような、あたりにそよとの風も吹かないような静けさが感じられる。

作品の変化も、先行する変化に対する予兆を感じさせながらも不意に訪れたように思われる。螺旋の形を描きながら内へ内へと向かうように見えるいくつかの円。その円周と円周をつなぐ幾多の細い不揃いな線。無機質な構造物のように見えるこの作品は、2006年に「内への旅」と題して制作された銅版画である。あるいは、何かこれまでに見たことのない生物が画面上を刷毛でサッと掃いたように擦過したときに残した痕跡、のろのろと蛇行しながら進んだ後の痕跡のように見える、2006年に制作された「コラボレーション」と題された一連の銅版画。何か不思議な生物そのものでなく、その生物が残した痕跡が無機質なタッチで描写されているように思われる。いったい誰と誰とのコラボレーションなのであろうか。このように、下地秋緒さんは、その早すぎる死に先立つ二年間に作風を具象から抽象へと大きく転換させた。『すべてのもののつながり』に収録されている年譜から判断するに、下地秋緒さんが、この二年間を、やがて訪れることになる死を意識して制作に励んでいたとは思えない。むしろ、継続する生を当然のこととして、具象ではもはや表すことができなくなった内実を抽象で表そうと格闘していた最中だったと思う。ヨーロッパの書物には「命がけの跳躍」という言い回しがあるのを目にするが、表現は、これが奇をてらうものでなく、やむを得ずそうする場合には二つの「跳躍」があると考えている。それは抽象化とシンボル化である。下地秋緒さんが早世したのはこのような生の最中であった。

『すべてのもののつながり』にある年譜によると、下地秋緒さんが作風を変えつつあった二年間に位置する2007年7月に次のようにある。「沖縄に3度目の帰省。母・喜美江、妹・篤子とともに広島を訪れ、呉市広町にある船本洲治の墓に献花。」呉の街は、山並みが多く平地が少ない広島県沿岸の中にあっても、すぐそこにまで山が迫ってきている。かつて軍港として栄えた所以であろう。市街地は山と山とに挟まれた傾斜地に広がっている。だから坂が多い。船本洲治さんの墓所を訪れたことはないが、呉であるならば、墓所は坂の上にあるに違いない。眼下に広がる呉の市街地、沿岸沿いにある造船所のドッック、多島海ゆえ散在するたおやかな瀬戸内の島々、その広がる海ー。『すべてのもののつながり』を手にしてからというもの、下地秋緒さんがスペインの地で抽象によってでしか表わしえないことを表わそうとして格闘した成果である銅版画、これから浮かび上がる数々の形象が、評者の脳裏に浮かぶ墓地からの想像上の呉の風景の形象と、眩暈のように重なりあっている。




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